2023-12-20

平石貴樹「スノーバウンド@札幌連続殺人」


誘拐とその後に起こった殺人事件、その過程が関係者たちによって不規則なリレー式に書き継がれる。
はじめは誘拐犯が殺され、その殺人犯を探すという話なのだが、背景にある暴力教師や宗教団体が絡みだして、事件の様態がどんどん変わっていく。

十代の若者たちによって内輪向けに書かれた部分が多く、ときにそれらは唐突に途切れて次の書き手へと渡される。それによって不自然さをある程度カモフラージュしているようである。それでも流れの中で明らかに浮いている箇所があって、何か隠されているのか、あるいは誤導なのか。

誘拐事件に関して、ある可能性に思い至るのは難しくないだろう。うまくいけば、そこから芋づる式に他の事件の真相も見えてくるかも。
実際、個々の手掛かりはかなり分かりやすい形で転がされているのだ。ただ、全体像を描くには心理的な難度が高い。裏付けもちゃんと書き込まれているのだが、それでも想像力が要求されることは間違いない。
また、推理困難な手の込んだトリックも一つあるのだけれど、わざわざそんなものを使わざるを得なかった動機もうまく説明されているので、不満にはならないですね。

何気にアイディアてんこ盛りであり、フェア(だと思います、これは)でガチガチの謎解き小説でした。

2023-12-17

はっぴいえんど / はっぴいえんど (eponymous title)


近年は加齢及び長年の酷使のせいで聴力が衰えてきております。旧譜を新しいマスタリングで出し直されても、元となるマスターテープが同じだとそんなに大きな変化を感じない場合が多くなりました。これブラインド・テストだとわかんないかな、という。実際には波形が前のと一緒じゃん、という詐欺に近いような製品もあるのですが、それは置いといて。
まあ、リマスターに対して食指が動きにくくはなっているのですよ。

はっぴいえんどの新規盤なんですけどお。これも、もういいかな、お値段もするし。でも「風街ろまん」のマスターテープはオリジナル・アナログから最近までに使われていたものより世代がひとつ若いものになっているというじゃあーりませんか。
などと迷った末、結局三タイトルとも入手しました。とはいっても音質の向上を一番期待していたのは「風街~」ではなく1970年に出た一枚目、通称ゆでめん、なのです。


4トラックでのレコーディングのせいか、もしくは当時の我が国の録音技術の限界か、はっぴいえんどのファースト・アルバムは音が瘦せているという印象です。同時代のアメリカのバンドのようなサウンドを目指し、エンジニアにレコードを聴かせて、こんな風にしたいんだとミーティングを行ったはずが、できたのは日本的な湿り気というか抜けの悪さ、寒々しい音で、何がバッファロー・スプリングフィールドだよ、という。曲自体は凄く良いのにね。
次作の「風街ろまん」ではその問題が嘘のように解決されていることもあって、なんとかならないかしら、と思っていたのですよ。

初回限定盤のブックレットは資料として充実したもの

で、新しいのを聴いてみたんですが。結論からいうと改善はされています。湿度を感じさせる音のキャラクターそのものはもちろん変わりませんが、ちゃんと迫力のある、バンドとしてのエネルギーが伝わってくるものになっています。
技術の進歩とはえらいものだな、と阿呆みたいな感想をもってしまいました。

「風街ろまん」はスマートなんだけれど、このデビュー盤のほうが濃いというか、引っかかる部分が多いのね。それで繰り返して聴いちゃう。

2023-12-09

横溝正史「犬神家の一族」


すべてが偶然であった。なにもかもが偶然の集積であった。しかし、その偶然をたくみに筬にかけて、ひとつの筋を織りあげていくには、なみなみならぬ知恵がいる。

1951年の金田一耕助もの長編。
莫大な遺産に異様な遺言状。お互いに憎しみあう一族。当然のように殺人事件が起こります。
犬神家の来歴に関する説明がそれほど長くならず、すぐに本題に入ってくれるのはいいですな。
耕助が事件に巻き込まれるまでの呼吸は偉大なるワンパターンといった感じ。おお、またこれか、というね。そしていきなり、もっとも怪しくなさそうな人物を疑うあたり、推理小説として力がこもっているように思います。

この作品の肝は戦争で顔に負傷をした、復員兵であるところの佐清の設定ですかね。短編「車井戸はなぜ軋る」を思わせもしますが、顔のない死体の趣向を生きた人物でやってしまう、というのは大いなる創意でしょう。
また、派手な見立て殺人があるのだけれど、おどろおどろしい作品世界においては一種の様式美ですな。見立てをすることに必然性があればいいし、無ければそれでもかまわない。その点、この作品は見立ての動機に独特のところがあって、これが横溝正史のセンスなのでしょうね。

使われているトリックのうち一番大きなものは現代の読者なら見当がつくでしょう。
一方、事件全体の構成は伏線こそたくさん張られているけれど、若干都合が良すぎるかと。時代がかった装飾とはうらはらに、内実は所謂モダーン・ディテクティヴ・ストーリイ。ただ、そのおかげで謎解きとしては意外なくらいにすっきりと収めることが可能になったのだと思います。

もっともこの作品の魅力は印象的な場面の数々にあり、なるほど何度も映像化されるわけよね。また、相当に複雑であったはずの人間関係をわかりやすく読ませてしまうのも大したものです。

2023-11-23

アンソニー・ホロヴィッツ「ナイフをひねれば」


英国では昨年に発表された探偵ホーソーンものの第四作。
今作ではホロヴィッツがホーソーンに、もう新たにお前が主人公の小説は書かない、と訣別を告げる。しかし、その後にホロヴィッツは殺人事件の容疑者として逮捕され、頼れるのはあいつしかいない、となる。
今更に気付いたのですが、作内のホロヴィッツはホーソーンより一回り以上、年長なのですね。ホーソーンから相棒、なんて呼ばれているから、同じくらいの年代と勘違いしていました。

これまでも作者アンソニー・ホロヴィッツの仕事上のキャリアが、そのまま作品内のホロヴィッツのものとされてきたのだが、今回はそれが効果的に使われている。それで、ホロヴィッツが事件に巻き込まれるまでの流れがとてもうまく書かれているように思います。

ホーソーンが捜査に取り掛かった序盤は関係者への聞き取りの繰り返しなのですが、作内ホロヴィッツに強い容疑がかけられているためか、かなりテンポよく展開していきます。
そして全体の半ばを過ぎたあたりで、事件の起こったロンドンを離れ、被害者の過去を掘り起こすパートに。ここがとてもよいです。どちらかというと私立探偵小説的な面白さなのですが、意外な事実が次々と明らかになっていく迫力が素晴らしく、ホーソーンも恰好いい。

解決編に入るとホーソーンが真正面から名探偵役を演じてくれます。少し芝居がかっているほどに。そして、その真相はとてもシンプルかつフェアで、クリスティ味を今までで一番強く感じました。特にダブル・ミーニング、言葉だけでなく行動のダブル・ミーニングは意表を突くものです。また、ドラマとの食い合わせもとてもうまくいっている。

前作が謎解きにやや雑なところがあって、このシリーズは落ちてきたかなと思ったのだけれど、今回はしっかりと組み立てられていると思います。面白かった。

2023-10-28

梶龍雄「龍神池の小さな死体」


1979年長編。作品内の時代はさらに11年さかのぼります。

大学教授の仲城智一は23年前の戦時中に、幼い弟を疎開先の事故で亡くしていた。だが現在になり、病気で死を迎えようとした母親は智一に、お前の弟は殺されたのだ、と言ったのだった。

遠い過去に起きた事故が実は犯罪によるものだったのでは、という謎はクリスティっぽい。
また、事故に関わる一族は既に絶えていて、その屋敷も残っていない、というのはさすがに横溝正史の時代とは違う、という感じはします。
本筋の謎とは別に、最近のひき逃げ事件もあって、これがどう関係してくるのか。

智一は事件当時のことを知っていそうな人々に話を聞いてまわるわけなのだが、はじめは展開がゆったりしていて、なかなか調査も進まない。雰囲気ものんびりしたものだ。そのうちに自身も事件に巻き込まれ、物語に緊張感が生まれる。この辺りは定番の流れ。
中盤当たりまで来て素人探偵が登場。ここから俄然面白くなってくる。それまでの状況を整理し、隠れていた作為を明らかにするわけだが、それによってミステリとしての焦点がぐいっ、とズレる。これが素晴らしいです。思っていたのとは別のものをずっと読まされていたのかという感じ。気になるような伏線も充分あったので、一層効果が挙がっています。1979年にこれをやっていた、というのは驚きました。
最終章直前にはすべての手掛かりは出ている、と読者への挑戦めいたやりとりもあり。これもしびれます。

真相はあるモチーフを執拗に繰り返す、とても大胆なものだ。それまで事件自体は地味なものと映っていたのだけれど、解答編へ来てド派手な真の姿を明らかにする。
犯人の行動やトリックの中には明らかに不自然なものがあるし、推理にも根拠の薄い、単なる想像の部分があるのは否めないのだが、大量の伏線回収によってそれらを押し切ってしまう。
なお物語としての結末はなかなか惨く、読後感は良くないです。これが昭和だ。

トリックとプロット、双方が相当に複雑に絡み合った力作かと。

2023-10-15

ジャニス・ハレット「ポピーのためにできること」


司法弁護士タナーからふたりの実務修習生、フェミとシャーロットに資料を提供するので、それを読んで考察を行うようにという課題が出される。彼らに預けられたのは時系列に整理された、メールやメッセージ、新聞記事などからなる膨大なものだった。
果たして何についてのテキストかわからないまま(読者とともに)それらを読み進めていくうち、現代イギリスの田舎のコミュニティ、その様態が徐々に明らかになっていく。だれが力をもっていて、だれが(陰で)疎まれているか。さらに、あるゴタゴタによって、それまで明らかにされていなかった個々の問題や、隠し事の存在が浮かび上がる。


2021年にイギリスで発表された長編。文庫で700ページくらいあります。
流れをつかむまでがなかなかに大変。登場人物が多い上に、ほとんどがメールのやりとりからなり、地の文がないため省略が効いていないし、どこへ向かう物語なのかが見えてこない。とにかく水面下でトラブルの種が着実に成長しているのはわかる。全体の半分くらいからようやく展開が早くなって、一気に読みやすくなりますが。
一方、ところどころでフェミとシャーロットの間で行われたメッセージのやりとりが差しはさまれ、疑問点や推察などが挙げられていく。これによってミステリとしてのテンションが維持されてはいます。あと、好感のもてる人物が皆無なので、このパートがくるとほっとするな。

読んでいる途中で気がつくのは、ほとんど登場人物全員によるメール文が記載されているのに、ある中心人物によるものがまるまる欠落している、ということだ。古典的なミステリ、というかクリスティなら、この人物像そのものがメインの謎になってきそうだが。あるいはこの欠落している、という事実そのものに意味があるのか。
また、三人称の描写がないことより、文章からは読み取れないが当然となっている前提を想定することもできますが(たとえば人種の別とか)、さて。

作品の3分の2くらいのところで、タナー弁護士からのメモが挿入され、唐突に被害者の名が示され、その謎を解くようにという指示が。以下、50ページほどでフェミとシャーロットに与えられた資料はひとまず終わる。問題編はここまで、ということか。
これ以降はふたりによる推理のディスカッションが展開される。直接証拠がなく、主に動機に基づいたものなので、仮説はいくつも立てられる。伏線の妙や意外な盲点への気付きなどが満載で、非常に楽しいです。ただし最終的に導かれるのはこうであれば成立する、という解のようなものであり、あまり厳密なロジックとはいえません。
もっといえば、タナーにとっての真相に誘導されている感さえします。

思い返してみれば事件そのものは凄く地味で、それにしては長すぎるよね。一方で、この形式でしかできないミステリとしての創意は十分に効果を上げているかと。

2023-10-09

Dee Dee Warwick / Foolish Fool


ディー・ディー・ワーウィック、1969年にMercuryよりリリースされたセカンド・アルバム。
二年前に出されたファーストがそうであったように、それまで断続的に録音されていたものを集めたもので、シングルが当たったタイミングでそれらをまとめて出した、という感じ。

ゆえに統一感はないですが、内容はいい。全11曲中6曲は前作でも大半を手掛けていたエド・タウンゼントがプロデュース。アレンジャーはレネ・ホールで、このふたりはマーヴィン・ゲイ「Let’s Get It On」A面でもおなじみの組み合わせ。落ち着いた調子の曲が多いのだけれど、ヒットしたタイトル曲は固めのドラム、リード・ギターが妙に恰好よく、迫力あるボーカルをあおる。都会的なミディアム "Where Is The Rainbow" も爽やかで良いです。
また、ギャンブル&ハフがプロデュース、ジョー・レンゼッティがアレンジの “It’s Not Fair” はオーソドックスなスロウかと思わせていきなりの転調が印象的。

個人的に好みなのはジェリー・ロスが制作した2曲で、アレンジはジミー・ワイズナーが担当。"When Love Slips Away" はイントロからして高揚感のあるミディアム・スロウ。"Don't You Ever Give Up On Me" はすこしモータウンを意識したふしも感じられる、伸びやかなノーザンダンサー。
あとニーナ・シモンが初出となる "Don't Pay Them No Mind" は実はディー・ディー・ワーウィックのほうが先に録音していて、という。ニーナ・シモン版の方がアレンジがシンプルな分、楽曲自体のもつ魅力はダイレクトに伝わってくるのだけれど、ビブラートがどうも苦手で。いずれにしてもいい曲ではあります。

唄が凄くうまいのに、変に曲を崩したりはしない。こういうシンガーが好きなのですよ、わたしは。

2023-10-01

ロバート・シェクリー「残酷な方程式」


1971年に米国で出た短編集で、収録作品もそのあたりの時期のものが多いようです。SF雑誌に発表された作品もあれば、プレイボーイ・マガジンに載ったものもあり。せいぜい20ページぐらいの分量の作品ばかりで、読みやすい。

内容のほうは、‘50年代のアイディア・ストーリイとは違い、結末の意外性にはそれほど重きは置いておらず、過程をどのように書くか、枝葉の膨らませ方が読みどころといえそう。また、ニューウェーブSFの影響を感じられる作品が多いのですが、中にはテーマや手法のみで書かれたようなのもあって、それらは(かつては新奇さをもって受け入れられたのでしょうが)今では古びてしまっているかな。


特に印象に残ったものをいくつか。

「倍のお返し」(おそらくユダヤ人の)男のところに黒人の姿をした悪魔が訪ねてくる、三つの願いのアップデート版。メインのアイディアはちょっと変わったもの、という程度なのだけれど、人間性の書き込みで可笑しくなっている。

「コードルが玉ネギに、玉ネギがニンジンに」はSFではなく、いわゆる奇妙な味のもの。人間のもつ残酷さを描きながらユーモラスであり、あまりエスカレートさせずにほどほどのところで止めることでリアリティを持たせているのがいいですね。さらっとした幕引きも効果を上げている。ようは小説としてうまいのだな。

「記憶売り」思想狩りを扱ったディストピアものなのだが、記憶売りという商売の設定がいい。そのことで軽みがもたらされているのだと思う。

あと、「架空の相違の識別にかんする覚え書」「シェフとウェイターと客のパ・ド・トロワ」は両者ともSFではなく、まるでラテン・アメリカ文学のよう。前者は理屈っぽさ、作品世界の内と外をあいまいにするところなど実にそれっぽい。「シェフと~」の方は同じ物語を視点人物を変えて語り直す「藪の中」なのだが、現実が複数存在するとも解釈できるし、ドタバタユーモアが効いているのもいい。

2023-09-17

アントニイ・バークリー「レイトン・コートの謎」


密室内で発見された死体は、その手にしたリボルバーで頭部を打ち抜いていた。警察は事件を自殺として処理。だが、発見者の一人であった探偵作家、ロジャー・シェリンガムは自殺にしては明らかに不自然な事実に気付き、真犯人を見つけ出すべく調査を始める。


1925年発表、アントニイ・バークリイの長編第一作目にして素人探偵シェリンガムもの。父親への手紙のかたちをとった序文においてバークリイは、自分の書く作品はフェアな謎解きであって、探偵の入手した手がかりはすべて読者にも明らかにされる旨を宣言している。

実際の作品の方は明るいユーモアをたたえたストレートなフーダニット。調査、証拠の発見、関係者への聞き取りを行い、仮説を立てては裏付けを探し、辻褄が合わなければ別の仮説を立てる。単調なものになりそうですが、恐ろしく明晰なのに思い込みが激しく、その上おしゃべりなシェリンガムのキャラクターが良く、楽しく読み進められます。でもって、密室の謎もさっさと解いてしまいます(もっともこいつは大したものではないですが)。

フェア・プレイに徹しながら意外性を持たせた真相はなかなかのもの。正直、現代からするとそこまでではないかもしれませんが、黄金期に書かれたことを考慮すれば相当でしょう。
また、探偵像の典型からずれたシェリンガムのキャラクターも、かつては新鮮さを持って受け止められたのではないか。

面白く読んだのですが、バークリイ入門向けではない、という気はします。はじめてのひとは、だらだらしてんなあ、と思うかも。こんなもんじゃないんですよ、凄いときのバークリイは。
ユーモア味のある雰囲気、密室のゆるさ、それに父親へ宛てた序文等、この作品の数年前に発表されたミルンの『赤い館の秘密』の流れを汲む謎解き小説、と捉えると個人的にはしっくりくるかな。

2023-09-02

ミシェル・ビュッシ「恐るべき太陽」


2020年発表のフランス・ミステリ。550ページほどあります。帯には「クリスティーへの挑戦作」という文字。

大雑把にいうと孤島に集められた人々がひとりひとり……というお話。主に登場人物の手記と日記によって交互に語られる、という構成をとっているのだが、『アクロイド殺人事件』も引き合いに出しながら、決して嘘は書いていない、ということが何度か強調される。なるほど、『そして誰もいなくなった』と『アクロイド~』二作を意識させられる設定とはいえるのだけれど、作品自体にそれほどクリスティ味はないです。

事件が起こり、さらには次の犠牲者がほのめかされているのに、登場人物たちには本気で身の安全を心配しているような感じがあまりしない。孤島といっても現地で普通に生活している人々はいるし、外部との連絡もとれるせいかサスペンスが薄いのです。正直、中盤くらいまでは少し冗長な印象を受けました。

一方で、物語が進むにつれ些細な違和感が積み重なっていき、この文章はどこかおかしいところがあるぞ、と思わせられます。さらに明らかに矛盾する描写もいくつか出てきて、(事件の犯人が誰なのかということとともに)一体、何が起こっているのかという謎が膨れ上がっていきます。

最後に明らかにされるのは恐ろしく手の込んだ仕掛けで、これにはすっかり騙されてしまいました。読み返してみると、はじめからはっきりとヒントは出されているし、とても巧く構成されていることがわかります。ところどころ綱渡りな描写もあって、たまらない。
ただ、ひとつ引っかかったのは、作中世界において手記の操作は何のために行われたのか、という点がはっきりとしないところかな。

ミステリとしての徹底がリーダビリティを損なっている面もあるのですが、まあ読み終えてみれば抜群に面白かったです。

2023-08-27

The Sound Gallery


歳を取ったせいもあるのだろうけど、ここ数年で音楽への興味が急激に変わってきました。普段聴く音楽のうち歌物の所謂ポップス、ロックといったものは二割程度となり、あとは大体インストものばかり。サウンド志向が強くなったのだけれど、それにしてもかなり急な変化でした。

おそらく、そうなったきっかけのひとつが「The Sound Gallery」という1995年に出たコンピレイション。1968~76年の間に英EMIよりリリースされたイージー・リスニングを中心に編まれたものです。
実は昔にこれを聴いたときには、全然ピンと来なかったのよなあ。イギリスのオーケストラの録音は抜けが悪いなあ、もっさりしてるなあという印象で。サウンドの感触が好みではなくて、しっかり聴き込む気にもならなかった。

それが数年前、気まぐれに聴き直してみたところ、あれ、こんなに良かったんだ、と思ったのですね。今でも管弦の響きやエコーに野暮ったさを感じる曲はあるのですが、それらがあまり気にならなかったのです。歳を重ねておおらかになったのでしょうか。そうして、ようやく演奏の中身にまで踏み入ることができるようになったというわけ(ちなみに昔に聴いていいと思ったのは一曲目、デイヴ・ペル・シンガーズの "Oh Calcutta" でした。思えばコンピレイション中、この曲だけが米国産だったのだな)。

まあ、わかりやすくも格好よくてアレンジの洒落た曲がいくつもあります。クレジットを見るとライブラリー・レコードからの選曲が多いのです(特にKPM)。それで、この「The Sound Gallery」再見以降、ライブラリーに絞ったコンピで良さげなのを探して聴くようにもなりました。
しかし、この方向も掘り出すとキリがないでしょうね。もし、本腰を入れてやるなら、いっそ配信買いにシフトした方がいいのですが。

ボリューム2もあって、こちらもなかなか

2023-07-22

Neil Young / Harvest (50th Anniversary Edition)


近年のニール・ヤングは過去の音源を何しろ色々出していて。わたしはそれほどしつこくフォローはしていないのだけれど、'70年代のニール・ヤングにハズレはない、というのは間違いない。しかし、近い時期の弾き語りライヴがいくつもあって、それぞれの内容の区別があまりついていないのも本当のところだ。

で、昨年の暮れに出た「Harvest」(1972年)の拡大版なのですけれど。CD3枚+DVD2枚にハードカバーのブックレットという構成で、「After The Gold Rush」の50周年がボーナス2曲にとどまったのに比べると、手厚いつくりではありますが。正味の音源の量でいうとそうでもないか。


ディスク1は本編のストレート・リイシューだが、これは2009年のOfficial Release Seriesでのリマスターそのまま。ケースのスパインに「ORS 04」とあるのも同じ。
音楽そのものについてはいまさらなのですが、まあタイトにつくられていますね。ここでバックを務めるストレイ・ゲイターズが、ニール・ヤングが従えたバンド史上もっとも演奏のうまいメンバーかも。あまりに良すぎて長い期間は維持できなかったわけですが。

ディスク2は昔からお馴染みのBBCライヴ。しかし考えてみると、これ1971年の2月の録音なわけで。アルバムがリリースされる1年前に新曲をばんばん演っていたわけか。そりゃあ、観客もおとなしいわ。
そして、ディスク3はアルバム・アウトテイク3曲。内容はいいのですが少ないですなあ。BBCも30分ほどしかないわけだし、これだけ別にするのは、ううん。


で、DVDの方。「Harvest Time」という、全編が当時の映像からなるアルバム制作のドキュメンタリー、これこそがこのパッケージの目玉であります。
ストレイ・ゲイターズとのセッション風景が結構な尺で収められていて、ちょっと興奮。また、クロスビー・スティルズ&ナッシュらとのハーモニー・レコーディングも見応えがあります。
過去に見たことのある映像も混じっていますが、二時間たっぷりあるので問題はない。正直、冗長なところはあるのですが、よくぞあれもこれも入れてくれた、という感じです。


もうひとつのDVDはBBCライヴの映像版。これは10年かそこらくらい前に英国で再放送されていて、そのデジタルコピーで画質がいいやつも出回ったので、さほど感激はないですが、オフィシャルで出たということに意義はある。
しかし、このディスクの初期版は音声に不具合があって、でかいところが歪んでいるのだ。新たに製造したやつは音が直っているそうで、現在はオフィシャルで交換を受け付けています(わたしも手配中です*1)。

最初のほうで書いたように50周年記念盤として音源の量的にはちょっと物足りない。これを補うには2019年に出た「Tuscaloosa」も併せて聴くといいか。正真正銘、ケニー・バトリー入りストレイ・ゲイターズを率いた、1973年のライヴ盤ね。
ライヴであっても、めっちゃ安定している演奏はさすがであります。他ならぬアラバマの地で “Alabama” を演っているのも凄い。スタッフはひやひやしたかも。
あと、ニール・ヤングは「ジャック・ニッチー」と呼んでいる気がするな。



(追記)
*1: 到着しました。オフィシャルで手続きをしてから一週間後に発送通知があり、そこからエアメールでうちまで約十日と、まずまず悪くない対応ではないか。

2023-07-17

ロバート・アーサー「ガラスの橋」


短編「ガラスの橋」、「51番目の密室」で知られるロバート・アーサー。逆にこの二作品ぐらいしか話題に上がることのない作家ではある。本書は米国で1966年に出されたアーサーの自選短編集、その邦訳であります。収録作品の発表時期には1930年代台から‘60年代とかなり幅があります。
(なお、帯には「エドガー賞2度受賞!」という文字が躍っていますが、その作品が収録されているわけではありません。訳者・小林晋氏の解説によれば、共作のかたちで台本を手掛けていたラジオ・ドラマにエドガー賞を与えられたことが二度あるそうです)


「マニング氏の金の木」 これは『ミステリマガジン700』というアンソロジーで読んだことがありました。どぎついところのない都会的な作品で、短い中で人生が浮かび上がってくる上、ツイストもある。いいですね。

「極悪と老嬢」 ミステリマニアの老姉妹が事件に巻き込まれる、というおはなし。まあ、他愛のないというか、おとぎ話に近い展開なのですが、ユーモア・ミステリとして気持ちよく読めます。

「真夜中の訪問者」 冴えない風貌のスパイが窮地に追い込まれるが、というごく短いお話。分量の少なさ、展開の早さが不自然な部分をカバーして、こちらが予想する前に話を落としてくる。切れの良さでは本書一か。

「天からの一撃」 魔力による殺人か、という不可能犯罪もの。手掛かりには乏しいものの、なかなか印象的なトリック。関係者の証言に引っかかる部分を残してしまっているのがマイナス。

「ガラスの橋」 ミステリ作家の手による、人間消失を絡めた犯罪。トリックのスケールと、喚起されるイメージが独創的であります。やはり、この作品がひとつ抜けている。

「住所変更」 プロットの大まかなアイディアは他にも例がありそうだけれど、謎とその解決がきちんと仕込まれているのに感心しました。

「消えた乗客」 走行中の列車内で起きた殺人事件と、消失した犯人。手掛かりが後出しなのは残念だけれど、展開の奥行きに加え、真の探偵役についてのミスリードが心憎い。

「非情な男」 ごく短い、クールなクライム・ストーリイ。短い分、アイディアの古び方が作品の古さに結びついてしまっていると思う。まあ、こんなものも書けていたのだ、と。

「一つの足跡の冒険」 侵入不可能な敷地の中で起こった事件で、死体のそばには二挺の拳銃が落ちていた、というもの。トリックは冗談みたいなものだが、シャーロック・ホームズのパスティーシュとしては上々かも。

「三匹の盲ネズミの謎」 ジュヴナイルとして書かれた80ページほどある中編。フーダニットと暗号物を合体させた、探偵親子が活躍する作品です。強引なところはあるのですが、読み物としてはうまくまとまっている。


全体にそれほど強烈な読後感のものはないのだけれど、どれも軽快に読める上、マニア的受けするような持ち味があり、意外性に工夫がされているのが良いです。特に気に入ったのは「マニング氏の金の木」、「真夜中の訪問者」、「消えた乗客」あたり。
あと、不可能犯罪を扱った作品が多いのだが、使われているトリックは人工性の強いものばかり。それがファンタステイックな情景の中にうまく生かされたのが「ガラスの橋」ということなのだろう。

2023-06-09

トム・ミード「死と奇術師」


英国で昨年出された、新人推理作家のデビュー長編。早川のポケミスで240ページほどと、現代のミステリにしてはコンパクトであります。

舞台は1936年のロンドン、奇術師を探偵役に据えた不可能犯罪ものだ。作中ではディクスン・カーの密室講義への言及も。『三つの棺』が発表されたのは1935年なので、前年に出た作品について語っているということになる。

設定された時代こそ黄金期だが、作風はかつての我が国の新本格に近い。描写が薄く、キャラクターもあまり印象に残らない。あくまで謎解きが主眼の物語だ。
結構に難度の高そうな密室殺人に加え、密室状態での死体の出現、さらにはフーダニットとしての興味もしっかりあって、とてもミステリとしての密度が高い。途中まではとても楽しく読めました。

200ページほど過ぎて、解決編の手前に「読者よ、心されたし」という短い幕間が入る。ようは読者への挑戦ですな。ここまでで真相にたどり着くための証拠は出揃っている、という宣言だ。わくわくするじゃないですか。
これがなければ許せたのだが。

最初の事件の真相は、意外性に関しては充分だ。伏線の数々もわかりやすく、かつ相当に面白い。ただ、証拠としては不十分だしロジックも緩いと思う。
突っ込みどころも少なくない。アリバイ・トリックは僥倖頼みだし、現場から凶器が持ち去られたことについてのフォローがないのもなんとも。肝心の密室もちょっとそれは都合良すぎでないかい。
もっと言うと、世界的な心理学者がずっと仮病に騙されていた、というのも少し受け入れがたいところがあるのだが、まあ、そういうこともあるのでしょう。第二部のタイトルがそこのところの伏線になっているセンスはとても好みです。
ともかく読者への挑戦を置くのなら、もう少し緊密でないと。真面目に推理して損した、というのが正直なところ。

二つ目の事件の真相はもっと凄い。トリックも凄ければ、証拠隠滅の手際も凄い。巻末の解説で触れられている微妙な記述の問題など些細なことに思えてしまう豪快さだ。

稚気で済ますには雑過ぎるのですが、面白くは読みました。アイディアは盛りだくさんだし、捨てがたい部分も多いのです。解決編への期待をあおらなければよかったように思います。

2023-05-27

ジョン・ディクスン・カー「幽霊屋敷」


1940年発表、ギデオン・フェル博士もの長編。原題は「The Man Who Could Not Shudder」で、作品内では「恐怖に対して震え上がることのない、肝の太い人物」くらいの意味で使われています。

舞台は(今回の邦題通り)幽霊が棲まう噂があり、過去には異様な事件も起こったという屋敷。導入部分では怪奇小説らしい描写が丁寧になされるのがそれっぽい。もっとも、雰囲気があるのはそこまで。
くだんの屋敷に招待された人々が集合して、ここには昔から何か出るらしいよ、という振りがなされるのだけれど、それとは無関係な話題も色々入ってきて、幽霊への関心があまり持続しない。一晩明けると、ポルターガイストの仕業としか思えないような事件が起こる。にもかかわらず、それが超自然な存在によるものだとほのめかされるわけでもない。
作品終盤には、これらにも理由があったことがわかるのだが。ともかく、物語は純粋に不可能犯罪ものとして進行していきます。

残念ながらメイン・トリックは現実的ではないし(読みなれたひとなら逆に「ははあ、これは偽の解決だな」と思うのでは)、フーダニットにおける誤導も(アンフェアとはいわないが)えげつなくも芸のない手が使われている。そういった点は見過ごすにはあまりに大きすぎるのだが、意表を突いた展開によって、それでも面白く読まされる。この辺り、カーのストーリーテラーとしての腕で持たせている、という感じです。

後日談として語られるフェル博士による最終的な絵解きは例によって名調子であります。いくつかの細かい伏線はとても良くできている。建屋の形が図形で強調されていたのには、ちゃんと意味があったのだね。しかし、大筋の(クイーン的ともいえる)犯罪計画自体、細部への説明が進むほどに無理が感じられてしまう。カーはその種のリアリティに大して重きを置いていないのだろう、ということは既に知っているけれど。
そして、最後にさらなる捻りが加えられるのだが、必然性がないというか、これは単なるサプライズのための趣向では。あるいはカーがやりたかったのは(意外な犯人を通り越して)明白な実行犯のいない殺人事件だったのかもしれないが。

と、いうようにフェアな謎解きと考えれば欠点だらけなのだが、はったりの利いた読み物としてこれはこれで愉しい。出来そのものとは別に、娯楽作家としてのカーの魅力が感じられる作品でした。

2023-04-22

ジョエル・タウンズリー・ロジャーズ「恐ろしく奇妙な夜」


『赤い右手』のジョエル・タウンズリー・ロジャーズ、その中短編集。
ロジャーズには米国内で21世紀になってからまとめられた作品集がふたつあり、本書はそれらから選ばれた六作品で構成されている模様。


「人形は死を告げる」 海外から予定よりもだいぶ早く帰国したものの、家には妻がおらず、どうやら旅行に出かけたようなのだが、というお話。
熱を帯びた語りが不穏な先行きを予感させるのに、読み手の思惑はことごとく外していく展開。扇情的な章題も、それが内容を反映したものと思えない。じりじりと不安を高めていった末に唐突に明らかになる真相(しかも、推理によってだ)は、伏線らしきものがあるにもかかわらず、完全に虚を突かれた。他に類を見ない種類のミステリではあります。抜群。

「つなわたりの密室」 130ページほどある中編で、施錠された殺人現場から犯人が忽然と姿を消す、という不可能犯罪もの。
癖の強いキャラクターがやたらに多く、なかなかとっつきにくい(もっともこれが煙幕にもなっているのだけれど)。ミステリとしては色々突っ込みたい天然なところと、ダブルミーニングを利かせた描写など計算を感じさせる部分が共存、大胆なつくりの謎解きミステリになっている。とはいえ、これは個人選集だからこそ許容できることであって、普通に考えれば無いぞ。思わず「嘘やん」と叫んでしまった。だからこそ面白かったのだが。

「殺人者」 本書のなかでは最も短く、それゆえプロットも比較的にシンプルながら、迫力のあるクライムストーリイ。
仕込まれているツイストは徐々に見えてくるようになっているのだが、ここでも妙に不安にさせる語り口、本筋に関係あるのかわからないが熱をもって語られる挿話などによって疑心暗鬼にさせられ、最後まで油断できない。これが確かな計算によるものなら凄いのだけれど。一般的な基準ならこの短編がベストか。

「殺しの時間」 作家志望の男が巻き込まれた、ある事件。
妄想か事実かが判りにくいエピソード、メタ性があるのかないのか微妙な書きぶりにまたしても惑わされる。落としどころは割とまともなスリラーというか、あえてパルプ・マガジンの流儀に則った感があります。

「わたしはふたつの死に憑かれ」 ラジオドラマの脚本担当者のところに持ち込まれたのは、自分が昔、関わった事件を題材にしたと思しい実話小説だった。
設定にはどうかなあ?と思うところもあるけれど、そこを受け入れてしまえば意外なくらいうまく構築されており、トリッキーで切れのいいミステリ。これもいいですな。

「恐ろしく奇妙な夜」 本作品集で唯一のSF短編。この作品の初出が1958年で、他がみな1940年代後半の発表と、これだけ10年から離れています。そのせいか妙なところはないけれど突出したところも感じられなかったな。だって、この語り手は信用できてしまうもの。


表題作だけ少しテイストが違いますが、あの『赤い右手』の作者という期待に十分に応えてくれた作品集でした。他の作品も読みたいね。

2023-03-26

麻耶雄嵩「化石少女と七つの冒険」


ベルム学園の古生物部、神戸まりあが学園で起きる殺人事件を解決していく連作、その第二弾。シリーズの前作『化石少女』が出版されたのが2014年、今作の第一章が雑誌掲載されたのはその五年後と、結構インターバルが開いている。
前作はまりあの大胆すぎる推理が事件の真相を何故か射抜いてしまうが、それは間違っていると後輩の桑島彰がなんとか、まりあを言いくるめる、そういう構成であった。今作の最初のほうでも、まりあと彰の関係性は以前からのものを踏襲しているけれど、ミステリとしては随分と違ったものになっていると思う。

まず、前作『化石少女』では事件それぞれに手の込んだトリックが用意されていたけれど、今回はそれがない。複数の人物の意思が交錯することで、真相が見え難くなっているケースばかりだ。当然、解決も複雑なものになってくる。それを緩和するためか、推理合戦の形式が導入されてくる。学園のヘンリー・メルヴェール卿を自称する生徒が登場するのだ。そして何より前作と違うのは、まりあの推理自体が、まっとうかつ鋭いものになっていることである。
結果、受ける印象は洗練されたパズルであって、麻耶雄嵩にしては落ち着いたものだ。それでも「古生物部、差し押さえる」での盲点を突いた手掛かりや「化石女」で最後に明らかにされる伏線の質は実にこの作者らしいし、「彷徨える電人Q」における犯人絞り込みのロジックはとてもスマートであります。
一方で連作としては、ワトソン役である桑島彰自身の物語、その比重がどんどん大きくなっていく。ワトソンが手掛かりをコントロールすることで解決を限定する、その度合いもよりあからさまであって、すでにフェアプレイは放棄されているようでもある。

「面白いけれど、この作者にしてはちょっと普通っぽいなあ」と思いながら読んでいると、連作最後の「禁じられた遊び」に至り、いつもの「え、どういうこと?」となる感覚が襲ってきます。それもただ読者を引っかけるためだけのトリックでなく、本書全体のテーマと結びついたかたちで使われているのだから、その衝撃は凄い。

いやいや、おみそれしました。
麻耶雄嵩は健在でした。

2023-03-21

The Land Of Sensations & Delights: The Psych Pop Sounds Of White Whale Records 1965-1970


2020年に米Craft Recordingsより出たホワイト・ホエールもの。Craft RecordingsというのはConcord傘下のリイシュー・レーベルで、現在はVarèse Sarabandeの親レーベルでもあるよう。
編纂に当たったのはアンドルー・サンドヴァルで、マスタリング担当はダン・ハーシュ。1人(1グループ)1曲という縛りを設けているようなのが、以前取り上げた同種のコンピレイションと違うところ。全26曲中、Varèse Sarabandeの「Happy Together」とは2曲が重複、Rev-Olaの「In The Garden」とは7曲、「Out Of Nowhere」とは5曲の重複があります。トータルだと半数以上になるか。しかし、それ以外の曲にはこの盤しか再発がないものも多いです。

副題に「サイケ・ポップ・サウンズ」と付けられているように、選曲からは(タートルズのものを除外した上で)生きのいいローカルなガレージ・ロックから手の込んだサイケ・ポップまで広く採られている一方、落ち着いたテイストのミドル・オブ・ザ・ロード的なポップスは外されています。
その中で、ちょっと毛色の違うのがクリス・ジェンセンによるホリーズのカバー “I Can’t Get Nowhere With You”。制作はスナッフ・ギャレットとリオン・ラッセルのチームで、ゲイリー・ルイス&プレイボーイズと共通するようなキャッチーなティーンエイジ・ポップに仕上がっていて、これはこれで悪くない。

1960年代後半におけるLAポップの流行をオブスキュアなシングル盤で表現しながら、一枚全体の流れが弛みなく構成されているのが美点であって、このあたりがアンドルー・サンドヴァルのセンスですね。一見さんはタートルズも入った「Happy Together」、ポップス寄りの好みなら「In The Garden」の方がいいかもしれませんが、両者とも既に入手が容易ではなくなりつつあるのが困ったところ。

ところで、この盤にはひとつミスがあって。24曲目にはバスター・ブラウンというグループの “The Proud One” が収録されているはずが、ジョニー・シンバルの書いた “Sell Your Soul” が入っているのですね。とてもいい出来なのだけれど、いったいこの “Sell Your Soul” が誰のヴァージョンで、どこから紛れ込んだのかがわからない。

2023-03-11

Out Of Nowhere: The White Whale Story Volume 2


2004年に出た、Rev-Olaによるホワイト・ホエールのコンピレイションの続編。ボリューム1の「In The Garden」がソフトサウンディングなポップスを中心にして編まれていたのに対して、こちらはガレージ・サイケな味付けのものが多くなっております。そういう曲の中だとクリークの “Superman” がよく知られているかな。後にREMがカバーした曲です。

シングル1、2枚しか出していないグループがさらに多くなり、レアリティという点での価値のあるコンピレイションだが、「In The Garden」の落穂拾いという感もありますね。
で、こちらの方で一番いいと思ったのはドビー・グレイ。ケニー・ノーラン作の ”Honey, You Can't Take It Back” はゲイリー・ゼクリーがプロデュースした軽快なポップ・ソウル。トニー・マコウリィ辺りを思わせる出来です。もう一曲の ”What A Way To Go” も都会的で洒落たミディアムに仕上がっています。


クリスマス・スピリットというのはシングルを一枚だけ作った即席グループで、タートルズのマーク・ヴォルマンとハワード・ケイラン(後のフロー&エディですな)、モダーン・フォーク・クァルテットのサイラス・フライヤーとヘンリー・ディルツ、バーズのジーン・パーソンズとグラム・パーソンズ、それにリンダ・ロンスタットらからなる(らしい)。面子を聞くと、ちょっとしたスーパー・グループではあるが、それらの名前はクレジットされているわけではなく、全員がシングルの両面に参加しているわけでもなさそう。プロデュースはMFQとタートルズ両方に関わりのあるチップ・ダグラス。
A面に当たる “Christmas Is My Time Of Year” は後期タートルズの演奏にゲスト・シンガーが入っている、という風な曲で、実際にタートルズのシングル集にも収録されている。
もう一方の“Will You Still Believe In Me” はストーン・ポニーズにいたボブ・キンメルの書いた曲。チップ・ダグラスとリンダ・ロンスタットによるデュエットで、タートルズ組は参加していないそうだ。“Will You Still~” の方はこの盤でしか聴けないのかな。

2023-03-08

In The Garden: The White Whale Story


2003年、英Rev-Olaより出されたホワイト・ホエールのコンピレイション。
編纂に携わったのは後に同じCherry Red傘下でNow Soundsを立ち上げ、サンシャイン・ポップのいいのをばんばんリイシューするスティーヴ・スタンリーで、選曲も彼の個性が感じられるもの。タートルズの曲をあえて外した上で、ポップな曲を選りすぐったものになっていて、前回に取り上げた「Happy Together (The Very Best Of White Whale Records)」との重複はわずか一曲にとどまっています。

まあ売れはしなかったものの良い曲が目白押しですな。
クリークの "Soul Mates" はのちにパレードを結成するスモーキー・ロバーズ作。内省的かつ華やかで、とても好み。コーラス部分の展開など、なるほどパレードそのものだ。
また、トリステ・ジャネロもここでは落ち着いていて都会的なものが選ばれています。とくにこの盤のタイトルにもなっている "In The Garden" はセルメン・フォロワーの影も形もないクールなアンビエンスのもので恰好いい。
そしてニノ&エイプリルの、デヴィッド・ゲイツ作 "You'll Be Needing Me Baby" と、これもメロウ極まりない選曲。
もっとも、この辺りは単体でのリイシューもされているし、良くて当然、といえなくもない。

シングル・オンリーのもので目に付くものを挙げると、ライム&サイベルはウォーレン・ジヴォンがいたデュオだが、ジヴォンが首にされたあと別のソングライターが “ライム” となって出したシングルは両面ともカート・ベッチャーのプロデュース。いかにも彼らしいハーモニー・アレンジが聴けます。オールドタイミーな曲調の "Write If You Get Work" が気に入りました。
更に良いのがコミッティという、アル・キャプスとセッション・シンガーのスタン・フェイバーによるスタジオ・プロダクトによる "If It Weren't For You"。これは「Happy Together~」に入っていた "California My Way" のB面曲で、シングルとしてはラジオでA面の方をかけさせるために、わざわざ逆回転にして収録されていたという代物(タイトルも "You For Weren't It If" と、さかさにしてある)。ここではもちろん、正常なかたちで聴けるわけですが、いやいや、なんて勿体無いことをしていたのか、と思うくらいのグレイト・サンシャイン・ポップ。ソルト・ウォーター・タフィーあたりが好きなひとは気に入るのではないかな。作曲はホワイト・ホエールのスタッフ・ライターであり、自分たち名義のシングルも出しているダルトン&モントゴメリー。

他にも聴きものとして、ニコルズ&ウィリアムズ作の "Do You Really Have A Heart" と "We've Only Just Begun"、それぞれ最初期の録音があります。"Do You Really~" を歌ったのはのちに "Drift Away" をヒットさせるドビー・グレイ。"We've Only Just Begun" はスモーキー・ロバーズが歌い、自らプロデュースしたもの。どちらもメロディを尊重し、暖かみのあるつくりで、よろしくてよ。

2023-03-07

Happy Together: The Very Best Of White Whale Records


わたしの所有するホワイト・ホエールのコンピレイションのうち、一番古いものがこれで、米Varèse Sarabandeより1999年に出されたもの。
マスタリングはダン・ハーシュ、ビル・イングロットらが担当。収録された全21曲中、20曲がモノラルというのもいいですな。シングル曲を中心に編纂されたというか、そもそもシングル・レコードしか出していないひとも多いようだ。

ホワイト・ホエールというのはタートルズを売り出すために作られた会社で、他にヒット・レコードをコンスタントに出せるタレントを確保できなかったため、タートルズのキャリアとともに閉められた、と考えていいでしょう。その活動期間は1965~71年となります。
この盤でもタートルズは “It Ain't Me Babe”、”Happy Together”、“Elenore” が入っていて、まあ手堅い選曲ですな。

タートルズ以外の曲はフォーク・ロックを軸にしつつ、ソフトサウンディングなものからガレージィなロックンロールまで満遍なく、という感じ。知られたところではニノ&エイプリル、リズ・ダモンズ・オリエント・エクスプレス、ゲイリー・ゼクリーのブレインチャイルドであるクリークなんかがあって、このあたりはやはり聴いていて楽しいですが、おや、トリステ・ジャネロが入ってないのね。

ホワイト・ホエールは活動期間の後半になると、外部のプロダクションによる制作物を買い上げてリリースというものが多くなっていったようです。その辺りになるとサウンドの傾向がばらばらで、特有のセンス、カラーといったものが感じ取れないですね。このコンピレイションはレーベルの活動を一望できるようにちゃんと編集したせいで、かえって面白みが損なわれてしまっているのかもしれません。現在ではホワイト・ホエールの編集盤は他にも出されているので、これを無理して手に入れることはない、そう言いたいところだが。
オブスキュアなものでおそらく未だに他ではリイシューされていない曲が結構、含まれているのですよ。中でもコミッティという名のアル・キャプスらによるスタジオ・プロダクト、それによるフィフス・ディメンションのカバー “California My Way” が、ハーモニーが強調されたつくりで爽やか、なかなかいいです。

2023-03-06

ミシェル・エルベール&ウジェーヌ・ヴィル「禁じられた館」


会社社長のヴェルディナージュは郊外にある広壮な屋敷を購入することにした。だが、その契約書にサインする直前、何者かによる脅迫状が届けられる。
「命が惜しかったら、マルシュノワール館から直ちに立ち去り、二度と戻ってくるな」
ただの悪ふざけだ、と笑い飛ばしたヴェルディナージュ。しかし屋敷に住み始めた一か月後、鍵の施錠された扉の内側で、二通目の脅迫状が発見されるのだった。


1932年にフランスで出た長編。屋敷に入るのを目撃された人物が殺人事件の直後、その姿を消してしまうという、バリバリの不可能犯罪ものです。

事件の舞台となるマルシュノワール館はいわくつきで、これを建設させた銀行家は獄中で死亡、そして代々、そこに住もうとする者のもとには脅迫状が舞い込んできた、と。最初の買い手はこれを無視し続けた末に射殺死体で発見され、それ以後の所有者たちは脅迫状が届くと、みな館から逃げ出してしまった。
面白いのはこの屋敷が建てられてまだ5年しか経っていないことだろう。不可能犯罪は起こるけれど、中世の亡霊や怨念がどうとかいう話ではない。実際に生きている誰かが悪意を向けてきている、ということはずっと明確だ。この辺りの人工性の強さは(キャラクターの口調の強さとともに)フランス・ミステリらしさではあるか。

殺人事件を担当するにあたった警官、検事代理、予審判事それぞれが独自の推理をもって異なる人物を犯人もしくは共犯者と目するに至る。しかし、依然として犯人がどうやって屋敷から消えたかはわからない。そして物語が三分の二まで進んだところでエルキュール・ポアロをさらに気取り屋にしたような私立探偵が登場する、という具合。
展開そのものは凄く王道のもの、です。ただ、容疑者が二転三転するディスカッションは1932年ということを考えると、相当にねちっこいのでは。

最終的に明らかにされるトリックは現在からすればそこまで驚くものではないにせよ、容疑者絞り込みのロジックがいいし、何よりも指摘されてはじめて気付くが、充分にフェアである意外な手掛かりが素晴らしい。あと細かいところで、単なる捨てトリックと思われたものにも意味があった、というのもセンスがいい。

フランス・ミステリには肩透かしなものもありますが、これは堂々たる謎解きミステリです。文句なく面白かった。

2023-02-14

リチャード・ハル「伯母殺人事件」


1934年発表のデビュー作だそうです。
昔から倒叙ものの古典として『殺意』、『クロイドン発12時30分』と並び称されるのがこの『伯母殺人事件』ですが、わたしは三作品のどれも通ってこなかったのであります。個人的に推理の興味が希薄なミステリはあまり読みたくないのですが、まあ現物に当たれば意外といけるかも、という気の迷いが起こって手にしてみた次第。

ストーリーはかなりシンプル。ごくつぶしの若者が(育ての親である)口やかましい伯母の殺害を企てる、というもの。倒叙なので、そのいきさつを日記にしたためる、という形式が取られています。

語り手の若者、エドワードというのはどうしようもない、知的ぶったろくでなしです。仕事につかず伯母さんのすねをかじりながら暮らしていて、周りの人間を自分より知性や品位の低い田舎者として内心、見下している。そして、自分の行動がそれらの人々に迷惑となっても気づかす、伯母からは再三、その事実を指摘されるものの、プライドの高いエドワード君は素直に認めようとはしない。
そんな彼が犯罪を企てるのだが、実際にはそれほど利口というわけではなく、そもそも労働を嫌悪しているために仕掛けがとても雑で、うまくいかない。そこのところに皮肉やとぼけたユーモアが感じられ、家庭内のねちねちしたやりとりを中心に描かれているのに重くならず、読みやすいものになっています。

失敗を重ねるうち、伯母自身も向けられた殺意に気付いている素振りを見せはじめるのだが、エドワードはそれをはっきりと認めようとしない。この、自分にも見えているはずの現実を棚上げにし、状態の取り返しがつかなくなるまで都合のいい妄想を続けていく感じがたまらん。幼児的ではあるけれど、とても現代的だ。

さて、ミステリとしての肝の部分なんですが、これは残念ながら古びてしまっていて、現代の読者だと予想が付きやすいもの。最後のセンテンスなど、なるほど綺麗に決まっているけれど。
しかし、この最後の章は誰のために書かれたのだろう。そのところを深読みしていくと面白い。なにしろ、伯母さんはエドワードの文章に対しても検閲を行った、というのだから。全体が信用できない語り手による創作、といえないか。

一般に倒叙ものというのは前半に犯行に至る過程が描かれ、後半になると警察らの手によって事件が解決される、その行き筋のサスペンスや、万全に見えた計画の中に生まれた齟齬の意外性などが読みどころだと思うのだけれど、そういう点でこの作品は破格ですね。
なんでしょう、枠におさまらない犯罪ユーモア小説というところか、とても英国らしい。

2023-01-28

Four Tops / Keeper Of The Castle


1972年、フォー・トップスがモータウンからダンヒルに移籍して一枚目のアルバム。
プロデュースはスティーヴ・バリー、デニス・ランバート、ブライアン・ポッター。ランバート&ポッターはダンヒルといえばこのひとたち、というポップソウルの職人ですな。アルバムの収録曲も半分はこのチームの作曲ですが、残りはフォー・トップスのベース・シンガーであるオービー・ベンスンを中心に作られたものになっています。

サウンドはいかにもLA録音らしい解放感漂うもので、タイトなリズムと華やかなアレンジのバランスも素晴らしい。アルバム冒頭のタイトル曲から躍動するリーヴァイ・スタッブスの声がよく映えるし、バックコーラスも聞き取りやすい。
そして続く "Ain't No Woman(Like The One I've Got)" が都会的でスウィートなミディアム。これがシングル・ヒットして新たなフォー・トップスを印象付けることに成功したのだな。わたしもアルバム中ではこの曲が一番好きです。

また、当時流行りのフィリー・マナーをなぞった曲がスロウの "Put A Little Love Away"、 オージェイズのようなミディアム "Love Music" とあるのだが、管弦のジャズっぽさが薄いからだろうか、本家よりも親しみやすいような感じで、これがランバート&ポッターのテイストなのだろう。

アレンジには曲によってデニス・ランバート、ジミー・ハスケルのほか、ギル・アスキーというジャズ畑のひとが入っていて、これがいい塩梅にバラエティに貢献しているよう。軽快でおしゃれな "The Good Lord Knows" や、小気味良くオルガンが引っ張っていくサンシャイン・ポップ "Love Makes You Human"、いずれもあまりソウル的ではない曲調だけれど、オーソドックスなナンバーの狭間で実に効果を発揮しています。
そして、このセンスがよりソウルらしい曲の中でうまく生きたのが "When Tonight Meets Tomorrow" という、ちょっと凝ったメロディをもつ曲。ニュー・ソウル味も感じる実に洒落た仕上がりで、軽やかでメロウなバックに緩急を利かせたリーヴァイ・スタッブスのボーカルがとても格好いい。

いい意味で大衆的で明るさがある、聴きどころの多いアルバムです。

2023-01-09

エラリイ・クイーン「靴に棲む老婆〔新訳版〕」


1943年長編。
前作『災厄の町』がゆったりと進んでいくリアリステイックなミステリであったのに対して、この『靴に棲む老婆』は逆に振りきったようなプロットで、その複雑さは初期クイーンに戻ったようだ。

舞台はニューヨークであるけれど、物語が展開するポッツ家は『Yの悲劇』のハッター家をアレンジしたような、ちょっとした異世界。どこか世間の常識が通らない、そのことが普通になっている屋敷。そこで起こるのはマザーグースをなぞるような事件だ。語り口もところどころ芝居がかっていて、トマス・ヴェリー部長刑事の科白回しにすら舞台めいたところがある。
肝心の謎も設定にふさわしく、捻ったものであって、なにしろ、実際に銃の引き金を引いて人を殺した男が何の罪にも問われず、他に真犯人がいるというのだから。

あいにく、マザーグースの物語への取り込みはそれほどうまくいってはいない。あとになって取って付けたような感じを受けるもので、捜査側が符合を気にするほどの説得力がないように思う。 また、消えた銃のありかはひとつの見所でありえるのに、わかって見ると肩すかしで、『アメリカ銃の謎』の作者とは思えない謎の扱いだ。

重大な証拠が判明するのが解決編直前なのはパズルとしての弱点だが、それさえ逆手に取ったような解明シーンの盛り上げはさすがのクイーン。推理によってサスペンスが生まれる、その恰好良さよ。
ピースがひとつ入れ替わる、それだけで見えていた図がきわめてロジカルに反転し、また綺麗に閉じていく。このキレこそがわたしにとってのクイーン最大の魅力だ。

物語としての完成度はいまひとつ。けれど、キャリア後期に大きく展開されるテーマを扱いながら、あくまで物証に基づく推理で綺麗にまとめているという点で、やはり見逃せない作品ではあります。
ハヤカワの新訳クイーンも、これで1940年代の長編は全て揃ったので、ひとまずはおしまいでしょうか。