2014-11-30

ジョエル・タウンズリー・ロジャーズ「赤い右手」


際物だと思っていたので今まで読まずにきた作品ですが、文庫化ということで手を出してみました。1945年の作品ということですね。エラリー・クイーンだと『フォックス家の殺人』の時代だ。

中心となるのは異様な外見を持つヒッチハイカーによる強盗殺人である。
事件についてはある登場人物の一人称により、何度も時系列を行ったり来たりしながら断片的に語られていくのだが、その語りが何かしらおかしい。信頼できない語り手であるというだけではなく、明らかに神の視点が混じっている。また、思わせぶりな描写が凄く多くて、そのどれもが伏線に見えてしまい、いちいち引っかかる。
一体どういう風に決着はつくのか、見当がつかないまま、熱を感じさせる文章によってぐいぐい読まされていきます。

ミステリとしては相当無茶なつくりだ。充分に手掛かりが用意されているとはいえ、それを作品全体を覆う混沌とした雰囲気が隠してしまっている。
あと、誤導がえげつないな。いくらなんでもそれはないだろう、というような。

うん、なんていうか、すれっからしの読者向けでしょうね。
懐かしの新本格みたいで面白かった、それも抜群に。

2014-11-24

アガサ・クリスティー「愛の探偵たち」


しかし、凄いタイトルだな。いい歳のおっさんとしては、こっ恥ずかしい。
オムニバス短編集で、1948年のノンシリーズ中編「三匹の盲目のねずみ」と七つの短編を収録。


「三匹の盲目のねずみ」 元々はラジオドラマとして書かれたものを小説化した作品だそう。そのせいか内面描写は控えめで、テンポ良く進んでいく。雪に閉ざされた山荘が舞台で、かつマザー・グースものですが、舞台設定やキャラクターには時代に合わせたアレンジが感じられます。ミステリとしては雰囲気の醸成がうまいのだけれど、伏線は少なめ。わかりやすいツイストを伴ったスリラー、というところでしょうか。

続いて、'40年代前半に発表されたジェーン・マープルもの。
「奇妙な冗談」 ストランド誌に発表したものとしては最後の短編だそう。財産の変わった隠し方、いってみればそれだけなんですが。お話のもって行き方はいかにも手馴れている。
「昔ながらの殺人事件」 オーソドックスなフーダニットなのだけれど、どうもこの作品ではそこに主眼はないような気もする。というのも、原題がそのまま真相を示しているのだ。解決編で浮かび上がってくる犯行シーンは印象的なものであって、そこを書きたかったのでは。
「申し分のないメイド」 ちょっとシャーロック・ホームズ譚を思わせる(タイトルもそうかな)、手の込んだ犯罪。気の利いた誤導があるのだけれど、それほど効果が上がっていないようでもある。それにしてもマープルは勘が良すぎ。
「管理人事件」 作中作による犯人当て、という趣向。でも、それだけかも。手掛かりも弱い。
四作とも凄く読みやすいし、そこそこは面白いんですが、謎解きの興趣はやや薄め。

次は'20年代後半に発表されたエルキュール・ポアロものがふたつ。
「四階のフラット」 導入が魅力的。細かい伏線もあって、読み終えてみればしっかり計算された作品だということがわかります。
「ジョニー・ウェイバリーの冒険」 予告状を何度も出した上での誘拐。意外な犯罪計画が楽しいし、ヘイスティングズも出てきます。
どちらの作品も第一短編集『ポアロ登場』に収められたものと比べると出来が良いですね。

最後は'26年に発表されたハーリ・クィンものです。
「愛の探偵たち」 この作品の設定は後のある長編でも使われていますね。クィンものとしてはファンタスティックな味はあまりない、手堅いミステリになっています。
並べて読むと、短編として一番まとまりがいいのがこれかな。


全体にひどいものはないけれど、突出したものもない、という感じの一冊でした。
ただ、短編集『火曜クラブ』を除くとマープルが登場する短編というのは七つしかないので、そのうち四作が読めるのは貴重かと。
いずれにしてもファン向けでしょうか。

2014-11-17

麻耶雄嵩「化石少女」


私立ペルム学園の二年生、神舞まりあは二人しかいない古生物部の部長だ。普段は山奥から掘り出してきた化石を弄り回している彼女は、学園内では変人として知られている。そんなまりあが何故か探偵役となって推理を開陳していく連作短編集。


良家の子女が多く集うというペルム学園には独特というか妙な気風があって、まりあのキャラクターも強烈。そういったちょっと浮世離れしたような設定に、全体に明るく軽いタッチでお話は進んでいきますが、ミステリとしてはこの作者らしいガチガチの本格であります。

その、まりあの推理というのは、一見すると普通の事件に手の込んだトリックが使われた可能性を見出していくというもの。仮に犯人は捕まっていても、それとは別の真相があると主張するわけ。
ただし、普通のミステリならまりあの超絶推理で事件は解決、というところなのですが、古生物部唯一の後輩である桑島彰がそれを否定、まりあをこてんぱんにして終了、という展開が繰り返されます。なんと、それぞれの短編が終わった時点では、まだ事件は解決していないのです。
また、彰がまりあの推理を批判する際、その穴や齟齬を指摘するより、むしろ現実性や蓋然性の低さを突いてくるわけであって。この辺り、やたらにトリッキーなミステリを描いた上で、それを小馬鹿にしているようでもあるかな。

そして六つの事件が終わり、エピローグに入ると、隠されていた事実が明かされます。これまでにも使われたことがあるような趣向なのでさほどの衝撃ではないのですが、その分、今回はとてもスマートな仕上がり。

麻耶雄嵩にしてはそれほど捻じれてもいないし底意地が悪くもありませんが、それでも推理の妙は堪能できるし、充分に変な作品でありました。
あと、読み進めていくうちに気付いたのは、すべてのトリックがあるひとつの原理のバリエーションからなっている、ということ。これは何気に凄いことでは。

2014-11-15

George Harrison / Dark Horse


「Dark Horse」(1974年)のリマスター盤、日米アマゾンのカスタマー・レヴューではあまり評判がよろしくないようだ。実際に古いCDの方がいいのだろうか。ちょっと聴き比べてみたのだけれど、なるほど旧盤のほうがクリアで、分離が良いですね。
今回のアップル・ボックス、全般に中低域がしっかりと出ているようであって。「Dark Horse」でもドラムの迫力は向上している。ただしその分、上ものがやや引っ込んだ印象かな。
にもかかわらず、個人的にはリマスター盤のほうが落ち着いて聴けるんだよなあ。どっちのマスタリングが良い・悪いの話ではなくて、好みの問題なんだけれど。比較すると旧盤はひとつひとつの音が軽い気がするのね。


この「Dark Horse」というアルバムは、飛び抜けたような曲はないものの、逆につまらないものも見当たらず、全体に結構いい曲が揃っている、という感じがします。
サウンド面ではソウル色がぐっと強くなっていて。それに最も貢献しているのはトム・スコットによるホーン・アレンジ。また、4曲で参加しているビリー・プレストンの鍵盤も印象的であります。

よく言われるように、ジョージの歌声が荒れているのは確かで。シングルになった "Ding Dong, Ding Dong" なんか、明らかにきらびやかなサウンドとは合っていない。また、"Simply Shady" や "Bye Bye, Love" ではキーの高いボーカルが線が細いを通り越し、なんだかケロケロしていて、もしかしてテープスピードを操作してピッチを上げているんじゃないかしら。"Simply Shady" などエディ・ヒントンあたりに合いそうな南部風の佳曲なんだけれど。
しかし、逆にそのしゃがれた声がロック的な荒々しさに結びついていて、格好良く感じられる瞬間もあります。タイトル曲なんかちょっとボブ・ディランっぽいじゃありませんか。

ロニー・ウッドとの共作である "Far East Man" が一番出来がいい、と書いてしまうと、他のジョージがひとりで作った曲はどうなるんだ、という気もしますが。都会的なソウル色とさわやかな雰囲気がなんとも、たまらないですな。

2014-11-04

有栖川有栖「怪しい店」


作家アリスものの新刊は、さまざまな店をテーマにした五作品を収めた短編集。すべてが今年発表された作品なので、短編集だけれど本当に最新という感じ。
装丁がいいですね。背表紙や見返しにも薄く模様があって、細やかさが感じられる仕事です。


「古物の魔」 骨董店を舞台にしたフーダニット。90ページほどあって、これが一番長い。
事件そのものは地味で、いかにも取っ掛かりがないように見えるのだが、不可解な点を洗い出し、そこから意外な動機を浮かび上がらせる手際はいつもながら巧い。誤導や伏線も実に大胆だ。

「燈火堂の奇禍」 古書店の主人が頭を打って意識不明になったのだが、実際には何が起こっていたのか。些細な手掛かりから想像を広げていく小品。古書店というシチュエーションが絶妙ですな。

「ショーウィンドウを砕く」 倒叙もの。あえて策を弄さずに行われた犯罪だが、意表をついた手掛かりと、細かな伏線が綺麗に収まっていく解決がお見事。

「潮騒理髪店」 いい題名だ。題名が良い小説は中身も良いに決まっている。旅先で火村准教授が出会った謎と、ありえたかもしれない解答。
光景の持つ意味、その変化が鮮やかなのだけれど、あえて読者が先に気付けるように書かれているのも、小説としてのかたちの良さを優先させたからでは。

「怪しい店」 他人の悩みを聞く「聴き屋」、その女主人が殺される。これは80ページ近くあって、捜査が進むうちに被害者の人間性が見えてくる過程が読ませる。
謎解きのほうは、小さな矛盾からある前提をひっくり返すというもので、実に正統派なロジックが楽しめます。


昨年に出た同シリーズの『菩提樹荘の殺人』が全体的に緩いような気がしたので、読む前はどうだろうかと思っていたのだけれど。今回は無駄なところが少なく、締まった仕上がりの作品が揃っています。「店」というテーマを設けながら、ミステリとしてのバラエティも感じられるのも良いですな。
派手な趣向こそありませんが、丁寧でしっかりと作られた短編集でした。

2014-11-02

フラン・オブライエン「スウィム・トゥー・バーズにて」


「申し分なき小説は紛うかたなき紛い物でなくてはならず、読者は随意にほどほどの信頼をそれに寄せればよいのである」
伯父のすねをかじりながら、ほとんどの時間をベッドの中で過ごしている、大学生の「ぼく」。彼が執筆している物語、その登場人物のトレリスもまた小説家であり、自分の創作した人物たちを自分と同じホテルに住まわせ、その行動を監視していた。だが、トレリスの作中人物たちはやがて、作者の支配から逃れようとして・・・・・・。

1939年発表作。章立てというものがなく、のらくらとした大学生の日常と、彼の手による創作物、さらにはその中で語られる虚構、これらが一見すると脈絡ない具合に並列して進んでいきます。そして、その作中作部分では、饒舌で熱を帯びた語りがこちらをぐいぐいと引っ張っていく。アイルランドの英雄譚、カウボーイ、悪魔に妖精など多ジャンルにまたがった要素もただただ面白さに奉仕するために存在しているようだ。このお話がどこへ向かうのか、読み進めていても一向に見当がつかなくて、それにもわくわくさせられる。
一方で、作中現実での語り手である「ぼく」は、仲間内で益体もない会話に熱中しながら、家庭ではごくつぶしとして扱われる。妙にリアリティがある「ぼく」より作中作のキャラクターのほうがずっと生き生きとしていて、その対比もいとおかし。

メタフィクションの古典なのだろうけれど、そんな形式にはこれっぽっちもとらわれていないような出鱈目っぷりが素晴らしい。特に後半の展開は書きようによってはSFにもなりそうだ。
何ら教訓や深遠なる洞察もないし、結末もなんだかはっきりしない。しかし、そんなことは問題にならないほど、ほら話の愉しさに満ちた一冊でありました。