2023-10-28

梶龍雄「龍神池の小さな死体」


1979年長編。作品内の時代はさらに11年さかのぼります。

大学教授の仲城智一は23年前の戦時中に、幼い弟を疎開先の事故で亡くしていた。だが現在になり、病気で死を迎えようとした母親は智一に、お前の弟は殺されたのだ、と言ったのだった。

遠い過去に起きた事故が実は犯罪によるものだったのでは、という謎はクリスティっぽい。
また、事故に関わる一族は既に絶えていて、その屋敷も残っていない、というのはさすがに横溝正史の時代とは違う、という感じはします。
本筋の謎とは別に、最近のひき逃げ事件もあって、これがどう関係してくるのか。

智一は事件当時のことを知っていそうな人々に話を聞いてまわるわけなのだが、はじめは展開がゆったりしていて、なかなか調査も進まない。雰囲気ものんびりしたものだ。そのうちに自身も事件に巻き込まれ、物語に緊張感が生まれる。この辺りは定番の流れ。
中盤当たりまで来て素人探偵が登場。ここから俄然面白くなってくる。それまでの状況を整理し、隠れていた作為を明らかにするわけだが、それによってミステリとしての焦点がぐいっ、とズレる。これが素晴らしいです。思っていたのとは別のものをずっと読まされていたのかという感じ。気になるような伏線も充分あったので、一層効果が挙がっています。1979年にこれをやっていた、というのは驚きました。
最終章直前にはすべての手掛かりは出ている、と読者への挑戦めいたやりとりもあり。これもしびれます。

真相はあるモチーフを執拗に繰り返す、とても大胆なものだ。それまで事件自体は地味なものと映っていたのだけれど、解答編へ来てド派手な真の姿を明らかにする。
犯人の行動やトリックの中には明らかに不自然なものがあるし、推理にも根拠の薄い、単なる想像の部分があるのは否めないのだが、大量の伏線回収によってそれらを押し切ってしまう。
なお物語としての結末はなかなか惨く、読後感は良くないです。これが昭和だ。

トリックとプロット、双方が相当に複雑に絡み合った力作かと。

2023-10-15

ジャニス・ハレット「ポピーのためにできること」


司法弁護士タナーからふたりの実務修習生、フェミとシャーロットに資料を提供するので、それを読んで考察を行うようにという課題が出される。彼らに預けられたのは時系列に整理された、メールやメッセージ、新聞記事などからなる膨大なものだった。
果たして何についてのテキストかわからないまま(読者とともに)それらを読み進めていくうち、現代イギリスの田舎のコミュニティ、その様態が徐々に明らかになっていく。だれが力をもっていて、だれが(陰で)疎まれているか。さらに、あるゴタゴタによって、それまで明らかにされていなかった個々の問題や、隠し事の存在が浮かび上がる。


2021年にイギリスで発表された長編。文庫で700ページくらいあります。
流れをつかむまでがなかなかに大変。登場人物が多い上に、ほとんどがメールのやりとりからなり、地の文がないため省略が効いていないし、どこへ向かう物語なのかが見えてこない。とにかく水面下でトラブルの種が着実に成長しているのはわかる。全体の半分くらいからようやく展開が早くなって、一気に読みやすくなりますが。
一方、ところどころでフェミとシャーロットの間で行われたメッセージのやりとりが差しはさまれ、疑問点や推察などが挙げられていく。これによってミステリとしてのテンションが維持されてはいます。あと、好感のもてる人物が皆無なので、このパートがくるとほっとするな。

読んでいる途中で気がつくのは、ほとんど登場人物全員によるメール文が記載されているのに、ある中心人物によるものがまるまる欠落している、ということだ。古典的なミステリ、というかクリスティなら、この人物像そのものがメインの謎になってきそうだが。あるいはこの欠落している、という事実そのものに意味があるのか。
また、三人称の描写がないことより、文章からは読み取れないが当然となっている前提を想定することもできますが(たとえば人種の別とか)、さて。

作品の3分の2くらいのところで、タナー弁護士からのメモが挿入され、唐突に被害者の名が示され、その謎を解くようにという指示が。以下、50ページほどでフェミとシャーロットに与えられた資料はひとまず終わる。問題編はここまで、ということか。
これ以降はふたりによる推理のディスカッションが展開される。直接証拠がなく、主に動機に基づいたものなので、仮説はいくつも立てられる。伏線の妙や意外な盲点への気付きなどが満載で、非常に楽しいです。ただし最終的に導かれるのはこうであれば成立する、という解のようなものであり、あまり厳密なロジックとはいえません。
もっといえば、タナーにとっての真相に誘導されている感さえします。

思い返してみれば事件そのものは凄く地味で、それにしては長すぎるよね。一方で、この形式でしかできないミステリとしての創意は十分に効果を上げているかと。

2023-10-09

Dee Dee Warwick / Foolish Fool


ディー・ディー・ワーウィック、1969年にMercuryよりリリースされたセカンド・アルバム。
二年前に出されたファーストがそうであったように、それまで断続的に録音されていたものを集めたもので、シングルが当たったタイミングでそれらをまとめて出した、という感じ。

ゆえに統一感はないですが、内容はいい。全11曲中6曲は前作でも大半を手掛けていたエド・タウンゼントがプロデュース。アレンジャーはレネ・ホールで、このふたりはマーヴィン・ゲイ「Let’s Get It On」A面でもおなじみの組み合わせ。落ち着いた調子の曲が多いのだけれど、ヒットしたタイトル曲は固めのドラム、リード・ギターが妙に恰好よく、迫力あるボーカルをあおる。都会的なミディアム "Where Is The Rainbow" も爽やかで良いです。
また、ギャンブル&ハフがプロデュース、ジョー・レンゼッティがアレンジの “It’s Not Fair” はオーソドックスなスロウかと思わせていきなりの転調が印象的。

個人的に好みなのはジェリー・ロスが制作した2曲で、アレンジはジミー・ワイズナーが担当。"When Love Slips Away" はイントロからして高揚感のあるミディアム・スロウ。"Don't You Ever Give Up On Me" はすこしモータウンを意識したふしも感じられる、伸びやかなノーザンダンサー。
あとニーナ・シモンが初出となる "Don't Pay Them No Mind" は実はディー・ディー・ワーウィックのほうが先に録音していて、という。ニーナ・シモン版の方がアレンジがシンプルな分、楽曲自体のもつ魅力はダイレクトに伝わってくるのだけれど、ビブラートがどうも苦手で。いずれにしてもいい曲ではあります。

唄が凄くうまいのに、変に曲を崩したりはしない。こういうシンガーが好きなのですよ、わたしは。

2023-10-01

ロバート・シェクリー「残酷な方程式」


1971年に米国で出た短編集で、収録作品もそのあたりの時期のものが多いようです。SF雑誌に発表された作品もあれば、プレイボーイ・マガジンに載ったものもあり。せいぜい20ページぐらいの分量の作品ばかりで、読みやすい。

内容のほうは、‘50年代のアイディア・ストーリイとは違い、結末の意外性にはそれほど重きは置いておらず、過程をどのように書くか、枝葉の膨らませ方が読みどころといえそう。また、ニューウェーブSFの影響を感じられる作品が多いのですが、中にはテーマや手法のみで書かれたようなのもあって、それらは(かつては新奇さをもって受け入れられたのでしょうが)今では古びてしまっているかな。


特に印象に残ったものをいくつか。

「倍のお返し」(おそらくユダヤ人の)男のところに黒人の姿をした悪魔が訪ねてくる、三つの願いのアップデート版。メインのアイディアはちょっと変わったもの、という程度なのだけれど、人間性の書き込みで可笑しくなっている。

「コードルが玉ネギに、玉ネギがニンジンに」はSFではなく、いわゆる奇妙な味のもの。人間のもつ残酷さを描きながらユーモラスであり、あまりエスカレートさせずにほどほどのところで止めることでリアリティを持たせているのがいいですね。さらっとした幕引きも効果を上げている。ようは小説としてうまいのだな。

「記憶売り」思想狩りを扱ったディストピアものなのだが、記憶売りという商売の設定がいい。そのことで軽みがもたらされているのだと思う。

あと、「架空の相違の識別にかんする覚え書」「シェフとウェイターと客のパ・ド・トロワ」は両者ともSFではなく、まるでラテン・アメリカ文学のよう。前者は理屈っぽさ、作品世界の内と外をあいまいにするところなど実にそれっぽい。「シェフと~」の方は同じ物語を視点人物を変えて語り直す「藪の中」なのだが、現実が複数存在するとも解釈できるし、ドタバタユーモアが効いているのもいい。