2019-06-24

Van Duren / Are You Serious?


1978年リリース、メンフィスのパワーポッパーによるデビュー盤。制作はコネティカットにあるスタジオのよう。演奏の方は、ドラムとリードギター以外はだいたいヴァン・デューレン自身によるもの。

ぱっと聴きはラズベリーズっぽい。あれほどの派手さも華やかさもないけれど、節回しからはもろエリック・カルメンと思わされる瞬間はたびたび。メロディはマッカートニー系、あるいはトッド・ラングレンといったところの甘いけれど捻りがあってべたつかない筋のよさ。ギターサウンドからはビッグ・スターと共通するものを強く感じます。実際、クリス・ベルと組んで活動していたそう。なお、本人はエミット・ローズからの影響を口にしています。

アナログA面であるアルバム前半は「Inside」と題されているのですが、この部分が非常にいいです。
中でも抜群なのが "Grow Yourself Up" というマッカートニー直系(それもいいときのだ)の曲。グレイトなメロディに鍵盤オリエンティッドなアレンジが過不足なく嵌った。キレよく気合のこもった歌唱もあって、文句なくアルバム中のベストでしょう。
また、"Oh Babe" もパワーポップ王道といった感じの、ちょっと感傷をにじませたようなミディアムで、これもかなり良い。丁寧に作られた楽曲はなるほど、エミット・ローズ的ですね。
他の曲もしっかりとしたアレンジと良いメロディが聴けるもので、捨てるところがない。ギターサウンドの中に巧くクラヴィネットやシンセを絡ませたつくりは気が利いているし、凝ったバックコーラスやしつこいハモりはトッド・ラングレンを思わせるセンスです。

一方、「Outside」とされたアルバム後半はスロウが多めのせいか、やや地味な印象を受けます。また、曲によってはアレンジも中途半端というか中庸というか。楽曲そのものは悪くないのだけれど。
そんな中で気になったのが "So Good To Me (For The Time Being)"。わりと落ち着いた感じで始まり、徐々に盛り上がっていくスロウだが、バッドフィンガーですね、これは。サビなどももろピート・ハムじゃないですか。
また、"Stupid Enough" はアルバム中ではちょっと毛色が違うのですが、ごく初期のトッド・ラングレンのような、ローラ・ニーロ風ポップソングで悪くない。

強烈な個性こそありませんが、その分なかなか飽きがこない。良いメロディが揃った一枚。繰り返しになりますが、特に前半は素晴らしいです。

2019-06-17

ダシール・ハメット「血の収穫」


田口俊樹による新訳。この作品を最初に読んだのは田中西二郎が訳した版だった。後になって小鷹信光による訳文も出て、もうそれで十分だと思っていたのだが。小鷹訳からも既に30年経っているのね。

『血の収穫』は1929年に出されたハメットの長編第一作。物語の多くの部分はギャングの抗争のようなものであり、相当に荒っぽい。語り手である「私」──コンティネンタル・オプが結末で普通の日常に戻っていくことに違和感を覚えるほどである。ただ、「私」が法の向こう側に行ったきりであったら、それはノワール小説なのだけれど。

何もかもが腐敗しているポイズンヴィル。「私」は一介の調査員に過ぎない存在だが、恐ろしいまでの才覚と度胸を武器に街の顔役たちを嵌め、互いが対立するように仕向けていく。そして、ある時点でそれまでかろうじて成り立っていたバランスが崩れる。「私」の策略通りではあるが、もはや「私」にも事態のコントロールはできなくなる。また、「私」自身も状況に飲み込まれており、もはや自分で無いような感覚で、いったん理性のたがが外れたようになる。
しかし、なんとかぎりぎりのところで踏みとどまり、自分を取り戻したあかしを立てるように抗争の最後を見届け、更には殺人事件の謎解きを行う。見方を変えれば、謎解きをしっかりと書き込むことでハメットは、「私」というキャラクターを表現したということになりそうだ。

今回改めて読んでも、単純にエンターテイメント小説として面白い。その上で、後半の展開──スタイリッシュなクライム・ノベルがその形を一気に崩していくダイナミズムは異様だと思った。これはやはり『マルタの鷹』や『ガラスの鍵』のような三人称小説では描きえなかったものだろうな。