2018-07-31

エラリー・クイーン「エラリー・クイーンの冒険」


1934年に出版されたクイーンの第一短編集、その新訳。元本の初版にのみあったというJ・J・マックによる序文は今回初訳だそうです。各編の雑誌発表も1933、34年と短期間に集中していて、脂が乗っていたことが伺えます。

全作品、旧訳で何度か読んでいるのですが、簡単な感想をば。
「アフリカ旅商人の冒険」 謎解き短編の教科書的なパターンをなぞったような作品。多重解決が魅力であるが、いかんせん紙幅が少ないので偶然に頼っている面があり、半ば探偵小説のパロディのように感じてしまう。しかし、腕時計をめぐる推理にはちょっとした盲点を突くものがあります。
「首吊りアクロバットの冒険」 一転して読者を引っ掛けることに力を注いだ作品。ブラウン神父譚にヒントを得たようなホワイダニットの趣向もすっきりと決まった。
「一ペニー黒切手の冒険」 シャーロック・ホームズの有名作から来ているような発端からひとひねりしたプロット。さらに解決にも別のホームズ作品を思わせるアイディアがあって楽しい。
「ひげのある女の冒険」 クイーンとしては最初期のダイイング・メッセージもの(細かいことをいうと実際はダイイング、瀕死の状態ではないのだが)。現在から見ると流石にシンプル過ぎるけれど、その一方で犯人、トリック、動機を一度に貫いていく鮮やかさは捨てがたい。また、容疑者たちのキャラクターには後の『Yの悲劇』を思わせるところがある。
「三人の足の悪い男の冒険」 誘拐もの。まあ、これも今となっては、というトリックではあるが、犯人による不注意を装った工作と本当の不注意を並べた皮肉、エラリーが自らの推理に確信を得るタイミングなどからは独自性を感じます。
「見えない恋人の冒険」 後のライツヴィルものを連想させるような舞台設定が楽しい。またもブラウン神父を思わせる後半の展開。しかし、小さな違和からはじまった演繹が遂には唯一の犯人を指し示す推理の流れからは、これぞクイーンと思わせられる。
「チークのたばこ入れの冒険」 スピーディーでツイストのあるプロット、物証からの見事な犯人断定等は国名シリーズを濃縮したような味わい。ただし、咄嗟に行動した犯人の勘があまりに良過ぎる(言い換えればご都合主義)のは否定できない。
「双頭の犬の冒険」 これはホームズ譚から来ているようなプロット、手掛かり。いささか古臭い感は否めない。じっくりとした雰囲気の書き込みこそが見所か。
「ガラスの丸天井付き時計の冒険」 ダイイング・メッセージその2。しかし、既にこの趣向そのものが対象化されている、というのが凄い。また、一見複雑な状況を解き明かすロジックもとても明快だ。
「七匹の黒猫の冒険」 発端の謎はまたしてもチェスタトン的。フーダニットとしては非常にスマートな仕上がりで、誤導も申し分無いと思う(が、動機までは手が回らなかったか)。
「いかれたお茶会の冒険」 ルイス・キャロルをモチーフにした "mad" な状況作りが素晴らしい。これにより、ミステリとしての微妙な描写も可能になっている。ひとつの違和から唯一の容疑者へ導かれるロジックもシンプルで、気持ちの良いものだ。

各々40ページほどの中にひねりのある謎解きとしっかりとした肉付けもなされていて。やはりクイーンの短編集ではこれがベストですね。
次回は『シャム双子の謎』の刊行が予定されていますが、何時なのかは書いてないね。

2018-07-24

Chris Rainbow / White Trails


1979年にリリースされた3枚目のアルバム。最近、英Cherry Red傘下のLemonというところからボーナストラック入りでリイシューされました。
アレンジ、プロデュースはクリス・レインボウ本人。演奏はモー・フォスターやサイモン・フィリップスらセッション・ミュージシャンによるもので、涼やかなエレピはマックス・ミドルトン。また、ギターには元パイロットでアラン・パーソンズ・プロジェクトに参加していたイアン・ベアーンソンの名前がある(クリス・レインボウもこの後、アラン・パーソンズ・プロジェクトのレギュラーになります)。

このアルバム、大昔に聴いて、そんなにいいとは思わなかったのよな。日本のレコード会社の売り文句から、こちらが勝手にビーチ・ボーイズ的なものを期待していたせいなんだけれど。確かにメロディとコーラスにはそういった要素があります。しかし、オケは時代相応のアダルト・コンテンポラリーというかシティ・ポップじゃないか、と。AOR的なものはどうも苦手なのよ。若い頃には特にそうだった。
しかし今、先入観を排して接してみると英国モダンポップ的なセンスがそこここに感じられ、おお、思ってたのよりずっと良いじゃないか、となったわけ。コーラスのエフェクト処理、ギターの音色、ぐねぐねしたフレットレスベースのフレーズ等、当時の典型的なサウンドからは一線を画したものであります。
歌声の方は甘さとシャープさの両面を併せ持ち、カール・ウィルソン的な瞬間もある。また、クロースハーモニーになると、ひとり多重録音で作っているせいかタイミングがジャストで、そのことから密室的な印象を受けます。

"Song Of The Earth" がアコースティックな響きを生かした開放感ある曲で、'70年前後のビーチ・ボーイズを思わせ、個人的に一番好みであります。凝りまくったコーラスアレンジもたまらないわあ。
メロウ化した末期パイロット好きなひとなんかにも合うアルバムじゃないかと。

2018-07-17

The Who / Live At The Fillmore East 1968


50年前の4月6日、ニューヨーク公演の演奏。
当初、ライヴ盤を作るべくこの日とその前日の公演が録音され、それらからピックアップしたアセテート盤も作成されたがお蔵入りに。そのアセテートをソースにしたブートレッグも古くから出回っていました。
今回のリリースは4トラックをレストア、新たにミックスされたものであります(なお、ライナノーツによれば5日のマスターテープは行方知れずだそう)。

音の方は'60年代のライヴということを考えれば、かなりいい。演奏のほうも当時のザ・フーだからいいに決まってら。他にはモンタレー・ポップ・フェスティヴァルくらいしかないわけだし。
とはいっても30分を超える "My Generation" は実は10回あまりしか聴いていない。どうもとりとめが無いようで疲れる。一番いいのが、ロジャー・ダルトリーが "f-f-f-fade away" と歌っている途中でジョン・エントウィッスルが勝手に "fade away!" と叫ぶところだったりする。

このライヴが行われたのはサード・アルバム「Sell Out」の本国でのリリースから4ヵ月も経っていないころ(アメリカだと3ヶ月)で、その「Sell Out」からの曲も演奏しているけれど、ここでは完全にサイケデリックを脱している。バンドとしては既に'70年代以降のモードに移行しているようである。ハアアアド・ロック!

それにしてもフーのサウンドというのは独特だ。そして、ライヴだとさらに硬質でドライな印象を受ける。ベースはトレブル強め。タウンゼントのギターは暴力的でありながら繊細、歪んでいるけれど一音一音はクリアに聞かせる。キース・ムーンについていうと、ドラムキットが大きくなってからは精彩を欠いていった印象を持っているのだが、この時代はまだ手数の多さがグルーヴを邪魔していなくて、いいですなあ。

2018-07-16

三津田信三「碆霊の如き祀るもの」


江戸時代から現代(作中では戦後)にかけて起こったとされる四つの怪異。それを取材すべく刀城言耶は断崖に囲まれた海辺の村へと向かった。しかし、というか、やはり事件が起こる。それは伝え聞く怪談の内容と呼応するようなものだった。


刀城言耶シリーズとしては六年ぶりの新作。
見立てによる連続殺人が起こり、それらがそれぞれに一種の密室であり、なおかつ有力な容疑者も挙げられないという、探偵小説としては王道のような設定であります。

語りのほうはすごくテンポがいい。ひとつひとつのエピソードが短めで、場面展開も早い。県警の警部が捜査の指揮を執るのだが、この人物が言耶の意見を聞きつつ現実的な見地からそれを検討していくというかたちをとっているので、読んでいてストレスがないし、物語途中での推理興味も十分。
一方でじっくりとした描写があまりないので、恐怖という点ではやや物足りないか。

事件のスケールが大きいためにあちらを立てればこちらが、となって中々、真犯人の目処が立てられず。そのまま終盤に至ると、70点にも及ぶ疑問が列挙されていく。

謎解きはスクラップ&ビルドを繰り返し、最終的に視点を変えることで全貌を見通すというもの。モダーン・ディテクティヴ・ストーリー的なロジックの意外性には堪えられないものがあるけれど、細部は先にいったん提示された仮説の中から再構成されていく分、読者の方が一足先に真相に辿り着いてしまうのは仕方がないか。
怪談の謎と現在の事件の絡ませ方といい、ミステリとしての洗練は相当なものになっているのだが、トリック一発の衝撃には欠ける。この辺りは好き嫌いはあるだろうな。

……と思っていたら結末で見事な着地が決まった。そして、あらためて作品の最初に置かれた「はじめに」の部分を見返すとなかなか読後感が深まってくるじゃないですか。
う~ん、わたしは満足です。
ところで、このカバー絵、帯を外してみてどきっとしたな。

2018-07-09

ヘレン・マクロイ「牧神の影」


1944年のノンシリーズ長編。
はじめのうちに暗号が提示されるものの展開としてはスリラー、最後になって謎解きがまとめて押し寄せてくる、といった感じの作品です。

主人公の女性が感じる不安には二つのベクトルがあって。森に棲むように思われる超自然の存在と、素性の胡散臭い人物に代表される現実的な脅威。人が欲望に囚われた末に得体の知れないものになってしまう、というのが作品のテーマのひとつではあるけれど、次元が違うものが混ぜこぜになっているようで、どうにも説得力が薄く感じられてしまった。
サスペンスが中途半端に思えるうえ、具体的な事件が起こるのも終盤、そのうえ暗号も難解とあって、なかなか読み進める気が起きなかったのが正直なところ。マクロイでこんなに苦戦したのは初めてだ。

で、解決編なんですが。
フーダニットとしてはやや緩いし、伏線にも乏しいのではないかな。一方で遠い過去に属する事柄が読み替えられる趣向はさすがマクロイ、といったところであります。
また、暗号そのものはともかく、鍵となるものとそこへ辿り着くロジックも好みですね。

丁寧に作られた作品ですが、どうも個々の要素が有機的に絡んでいないようで、すっきりとしないな(暗号小説であることそのものがフーダニットにおける誤導として生きていればよかったのだけれど)。個人的に今回はあまり合わなかったですね。
八月に出る『悪意の夜』に期待しましょう。