2024-03-24

劉慈欣「三体」


文庫化されたのを機にわたしも手を出してみました、劉慈欣りゅうじきん(リウ・ツーシン)の『三体』。最初の日本語版が出たのは2019年ですが、中国での雑誌連載が2006年、単行本化が2008年初頭と思っていたより昔の作品ですね。
現代SFにはすっかり疎くなっているので(しかも600ページ以上あるし)、恐る恐る読み始めましたが、そんなに難しくて投げ出してしまうようなものではなかった。大層に売れただけのことはあって、しっかりエンターテイメント小説ですな。


三部構成の第一部「沈黙の春」は60ページほど。1967年、知識人への迫害が強まる文化大革命下の中国で、過酷な運命に翻弄される女性研究者の物語。最後の方で、おおう? という謎の展開がありますが、まあ、このパートは伏線というか前振り。

それから40年以上たった現在の物語が第二部「三体」。これが300ページくらい。世界中で科学者たちがさまざまなトラブルに巻き込まれ始めていて、主人公である汪淼おうびょう(ワン・ミャオ)もまた、説明が付かないような怪現象〈ゴースト・カウントダウン〉にみまわれる。これらの事件には影で大きなひとつの力が働いているらしい。
一方で汪淼は、およそ娯楽には興味のなさそうなひとりの科学者がやっていたオンラインVRゲーム、「三体」に目をつける。これはただのゲームではなさそうなのだ。明らかに相当な資金がかけられているのだが、どこの誰が作ったものかも分からない。
汪淼は現実世界で次々と起こる事件の謎に対応しながら、並行してゲーム「三体」の正体を探っていくのだった。

この第二部はスリリングな現実パートとファンタスティックなゲーム・パートが交互に展開しますが、不安を感じつつ闇の中を手探りで進むような汪淼に対して、ひたすら実務的かつ乱暴だが鋭い勘をもつ警察官、史強しきょう(シー・チアン)の存在が頼もしい。
また、ゲーム「三体」で汪淼は、ログインするたびに異なる世界へと送り込まれるのだが、それぞれのエピソードがアイディアを凝らした作中作として読めます。特に秦の始皇帝と、ニュートンやノイマンによる「人列コンピュータ」はホラSFとして抜群の破壊力であります。

果たしてVRゲーム「三体」は何のために作られたのか、また、研究者たちを襲う事件とはどう繋がるのか。
残り220ページくらいが第三部「人類の落日」で、破滅物SFのタイトルだよね、これ。陰謀を企む組織と意外な首謀者、その背景にある恐るべき事実が明らかになっていく。ここから(薄々感じていたものの)一気に話のスケールが大きくなります。
終盤近くでの実験のパートがやや難しそうに感じますが、良く読むとかなり豪快な展開で。ここへ来て炸裂し続ける奇想がたまらない。


プロットだけみると、むしろ王道というかクラシカルなSFですね。地球外生命体もそんな突飛な有り方ではないし。いや、現代においてこのデカい話を正面から書ききったことが凄いのだな。
大部ですが、ダレ場なく楽しめました。

2024-03-12

アントニイ・バークリー「最上階の殺人」


四階建てフラットの最上階に住む老婆が殺された。現場は相当に荒らされ、被害者が貯め込んでいた現金も持ち去られていた。スコットランド・ヤードのモーズビー警部はプロの犯罪者によるものとして捜査を進める。だが、偽装工作の跡を見て取った探偵小説家ロジャー・シェリンガムは、同じ建物の住人たちに疑いの目を向けるのだった。


1931年に発表された、シェリンガムが登場する長編としては七作目の作品。
とりあえず、始まりはいつもと同じような感じ。警察は事件を平凡なものとみなすが、その捜査の粗に目を付け、全ての疑問点がうまく当てはまる説をなんとか拵えようとするのが我らがシェリンガム。その割に容疑者の絞り込みは推理ではなく、印象だけで進めてしまう。この辺りは結局、警察のやり方と五十歩百歩。ただ、シェリンガムの殊更に物事をややこしくする考え方のほうが、圧倒的に楽しいのは確か。

事件はひとつしか起こらないけれど、小さな謎が積み重なっていき、あれやこれやの推理の種には事欠かない。ユーモア味たっぷりの愉快な語り口に、何だったら恋愛要素もあって、軽快に読み進めていけます。
シェリンガムは犯罪に調査を進めていくうち、ある人物に目星をつけるが、それとは反するような事実につき当たり、いったんは手詰まりに。だが、ちょっとした証言によって、それまでの推理の前提が崩れていく。ここから俄然、シリアスに。

解決編はなかなかドラマティックであって、引き込まれずにはいられません。何しろ、色々な要素が気持ちよく嵌っていく。さらに、謎解き小説としては余分であった部分が、ここへ来て機能しているのは流石。
ただ、犯人のキャラクターを考慮するとトリックは手が込みすぎではないか。そして更に言えば、余詰めへの配慮が無さ過ぎる(もっともバークリイはそんなのばかりだが)。まあ、読んでいる最中は完全に手玉に取られていましたけどね。

細部を詰めず、余白を多くとることで可能になる推理の柔軟性を駆使するバークリイのスタイル、それが非常に大きな効果を上げた作品であります。当然、凄く面白かったっす。

2024-03-03

The Grays / Ro Sham Bo


米国産パワー・ポップ・カルテット、1994年の唯一作。今年で30周年ということになるな。
このグループは、ジェリーフィッシュを抜けたジェイソン・フォークナーがソロ・デビューする前に参加した、といえば通りは良さそうである。
アルバムの方はドラマー以外の三人が曲を書き、それぞれ自作を歌っていて、誰かしらリーダーによるワンマンというものではないように見える。ただし、フォークナーは後のインタビューで、あのレコードに収められている演奏の大半は僕がやった、とも言っている。どうも彼にとっては、あまりいい経験ではなかったようだ。


そのフォークナーの曲は、既に作風が出来上がっていて、他のメンバーのものと比べ、練度ではひとつ抜けているように思います。シングルになった "Very Best Years" もいいが、ベストは骨太なメロディをもつ "Friend Of Mine" かしら。
ただ、バンド・サウンドがときにヘビーに寄るところがあり、曲によってはそれが合っていないような気がします。このひとはやっぱりソロが良かったのかも。

ジェイソン・フォークナーをグループに誘ったのがジョン・ブライオン。現在は映画音楽の制作や、他人のプロデュースなどが主な仕事だが、いまのところ一枚しか出していないソロ・アルバムが凄くいいのです。
で、そのソロ・アルバムには繊細で、メロウな手触りもあるのだけれど、ここではギター・ポップのスタイルに沿った曲を披露しています。"Same Thing" は凄くキャッチーだし、"Not Long For This World" もメロディのフックが効いている。また、ナイーヴな感じの歌声は既に独特の魅力を発揮しております。

そして3人目のソングライター/シンガーがバディ・ジャッジ。実はこのひとのキャリアが一番興味深いのだが、それは置いて。このジャッジさんの曲も、明解な "Everybody's World"、泣きの入った "Nothing" など荒々しさの中に英国ポップ風の味付けが生きていて決して悪くはないのだけれど、個性という点では一歩譲るか。


正直、飛び抜けた特長には欠けるのですが、細かいアレンジは考えられているし、楽曲自体にも良いものがあって、捨てがたい一枚です。