2010-06-26

フィリップ・K・ディック「未来医師」

1960年発表作品、の本邦初訳であります。時間改変もの。

残り物には福が、とはいかないようで。雑誌に載った中編を版元の要望によって書き伸ばしたこの長編、作者本人があまり評価していないだけでなく、ディック評伝を手掛けた評論家は十段階で「一」としているらしい。
まあ実際読んでみても、小品といって間違いないです。

設定やテーマの掘り下げは深いものではないし、キャラクターも陰影豊かとはいえない。
ディックの傑作群に見られるような、現実認識を揺さぶる衝撃も用意されてない。
そうしたものが剥ぎ取られて、しかし残ったのはSF作家としての独特のセンスです。
どうしてこうなってしまうのか、という捻れたプロット。
奥行きのない、薄っぺらで軽く、それゆえに非常に魅力あふれる質感の世界。
でもって、抜群のストーリーテリング。後半のスピード感ある展開、あっと驚く真相はどうだろう。
タイムトラベルものとしてのまとまりも悪くないぞ、うん。

この作品でしか味わえないようなものはありません。が、純粋なエンターテイメントとして書きとばされたが却って、ファンなら評価とか関係なしにディックらしさを愛でることができるんじゃないかしら(ファンじゃないひとには勧めませんけど)。

2010-06-17

アガサ・クリスティー「秘密機関」

クリスティの第二長編、1922年作品。
トミーとタペンスものでありまして、実はこのシリーズは全く読んだことが無かったのだな。
とりあえず驚いたのが、キャラクターが元気なこと。この作品では主人公2人がまだ若い設定であり、作者自身もまだ30代はじめだったこともあってか、ポアロやマープルものにはないエネルギッシュさ。とにかく無駄口を含めてよく喋りよく動く。ちょっとクレイグ・ライスみたいですね(時代は逆だけど)。

作中、解くべき謎はあるのですが、これは謎解き小説ではなく冒険ロマンス活劇でありまして、行動とともにストーリーが動いていきます。ポアロやマープルは物語の最後の方まで考えていることを内緒にしていますが、トミーとタペンスは何度も間違えたり、危険な目に遭いながら進んでいくのですね。

ミステリとしては、主要な登場人物が限られているため、先を読もうとすればある程度は見当がつくのですが、それでもクリスティらしいツイストもあって。技術的に後年の作品ほど洗練されておらず原初的ゆえ、とても強烈なミスリードがたまりません。

設定等はかなり古めかしく、大味なところもありますが、これらは今となってはノスタルジックな味わいとなって逆に楽しかったですね。
ユーモラスでサスペンスフル。若きクリスティの手によるサービス満点の娯楽編なり。

2010-06-15

Inner Dialogue / Inner Dialogue (eponymous title)

インナー・ダイアローグの2枚のアルバムが韓国のBIG PINKというレーベルから紙ジャケでリイシューされました。ファーストは以前にCD化されたことがありましたが、セカンドの「Friend」は初。
両方ともジャケットの印刷はやや淡く、コーティングは無し。デザイン自体はアナログをそのまんま起したもののようで、リイシューレーベルの名前さえ記載されていないのが、逆にちょっと引っかかる。
ファーストには歌詞カードが付いてますが、これはアナログ付属のものを元に作られたようです(復元ではない)。また、セカンドの「Friend」にはグループの中心人物による回想記がついているのですが、これは2001年にRGFというところからファーストがCD化された際に付けられたものと、全く同じ文章でした。
肝心のCDの音のほうはまあ、特段にクリアというわけでもないが、悪くもないといったレベルでありますね。

ファーストの「Inner Dialogue」は1969年リリース、鍵盤を中心にしたちょっとジャジーな、ポップスというには商売っ気が足らず、イージーリスニングにするには癖が強い、そんなアルバムであります。フリー・デザインを引き合いに出されることもありますが、こちらの方が密室性が感じられ、ひんやりとした雰囲気がありますね。
女性二人のヴォーカルが、澄ましてるんだけれど可愛げがあって、今回聴きなおしていて、バーバラ・ガスキンを連想したりしました。

さて、今回初CD化の「Friend」(1970年)の方ですが、これはファーストとはだいぶ違いますね。
フォークロック調の曲が多くなり、アレンジは全体にドラマチックで。ファーストではしれっとしていたヴォーカルも、ここでは感情を込めて唄い上げる式のものになっております。美麗なコーラスを聴かせる曲もあるんですが、可愛さはやや減退、といったところですか。
ファーストアルバムと同じようなものを期待しなければ、中には結構出来のいい曲も入っていて、ポップスとしてはそう悪くないのですが、このグループならではの個性があまり感じられなくなったようでもあり、ちょっと残念。こちらはソフトロックマニアなひとには勧められませんねー。

2010-06-13

Robert Lester Folsom / Music And Dreams

ロバート・レスター・フォルサムが1976年にリリースした、唯一のアルバムが韓国のレーベルからリイシューされていたので購入。実際に手にしてみるまで知らなかったのだけど、これは紙ジャケCDでした。
帯には「First authorized CD reissue ~」云々とありまして。そうすると、十数年前に我が国独自にCD化されていたものは、権利をクリアしないパイレート盤だったということか、やはり。
デジタルリマスター&ボーナス2曲付きであって、古いCD持ってたひとも買い直しでしょう、これは。

改めて聴きなおすと、確かにアレンジは'70年代中期のSSW/フォークロックの流行を反映している。だけれど、印象は何だかとってもピュアで。
アコースティックギター、エレピ、シンセに素朴なボーカル。自主制作盤らしいラフさゆえ、アイディアやメロディの良さがストレートに伝わってくる。
サンシャインポップというにはあまりに曇り空なメロウさ。
AOR化したニール・ヤングという趣もあって、"See The Sky About To Rain" あたりを思わせる瞬間も。

こういう音楽は騒ぎ立てずに、時々引っ張りだしてはこっそり浸る、というのが正しい鑑賞方法のようでもありますね。

2010-06-05

麻耶雄嵩「貴族探偵」

麻耶雄嵩、五年ぶりの新刊は2001年から'09年までに雑誌に掲載された短編五つをまとめたもの。
相変わらずの寡作ぶりですが、三年くらい前から出版予告されていた長編もいよいよ今年の9月には出そうなので、凄く期待してはいます。

さて、『貴族探偵』であるけれども、この作家の例によってキャラ立ちが激しい。
今までも、推理せずとも最初から真相などお見通しなメルカトル鮎シリーズ、ワトソン役がいち早く解決にたどり着き、名探偵にさりげなくヒントを与える『名探偵 木更津悠也』があったわけだが。
『貴族探偵』は題名通り、やんごとなき身分のお方が探偵である。が、推理などという雑務を本物の貴族がすることはなく、そういった普通探偵役に期待される仕事は彼の使用人である、運転手・執事・メイドなどが行うこととなる。貴族探偵は使用人に事件を解決するように指示しておくと、自身はもっぱら優雅に紅茶などをたしなみながらソファにくつろぎ、女性を口説いたりしているのだ。

このように設定が派手目である分、ミステリとしてはオーソドックスな線を踏んだものとなっています。事件そのものはケレン味に欠けるように映るかもしれませんが、どの短編も滅茶苦茶にトリッキー。読者に、ああ、成程そういうパターンねと思わせて、さらにそれを逆手に取ったテクニックなど、本当に凄い。
また、解決のロジックもどんどん転がっていくうちに、とんでもないところに辿り着くようで、実にスリリング。
ガチガチの謎解きミステリとして、オリジナリティがある上にレベルが高いです。故・鮎哲先生の域に達しているんじゃないでしょうか。

ちょっと色物っぽいので敬遠するひともいるかも知れませんが、純粋にミステリとして素晴らしい一冊でありました。

2010-06-04

Tot Taylor and His Orchestra / Playtime

エライことにトット・テイラーの紙ジャケCDが二枚リリースされたのであるよ。
近年、彼のアルバムは軒並み廃盤状態が久しく続いていて、かつて我が国ではポップの天才と持て囃されたりしていたことが嘘のように、すっかり忘れ去られた存在となっていました。何でもかんでもリイシューされる今のご時勢ですら再評価番外地なのであろうか、それも彼らしいかな、何て思っていたわけではありますが。

だいたいがトットの音楽というのはエレポだったりオーケストラをバックにしたものだったりで、リズミックな感覚には乏しいのだ。曲の一部分を切り出しても乗れるグルーヴやフレーズ、みたいなものがないと、なかなか最近のリスナーには受けにくいのでは、という気がするのだが果たしてううん、需要あるのだろうかね。
僕にとっては昔、結構嵌まっていたミュージシャンであり、今回再発されるタイトルも持ってるんだけど。もうこの先トットにお金を落とすことも無いだろうと、そう思って購入した次第であります。

久しぶりに聴いてみると、やっぱりいいな。特に「Playtime」(1981年発表)はファースト・ソロとあって、力がこもっている。曲数も多く、他のアルバムと比べると予算も掛けられているようだ。
アルバムの名義は "and His Orchestra" となっていますが、実際にはセカンド以降全開となるシンセを使った曲も多いですね。どちらにしても演奏の芯になっているのはドラム、ベース、鍵盤、ヴォーカルであって、つまりはコンテンポラリーなポップスの線からは外れたものではないのだけれど。
個人的には、小編成で演奏されるジャジーなポップソングのキレが、才気走った感もあり素晴らしいと思います。

トット・テイラーの音楽は親しみやすいポップスでありながら、随所にプライドがビンビンに響いているようなところが感じられて、昔はこれがスノビッシュと形容されていたのだな。