2024-04-06

ヤーン・エクストレム「ウナギの罠」


「なぜ被害者の遺体は、あのウナギの罠に隠されたのか? なぜ犯人は、あらゆる手間をかけてまで、密室の謎とも呼ぶべき難問を創り出そうとしたのか?」

舞台はスウェーデンの田舎町らしきところ。権力をもつ地主がいて、傲慢で誰からも好かれてはいないのだが、その機嫌を損ねると生活が立ちいかなくなりそうな人々は何人もいる。この地主と娘ほど年の離れた女性との結婚が発表されるとともに、さまざまな思惑が動き出し、その夜のうちに殺人事件が起こる。


1967年長編。ドゥレル警部という、どうやらシリーズ・キャラクターが活躍する謎解きものです。カーばりの不可能犯罪と聞いて読み始めたのだが、事件が起こるまでの人物描写が結構、濃い目であって意外な感を受けた。そのあたりは、さすがに1960年代の作品ということだろう。もっとも、合間にキーとなる人物の不可解な行動をまぶして、ミステリとしての興趣を保つことも忘れてはいないが。
で、宣伝通りに密室の謎があるのだけれど、事件現場が不可能状態にあることが明らかになるのは、実は物語の後半なのです。それまではフーダニットらしく、犯行の機会やアリバイを巡っての捜査や議論が堅実に進められているので、密室はプロット上のツイストとしても存在しているのですね。
また、そもそも自殺でないことははっきりしているので、密室であることが分かったからといって捜査方針が変わるわけではない。確かに大きな謎がひとつ増えたわけではあるけれど。

怪しいやつは何人かいるけれど決定的な手掛かりはないし、密室の謎もあって頭を悩ませるドゥレル警部なのですが、作品が残り30ページくらいのところで突然、全部がわかってしまう。
そうして明かされる密室トリックは手が込んでいて、推理困難なもの。ただ、それに使われる小道具の配置がとてもセンスいい。ああ、あれはここで生きてくるのか、という感興があります。また、現場を密室にした動機もしっかりとしていて、はっきりとは書きませんが、不可能犯罪とフーダニットが有機的に構成されているのですね。

地味なミステリですが、解決編は相当に面白かった。同作者の『誕生パーティの17人』は問題のある(らしい)英訳からの重訳だったそうなので、そちらもスウェーデン語からの新訳で出し直してほしいものです。

2024-03-24

劉慈欣「三体」


文庫化されたのを機にわたしも手を出してみました、劉慈欣りゅうじきん(リウ・ツーシン)の『三体』。最初の日本語版が出たのは2019年ですが、中国での雑誌連載が2006年、単行本化が2008年初頭と思っていたより昔の作品ですね。
現代SFにはすっかり疎くなっているので(しかも600ページ以上あるし)、恐る恐る読み始めましたが、そんなに難しくて投げ出してしまうようなものではなかった。大層に売れただけのことはあって、しっかりエンターテイメント小説ですな。


三部構成の第一部「沈黙の春」は60ページほど。1967年、知識人への迫害が強まる文化大革命下の中国で、過酷な運命に翻弄される女性研究者の物語。最後の方で、おおう? という謎の展開がありますが、まあ、このパートは伏線というか前振り。

それから40年以上たった現在の物語が第二部「三体」。これが300ページくらい。世界中で科学者たちがさまざまなトラブルに巻き込まれ始めていて、主人公である汪淼おうびょう(ワン・ミャオ)もまた、説明が付かないような怪現象〈ゴースト・カウントダウン〉にみまわれる。これらの事件には影で大きなひとつの力が働いているらしい。
一方で汪淼は、およそ娯楽には興味のなさそうなひとりの科学者がやっていたオンラインVRゲーム、「三体」に目をつける。これはただのゲームではなさそうなのだ。明らかに相当な資金がかけられているのだが、どこの誰が作ったものかも分からない。
汪淼は現実世界で次々と起こる事件の謎に対応しながら、並行してゲーム「三体」の正体を探っていくのだった。

この第二部はスリリングな現実パートとファンタスティックなゲーム・パートが交互に展開しますが、不安を感じつつ闇の中を手探りで進むような汪淼に対して、ひたすら実務的かつ乱暴だが鋭い勘をもつ警察官、史強しきょう(シー・チアン)の存在が頼もしい。
また、ゲーム「三体」で汪淼は、ログインするたびに異なる世界へと送り込まれるのだが、それぞれのエピソードがアイディアを凝らした作中作として読めます。特に秦の始皇帝と、ニュートンやノイマンによる「人列コンピュータ」はホラSFとして抜群の破壊力であります。

果たしてVRゲーム「三体」は何のために作られたのか、また、研究者たちを襲う事件とはどう繋がるのか。
残り220ページくらいが第三部「人類の落日」で、破滅物SFのタイトルだよね、これ。陰謀を企む組織と意外な首謀者、その背景にある恐るべき事実が明らかになっていく。ここから(薄々感じていたものの)一気に話のスケールが大きくなります。
終盤近くでの実験のパートがやや難しそうに感じますが、良く読むとかなり豪快な展開で。ここへ来て炸裂し続ける奇想がたまらない。


プロットだけみると、むしろ王道というかクラシカルなSFですね。地球外生命体もそんな突飛な有り方ではないし。いや、現代においてこのデカい話を正面から書ききったことが凄いのだな。
大部ですが、ダレ場なく楽しめました。

2024-03-12

アントニイ・バークリー「最上階の殺人」


四階建てフラットの最上階に住む老婆が殺された。現場は相当に荒らされ、被害者が貯め込んでいた現金も持ち去られていた。スコットランド・ヤードのモーズビー警部はプロの犯罪者によるものとして捜査を進める。だが、偽装工作の跡を見て取った探偵小説家ロジャー・シェリンガムは、同じ建物の住人たちに疑いの目を向けるのだった。


1931年に発表された、シェリンガムが登場する長編としては七作目の作品。
とりあえず、始まりはいつもと同じような感じ。警察は事件を平凡なものとみなすが、その捜査の粗に目を付け、全ての疑問点がうまく当てはまる説をなんとか拵えようとするのが我らがシェリンガム。その割に容疑者の絞り込みは推理ではなく、印象だけで進めてしまう。この辺りは結局、警察のやり方と五十歩百歩。ただ、シェリンガムの殊更に物事をややこしくする考え方のほうが、圧倒的に楽しいのは確か。

事件はひとつしか起こらないけれど、小さな謎が積み重なっていき、あれやこれやの推理の種には事欠かない。ユーモア味たっぷりの愉快な語り口に、何だったら恋愛要素もあって、軽快に読み進めていけます。
シェリンガムは犯罪に調査を進めていくうち、ある人物に目星をつけるが、それとは反するような事実につき当たり、いったんは手詰まりに。だが、ちょっとした証言によって、それまでの推理の前提が崩れていく。ここから俄然、シリアスに。

解決編はなかなかドラマティックであって、引き込まれずにはいられません。何しろ、色々な要素が気持ちよく嵌っていく。さらに、謎解き小説としては余分であった部分が、ここへ来て機能しているのは流石。
ただ、犯人のキャラクターを考慮するとトリックは手が込みすぎではないか。そして更に言えば、余詰めへの配慮が無さ過ぎる(もっともバークリイはそんなのばかりだが)。まあ、読んでいる最中は完全に手玉に取られていましたけどね。

細部を詰めず、余白を多くとることで可能になる推理の柔軟性を駆使するバークリイのスタイル、それが非常に大きな効果を上げた作品であります。当然、凄く面白かったっす。

2024-03-03

The Grays / Ro Sham Bo


米国産パワー・ポップ・カルテット、1994年の唯一作。今年で30周年ということになるな。
このグループは、ジェリーフィッシュを抜けたジェイソン・フォークナーがソロ・デビューする前に参加した、といえば通りは良さそうである。
アルバムの方はドラマー以外の三人が曲を書き、それぞれ自作を歌っていて、誰かしらリーダーによるワンマンというものではないように見える。ただし、フォークナーは後のインタビューで、あのレコードに収められている演奏の大半は僕がやった、とも言っている。どうも彼にとっては、あまりいい経験ではなかったようだ。


そのフォークナーの曲は、既に作風が出来上がっていて、他のメンバーのものと比べ、練度ではひとつ抜けているように思います。シングルになった "Very Best Years" もいいが、ベストは骨太なメロディをもつ "Friend Of Mine" かしら。
ただ、バンド・サウンドがときにヘビーに寄るところがあり、曲によってはそれが合っていないような気がします。このひとはやっぱりソロが良かったのかも。

ジェイソン・フォークナーをグループに誘ったのがジョン・ブライオン。現在は映画音楽の制作や、他人のプロデュースなどが主な仕事だが、いまのところ一枚しか出していないソロ・アルバムが凄くいいのです。
で、そのソロ・アルバムには繊細で、メロウな手触りもあるのだけれど、ここではギター・ポップのスタイルに沿った曲を披露しています。"Same Thing" は凄くキャッチーだし、"Not Long For This World" もメロディのフックが効いている。また、ナイーヴな感じの歌声は既に独特の魅力を発揮しております。

そして3人目のソングライター/シンガーがバディ・ジャッジ。実はこのひとのキャリアが一番興味深いのだが、それは置いて。このジャッジさんの曲も、明解な "Everybody's World"、泣きの入った "Nothing" など荒々しさの中に英国ポップ風の味付けが生きていて決して悪くはないのだけれど、個性という点では一歩譲るか。


正直、飛び抜けた特長には欠けるのですが、細かいアレンジは考えられているし、楽曲自体にも良いものがあって、捨てがたい一枚です。

2024-02-24

横溝正史「女王蜂」


伊豆の沖にある月琴島育ちの美貌の娘、智子は18歳を迎えると義理の父親のいる東京の屋敷に引き取られることになっていた。だが、その日がくる直前に警告文が舞い込む。彼女が島を離れたなら、その前には次々と死人が出るだろう、というのだ。


1952年、金田一耕助もの長編。
設定や展開には、過去作品の再利用のようにみえるものがあって。とりわけ、地位ある人物の娘を射止めようとする野心家の若者たちの争いとくれば前年の『犬神家の一族』と一緒じゃん、と思ってしまう。
もっとも物語の雰囲気におどろおどろしい所はなく、むしろ都会的な印象。話の流れも実に滑らか。良いことかどうかはわかりませんが。色々な事件が起こっている割に、既視感もあってか読み物としてあっさりとした印象も受ける。

フーダニットとしては登場人物がそれほど多くない中で誤導を利かせ、なかなか尻尾を掴ませないし、大きなトリックはないものの、実にうまいこと拵えられている。作中の表現を借りれば「段取りがうまくついて」いるのだ。特に写真を巡る伏線や、「蝙蝠」に例えられる欺瞞(チェスタトンのいただきではあるけれど、用例はそんなに多くないのでは)がいい。
そして何より、関係者を集めた中、耕助が犯人を指し示した科白、そのダブルミーニングよ

一方で、連続殺人の見かけに対して、内実があまりにモダンすぎるのではないか。そのおかげで犯人の見当がつき難くなっているのだけれど、動機の説得力を弱く感じるかも。
特に納得しがたいのは、自分自身が遠い過去に犯した犯罪をわざわざ掘り返して「あれは事故ではなく、殺人だっただろう」と警告に使ったこと。結局、その秘密がばれそうだと思って更なる殺人を重ねたのだから、さすがに心理的に無理があるのでは。

派手なキャラクターや、いきなり拳銃が出てきたり、あるいは耕助が謎を解くことで更に死人が増えたりと、いわゆる通俗性も強いですが、脂の乗った時期とあってミステリとして細かい芸が楽しめる作品でありました。

2024-02-18

鮎川哲也「竜王氏の不吉な旅」


バー「三番館」のバーテンダーが謎解きをする作品集、その光文社文庫版の一冊目。作品は発表順に並べられているそうで、本書はシリーズ最初期、1972~74年 のものがまとめられています。
収録されている作品には中編といってよいボリュームのものが多く、謎が複数用意されていたり、プロットに捻りがあったりで単純なものはない。バーテン氏は一から十まで絵解きするわけではなく、探偵の手の届かない部分にヒントを与える、という役回り。足で稼ぐ捜査小説と頭の切れる素人探偵ものの面白さをミックスしたような味わい。


「春の驟雨」 殺人事件の犯人の目星は付いているのだが、アリバイがある。また、絞殺された死体は何故か浴槽に沈められていた、というホワイダニットという、大きな謎が二本立てになっている。解決されてみるとそれら謎がちゃんと繋がっているのが良いです。単にアイディアを詰め込んだわけではないのだ。
アリバイ崩しに苦心惨憺するところは鬼貫警部ものと共通するテイストですが、犯人陥落の際の切れ味はなかなかの恰好良さ。よく考えると都合が良すぎるところもあるのですが。

「新ファントム・レディ」 タイトルが示すように古典『幻の女』のシチュエイションに挑戦した作品で、ボリュームたっぷりの一編。容疑者にされてしまった男は何故、その店の店員や常連客たちに覚えられていないのか。そして真犯人は誰か。
探偵による聞き込みで重要な点が明らかになる展開は、これも鬼貫警部ものを思わされる。最大の謎はまあ、想定の範囲でしょうか。バーテンの推理も、たまたま知識があったから、という感じ。
もっとも中編といっていい分量を、ツイストの利いたプロットで面白く読まされたのは確か。

「竜王氏の不吉な旅」 がっちりとしたアリバイ崩しもの。探偵の活躍によって鉄壁と思われていたアリバイが徐々に解かれていく過程が、やはり鬼貫ものに近いテイストなのですが充分に面白い。
最後の最後に残されたありえない謎がすぱっ、と落とされる切れ味も素晴らしく、表題作とされるだけのことはある読み応えです。

「白い手黒い手」 シンプルなアリバイ崩しと見えて実は、という中編。状況が大きく変化するきっかけはちょっとした知識が必要なものだ(わたしは知りませんでした)。また、タイトルになっている謎、その手掛かりにも人によってはピンとこないものがあるか。
この作者の他のシリーズではできないような形で事件を決着までもっていくのだが、それも証拠が弱いからでは。

「太鼓叩きはなぜ笑う」 倒叙もののような導入だが、バリバリのアリバイ崩し。
犯人によるトリックは手が込んでいて、ちょっと見当が付かないだろう。しかし、無理筋じゃないの、と思われる犯罪計画の細部がバーテン氏によってしっかり詰められていくのは流石であります。

「中国屏風」 起伏のあるプロット、謎のありかたがなかなか確定しないことで読ませられる。
ひとつの気付きからがらり、と事件の様相が変わっていく展開が素晴らしい。ロジックの面白さでは一番、好みです。

「サムソンの犯罪」 物語の導入が凝っていて、アリバイがあるはずなのにそれを主張できないという逆説がよいです。
捻った真相はカーにもあったような趣向なのだが、好みは別れるだろう。この作品も手掛かりの気付きが肝であり、そこからの展開が冴えている。安楽椅子探偵ものとしては、バーテン自身が最後を落とすこれが、一番完成されていると思いました。

2024-01-30

S・S・ヴァン・ダイン「グリーン家殺人事件」


6年ぶりくらいの新訳ヴァン・ダインであります。一作目『ベンスン殺人事件』と次の『カナリア殺人事件』の新訳の間にも5年ほどインターバルがあったので、これはもう、そういうものなのだろう。『グリーン家殺人事件』は1928年の作品なので、百周年までには間に合った。

以前にも書いたのだけれど、『グリーン家~』は戦前・戦後における我が国の探偵小説に非常な影響を与えた作品であるらしく、その大きさのあまり、さまざまなところで犯人の名前がばらされてきました。なので、わたしもこれまで読んでいませんでした。
ただ、都筑道夫がクイーンの『Yの悲劇』における『グリーン家~』の影響を語っていたこともあって、いつかは読んだほうがいいな、新しい翻訳で出たら読もうか、と長いこと思っていたのです。

で、ようは初読なのですが。
事件がひとつで終わらないだけあって、前二作と比べると展開が早いですね。貴族探偵ファイロ・ヴァンスが既に捜査陣と懇意になっていることもあってか、気障なところもあまり鼻につかなくなっています。

ともかく事件はテンポよく起こり、謎は積み重なっていく。
足跡まで残しているにもかかわらず、犯人の実在感が奇妙なくらい希薄であって、このことが異様な雰囲気や緊張感を生み出しているのではないか。
一方で、推理らしい推理はなかなか行われません。この事件は一筋縄ではいかないぞと唸ってばかり。読者からすれば辻褄の合わない事実は明らかであって、そのあたりをちゃんと捜査・検討してくれよと思わずにはいられません。はったりで引っ張るにはこの作品は長すぎるのだ。今の目からすると、ちょっと締りが無いように感じてしまいます。

四度も殺人が起こったのち、終盤近くになって、それまでの無策ぶりを取り返すかのようにファイロ・ヴァンスは活躍を始めます。特に、犯人逮捕の流れは見所で、今となってはお約束の展開なのだけれど、そこまでのまったりとした進行との対比もあって、なかなか迫力があります。

最後にヴァンスによって絵解きがなされるわけですが、改めて見直される事件全体のスケール、その大きさは当時としては画期的であったでしょう。また、犯人の構想を支えている趣向は今見ても独特であります。
もっとも、推理という点では相変わらず大したことがないのだな。トリックのいくつかに関してはろくに伏線もないまま、ただ明かされるだけだし。

とはいえ、本格ミステリでしかありえないテイストが充満していて、古典だよなあ、という満足がありました。