2019-04-30

A・A・ミルン「赤い館の秘密」


ギリンガムはまた低く笑い声をあげ、ベヴァリーの腕を取った。「きみって、じつにすばらしい相棒だよ、ビル。きみとわたしとでなら、なんでもできそうだ」
池はさえざえとした月の光をあびて、日中よりも荘厳なたたずまいを見せている。池を見下ろせる小高い丘の斜面をおおっている木々は、謎めいた沈黙を守っている。世界には、ギリンガムとベヴァリーのふたりしかいないような気になる。

新訳版です。1921年の作品ですから、クリスティもデビューして間もないくらいの頃になります。
作風としてはまっとうなパズル・ストーリーといっていいでしょう。他分野で名を成した作家による唯一の推理長編ということで、いかにもアマチュア的な楽しさが横溢。その一方で、ジャンル・プロパーの手による作品と比べるとバランスに妙なところが見られます。

扱っているのはカントリーハウスでの殺人なのだが、屋敷の滞在者たちは事件が起こって早々に帰宅が許されてしまい、以後は物語に顔を出さない。
また、事件発生当初より後は警察による捜査の描写が殆どなく、その進捗が知らされることもありません。ゆえに素人探偵とワトソンのディスカッションによってお話は展開されます。
どうもねえ、この作者は嫌なやつ、生々しく不愉快な場面を描くのを極力、避けていたのではないかという気がするのですよ。それがいいことなのか悪いことなのかは判りませんが。

ミステリの構成としては最初に事件があって、あとは調査・推理が繰り返されるのみなのですが、これが意外にも読みでがある。探偵ギリンガムは新しい事実が判明する度に、もったいぶらず自分の考えを打ち明けるので、局面の変化がダイナミックに現れていきます。推理自体の複雑さもなかなか、どうして、いいじゃないですか。
ただしその分、最終的な解決場面が薄くなってしまっています。真相自体が(今となっては)意外性のないもの。誤導に乏しいのも痛いところ。

欠点も挙げてきましたが、純粋に物語るのが巧いし、魅力的な場面もある。ユーモアも利いている。それらは推理小説としての面白さではないのかもしれないけれど。

2019-04-22

フラン・オブライエン「ドーキー古文書」


アイルランドはダブリンの海岸近くにある町、ドーキー。そこでミックは化学者にして宗教学者のド・セルビィという紳士と知り合う。ド・セルビィは時間の流れを司る発明に成功、さらには地球上の生命体を絶滅させる研究を進めているという。はじめのうち半信半疑だったミックであったが、およそ信じ難いような体験をさせられ、密かにド・セルビィの人類滅亡計画を妨害することを決心する。


1964年作品。白水社からは同じ作者の『第三の警官』『スウィム・トゥー・バーズにて』も出されているが、それらよりもかなり後になって書かれた作品だそうであります。

設定は非常に相当に出鱈目で楽しいものだ。なにしろ、物語はじめから『第三の警官』の影のヒーローであったド・セルビィの登場となれば、期待してしまうのだが。枝葉の多いぐだぐだしたやりとりと、どこかのんびりした展開で、なかなか盛り上がらない。宗教談義が多いのも、わたしにはピンとこなかった。
物語後半に入るとジェイムズ・ジョイスそのひとまでが現れるのだが、さて。

ユーモラスな要素には事欠かないものの、なにしろオフビート。お役所に勤める主人公は人類の危機に接している筈なのに、日が落ちたら残りは全て後日に、といった風情であります。いくつかの大問題の往く末も実に間の抜けた、エンターテイメントの常道を予想して読んでいたら唖然とさせられる処理であります。

およそファンタスティックな要素が最後にはうっちゃられ、居酒屋にてみんなで良い気分。定型的なドラマツルギーの拒否が逆に痛快、非日常をおちょくっているようなそんな物語でありました。

2019-04-14

Curtis Mayfield / Keep On Keeping On: Studio Albums 1970-1974


今年Rhinoからリリースされた、カーティス・メイフィールドの4枚組。中身はオリジナル・アルバム「Curtis」、「Roots」、「Back To The World」、そして「Sweet Exorcist」のリマスター。ボーナス・トラックは収録されていないし、ブックレットもついていない簡素なつくりです。
タイトルが「Studio Albums 1970-1974」なので二種類のライヴ盤は入っていません。「Super Fly」が入っていないのもサントラだからかな。しかし、「Got To find A Way」も1974年のアルバムなのだがな。残りのカタログもいずれ、まとまったかたちで出してくれるというのならいいのだけれど、どうも内容量には不満です。


音のほうはさすがにRhino、ちゃんとしています。特に「Back To The World」と「Sweet Exorcist」はおそらく、まともなソースからのリマスターは世界初ではないでしょうか(カーティスの遺族によれば、英Charlyが出しているのはブートレグだ、とのこと)。この二枚だけでも価値はあるのでは。


「Sweet Exorcist」は1974年にリリースされたアルバム。それまでと比較すると、派手さの無い落ち着いたサウンドで、管弦も使われているのだがやや控えめ。その分、基調となるグルーヴや微妙なアレンジを聞かせるものになっているのだが、曲によってはいささかベースがうるさくて、それが軽快さを損なっている印象も受けます。

それぞれの曲は丁寧に作られていて、特にアルバム前半の流れが凄く良く出来ている。
中でもメロウなタイトル曲 "Sweet Exorcist" ではボーカルの重なり具合など、繊細なアレンジが凄く好みです。
また、アナログA面最後に当たる "Power To The People" のポジティヴな曲調はアルバム中で一番コマーシャルかも。クラヴィネットが印象的です。

シングルになったファンク、"Kung Fu" にはブラックスプロイテーション的なアレンジの管弦が施されているが、主役はあくまでグルーヴだ。しかし、ちょっと硬派すぎるかも知れんね。
ドニー・ハサウェイとの共作、"Suffer" は元々1969年に出されたホリー・マクスウェルという女性シンガーのシングル曲。スロウでも微妙にリズムが跳ねているのがシカゴ流儀かしら。

時代に向き合うためによりオーソドックス、もしくはカジュアルな表現を取り入れ、それを独自のスタイルとブレンドする試行錯誤。それが重さになることもあれば、感動的な表現に結びつくこともある、そんな感じ。