2022-01-29

Small Faces / Live 1966


4、5年ほど前、スモール・フェイシズのファンの間で話題になったペーパーバックがある。フランスで出たものでタイトルは「Smalls」。これには二枚のCDが付属していて、ひとつはスモール・フェイシズの未発表ライヴ音源、もう一枚にはメンバーの後年になってからのインタビューが収められている。
ライヴ音源として収録されているのは、1966年にベルギーのトウェンテイ・クラブというところで行われたものだ。くだんの小屋では日々行われる演奏を4トラックで録音する習慣があったと。それらのテープは最終的には廃棄されてしまったわけなのだが、そのうちスモール・フェイシズのものをある人物がサルヴェージしていて、「Smalls」の作者はそのコピーをもらっていたということだ(このいきさつがどれくらい本当なのかはわからないが)。

「Smalls」はアマゾンでも取り扱いがあったのだけれど、少々値が張る上に、フランス語のペーパーバックなんて読めやしない。欲しいけどなあ、と思ったまま数年が経過。すると昨年になってケニー・ジョーンズの肝入りというかたちで、そのライヴが単体で公式発売に。それが「Live 1966」というわけです。プロデューサーはこれまでもスモール・フェイシズのリイシューを手掛けてきたロブ・カイジャー、あとオーディオ・レストアにはパグワッシュにいたトシュ・フラッドがクレジットされています。
なお、スティーヴ・ホフマンのフォーラムによれば「Live 1966」のソースとなっているのは「Smalls」付属ディスクと同じデジタル・データで、それをブラッシュアップしたものではないかとのこと。


気になっていた音質は、もともとプロフェッショナルなレコーディングではないし、テープの劣化も進んでいるようで、そんなクリアとは言えないし安定もしていないが、時代を考慮すれば十分楽しめるレベルにあると思う。
そして、肝心のパフォーマンスはというと、これが極上。デッカでのファースト・アルバムに記録されていた音楽が、さらに解き放たれたような印象だ。分離の悪さが却ってバンド一丸となっているような雰囲気にも結びついている。
何よりスティーヴ・マリオットがやはり、ただものではない。そのステージの支配力は明らかだし、スタジオ・レコーディング同様、思い切りシャウトしてもピッチを外さない。ものが違う、という感じ。

例えば「Got Live If You Want It!」や「Live At Kelvin Hall」、あるいは「Rhythm And Blues At The Flamingo」なんかに匹敵するグレイトなドキュメントだと思うよ、これは。
一曲目がニューオーリーンズのR&Bヒット "Ooh Poo Pah Doo" で、ボーカルをとるのはロニー・レイン。それで盛り上げておいて二曲目からマリオットが歌う。彼らのファースト・アルバムでも、まず最初にカバー曲である “Shake” をロニー・レインが歌っていたのは、こういうステージのパターンを踏襲していたのかな。

2022-01-16

有栖川有栖「捜査線上の夕映え」


火村英生ものの新作長編。帯には「火村シリーズ、誕生30年!」とあります。ほぼリアルタイムで読んできたので、まあ、そんなものか、とは思うのだが、一方で、作品内での作家アリスはまだ三十四歳のままであることに、ちょっと驚く。今の感覚では、三十四歳にしてはずいぶん大人であるね、と。

事件は一見、地味でありふれた殺人事件。その実、複雑な時間割とそれによって成り立つ鉄壁のアリバイが立ちふさがる。さらに、死体はスーツケースに詰められていたときて(有栖川版『黒いトランク』か? と思いそうになった)、犯人の行動としても不可解なものがあり、捜査は難航。

関係者・容疑者からの聴取・尋問、捜査会議が繰り返される展開が続き、データは集まってくるものの決め手になるようなものがない。停滞により雰囲気も重くなってくる。
それが後半過ぎになって、物語が少し違うモードに入る。長年の読み手からすると、ああ、ここで何かが起こるんだな、という予感がする。そしてしばらく読み進めると案の定、しかし思いもよらない方向での事実が示されるのだ。見えない犯人ならぬ見えない関係者。火村が「泳がせる」という言葉を使ったのは、この意味で正しい。

最後にたどり着いた解決は複雑なものだ。先に真相に気付いた人間を観察することで、搦め手から細部に肉薄する。普通の謎解きミステリならそんな微妙なところまで判るものだろうか、と白けそうではある。しかし今作では、犯人の行動ひとつひとつに対して心理的な洞察がなされることで、説得力を持って読ませるものとなっていると思う。
個人的には犯人は何故そこまで危険な行動をとりえたか(446ページ)、という部分に唸りました。

物語としては臭くなりそうなところを、ギリギリのところで断ち切って綺麗な形に着地した印象。火村の「俺が名探偵の役目を果たせるかどうか、今回は怪しい」という科白の真意も、実にいい落としどころだよねえ。

2022-01-10

フィリップ・K・ディック「逆まわりの世界〔改訳版〕」


1967年長編。
作中の時代は1998年の近未来。1986年、ホバート効果によって、人間の成長は逆行し始めた。死んでしまったものが蘇り、日々若返っていき、やがて胎内へと戻る。食物を口から吐き出し、かわりにソウガム──はっきりとは書かれていないが、排泄物──を取り入れる。
主人公セバスチャンはヴァイタリウム商、葬儀屋のさかさま版のような仕事をしている。息を吹き返した死人を見つけ、墓から掘り出し、手当をしたのちに売る。彼自身も生き返った人間、老生者である。
ある夜、セバスチャンはカリスマ的な宗教指導者が復活しかけていることに気付く。しかし、その復活はある種の人々にとって歓迎できるものではなかった。かくして、その肉体の所有を巡って複数の勢力の抗争が勃発する。


キャリア後期作品を思わせるような神学、宗教的な要素も多く、それらの押し込み方にはやや強引な感じがあります。けれど、ディック独特のガジェットを交えたアクション劇で展開が動き続けるので、とりあえず読まされてしまう。
で、物語全体がファンタスティックな意匠をとりながら、最後にはひどく救いのない、生臭い所に着地する。真理などクソだ、パワーゲームや刹那の情動の前には意味をなさないという諦観が残るのだ。
ディックの内側で作家性を誠実さが上回ってしまった、と解釈することもできるけれど。

SFとしての設定は結構ガバガバだけれど、詰め込まれたアイディアとストーリーテリングの良さ、弛まないテンションで押し切ってしまえるのは、さすがは脂の乗った時期のディックではありますが。
『ユービック』への過渡期、というところでしょうか。