2025-05-18
ベンジャミン・スティーヴンソン「ぼくの家族はみんな誰かを殺してる」
2022年の豪州産ミステリ、500ページと少しある。作品の舞台もオーストラリアなのかは、 読み始めてもすぐにはわからない。
乾いたユーモアを存分に交えた一人称は、ミステリ創作指南の本を書く作家、アーネストによるものだ。プロローグにおいてアーネストは、これから語る自分の体験談がフーダニットのミステリであり、死人が複数出ることや、自分自身が信頼の置ける語り手であることをあらかじめ宣言する。強いジャンル意識の表明のようであるし、あるいは単にひねったユーモアの発露か(本書の扉にノックスの十戒が引かれていることから『陸橋殺人事件』的なスピリットと受け取るのが素直か)。
雪山の中にあるロッジにアーネストの係累が集合する。アーネストは家族から微妙にハブられていて、その理由は今回の一族の集まりとも関係しているようだ。その辺り、家族の間のさまざまな事情や、それぞれが抱えた問題は物語が進むにつれて明らかになっていく。
で、それと並行して殺人事件があるわけですけど。これが、ちょっと意外な感じで起こる。というか、ミステリとしての展開はオフビートなものであって、いかにも現代的だ。
アーネストは物語の視点人物でありながら、所々で読者に直接語りかけてくる。ミステリとしての興趣を盛り上げる面もあるが、ひとによって達者さが鼻につくかもね。
雪山の天候が悪化し続ける中、当然のようにさらなる事件が起こっていきます。家族の秘密と殺人事件の謎が混じり合って、話の行方がなかなか見えてこないのだが。
関係者を一堂に集めた中で行われるアーネストによる解決編は大・伏線回収祭りであって、異様に盛り上がる。謎解きと同時に家族の物語としての面が立ち上がってくるのも大変に素晴らしい。
もっとも、読者が推理できるようになっているのかというと、必ずしもそうではない部分はあるか。犯人確定の手続きも(実は)弱く、余詰めについての考慮がないのだが、驚きに満ちたプレゼンテーションでうまくもっていっている。
古典的な骨格のパズラーかと思ったらちょっと違いましたが、めちゃめちゃ楽しみました。
ところで第一の犯行時刻はどうやってわかったのだろう、後から説明されるのかと思ったのだけれど。わたしは何か読み飛ばしたのかしら。
2025-04-19
ポール・アルテ「あやかしの裏通り」
フランスでは2005年に発表された〈名探偵「オーウェン・バーンズ」シリーズ〉もの。わたしはポール・アルテについては早川のポケミスで出たものしか読んでいなくて、こちらのシリーズは初めてです。このオーウェン・バーンズものは、本国ではすでに長編8作(といくつかの短編)で完結していて、これはその4作目にあたるらしい。
20世紀初頭のロンドンを舞台に鬼面人を驚かす、という言葉がふさわしい怪現象が語られる。街の通りがひとつ、(そこにいた人々もろとも)まるまる消失するというのだ。屋敷が消える、というのは前例があるが。しかも一晩経ったら消えていた、というのではない。その通りから出た数分後には無くなっているのだ。
具体的な事件としては現象の目撃者の失踪、行方不明くらいしか起こっていないため、はじめはオーウェンによる捜査もいまひとつ焦点がはっきりしないのですが、話が進むにつれて次第に解決のハードルになるものが浮き彫りになっていきます。
また、通りの消失には別の不可解な現象もセットになっており、その現象が意味するところも次第に明らかになるのだが、むしろ謎としてはこちらの方がずっと凄く、逆に全てが合理的に説明されるかどうかがわからなくなってくる。
明らかにされるトリックは大がかりで、わざわざここまでやる必然性があったのか(いや、ない!)というくらいのもの。しかし、何しろ謎のほうも大きいので多少の無理は気にならないし、基本になっているアイディアそのものはとてもシンプルで理解しやすいものであります。
そして、不可能トリックだけでない、事件の真相はとても奥行きのあるものです。細部の処理が相当に大雑把なので読者が推理するのは無理と思いますが、その分、予想だにしない展開が楽しめます。
読み終えてみれば舞台設定が作品世界にぴったりで。現代的に練られたプロットと古典風の趣向が混然一体となった、愉しい作品でありました。
2025-04-05
劉慈欣「三体0 球状閃電」
〈三体〉シリーズの番外編のようなタイトルですが、中国では2004年と『三体』よりもこちらの方が発表されたのは先であって、「三体0」というのは我が国で出版される際、独自につけられたもののよう。
今作の中心にあるのは「球電」という物理現象。これは架空のものではなく、雷雨時にまれに観測されることがある、実際に存在する現象なのだが、その発生原理等、詳しい実体は分かっていないようだ。この球電現象を取りつかれたように研究を進めている青年、陳(チェン)が本作の主人公となります。彼は球電によって両親を失ったのだが、それに関連するような神秘的な体験もしていた。
この陳の研究をサポートするのがヒロイン、林雲(リン・ユン)。技術者であり軍人でもある彼女は、球電に観察される特質に兵器としての大きな可能性を見出しているのだ。
陳のひらめきに、軍のバックアップもあって球電の性質に関する研究はある程度のところまで進むのだが、やがて壁に突き当たる。そこで招へいされるのが他の研究者とは隔絶した存在──作中では超人と形容されている──丁儀(ディン・イー)です。これが作品全体の半分くらいのところ。丁儀は〈三体〉シリーズでも登場しますが、そこでの陰影のある人物とは違い、ここでは少し奇矯なところがある、いかにも天才らしいキャラクターとして描かれています。
丁儀によって球電の研究は加速がついたように一気に進められ、俄然面白くなってくる。そして、球電の本質についてとんでもない仮説が提唱されます。ここが本作の肝ですな。センス・オブ・ワンダーとは法螺話と紙一重なり。この作品の世界が〈三体〉のそれと地続きであると思い知らされるスケールの大きさ、楽しさであります。
作品の後半に入ると戦争の影響が大きくなり、雰囲気が重苦しいものに。そんな中でもアイディアはさまざまな方向へと発展していくので、読む手は止まりません。
まあ何というか、大したものだ。登場人物たちの意図を越えて展開し、なおかつエンターテイメントとして着地を決めてくる。はっきりとは書けませんが、終盤の解決からは『三体II 黒暗森林』と似たテイストを感じました。
結末はファンタジーの領域まで踏み込んだようで、好みは分かれるかもしれませんな。
2025-03-29
R・オースティン・フリーマン「ソーンダイク博士短編全集Ⅰ 歌う骨」
<クイーンの定員>にも選ばれたふたつの短編集を収録。この本は4年ほど前に読みかけていたのだけれど、半分くらいのところで放置していました。で、もう一度、頭から読み直した次第。
まずは1909年に出た第一短編集『ジョン・ソーンダイクの事件記録』から。八作品が収録されています。
ソーンダイクものの特徴として挙げられるのが作中で描かれる科学捜査のディテイルであります。今となっては古びているのだけれどハンドメイド感が楽しく、証拠写真の入っているところは読んでいてちょっとファーブル昆虫記を思い出しました。
また、その推理は専門知識に頼ったもので、読者には参加の余地があまりなく、説明される分析過程の追体験の面白さで読ませる。短編とあって仕方のないことかも知れないが、証拠が後から示されることも多いです。
ミステリとしてフーダニットやホワイダニットの興味は乏しい(ハウはあります)。また、プロットに省略を利かせることや、キャラクターをディフォルメすることで面白くする、という行き方は捨てている。警察が軽視した物証から筋の通った解決を導く流れは丁寧につくられ気持ちが良いのだが、誤導は通り一遍で、展開も実直とあって、意外性の演出への意識が薄い。自然、作風のレンジは狭いです。
面白い創意があるトリックを仕込んだ作品がいくつかあるのだが、めりはりに欠ける展開のせいで、読み物としていささか勿体ないことになっているかなあ。
そんな中で、「青いスパンコール」は謎そのものに不可解さがあり、それが解かれることによって事件の様態ががらり、と変化するもので他の作品からは際立っているかと。
この『ジョン・ソーンダイクの事件記録』に関しては「シャーロック・ホームズのライヴァルたち」の範疇かな、という感想です。
続いては1912年に出された『歌う骨』。収録作五編のうち四作品が倒叙形式で書かれたもので、残るひとつは普通のスタイルの探偵小説です。
これら倒叙ものは二部構成になっていて、前半が犯人の行動、後半にソーンダイクの捜査が描かれています。
その前半部分ではフリーマンの細部にこだわった作風が良く出ていて、犯人像が説得力を持って迫ってくる。犯行時の些細なミスも漏らさず書かれていて、ミステリとしてぐっと進歩したものになったように思う。
後半のソーンダイクの捜査は従来通りといえばそうなのだが、その進行の様子が逐一、読者にもわかるように書かれていて、いかにもフェアです。
なかでは倒叙ミステリの嚆矢とされる「オスカー・ブロドスキー事件」と、「練り上げた事前計画」が特に力がこもっているように思う。「オスカー~」での犯人の心理描写は迫力を感じさせるものだし、「練り上げた~」は題名が示すように謀殺を扱ったものだが、準備段階ではいかにも冷静で切れ者風だった犯人が、実行になると予想していなかった事態に慌て、必死にその場からは逃げ去る様が読ませる。
また「ろくでなしのロマンス」は同じ形式を採用しながら物語性にも注力した一編であります。
作者フリーマンはこちらの短編集の前書きで、これら作品の形式は捜査の過程を一層、緻密で興味深く描くことを可能にするものだ、というようなことを言っているのだが、現在からするとクライム・ストーリイとしての面白さが勝っているように思います。
2025-03-20
ジェローム・ルブリ「魔王の島」
このフランスの作家さんの長編はふたつ翻訳されているのですが、その評判はどちらも毀誉褒貶相半ばというところ。下げているほうも本気っぽいようなのをお見受けして、逆に興味をひかれた次第。まあ、読んでみなければ始まらない。
この『魔王の島』は──2019年に発表された第三長編で、母国では賞も獲得しているそうだ──「何を言ってもネタバレになる」らしく、おまけに「アンフェア」だと。面白そうではないか。
と読み始めたのだが、いきなりはじめの方にえぐい描写があって、気持ちを挫かれてしまう。
舞台はノルマンディーの孤島。第二次大戦後にそこでは大変な事件があったらしい。37年が経ち、当時より島に住み続けていた女性、シュザンヌが亡くなった。それを受けて孫娘にあたるサンドリーヌが事後処理のために島に渡る。以降、カットバックで時代を行き来しながら、祖母と孫の体験が語られる。
最初は読み進めるのに難儀しました。物語がどういう種類の展開をするのかが見当が付かない上、物語の雰囲気が暗いのだ。サンドリーヌは表立っては口に出さないが、ずっと嫌な感じがしていて早く帰りたいと思っている。
140ページを過ぎたところでようやくミステリらしい事件が起こる。ああ、なるほど、こういう話だったのかとここで合点がいきました。もっと早く気付いても良かったくらいだ、と。
ところが、そういう話にはならなかった。あれあれ、と思っているうちにファンタスティックな要素をはらみつつ、島に隠されていたおぞましい秘密が明らかになっていきます。
と、思ったのだが。章が変わり、話もがらりと変わる。確かに予想しようもない展開です。ミステリの作法から言えば大いに問題があるのだが、違うジャンルの小説なら珍しい趣向ではない。何より、作品の結末近くでこれをやられれば腹を立てるかもしれないが、まだ全体の半分にもきていないのだ。
そして、ここからは謎解きの物語が始まります。ちゃんと探偵役もいて、かなり流れが分かりやすく、テンポも良くって読みやすい。ただし、明らかになっていく事実はかなり胸糞が悪い。なおかつ、まだまだ奥がありそうであって、嫌な予感を覚えながらもぐいぐいと引っ張られ、読み続けざるを得ない。
結末は、こう来るのね、という感じ。推理できるように作られてはいませんが、構成からするとそれほど無理のある着地ではない、と思いました。額縁小説としての内側は綺麗にまとまっているのだから、これで充分ではないか。
なかなか面白かったです。陰惨なのは苦手ですけれど。同じ作者の『魔女の檻』も既に買ってあるので、そのうち読みます。 しかし『魔王~』、『魔女~』ともKindleにはなかったのだが、他社からは電子書籍が出ているのね。
(追記:後にKindle版も出ました。)
2025-02-07
平石貴樹「室蘭地球岬のフィナーレ」
昨年発表された長編で、函館を舞台にしたシリーズの最終作です。
関係者が重複した事件が断続的に三度起こるのだが、個々の事件の結びつきが見出しにくい。シリーズのこれまでの作品同様、複雑に絡み合った人間関係が背景にあり、さらに遠い過去にも何やら因縁が。
前作の後、探偵役であるジャン・ピエール青年がフランスに帰国したため、後半までは捜査小説としての趣が強い。その過程での意外な展開も楽しめますが、本書の帯の後ろでは少しその辺りを割っているので見ない方がいいかも。
警察では二つの事件についてはとりあえずの決着をつけつつも、残りのひとつに関しては捜査が行き詰まりに。そんな折、舟見警部補のもとにジャン・ピエールから手紙が送られてくる。なんと、一時的に日本に戻ってくる用事があるというのだ。
舟見から説明を受けながら現場を見て回るジャン・ピエール。新たな事実の発見などは無さそうだが、紙面にしてわずか4ページほどの間で真相に到達する。つまり、手掛かりは既に揃っていたということだ。
そうして明かされる奸計は驚きもので、読んでいて声を上げちゃいました。ひとによってはふざけるな! と腹を立てるかもしれない。しかし伏線はふんだんにあるし、それを成立させるための描写は(思い起こせば)とてもスリリングです。何より、それによって全てがひとつの流れの中に綺麗に収まってしまうのであるから、仕方ないではないか。
グレイトなハード・パズラーで、個人的には大満足です。
2025-01-25
ジャニス・ハレット「アルパートンの天使たち」
英国では2023年に出されたジャニス・ハレットの第三長編。文庫で750ページ弱と、デビュー作であった『ポピーのためにできること』より、ちょっとだけ厚い。ページの余白が多いので、実際の分量としては見かけほどでもないのですが。
今作も地の文がなく、メッセージ・アプリのログにメール文、インタビューの文字起こしや新聞記事などから構成されている。『ポピー~』にはそういったテキストに対して外枠になるやりとりがあったし、正解が用意されていることも保証されていました。しかし、今作はどういう種類の物語になるのかわからないので、やや不安ではある。
時は2021年、犯罪ドキュメンタリー作家であるアマンダという女性が、18年前に起こったカルト宗教絡みのむごたらしい事件についての本を書くことになる。その取材として、過去の関係者たちにインタビューを行うのだが、それぞれの事実認識のずれが積み重なっていく上、取材そのものを抑止するような動きがあるようで、次第に不穏な空気が高まっていく。
主人公がはっきりとした形で立てられており、本筋として事件後に行方知れずになった人物を捜索する、というのがあるので、実は『ポピー~』と比べると読みやすいです。
またテキストの集積といえど、隠し録りデータの文字起こしの部分からは動きが感じられ、説明がないことが却って迫力を生むことになっているかと。
なかなか全体像が見えてこず、お話がどこへ向かうのか、謎のうちどれだけがちゃんと説明を付けられるのか、と思いながら読んでいましたが、全体の三分の二くらいまできて、さまざまなパーツがひとつの絵に嵌りはじめる。
そして終盤には怒涛の真相解明が。この物語に無駄な部分などひとつとして無かったのだ。ここへ来て、堂々たるミステリとしての姿が立ち上がってくる。
さらに我が国の新本格を思わせる幕切れ、いやはや。
『ポピー~』には冗長な感もあったのですが、今作では地の文がない、という形式が仕掛けにしっかり結びついていて、ミステリとしての密度がかなり高い。力作ですな。
2025-01-09
有栖川有栖「砂男」
6作品が収録された短編集。文庫オリジナルの企画ですが、入っているのが単行本未収録作品ばかりとあっては見逃せない。選定のしばりから、書かれた時代がばらばらなだけでなく、江上次郎ものと火村英生ものの両シリーズが共存するという事態が発生しています。まあ、一編ずつ読むには関係はないのですが。
まず、はじめは江上二郎率いる英都大学推理小説研究会ものがふたつ。
「女か猫か」 密室内での怪事件であり、扉には封印まで施されている。謎解きのほうは軽めの印象を受けるかもしれませんが、設定を生かして困難の分割をさらりとやってのけています。また、人名の遊びなども余裕が感じられて愉しい。
「推理研VSパズル研」 日常の謎ですらない、パズル研から出された問題に推理研のメンバーたちが頭を捻る前半。この部分だけでも短編として成立はしそうなのだが、本領発揮はそこから。推理小説の謎とクイズやパズルとの違いに言及しながら、正解のない問いと格闘する遊び心に満ちた一編。
続いてノンシリーズものがひとつ。
「ミステリ作家とその弟子」 タイトル通り、ベテランのミステリ作家とその内弟子の物語。現代の風俗を反映しながらも、仕上がりは昭和のミステリっぽい。昔話や童話をミステリ作家ならどう見るか、という「推理研VSパズル研」と似た趣向の部分も面白い。
火村英生&作家アリスものがふたつ。それぞれ2004年と1997年に発表されながら、理由あって単行本には採られてこなかった作品です。今回、注釈入りでならとのことで無事、読めるようになりました。
「海より深い川」 相当にトリッキーだが、性急な書きぶりでもある。全く掴み所の無さそうな事件について、火村はアリスの部屋で説明をしているうちに解決に思い至る。
「砂男」 長編化を考えていただけあって、この作品のみ中編ほどのボリュームがある。都市伝説をとてもうまく取り込んだミステリであります。
最後はあっさりとしたテイストのもの。
「小さな謎、解きます」 商店街の中にある探偵事務所を舞台に、ちょっとした謎解きがなされる小品の連作。軽みと、薄っすらとファンタスティックな感触があるのがいいですな。
2025-01-03
「有栖川有栖に捧げる七つの謎」
若手作家7人による有栖川有栖トリビュート作品集。緩いものかと思いきや、みなさん本気。純粋にミステリ短編として力のこもったものが揃っており、かつテイストもさまざま。
青崎有吾「縄、綱、ロープ」 火村英生ものの、相当に完成度が高いパスティーシュ。知らずに読んだら有栖川有栖本人の手によるものだと思ってしまうに違いない。フーダニットとしてもクイーン的な手掛かりが採用されていて、愉しいです。
一穂ミチ「クローズド・クローズ」 火村&アリスものが続くのだが、読んでいてなんだか違和感。そうか、三人称で書かれているのだな。ちょっとわちゃわちゃした感じが、二次創作らしさがあって良いです。女子高を舞台にした盗難事件というのも、本家ではなさそうな趣向であります。文化祭の演目とのアナロジーが謎解きに落とし込まれていて、うまいですな。
織守きょうや「火村英生に捧げる怪談」 怪談とその現実的な解釈というのが、リアリストらしいキャラクターに合っています。日常の謎のものとしてアイディアを盛り込みつつ、段階的に手が込んだものになって、最後はいい塩梅の落としどころへ。
白井智之「ブラックミラー」 アリスが出てこない火村もの。タイトルがノンシリーズ長編『マジックミラー』を思わせるように、ゴリゴリのアリバイ崩し。トリックからなにからキレっキレです。
夕木春央「有栖川有栖嫌いの謎」 本書の中で唯一、二次創作にはあてはまらない短編。ユーモラスな日常の謎ですが、綺麗な伏線回収が気持ちよく、導かれる真相も意外性充分。
阿津川辰海「山伏地蔵坊の狼狽」 メタ趣向まで推理内に取り込む、凝りに凝ったフーダニット。名探偵小説そのものに対する批評にもなっているし、シリーズ二十年後の番外編としてもよくできている。
今村昌弘「型取られた死体は語る」 英都大学推理研ものだが、そこここに令和の時代が反映されている。扱われているのは疑似事件現場であり、配置された小道具の意図の確定が難しい。仮説のスクラップ&ビルドがねちっこい、推理研メンバーによるディスカッションそのものが読みどころ。
2024-12-31
アントニイ・バークリー「地下室の殺人」
とある住宅の地下室、その床下から女性の射殺体が発見される。調査にあたったモーズビー警部は、苦心の末に被害者の身元を突き止める。彼女はある学校で働いていたのだが、モーズビーは友人の小説家ロジャー・シェリンガムがそこで臨時に授業を行っていたことを思い出し、彼のもとを訪ねるのだった。
1932年長編。全10作あるロジャー・シェリンガムもののうち8作目にあたります。
シェリンガムはくだんの学校において水面下で進行していた様々な不和を察知しており、それらを使って小説を書きかけたこともあった。モーズビーはシェリンガムに被害者の名前を教えず、自身で書いた原稿を読みなおしてそれを当ててみては、と提案する。
ここで、70ページと少しある「ロジャー・シェリンガムの草稿」という章が挿入されます。ユーモアを交えながらも、(事件が起こる以前の)教師たちの人間関係や、その間で持ち上がっていた問題が明らかになっていく。
しかしよく考えると、わざわざ作中作の形式をとる必然性はないのでは。この部分の内容を最初に語っておいて、次にモーズビーらによる捜査を描けば済むだけの話ではないか。
被害者当ての趣向にしても、大して推理らしいものもなく、簡単に答えは明かされてしまうのだから。
ともかくその後、再びモーズビーによる捜査の様子がこと細かに描かれます。4分の3くらいまで物語の中心になっているのはモーズビーの活動であって、手堅い警察小説としての趣きであります。
そうして犯人の目星は付いたが、証拠がない。取り調べではったり交じりの揺さぶりをかけるが、被疑者は全くひっかかってこない。進展がなくなったことでようやくシェリンガムが本格的に動き出します。しかし、「単に一瞬頭にひらめいたことを話したにすぎな」いのに、それである関係者の重大な秘密を言い当てたりするのは、どうなのだろう。シェリンガムも作者も楽をし過ぎでは、と思わなくはない。
そのシェリンガムの推理だが想像力に基づく、といえばもっともらしいが内実はとても恣意的なものに思えるし、細部などはあいまいなままだ。犯人がいかにして被害者を地下室に連れ込んだか、をさんざん問題にした挙句にこの説明では納得はし難い。結局のところ、その推理が真相となるか否かは作者の匙加減ひとつであります。客観的に見ると、警察が目を付けた人物が実は潔白であった、という根拠は薄弱なままなのだから。
そして、この作者らしい捻りをもって物語は閉じるのですが、同時にパズルとしてのいい加減さにも駄目押しになっていて、じゃあモーズビーによる捜査に対するシビアさはなんだったのか、という気はします。
読んでいる間はそれなりに面白かったのだけれど、こじんまりしていて、バークリイ作品の中では落ちるかな、と思いました。
2024-12-01
アンソニー・ホロヴィッツ「死はすぐそばに」
探偵ホーソーンもののシリーズ5作目で、英国でも出たのは今年だそう。
これまでの作品ではすべてワトソン役であるホロヴィッツによる一人称で語られていたのだが、今作は三人称を採用、事件関係者たちの視点より物語が始まる。そこでは殺人が起こる以前、被害者が皆からいかに嫌われていたかが描かれている。
クリスティはポアロものからヘイスティングズをお役御免にすることでマンネリを回避、ミステリとしても形式の自由度を獲得したのだが、このシリーズ内からホロヴィッツを追い出すわけにはいかないだろう。次の章に入ると、それまでの文章が作中存在としてのホロヴィッツによるものであったことが明らかになる。
ホロヴィッツは出版エージェントから、ホーソーンを主人公にした作品の新しいのを書けとせっつかれていたのだが、そう都合よく事件は起こってくれない。そこで、自分と出会う前にホーソーンが解決した事件を小説化することを思いつく。ホーソーンはそのことに同意はしたものの、事件についての資料は全部まとめてではなく段階的に分けて渡し、解決は最後になるまで教えない、という。ホロヴィッツは結末がわからないまま作品を書くことになったのだ。
以降、章ごとにホロヴィッツによる作中作と現実パートが交互に語られるのだが、作品の中盤あたりでホロヴィッツによってミステリとしてはあるまじき行為がなされる。果たして物語はどう決着をつけるのか。
謎解きは伏線回収のつるべ打ち、といった感じのキレキレのもので読み応えがあります。いつもながら、本当にうまい。
ただ、この作品に関しては(はっきりとは書きませんが)ある難しい趣向を扱っていることが明らかになります。そのせいか、次第にホーソーンの推理にも想像に過ぎないところが増えていき、全体としての説得力が弱い印象を受けてしまう。
本書の中でホロヴィッツが密室ミステリを批判するのに「犯人たちはあまりに手ぎわがよく、ときとして人間離れしているほどだ」と語っているのだが、その言葉はこの作品自体の犯人像のほのめかしだったのかも。
それでも、真相を宙吊りにするような最後の展開は豪いもので、奇妙な非現実感すら漂っている。その直前までクリスティかと思って読んでいたら何だこれは、というね。ひとによってはやりすぎと感じるかもしれませんが。
結構な意欲作だと思います。プロット上のツイストも効いていて、読んでいる最中の面白さはシリーズでも上位でしょう。
2024-11-09
孫沁文「厳冬之棺」
昨年邦訳された華文ミステリで、本国では2018年に発表されたもの。著者である孫沁文(スン・チンウェン)は2008年にデビューして以来、密室ものの短編を多数発表してきたそうですが、長編としてはこれが第一作ということ。
いわく因縁のある一族の中で連続して起こる密室殺人が扱われているのだけれど、人名以外は翻訳ものを読んでいるという感じがあまりしない。人工性が非常に強く、懐かしの新本格テイストもありますが、犯人の期待通りに物事が全て運ぶようなところなど、戦後すぐの探偵小説のよう。また名探偵のキャラクターなどは作り過ぎで、とても真面目には受け入れがたいのだが、これはわたしが年寄りだからかもしれない。
ひとつひとつの密室はそれぞれ捻った状況が興味を引くもので、創意が感じられます。この辺りは流石、密室物のエキスパートというところでしょうか。
謎解きは意外にちゃんとしている、と思いました。都合の良すぎるところは多いのだけれど、無視できないほどの穴に関しては後からフォローが入ります。これを後出しではなく、きちんと手順を踏むように構成できればもっと説得力あるものになると思うのだが。配慮があるにも関わらず、損をしている感を受けるのです。
しかし、探偵役が最終的な真相に気付くきっかけに関しては、面白い伏線こそあれども読者に推理できるようには作られていないよね。
なお、肝心の密室トリックはというと、これは実現性の疑わしいものばかりだけれど、リアリティのレベルを段階的に下げながら開陳されているので、受け入れやすくなっていると思います。何よりスケールの大きさ、独創性が素晴らしい。
粗は目立つのですが、それを補って余りある豪快なアイディアが愉しい作品でした。なんだか華もありますしね。
2024-10-26
ジョエル・タウンズリー・ロジャーズ「止まった時計」
昨年に短編集が出たのに続き、国書刊行会から全三巻の「ジョエル・タウンズリー・ロジャーズ・コレクション」が年一冊の予定で出されるそうで、これはその第一弾。
1958年に発表された、ロジャーズ最後の長編です。
物語の冒頭で既に事件は起こっている。元女優、ニーナは自宅で何者かに襲われて瀕死の状態にある。そして、そこに至るまでの出来事が多視点より語られる。
ニーナは何度も結婚を繰り返しており、その相手たちとの出会いと別れ、彼ら自身の現在の生活と妄執が明らかになっていく。元の夫たちはみな、かつて社会的に高い層に属していたのだが、凋落を経て今では日々の金繰りにも汲々としているようだ。
本作でも同作者の『赤い右手』と同じように、改行しただけで時系列が飛躍する語りが採用されている。事実なのか想像なのか判別しづらいエピソードが堆積していくうちに、話の流れはつかめてくる。
ただ、『赤い右手』は長編としてはコンパクトであったのに対し、本書はハードカバーで400ページ強の分量がある。その前半は登場人物たちの波乱に満ちた来歴が主であって、ミステリを読んでいるという感じが希薄なのだ。独特の叙述もあって正直、疲れてくる。
しかし中盤あたりから、物語は異様な展開を始める。細部にまで因果性を求めるミステリの作劇からは外れ、ちょっとなさそうな偶然の連鎖が、むしろ必然のように立ち現れる。登場人物たちはそれぞれの役割を果たすよう見えざる手によって導かれ、一気にドラマが動き出す。
そうした末、いきなりのタイミングで明らかになる真相。伏線の数々が一気に回収され、一見、無駄な描写と思われた細部にも意味があったことがわかるのだ。この辺り、ちゃんとしすぎていて逆に驚いた。
さらに終盤に近付くにつれ、作品内の時間の流れる早さまでが奇妙なものになっていく。あたかも求められる結末を実現するために。
なんだか凄い作品であります。プロット上、不必要に見える部分は残るし、とても自分勝手な理屈に基づいて書かれたように思える。ミステリには「狂人の論理」を扱ったものがあるけれど、ここでは作者のロジックが奇妙なのだ。
だからこそ、面白かった。
2024-10-06
エラリー・クイーン「Zの悲劇【新訳版】」
2年ぶりとなる創元推理文庫からのクイーン新訳はドルリー・レーンものの第三作であります。角川文庫版が出てからは13年ですな。
前年(1932年)に発表された『Xの悲劇』、『Yの悲劇』が芝居がかった道具立てのなかで繰り広げられる絢爛としたパズルであったのに対して、今作では冤罪を晴らす、というのがお話の中心であるせいか、ドラマの構築に重心がかかっているような印象を受けます。
プロットの重苦しさを緩和するように若く活発な女性の一人称でこの作品は語られます。レーン自身が事件に関係し始めるのは物語の中盤あたりであって、その分、シリーズの前二作と比べると推理の密度が落ちる感は否めません。
レーンが捜査に参加してすぐ、冤罪であることは明らかにされます。ただし、証拠はない。他ならぬレーン自身のミスによって、それを証明する手立ても無効化してしまう。作品世界内では前作『Yの悲劇』から10年が経過していて、さすがのレーンも衰えたか、そう以前は思っていたのですが、今は考えが少し変わってきました。そう単純ではないかも、と。
第一作の『Xの悲劇』の時点で既にレーンの事件への関与・影響が始まっていたことを考えると、故意という可能性も捨てきれない。レーンと作者クイーンが共犯関係にあって、レーンが事態に働きかけることで作品が成立しているわけで。麻耶雄嵩みたいですけど。
クライマックスの消去法による推理には、厳密に言えば穴がないわけではない。けれど、それを指摘するのは小説に一度も出てこない人物を容疑者にするようなもので、個人的にはさほど気にならない。とんでもない迫力をもつ推理で押し切ってくれる。
しかし、この結末はどうだろう。本来は冤罪から老人を救うことが目的であって、フーダニットとしての解決はあくまでその手段であったはずなのに。見事に手段と目的が顛倒していて、それが素晴らしい。
誰も救わなかったようにみえる解決、だが満足した人物がひとりいるのではないか。
ところで、今回読んでいて初めて疑問をもった箇所があって。第一章の終わりから二番目の段落でペイシェンスが、一日早くリーズに出発してフォーセット医師に会っていたら「のちになってあれほど悩まされた謎も、あっさり解けていただろうに」と言っているのだが、これはどの謎を指しているのだろう?
2024-09-16
カーター・ディクスン「五つの箱の死」
テーブルを囲んで座っていた4人はみな、意識を失っていた。3人は毒物を飲まされ、あとのひとりは刺殺されていた。さらに事件後、現場の建物には監視がついていたにもかかわらず、重要な関係者がひとり、姿をくらましてしまう。また調査の結果、毒物は4人の使ったタンブラーやグラスより発見された。しかし、誰にも毒を投入する機会はなかったようなのだ。
一方、被害者が弁護士事務所に預けていた五つの箱、その中身が盗難にあっていた。それらの箱には犯罪の証拠が入っていたというのだが。
1938年、ヘンリー・メルヴェール卿ものの長編。「ユダの窓」が出された年でもあり、脂の乗ったカーが堪能できます。派手な導入から展開が停滞することなく、ぐいぐい進んでいく。
不可解に見えた殺人現場の謎には実は穴があって、中盤あたりから底が割れてくるのだけれど、次々に新たな事件が起こって興味をつないでいきます。
とにかく読者を退屈させないのですが、謎がいくつも後から出てくるため、肝心の殺人事件についての調査がややおざなりに感じられるほど。
真相のほうはきわどい線を狙った意欲的なもの。難があるとすれば犯人と指摘された人物の存在感がまったく無かったため、真相判明に伴うはずの衝撃が肩透かしのようになっているということ。もっともHM卿によるロジックはしっかりしたもので、伏線の妙を堪能できます。
また、毒のトリックは今となっては古典的な手段ですが、この時代には新たな創意だったのかも。その可能性を気取らせないためにある描写が省略されていたこともわかります。この辺りの苦心が逆に楽しい。何より、そのトリックが犯人の絞り込みに直結しているところが素晴らしい。
山口雅也氏の煽り文句のせいで、きわものではないかと読む前は却って腰が引けていたのです。正直カタルシスには乏しいですが、細部までよく考えられた作品であって、楽しめました。
2024-09-05
平石貴樹「葛登志岬の雁よ、雁たちよ」
2021年発表、函館周辺を舞台にした、フランス人青年ジャン・ピエールが探偵役を務めるシリーズの三作目。
前二作と同様、死体が複数転がりますが、今作では個々の事件の関連を主張するように、それぞれの死体の額に同じかたちの傷が付けられているのです。さらに、犯行のひとつが行われたのは準・不可能状況といえそうな場所であります。
また、それらとは別に二十年ほど前のものと思われる白骨体が発見されていて、果たしてこれは本筋にどう繋がってくるのか。とりあえず謎には事欠かない。
取っ掛かりの事件については、ある程度ミステリを読んできたひとなら、大雑把な当たりは付けられるかも。ただ、それと他の事件との結びつきを見出すのはそう簡単ではない。個々の物証にこだわっていても、全体像はなかなか見えてこない。過去に根をもつ人間関係のややこしさが現在の事件のありように反映されているようなのだ。
ようやく周辺的な事実が判明し、さてこれがどう……そう思ったタイミングでジャン・ピエールが絵解きを始めてしまった。
冴えたロジックにより動機が導かれ、並行して事件の流れが再構築されていく。その過程で浮かび上がってくる、さりげなく配置されていた伏線の数々が凄く鮮やかであります。何度も唸っちゃった。
そして謎が解かれることで、ある人間像(といっていいのか)が立ち昇ってくる。これはずーんと来ますね。
みっちりとしたパズラーを堪能しました。抜群。
2024-08-19
有栖川有栖「日本扇の謎」
舞鶴市にある浜辺で座り込んでいた男は記憶を失っていた。身元を明らかにするものはなく、所持していたのは富士が描かれた扇のみ。やがて、身内だという人物が名乗り出て、彼は自宅へと引き取られていった。
半月後、記憶をなくしたままの彼の周りで密室殺人事件が発生。同時に彼自身も姿を消してしまう。
二年ぶりとなる作家アリスものの新作。
殺人事件は内部事情に通じたものの犯行である可能性が高いように見える。当然、失踪した青年には強い嫌疑がかけられます。それとは別に密室の謎や、警備システムが作動している屋敷内から青年がどうやって姿を消すことができたのか、という問題が立ちふさがります。
関係者たちへの聴取が繰り返されるが、事件の本質へつながるような線がさっぱり見えてこない。
やがて、20年ほど昔に起きた事故が明らかになる。それが直接に、現在の事件と関わってくるとは考えにくいが、ミステリ小説なので全く無関係なエピソードということはないのだろうな。
殺人事件に付随した密室、人間消失などは物語の進行とともに、ひとまずは現実的なレベルで解釈されていきます。あるものはあっけなく、あるいはシャーロック・ホームズ流の「ありえないものを排除していった結果、残されたもの」として。
そうした後も依然として強固なのはフーダニットとしての謎。誰にもアリバイはないし、動機すら浮かんでこない。
「私はこれから辻褄を合わせていきます」
ミステリにおいては確固とした証拠もなく、演繹的ではない推理は悪くするとご都合主義的な印象を与えてしまうことがある。そのことを十分に承知したうえで、仮説が語られていく。特徴的なのは判る部分からパズルを潰していくうちに、過程で保留にしていた箇所もいつのまにか確定していく、という手法で。そういえば、作品前半部分で数独(ナンプレ)について触れたところがあったが、この謎解きを暗示していたのね。
推理によって事件の見え方が一変し、謎の本質が明らかになる瞬間が実に鮮やかであります。わかってみればオーソドックスなミステリなのだが、こちらの先入観を操るのが巧いのだ。
ドラマをしっかりと書き込みながら、ウェットになり過ぎない結末も好ましい。うん、面白かったです。
2024-07-22
ジョン・ディクスン・カー「悪魔のひじの家」
カーの作家キャリアでも終盤にあたる1965年に発表された、ギデオン・フェル博士もの長編。
幽霊が出るという屋敷、そこで起こる密室事件という設定で、大筋で見ればあまり新奇なところもない、手慣れたものと言えましょうか。訳ありのヒロインがひとりで苦悩しては、主人公の男を遠ざけようとするとする、うざいやりとりも何度読んできたことか。
今作での幽霊は何度も目撃され、屋敷の鍵のかかったドアや窓からも出入りする。さらに、この幽霊は住人たちを怯えさせるだけでなく、物理的な実態も備えているようで、拳銃を使ったりもします。
事態が深刻になるのが文庫で200ページ近くになってからで、それまでも事件は起こっているのだが、大きな被害が出ていないため警察への通報には至らず。関係者たちの本心を隠したような謎めかしたやり取りばかりを読まされ、ちょっと疲れてくる。
また、舞台となる屋敷のつくりがわかりにくい。通路の右側には、とか左にはとか書かれていても、そもそも人物がどちらを向いているのかが知る由もないため、理解するのにいちいち手間取る。図面を付けると都合が悪いことでもあるのだろうか。それ以外にも、科白が説明的すぎて、わざとらしいところが目立ち、歳をとって小説が下手になったのでは、と思ってしまう。
メインとなる事件が起こると、別件で呼ばれていたというフェル博士がすぐに登場。そこからようやく、状況が少しずつ整理されていきます。
真相は相当に意外なものであります。最初の襲撃がまるごと誤導のためにある、という趣向は凄い。もっとも、それを実現するための手段はあこぎなもので、人によっては許容できないだろう。
ともかく、説明されてみれば無駄に感じられた饒舌のなかに手掛かりが隠されていたことがわかります。あからさまな伏線もあって、それを巡る推理も面白い。 その一方で証拠は弱いし、密室トリックはたまたま成立した、という類のものであって、納得感は薄いな。
解決編は面白く読めますが、そこへ辿り着くまでの文章に締りがない、という感想です。とはいえ、真っ向勝負のミステリではあります。
2024-07-15
劉慈欣「三体Ⅲ 死神永生」
三部作の完結編であります。帯には「三体vs地球 最終決戦が始まる!」の文字。どうしたの、第二部の最後で地球と三体世界は仲良くなったんじゃなかったの、とも思いますが。こうしないと話が続かないね。
今作は導入からして前二作とは少し変わっています。『時の外の過去』からの抜粋という文章が置かれており、その中で「以下に語る出来事は、過去に起きたことではなく、いま現在起きていることでも、未来に起きることでもない」とあって、なんだかメタフィクションっぽい。この、物語の外側から書かれた文章は、後にもたびたび注釈パートとして入ってきます。
作中時代はいったん、第二部のはじめの頃に戻ります。対・三体世界として面壁作戦と同時に展開されていた計画があったというのです。その中心にいたのが女性の研究者、程心(チェン・シン)。今作では彼女の視点から、三体世界との関係とそれに伴う地球の変化が語られます。くわしくは言いませんが、地球全体が再びすさまじい災禍に見舞われるのです。ところがその物語は上巻の後半で突然、終わってしまう、そう見える。
地球は相変わらず危機にあるのだけれど、お話はもはや三体世界と関係ないところへ行ってしまう。そして、後半へいくにつれてSFとしての純度もどんどんあがっていく。特に宇宙空間へ舞台を移すことで、制限がなくなったようにスケールの大きなアイディアが炸裂していきます。
なお、程心のキャラクターがあまり能動的なものではないので、途中までは乗りにくいかもしれません。作品の規模が途轍もなく大きくなったため、個人の行動を中心に話を進めることが難しくなり、視点人物には事象の観察者としての役割が大きくなってしまうのも仕方ないところでしょう。
あまりなほどに広がっていく光景に、下巻後半にはもう展開を見守るばかり。いわゆるワイドスクリーン・バロックです。かと言って、まとまりを欠いているわけでもない。とりわけ、途中で落ちていったと思われた要素が忘れた頃に重要なキーとして蘇ってくると、ぐっと来ますな。
そして最後には煙に巻くこともなく、しっかりとした結末へ。メタフィクションではなかった。
三部作中でも特にSFでした。いや、凄いものを読ませていただきました。
2024-06-16
笹沢左保「他殺岬」
フリーのルポライターである天地昌二朗、その息子が誘拐される。犯人は電話で身元を名乗った上で天地に、お前の書いた記事のせいで自分の妻は自殺したのだ、その復讐のために五日後、お前の子供を処刑する、それまで苦しむがいい、と告げる。
営利目的でもなければ警察に捕まることも恐れていない誘拐。息子の命を助けるために天地が取った行動は、犯人の妻の死は自分のせいではなく、実は他殺であると証明することであった。
1976年長編。誘拐物でありタイムリミット・サスペンスでもあり、なおかつ本筋はフーダニットであります。
主人公の天地は件の事件を他殺と仮定し、その容疑者をリストアップ。事件当時の行動を洗い出し、不審なところがないかを調査。それとは別に、天地の息子が通っていた保育園で起こった殺人事件もあって、それがどう絡んでくるのか。
状況が状況だけに天地は、深夜帯以外はノンストップで調査を続ける。また、この作品はほぼ天地の行動のみを追って書かれているので、話が一切、脇に逸れることなく、ぐいぐい進んでいく。
また、容疑者のアリバイ崩しの過程で、それとは別に真相へつながる伏線を仕込んでいくという丁寧設計であり、頭から尻尾まで捨てる所が無い。
なお、推理の転換点がいくつかあるのだが、そのきっかけとなるのは些細な違和感であって、そこから仮説を立てるとうまい具合に裏付けが見つかるという具合で、やや都合が良すぎるのは否めない。ただ、この作品のもつスピード感にはそれが合っていると思う。
登場人物が限られていることもあって、読みなれていれば真犯人の見当をつけることはできるかも。けれど、この作品ではそこからさらにもう一歩展開があります。
とにかくアイディアの量と、型にはまらないプロットの意外性が素晴らしい。話が出来過ぎているところも目立ちますが、人工性の強さは作者の持ち味でもあろう。面白かったです。
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