2022-12-30

Astrud Gilberto / September 17, 1969


1969年、アストラッド・ジルベルトのVerveからは最後となったアルバムです、たぶん。日本で制作され日本語で歌ったアルバムが日本のヴァーヴからのみ発売されていて、そちらのほうがレコーディングは先であったが、もしやリリースは後かもしれません。

制作はニューヨーク。アレンジャーはアル・ゴーゴーニですから、ところどころジャズっぽい味付けはありますが、まあ品の良いポップス。ゴーゴーニはフォーキーなポップスを得意としたソングライターでセッション・ギタリストでもあったわけですが、ここではアレンジのみを担当しているようです。


取り上げているマテリアルは例によって英米の知られた曲のカヴァーが多いですが、特にオープナーであるシカゴの "Beginnings" が出色。この一曲によってアルバムが耳当たりの良いポップソング集にとどまらない、特別なものになっているように思います。
アレンジそのものはシカゴのオリジナルとそうは変わらないものの、パーカッションを入れリズムにラテン的なニュアンスを加えることで曲に切迫感が生まれています。さらに管がこちらのほうがずっと良い。きっちりとしたプロダクションの結果、爽やかかつ、スケールの大きな何かが始まるような雰囲気を持ち、とても恰好いい出来栄え。

アナログA面に当たる前半がややエッジを利かせたようなアレンジのものが多く、それに対して後半はもう少し落ち着いた感触の曲が並んでいて、アストラッド・ジルベルトの頼りない歌声との相性は後半の方が良いかと。中ではマーゴ・ガーヤンの "Think Of Rain" が個性がぴったりとはまった仕上がりのサンシャイン・ポップで、好みです。

基本、このひとの曲は歌手としては何の期待もせず聴くので、うまくいっているものがあると得したような気分になりますね。

2022-12-03

Roy Wood / Mustard


ロイ・ウッド、1975年リリースのセカンド・ソロ・アルバム。これもなんともいえないジャケットですな。

'70年代前半のロイ・ウッドはウィザードとしてのバンド活動もしていましたが、ソロ・アルバムの方は殆どの楽器を一人で演奏するワンマン・レコーディングで制作されています。で、ソロとしての一作目「Boulders」がパーソナルな面を感じさせるものであったのに対して、こちら「Mustard」はゴージャスで大きな編成の作りになっていて、バンドでの音楽との距離があまりなくなっているような感じがします。


アメリカン・ポップに対する愛情がわかりやすく示された曲が多く、アンドルーズ・シスターズ風のオープニング曲 “Mustard” からしてそれが顕著です。
続いての“Any Old Time Will Do” はメロディ、ハーモニー・アレンジともに'60年代初期ガール・グループを土台にしているよう。もっとも、サウンドは時代を反映していて、管楽器の響きなどいかにも抜けが良く、都会的なテイストもなくはない (オールディーズ・ポップの世界において「ガール・グループ」というタームは、1950年代終盤から'60年代初めにニューヨークで制作された黒人女性ボーカル・グループもの、という特定の音楽スタイルを指すのが一般的な用法ですかね。わたしはもうちょっと緩めに使っています)。
また、“Look Thru' The Eyes Of A Fool” はシャッフルに乗せたとてもキャッチーでこれもアメリカンなポップ・ソング。ようはフィル・スペクターなのですが、仕上がりはむしろラウドな大滝詠一という表現が近いか。

でもって、“Why Does Such A Pretty Girl Sing Those Sad Songs” は('70年代初頭くらいの)ビーチ・ボーイズへのオマージュである力作です。ベース・ボイスにはマイク・ラヴが降りてきているようだ。このアルバムでどれか一曲となったら、わたしはこれを選びます。
凝りに凝ったアレンジがいかにもしつこく、もう少しすっきり仕上げた方が良いと思わなくもないけれど、この重たさもロイ・ウッドの持ち味ではあるか。


ポップだけれど、くどい。けれど、やりたいことの多さがパワーとなっている音楽で、これこそがロイ・ウッドなのだな。

2022-11-12

横溝正史「八つ墓村」


横溝正史作品を読むのは5年ぶりになる。昔、Kindleで「金田一耕助ファイル 全22冊合本版 」というセットをバーゲン価格で購入したのだけれど、そこから3作ほど読んだところで端末が壊れたのだ。
今年になってKindle Paperwhiteを買い直して、そういえば何か持っていたなと思い出し、また読み始めようか、と思った次第。
『八つ墓村』は金田一耕助ものとしては4つ目の長編なのかな。細かいことは良く知らないのですよ、雑誌掲載の順で考えるか、単行本となった時期を基準にするか、ややこしい。

まあ、これも有名作なので細かい説明とかはいらないか。
物語前半は連続殺人事件と現場に残される不可解な手掛かりがミステリとしての興趣を盛り上げる。この部分はこの作品以前の金田一もの長編とも共通するような本格ミステリど真ん中、といった雰囲気。それが後半には洞窟内を舞台にした伝奇的な物語になってしまう。もしかしたらディクスン・カーのロマン作家としての部分を受けたものかもしれない。

ミステリとしては犯人が物語の流れの中でわかってしまう、という点で謎解きとしての結構が放棄されているようなところがある。さらに、その犯人が物語後半になると全く顔を出さない、というのも印象を弱めている。というか、物語の後半になると真犯人への興味がうっちゃられているものね。
もっとも、犯人確定のロジックはとてもスマートだ。さらに、明かされる前半部分に散りばめられていた伏線の数々は面白い。特に僧侶の言動に隠された秘密など意外性充分。そして、事件全体の複雑な構造はクリスティからきているらしいが、クイーンの有名作を思わせる要素もあって、いかにも力がこもったものだ。これらアイディアをもってすれば本格ミステリとして相当なものにすることも可能であったろう。

正直、洞窟内のパートはだれたのですが、解決編はとても楽しく読めました。

2022-10-26

アンソニー・ホロヴィッツ「殺しへのライン」


『メインテーマは殺人』『その裁きは死』に続く諮問探偵ホーソーンもの。英本国では昨年に出た作品です。

シリーズ三作目となるとホーソーンの嫌なやつ&切れ者ぶりの紹介は手短に済ませられるのでありがたい。わたしはこの作者の描くキャラクターに魅力を感じないので、あまり掘り下げて欲しいとは思わないのです。物語の早々に舞台はロンドンから英国領だがフランスに近い、オルダニー島へと移されます。前二作が警察から依頼された事件を解決する、といったものであったのが、今作ではホーソーンと語り手のホロヴィッツが文芸フェスで招かれた先で事件に巻き込まれる、というお話。都会を離れたせいか、作品全体の雰囲気がぐっと開放的になっていて、これが悪くない。

事件は地元の権力者が凄く不愉快な奴で、案の定やられてしまうというもの。犯行の機会は誰にでもありそう。犯罪現場にはひとつ奇妙な点があって、これがわかれば全てが収まるべきところへ収まるよ、とかなんとか。
また、今作にはホーソーンが宿敵というべき人物と邂逅する部分があるのだが、シリーズ前二作を跨いできた割に、これが盛り上がらないし、説得力もない。創元社から出ているもうひとつのシリーズ、アティカス・ピュントと編集者スーザンものにも言えるのですが、ウェルメイドな展開はうまいのに、そこからはみ出す部分がつまらない、という印象です。

肝心の謎解きですが。
一番の驚きが最初に来て、そこから推理は一気に展開するのだが、この部分の手掛かりにもっと強いものがあればなあ、と思います。
散りばめられていた数多くの伏線、それらがうまい具合に嵌っていくのは気持ちいい。ただ、証拠としては弱いし、余詰めへの配慮もないような。物証が無くとも、こうでしかありえない、というくらいのロジックがあればよいのだけれど、犯人が早々にあきらめてしまった感じ。
また、あんなに立てていたホワイダニットからも正直、ずれた感を受けたのが痛い。

ミステリとしての全体の流れはとても良いです。うまい。
地味だけど丁寧に構築された作品だと思います。そこそこ面白かった。

2022-09-23

エラリー・クイーン「Yの悲劇【新訳版】」


創元推理文庫からの新訳『Yの悲劇』です。
創元の新訳クイーンとしては2年ぶり、前作『Xの悲劇』からは3年ぶり、角川文庫での新訳『Yの悲劇』からは12年ぶりになります。最近はハヤカワ文庫が頑張っている分、創元のクイーンのほうは熱が落ち着いてきたのかな、という気はします。
本当をいうと『Yの悲劇』の仕掛けのひとつは、『Xの悲劇』の記憶があまり薄れてしまうと効果が弱まってしまうのだが。

さすがに今回はそんなに面白くは読めないだろう、と思っていたのだが、いやあ、そんなことはなかった。もちろん、筋書は知っているのだけれど、むしろ作品への理解が進むほどに事件全体の構図、その異様さに驚く。作中で何度も立ち上がる故ヨーク・ハッターの影、これがたんに虚仮脅かしというのではなく必然であるというのも凄い。なかでも『バニラ殺人の謎』の構想「一人称視点。犯人は筆者」であり、「ヨーク(私) Yと略す。犯人」のもつ威力と言ったら。クイーンがレベルの混交に対して自覚的であったことを明確に示すものだ。
そして、それほどまでに奇妙な事件が証拠に基づいたシンプルなロジックで解かれてしまう、というのもまたクイーンらしい恰好良さ。

もし後期のクイーンなら真犯人としてヨーク・ハッターを名指したか。あるいは3度目の未遂事件の前までは、真犯人は決定不可能としたかもしれない、なんてことを考えました。
あと、若島正の解説はめちゃめちゃ明晰、10ページほどだがとても面白かった。

2022-09-17

Burt Bacharach / Casino Royale (50th Anniversary Edition)


スペインのQuartetというと古い映画の珍しいサウンドトラック盤リイシューで知られている会社ですが、ヨーロッパにあるサントラ専門のところの例に漏れず、カタログの殆どが枚数限定で、それに従うようにお値段も少し高めです。わたしのようなサントラ半可通が良さそうだな、でも高いなあ、なんて思っているうちに価格がどんどん上がっていく、もしくは入手不可にということはしばしばあります。
ただし、「Casino Royale」は色んなところから何度か出し直されてきたタイトルであり、Quartetにしては枚数を多めにプレスしたこともあってか、出されてから5年経った現在でもまだ普通に買えそうです。


「Casino Royale」のサントラを最初に再発したのはおそらく米Varese Sarabandeだと思う。わたしもそれで長いこと聴いていたのだが、これは音に歪みやドロップアウトがあって、あまり良いとはいえなかった。
さらに悪いことにVarese~では、そのデジタル・トランスファーの際にオリジナル・マスター・テープを損傷させてしまったらしい。そして、これより後年に他社から出たリイシューもこの傷物のマスターを使ってきました。

2012年になって、Quartetからこのアルバムの45周年2枚組CDが出ました。1枚目が映画で実際に使われたスコア(モノラル)を完全収録。2枚目がサントラ盤のリイシューで、このときはスペインで見つかったサブ・マスターが使用されました。
この盤も持っているのだけれど、コンプリート・スコアには疑似ステレオっぽいエコー処理がなされているのですね。肝心のサントラ盤のほうも分離がいまいち良くない感じがするし、ピーク部分になると音が潰れているようで、満足とまではいかなかった。


で、その五年後に再度Quartetから50周年盤として1枚ものが出たわけです(この時には権利者から2枚組にする許可が下りなかったそう)。オリジナル・サウンドトラックにフィルム・スコアからの抜粋、初CD化となるマイク・レッドウェイ "Have No Fear Bond Is Here" シングル・ヴァージョンで77分強まで詰め込まれています。
このリイシューの際には、良いソースを探し、吟味した結果、マスター・テープが損傷する以前に作られたデジタル・トランスファーのデータがあって、それが手に入るもので一番だったと。マスタリングは音圧控えめでダイナミック・レンジを尊重した丁寧な仕上がり。これなら安心して聴けます。
また、フィルム・スコアの方も、変な加工をせずナチュラルな響きのモノラルです。


バート・バカラックの音楽については今更、言うこともないか。最高。
ゴージャスで華やか、スケール感があっても決して重くならない、やっぱハリウッドってすげえなあ、と思ったら、これ、基本はロンドンでの制作なのですね。失礼だけれど、かの地にもえらい録音エンジニアがいたのね。あるいはフィル・ラモーンの力か。

2022-09-03

エラリイ・クイーン「ダブル・ダブル〔新訳版〕」


「いないんだよ、リーマ。あれは幻想だ。銀をモチーフとした象徴的表現さ。彼女は本来の居場所、つまり書物のなかから直接やってきた。恥を忍んで言うと──ぼくも昔、マルヴィーナみたいな登場人物を書いたことがある」

1950年発表の長編。
『ダブル・ダブル』まで新しい訳で出るとは。この作品、わたしは旧い訳のもので二回くらい読んでいるはずなのだが、そんなに感銘を受けた覚えがない。忘れているだけかもしれないけれど。
中期以降のクイーン作品は半世紀くらい昔に翻訳されて、それっきり誰も手をつけていなかったのだけど、(ディクスン・カーなどとは違い)ひどい訳文のものが放置されていたわけでもないので、改められる必要をあまり感じていなかった、というのも本当のところ。
さて、この作品の読みどころはなんだろう。ライツヴィル・サーガとしてのものだろうか。

いい加減、感性が擦れ切ってしまった今見ると、リーマ・アンダーソンの設定はあざとすぎるように思うのだが、「これはファンタジーの世界のミステリですよ」という宣言のようにも思える。また、事件の主要な関係者がみな揃って形式化された通り名を持つのも、おとぎ話らしさを裏打ちする。あと、ライツヴィルにも押し寄せた近代化の波、その象徴のようなマルヴィーナ・プレンティスの描かれ方はいかにも戯画的だし、他にも、エラリイがリーマにミッションを伝える際には、探偵小説のキャラクターをなぞるように命じているのだ。
作品を後半まで読み進めていくと、こういったフィクション感の念押しはプロット上の要請であることがわかる。

全く手掛かりがない、事故か犯罪かも判断できない状態からエラリイが見出したのは、ある童謡の見立てであった。ただ見立て連続殺人というだけでもファンタスティックなのだが、さらにもうひと捻り。そのねじれ具合がもうクイーンでしかありえなさそうなもので、嬉しくなってくる。ただし、うまくいってはいないのだな。

解決を迎えるときにはもう、キャラクターが作者に都合のいいだけの駒に戻ってしまっている。リアリティは犠牲にされ、犯人の心理にも説得力がない。仮に舞台がライツヴィルでなかったなら、こんなに違和感を持たなかっただろうか。
パズルとしてはどうだろう。クイーン自身の作風をミスリードに使っているふしもないではない。事件のどれが犯罪でどれが事故なのかが決定するまでは、そちらの犯人でも成り立ってしまう。そんなことを考えてしまうのも、ディテクションの作品としては全く物足りないからだ。エラリイが真相に行き当たった道筋は推理によるものとは言い難い。
ただ、犯人が見立てを使った理由はクイーンらしくて、これにはわたしは満足してしまいました。

クイーンの個性が強く出ているようで、わたしは面白く読めたけれど、出来は今一つ。やはりこれはファン向けの作品だと思う(1950年以降の長編は全てそうだけれど)。

2022-08-22

ウォルター・S・マスターマン「誤配書簡」


1926年に発表された英国製探偵長編。
チェスタトンによる序文がついていて、これ自体が探偵小説論としてちょっと面白いのだけど、その中で、この作品には小狡いところはなくて、なおかつ騙されるぞ、という称賛が送られています。まあ100年近く昔に書かれた作品なので、こちらとしてはチェスタトンの評価をそのまま鵜呑みにはできないよね。むしろ、そこにしか見所がないとしたら、現代からすると辛い読みものになっているということは十分に考えられる。


ロンドン警視庁に匿名の電話による通報が入る。内務大臣が殺されたというのだ。連絡を受けたシンクレア警視はいたずらと判断するが、そこに懇意にしている私立探偵、コリンズが現れる。聞くと、シンクレアの配下のものから捜査の協力を請う、という電話を受けたという。しかし、シンクレアにはそんなことをさせた覚えはない。念のためにコリンズとともに大臣宅を訪ねると、そこで発見したのは密室内での死体であった。

大胆な犯行声明に密室殺人、行方不明になった警官など気を引かれる要素があり、語り口のテンポもいいので楽しく読み進められるのだけれど、なんだか変なところも多い。これがデビュー長編だったということもあってか細部が雑で、展開からはフランス・ミステリみたいな乱暴さも感じる。
あと、ミステリとしての核の部分でも、密室の扱いがちぐはぐなような(探偵は外から工具を使って簡単に扉を開錠できたのだから、犯人が施錠して出ていくのもそんなに難しくはないのでは、と思ってしまう)。

真相を隠そうともしていないような箇所と、それとは矛盾するような「あれ? でもなあ」と深読みさせる表現があって、終盤近くまで興味が途切れることはありません。今だとフェア、アンフェアが厳密に見られてしまうので、ここまで大胆な書き方が出来ないんじゃないか。
でもって、肝心な謎解きはちゃんとしています。小説として下手くそだ、と思っていた要素もある部分に関しては必然であったことがわかって、納得。しかし、凄く有能な犯人の設定なのに(タイトルにある)凡ミスはどうか。

ミステリとしての冒険に粗さが味方して、いきおい面白く読めました。

2022-08-16

The Grass Roots / Where Were You When I Needed You/Let's Live For Today/Feelings/Lovin' Things


はじめに、名前が決められた。ローカル・バンドが名乗っているもので良いのがあったので、それを盗んだのだ。音楽のほうはヒッピーの間での流行りに当て込むことにした。
シングル・レコードが制作され、プロモーションのためにあるバンドがスカウトされた。最初のアルバムが出された頃には、そのバンドは既に逃げ出していた。穴を埋めるために別のバンドがリクルートされた。



今年になって、グラス・ルーツの最初の4枚のアルバムが2CDで英BGOよりリイシューされました。
使用されたマスター・テープについては記載されていませんが、実際の音の方はかなりいいです。彼らがダンヒルに残した作品のオリジナル・マスターも、2008年に起きたユニヴァーサルの火災によって焼失したようなので、英国で保管されていたコピー・マスターを使ったのでしょうか。


グラス・ルーツのファースト・アルバム「Where Were You When I Needed You」は1966年リリース。制作はP. F. スローン&スティーヴ・バリーで、カバー曲以外の作曲も全てスローン&バリーによるもの。
サウンドのほうはフィル・スローンのセンスがはっきり出た、きらきらしていて、ほんの少し湿度もあるフォーク・ロック。聴いていて気持ちがいい。スローンは収録曲の半分でボーカルもとっています。また、アップの曲ではサーフ/ホットロッド(ファンタスティック・バギーズだ)の名残りを残しているようで面白い。

翌年、シングル "Let's Live For Today" がトップ・テン・ヒットになったのを受け、メンバー総取っ換えで制作されたのが同名のセカンド「Let's Live For Today」。時代を反映したカラフルさのあるアルバムです。リズムが強調され、ハーモニーやコーラスが多用されることで、よりバンドらしくもなっています。今回のリイシューで一番好みなのは、このアルバムのA面部分になるかな。キャッチーで、かつ勢いがみなぎっている。
なお、収録曲にはメンバーの書いたオリジナルが4曲採用されていて、それらも手厚いアレンジが施されてはいるものの、いまひとつ印象は弱い。

1968年になるとP. F. スローンがダンヒルを離れてしまっていて、サード・アルバム「Feelings」からはスティーヴ・バリー単独によるプロデュースとなる。作曲でスローンが関わったものも3曲にとどまり、バンドのメンバーの手によるオリジナルが多くを占めるようになる。演奏も自分たちでやっている、らしい。
サウンド面ではロック色を強めたという印象で、サイケなものやヘビーな味付けも目につきます。"Hot Bright Lights" なんて曲はバッファロー・スプリングフィールドだね。
また、アレンジャーとしてジミー・ハスケルが加わり、その管弦によって全体の厚み、スケールは増しています。
しかし、いかに工夫しようとも楽曲そのものがあまりぱっとしませんな。

1969年の「Lovin’ Things」になると音楽性ががらりと変わり、ホーン・セクションが入ったポップ・ソウルに。バンド・メンバーのオリジナル曲は2曲のみとなり、演奏も再びスタジオ・ミュージシャンが大活躍。バンド・サウンドに縛られなくなったことで、ジミー・ハスケルのアレンジもより効果をあげています。
そして、同年にこのアルバムの路線で作られたシングル "Midnight Confession" が大当たりして、グループは息を吹き返すわけですな。
なおP. F. スローンの曲を取り上げているのはこのアルバムで最後となり(3曲)、わたしの興味もここまでとなります。この辺りは個人的な好みなのでいかんとも。「Lovin’ Things」で一番好きなのもスローンの書いた繊細さのあるポップ・ソング、"I Can't Help But Wonder, Elisabeth" であります。


BGOはグラス・ルーツのダンヒルでの残りのマテリアルも出す予定で、そこにアルバム未収録のものもまとめてくれるそうなので興味のあるひとはどうぞ。わたしは昔買ったコンピレイションで十分かな。
ところで、この文章を書くためにちょっと調べたのだが、4枚のアルバムでもグループ名の表記が “GRASSROOTS” と “GRASS ROOTS” で一定しない。途中で変わったのかと思ったのだが、そうではなくて行ったり来たりで、アルバム・カバーとレーベル表記でも統一されていない。元々、誰も思い入れがない名前だったのかもしれないが。

2022-08-11

平石貴樹「立待岬の鷗が見ていた」


2020年発表の、『潮首岬に郭公の鳴く』に続いて函館を舞台にした長編。

『潮首岬~』が横溝正史の有名作を意識したような時代がかった、結構の大きなミステリであったのに対して、この作品は200ページちょっとです。
扱っているのは5年前に連続して起きたが互いに関連しているかはわからない3つの事件。それら事件の経緯を語るのに、それぞれ17~25ページほどしか割かれていません。
事件に続いて、その関係者のひとりである推理作家が書いた3作品の概要が説明されます。これが40ページくらい。ここでは実際の事件のヒントとなるものがあるような無いような。少なくともトリックをほのめかすようなものはないのです。
そうして、いよいよ前作でも活躍したフランス人の若者が登場するわけで。実地検分と簡単な聞き取りを行うともう、解決編です。

コンパクトだけど全体としては凄く手の込んだミステリなのですね。
事件の描写を抑えることで、(読者からすると)作中で語られるミステリ作品とのレベルの差がなくなって、事件と作品との結びつきが理解しやすくなっています。
それでも三つの事件の関連を見通し、全体像を再構築するのは難度が高いか。周到な犯罪計画と、それとはミステリとしての手筋が違う、いわゆるモダーン・ディテクティヴ・ストーリイが混じっているような。
怒涛の伏線回収で、説明されてみれば全ての引っ掛かりが取れてしまう、この部分は前作と変わらず気持ちがいいのだけれど。

問題編を全て回想の中に入れてしまったことで小説としては動きが全然ないのだが、ロジックはダイナミックに動いている、そんな作品でした。愉しかった。

2022-08-05

パトリシア・モイーズ「死人はスキーをしない」


スコットランド・ヤード所属のヘンリ・ティベット警視は、休暇に妻のエミーとともにスキーを楽しむべくイタリアの雪山にあるホテル<景観荘>を訪れる。たまたま、そのホテルが密輸組織の拠点となっているという情報も入っていたのだが、特に何事もないままに数日が過ぎていた。
ある夕刻、その日のスキーを終えたティベットがホテルに戻ろうとリフト乗り場までいくと、ちょうどそれに乗って下ってきたのが同宿であるハウザー医師。しかし、そのハウザーの命は既になかった。


1959年に発表された、パトリシア・モイーズの長編第一作。とてもオーソドックスなフー&ハウダニットです。

事件が起こったあとは関係者への聞き取りが繰り返される展開だけれど、その過程で被害者の意外な人間性や、滞在客たちの秘密が掘り起こされていく。謹厳実直と見えた被害者が実は相当な悪党で、関係者の多くには彼を亡き者にしたいという動機があったと。まあ、この辺りは定石なのですが、それぞれのキャラクターがしっかりと書かれているおかげで単調になることはありません。
一方で犯行の機会となると、これは被害者がリフトに乗っている最中しかないように思える。さらに、地上からの犯行が物理的に不可能なようであって、一気に容疑者の範囲は絞られるように見えた。

決定的な証拠はなさそうなのに、物語の3分の2に掛かったあたりでティベットは、とっくに真相が見えているようなことをのたまう。ヘンリ・ティベットは地味なキャラクターなのだが、ほのめかしが凄く名探偵風なのだ。その割に調査はまだまだ終わらないのね。
そうこうしているうちに、さらなる事件が起こるわけで。


パズルとしての難度は、実はそこまでではない。物語の外側から厳密に機会と手段の問題として考えると、容疑者が限られていることもあって、ある程度はトリックの察しはつく。しかし、犯行の不可能性を高めることにより逆にある可能性が残される、という手筋はセンスがいいと思います。また細部についても、さまざまな伏線が引かれていたことが後からわかるのが良いですね。

そしてクライマックスの追跡劇。コージーなミステリと思っていたのが一転、きゅっと物語が締って格好いい。個人的にはこの部分が一番面白かった。


謎解きはしっかり、読み物としても手厚く書かれた、とても良くできた英国ミステリでした。

2022-07-23

The Rolling Stones / El Mocambo 1977


1977年の3月4~5日、カナダのトロントにあるエル・モカンボ・クラブで行われた公演を収めたライヴ盤。メインとなるのが5日のショウのフルセットで、その後にボーナス扱いで4日にのみ演奏された3曲が収録されています。
パーソネルはストーンズに加えてイアン・スチュワート、ビリー・プレストン、パーカッションのオリー・ブラウンがクレジット。

このときの演奏のうち4曲は、同年にリリースされた「Love You Live」のアナログC面に収録されていました。そちらでは “Little Red Rooster” が4日、残りは5日からのものでした。
「Love You Live」で聴けるそれらの曲のサウンドがかなりドライであったのに対して、今回のミックスでは現代的なリバーブが施されていて、アンビエンスというか印象がかなり違うものになっています。空間が広くなった感じ。この処理はボブ・クリアマウンテンのせいではなくて、ミック・ジャガーからの要望であったそう。
あと「Love You Live」だと “Mannish Boy” のコーラス部分で合いの手のようなスクリームが聞こえていましたが、あれはなくなってますな。

実際のライヴですが、これはいいストーンズ。前年までと比較して粘っこさがやや薄れ、性急さが戻ってきています。エレピとシンセ、バックコーラスに活躍するビリー・プレストンの存在は依然として大きいですが、翌年の「Some Girls」へと徐々にタイム感がシフト・チェンジしているということでしょうか。特にロン・ウッドが調子良さげである。

ヴィンテージなストーンズのライヴであり、施されているオーバーダブの数々もヴィンテージだ(たぶんね!)。恰好いいことに間違いはない。それだけにパッケージのデザインはもう少し何とかならなかったか。あと、新たなリリースについてはビル・ワイマンの写真はもう使わないことになっているのだろうか。まるで4人組のバンドのようだし、ステージ写真もうまい具合に端でカットされているのはなんとも。

2022-06-13

The Aerovons / A Little More


昨年に英国でリリースされていたエアロヴォンズの新作が、今年になって我が国でも流通するようになりました。名義こそグループですが、実質はトム・ハートマンのソロ・プロジェクトのようです。

サウンドの方はベースとドラムがいかにもアビー・ロード・スタジオ謹製だった前作と比較する(のもおかしいのだが)と、わりと普通に現代らしいバランスのギターポップになっています。
それでもレイト・シクスティーズ流儀のアレンジやイフェクトは楽しく、トーンを絞ったリード・ギターはまるでジョージ・ハリスンのよう。美しくもしつこいハーモニー・アレンジも好い。
楽曲の方はというと、これがメランコリックでいいメロディのものが揃っていて。リード・ボーカルとバック・コーラスのコール&レスポンスで構成されている部分も多いし、ミドル・エイトの利かせ方といい、はっきりと‘60年代ポップスらしさが感じられます。

"Me And My Bomb" は非常にマッカートニー的な節回しが楽しく、一方 "So Sorry" はホワイト・アルバム期のジョン・レノンへのオマージュのようでもある。また、タイトル曲の展開は「Abbey Road」を思わせます。
他ではビーチ・ボーイズを意識した "The Way Things Went Tonight"、ここで聴けるレンジの広いハーモニーはかなり真面目に寄せていて微笑ましい。
かと思えば、メロウなシンセ・ポップ "Shades Of Blue" は再結成後スタックリッジのジェイムズ・ワーレンのようだ。
そんな中でもオープナーである "Stopped!" が、甘さを漂わせた鍵盤とエッジの利いたギター、美麗に層をなすハーモニーがうまく溶け合って、全体の仕上がりとしては一番決まっているかな。

全部で8曲しか入っていないのでボリューム的には少ないのですが、その分、埋め草がなく聴きごたえのあるポップ・アルバムではないかと。

2022-05-22

レオ・ブルース「レオ・ブルース短編全集」


「わしは当てずっぽうから始めて、それから推理と捜査を行って、自分が正しいことを立証した」(62ページ)

待ちに待った一冊ですが、タイトルが短編全集とあるのでごついもの、例えば創元推理文庫の日本探偵作家全集や『月長石』みたいなのを勝手に予想していたのですね。それが実際に手に取ってみると400ページ弱と、普通の分量の本でした。収録作品は40編あって、ひとつを除きそれぞれ10ページあるかないかのごく短いものばかり。B・A・パイクというひとの書いた序文(これがとてもよくまとまっている)でも「これらの短編に作家が執筆した当時に成し遂げた以上のものを望むのはばかげている。これらは日刊新聞のために書かれ、その目的は束の間の気晴らしである」と述べられていて、これでは読み応えのあるミステリは期待できないか、と思ったのが正直なところ。

実際の作品に当たってみると、読者にもわかる手掛かりや伏線に基づいた推理が展開されるようなものはあまりなく、まず真相を思いついて、それを裏付けるために捜査をすると証拠が出てくる、といったものが殆ど。そんなことぐらい警察がちゃんと捜査していれば早い段階で分かっていたはずじゃ? というものも多いです。それでも各編には興味を引く謎がありますし、ハウもしくはホワイに意外性が備えられ、それらが明らかにされる顛末はそれなりに楽しく読めます。

収録作品のうちおなじみビーフ巡査部長ものが14編。これらにはいつもの少しだけユーモラスで皮肉な語り口があり、読み物としての楽しみもあります。
中では「手がかりはからしの中」の捻った殺人方法と意外な手掛かりがユニーク。「一枚の紙片」には、ほんの小さな手掛かりから真相を推測していく面白さがある。「鶏が先か卵が先か」にはこの紙幅でよくこんなトリックを入れたな、という驚きも。
また、近年になって発掘されたという「ビーフのクリスマス」のみ、30ページ近くの量があって、プロットの密度が高いです。仕掛けにはクリスティ的なテイストもあるかな。
さらには未発表だったという作品でも、「死後硬直」は結構の整ったフーダニットになっています。ある程度の複雑さや誤導も備えていて、トリッキー。

ビーフのほかには探偵役としてグリーブ巡査部長が登場するものが11編。グリーブはあまり性格的な書き込みもなく、淡々と事件を解決していきます。キャラクターの個性を薄くしている分、構成の自由度も高くなっているかと。
そのグリーブものでは「捜査ファイルの事件」が一番気に入りました。気の利いた伏線、意外性の演出がいずれも綺麗にはまっている。もう少し書き込めれば、凄い短編になったかもしれない。
反対に「沼沢地の鬼火」では、謎とその解決の形式をとらないことで、かえって完成度が高いミステリになっているようであります。また、未発表作の「ご存じの犯人」も謎解きのかたちはとっていないが、洗練を感じさせる伏線が実に素晴らしいです。

残りの作品はほぼ、クライム・ストーリーですね。倒叙のものが多く、皮肉な結末をどう決めるかに力が入っているように思います。
中では、要素を削りに削ってスマートにまとまった「九時五十五分」が気に入りました。ミステリ的には「手紙」での見えない人、のちょっと変わった(そして効果的な)使い方が面白かった。また、「ルーファス──そして殺人犯」は明白な事件を語り方で謎の物語に仕立て上げた一編で、悪くないと思います。

出来不出来はあるのですが、ごく短い話ばかりなので気楽に読むことができました。帯には「パズラーの精髄がここに」などと書かれていますが、そこまでの期待をしなければ、レオ・ブルースという作家の持ち味が感じ取れて、楽しい作品集だと思います。

2022-04-23

Orchester Pete Jacques / Round Trip To Rio


オーケスタ・ピート・ジャック、ドイツ産のイージーリスニングです。凄くいい。

さて、どこから手をつけようか。
Sonoramaというのはドイツのニッチなリイシュー会社であります。ここで取り上げたことのあるものでいうと、G/9グループの「Brazil Now!」とか、ダニエラ・ウント・アンの「Black &White」なんかがSonoramaが発掘した盤です。他にも持っていた気はするけれど、ドイツ語の名前は思い出せない。
で、今回の「Round Trip To Rio」もSonoramaからリイシューされたもので聴いているわけで、元々は1970年の作品。

スイス出身の作・編曲家であるピート・ジャックさん。彼が率いる楽団によるボサノヴァ、スキャット入りで、まあ、洗練がすごい。いかにもドイツものらしく音の感触はクールですが、演奏はあくまで軽やか、取っつきがいい。
ポイントは、使われている楽器の数自体は少なくないのだけれど、なんとなく間を埋めているような音が鳴っていない、ということだと思います。結果、サウンド全体の見通しがよくなり、テンポが速めの曲でも圧迫感なく、余裕を感じさせるものになっています。
また、ギターや鍵盤のフレーズからはジャズらしさも垣間見え、それがイージーリスニングなれど要所を引き締める役割も果たしているかと。

取り上げている曲はピート・ジャックのオリジナルを含めてほとんどがドイツ圏のライターの手によるものなので、有名曲なのかどうなのかの判断はつきません。唯一、見たことのある名前がクリス・アンドルーズ。サンディ・ショウのスタッフですな。アンドルーズが自身でシングルを出した “Pretty Belinda” は英本国ではだめだったがドイツではヒットしたそうです。実のところ、この “Pretty Belinda” のカバーはアルバム中でひとつ落ちるのですが、それ以外の曲は捨てるものがない出来。マイナー・キーの曲になるとうっすら、昭和歌謡に共通するようなメランコリックな雰囲気が漂うのもまた個性であるよね。

2022-03-13

ジョン・ディクスン・カー「連続自殺事件」


スコットランドの古城にそびえたつ塔、その最上階にある部屋の窓から当主が転落、死亡した。部屋の扉は内側から厳重な鍵がかかった状態。一方、故人は死の少し前に相当な金額の生命保険に加入していたのだが、当然、自殺では保険金はおりない。さらには転落した前の夜、彼に恨みを抱く人物との口論もあったという。


1941年作のギデオン・フェル博士もの。旧訳である『連続殺人事件』は大昔に読んでいるので、設定には何となく覚えがあるのだが、そのほかはあまり印象に残ってないのだな。

中心にあるのは「自殺か他殺か」というシンプルな謎で、他殺なら不可能犯罪となる。塔にまつわる気味の悪い言い伝えや亡霊めいたものの目撃もあるのだが、それらによる味付けは控えめで、むしろ作品全体に明るいユーモア味が強い。ダレ場もなく、カーにしてはすっきりした読み物になっています。

作品中盤過ぎで明かされる塔の部屋で行われたトリックは実現性に乏しいものだ。しかし、これを殺人トリックとしてむき出しで使うのではなく、奇妙なシチュエイションを作り出すために使うことで大きな効果が上がっている。結果、トリックが判明しても状況が大きくは変わらず、ミステリとしての緊張が持続する。
トリック単体での新規性ばかりに気がいっていた若い時分には、この良さがわからなかったのだなあ。そのトリックをいかに生かすか、がとてもうまくできている。

後半に入ってさらなる難事件が起こるのだが、逆にそれが手掛かりとなって犯罪全体の構図が明らかにされる。このロジックが気持ちいい。
そして、残り20ページほどになって指摘される犯人は意外性充分。下手をすれば拍子抜けになる寸前の塩梅で、伏線もしっかりしていて、これもうまい。
最後に物語を収束させるべくフェル博士によってあることが提案されるのだが、ここで物語の舞台をスコットランドにした本当の意図がわかるのだなあ。いやあ、恰好いいねえ。

重量感こそないけれど読みやすさと意外性を備え、とても良くできた楽しいミステリです。

2022-02-20

Kellee Patterson / Maiden Voyage


インディアナ出身の女性シンガーによる、Black Jazzから1973年にリリースされたファースト・アルバム。
物凄くざっくりいうとジャジーでポップなボーカル盤で、録音はLA。

編成はピアノ・トリオ+フルートで、ピアノは曲によってアコースティックだったりエレクトリックだったり。派手なソロをとったりはしないけれど巧くて、かつ締った演奏で、特にドラムが気持ち良いんですよね。一体どういうひとが叩いているのかしら、と目を通したパーソネルにはジャズ畑らしいのだが馴染みのない名前がずらり。しかし、何故かドラマーだけ表記がない。クレジットされていないということは、逆に名の通ったセッションのプロなのかもしれないが、なんせ好いドラムです。
主役であるケリー・パターソンさんの歌声は綺麗なソプラノ。ビブラートもぎりぎり邪魔にならない加減かな。
惜しいのが録音、というか空間が狭い。その生々しさが合っている面もあるが、もう少し奥行があれば、と思う。クリアに録られてはいるものの、曲によってはなんだか、こじんまりした印象を受けてしまう。その辺りがジャズの制作者たるところなのだろうけれど。


このアルバム、先にも書いたように演奏しているのはジャズ・ミュージシャンで、スロウな曲ではそれが分かりやく反映され、逆にミデイアム以上のテンポになるとポップ寄りというか、ジャズらしさはあまり感じなくなる。

ポップに振ったものの中でも、一曲目の “Magic Wand Of Love” がとてもキャッチー。要はテンプス&スプリームズのヒット “I’m Gonna Make You Love Me” の歌いだしのメロディを頂いたような曲なのだが、これなどスタンダップ・ベースをエレクトリックにして、ストリングスを入れたら普通にシングル・レコードとして通用しそう。
また、“Soul Daddy (Lady)” はドン・セベスキーの “Soul Lady” の改題作(ついている歌詞が誰によるものかはちょっとわからない)で、ファンキーで軽快なアップ。フリップ・ヌネイス作である “See You Later” はラテン・パーカッションが効いた跳ね気味のミディアム。両曲ともボーカルにはソウル的な臭みがなく素直な歌唱のため、あくまで都会的なポップソングとして仕上がっています。

演奏面でハイライトと言えそうなのがタイトル曲 “Maiden Voyage”。ハービー・ハンコックのあれです。ミディアム・スロウながらびしびしと決めるドラムや緩急の激しいベースに迫力があって恰好いい。メロウな感触も残しつつ、ここではトランペットも加わって緊張感を掻き立てられる。

そして、アルバムの最後に置かれた “Be All Your Own” が個人的にはベストになります。凛とした佇まいのボーカルと繊細な演奏のバランス良く、メロディにもフックがありとても良くできている。終わり良ければ全て良し、アルバム全体で30分もないので、もう一度アタマから聴きたくなる。


全体に落ち着いたテイストであって、クロスオーバー・イレブンとかでかかっていそう。
ミディアムもしくはアップとスロウ曲が交互に配され、しつこいところもなく通して聴くに適した一枚です。

2022-02-05

マイケル・イネス「ある詩人への挽歌」


1938年長編。
ところはスコットランドの寒村、古城の主で地主でもあるガスリーは吝嗇で変人、他人を寄せ付けず、村人からは嫌われていた。そんなガスリーが事件性のある状態で亡くなった。
──というお話が、章によって書き手を入れ替えながら展開する。村の古老、都会から迷い込んできた若者、事件関係者に雇われた弁護士、そしてジョン・アプルビイ警部。また、この作品では書き手が変わるとともに、読み物としての調子も大きく変化していく。

英国新本格というと教養を感じさせるアイテム、ゆるいユーモアや余裕ある語り口、なんてところが特徴だと思うのですが、わたしは、それらの総体からなんとなく、饒舌な印象を受ける。キャラクターの科白が多いということではなく、描写や説明にしても(枝葉を含めて)いろいろ書けてしまう。
その饒舌さが特に良く出ているのが最初の「ユーアン・ベルの語り」で、ガスリーが死亡するまでの行動やまわりの状況が綴られているのだが、ここがちょっと進みにくい。語り口自体に古典の引用をひっかけたところがあるのはいいとして、語られる内容の時系列が行ったり来たりする。また登場人物が多く、ベル老はそれら人々の体験を伝聞として語るのだが、事実と単なる妄想、噂話が混在していて、それらのどこまでが本筋と関係するのかが掴みづらい。情報が整理できないのだ。
もっとも、翻訳のおかげでこのパートはかなり読みやすくなってはいるようだ。スコットランドの方言がきつくて、原文で読んだ乱歩は全く意味が分からなかったそうだが、英語圏の読者の感想を見ても「凄くわかりにくくてイライラした」、「途中であきらめそうになった」、「何度もグーグルで言葉の意味を検索した」等と書かれてあった。
この100ページほどある最初の部分を過ぎると、あとはすっきりとわかりやすい展開になります。

「ノエル・ギルビイの書簡」では、それまで村とはなんの縁も無かった青年が運悪く事件に巻き込まれた体験を語る。ここからは視点が固定され、話の流れがぐっと良くなる。怪しい人物たちが住まい、ゴシック的な不気味さも漂う城に、意図せず留め置かれることになったギルビイ。彼の感じるサスペンスが読み物を駆動する力になっている。
そして、異様な状況のもと、城主ガスリーが亡くなるのだが、それは自殺とも他殺とも決定できないものであった。
ここまでで全体の半分過ぎくらい。

続いての「アルジョー・ウェダーバーンの調査報告」になると、また雰囲気ががらりと変わる。さながらガスリーの死とともに、まとわりついていた陰鬱さが拭い去られたようである。
そして、ここから怒涛の調査・推理編に突入。語り手のウェダーバーンは弁護士だが、警察の出した結論では説明できない不可解な点に着目し、意外な真相へとたどり着くという大活躍ぶりを見せる。
これで事件は無事に解決したように見えた。

残り3分の1ほどになって、真の探偵役「ジョン・アプルビイ」警部が登場。ウェダーバーンの推理では見過ごされていた要素を取り上げ、全体の再検討をはじめる。さらに、このタイミングになってパズルのピースが追加されていき、やがてそれまでは関係がないと思われていた事実によって、事件全体の様相がひっくり返る。もっとも、決め手は推理とは別のところからもたらされるのだが。
ここでは生前のガスリーが抱えていた秘密が浮き上がってきて、再びゴシック的な雰囲気が戻ってくるのがいい。また、アプルビイの推理に対して、自分からみた解釈を述べる牧師の存在も効いている。

このあと、物語にはさらなる捻りがあって、これはもしかしたら予想できる類のものかもしれない。
しかし、ある登場人物の一言が(伏線が張られていないこともあって)全く意外な事実を明らかにする。


いやあ、面白かったです。推理の楽しみもちゃんとあるのだけれど、後出しの事実で読者を引っ張り回して、最後には良くできたほら話のようにうまいこと収拾がつく。
なんだか知らないが、ちゃんと結末に救いのようなものがあるのも気持ちがいいですわ。

2022-01-29

Small Faces / Live 1966


4、5年ほど前、スモール・フェイシズのファンの間で話題になったペーパーバックがある。フランスで出たものでタイトルは「Smalls」。これには二枚のCDが付属していて、ひとつはスモール・フェイシズの未発表ライヴ音源、もう一枚にはメンバーの後年になってからのインタビューが収められている。
ライヴ音源として収録されているのは、1966年にベルギーのトウェンテイ・クラブというところで行われたものだ。くだんの小屋では日々行われる演奏を4トラックで録音する習慣があったと。それらのテープは最終的には廃棄されてしまったわけなのだが、そのうちスモール・フェイシズのものをある人物がサルヴェージしていて、「Smalls」の作者はそのコピーをもらっていたということだ(このいきさつがどれくらい本当なのかはわからないが)。

「Smalls」はアマゾンでも取り扱いがあったのだけれど、少々値が張る上に、フランス語のペーパーバックなんて読めやしない。欲しいけどなあ、と思ったまま数年が経過。すると昨年になってケニー・ジョーンズの肝入りというかたちで、そのライヴが単体で公式発売に。それが「Live 1966」というわけです。プロデューサーはこれまでもスモール・フェイシズのリイシューを手掛けてきたロブ・カイジャー、あとオーディオ・レストアにはパグワッシュにいたトシュ・フラッドがクレジットされています。
なお、スティーヴ・ホフマンのフォーラムによれば「Live 1966」のソースとなっているのは「Smalls」付属ディスクと同じデジタル・データで、それをブラッシュアップしたものではないかとのこと。


気になっていた音質は、もともとプロフェッショナルなレコーディングではないし、テープの劣化も進んでいるようで、そんなクリアとは言えないし安定もしていないが、時代を考慮すれば十分楽しめるレベルにあると思う。
そして、肝心のパフォーマンスはというと、これが極上。デッカでのファースト・アルバムに記録されていた音楽が、さらに解き放たれたような印象だ。分離の悪さが却ってバンド一丸となっているような雰囲気にも結びついている。
何よりスティーヴ・マリオットがやはり、ただものではない。そのステージの支配力は明らかだし、スタジオ・レコーディング同様、思い切りシャウトしてもピッチを外さない。ものが違う、という感じ。

例えば「Got Live If You Want It!」や「Live At Kelvin Hall」、あるいは「Rhythm And Blues At The Flamingo」なんかに匹敵するグレイトなドキュメントだと思うよ、これは。
一曲目がニューオーリーンズのR&Bヒット "Ooh Poo Pah Doo" で、ボーカルをとるのはロニー・レイン。それで盛り上げておいて二曲目からマリオットが歌う。彼らのファースト・アルバムでも、まず最初にカバー曲である “Shake” をロニー・レインが歌っていたのは、こういうステージのパターンを踏襲していたのかな。

2022-01-16

有栖川有栖「捜査線上の夕映え」


火村英生ものの新作長編。帯には「火村シリーズ、誕生30年!」とあります。ほぼリアルタイムで読んできたので、まあ、そんなものか、とは思うのだが、一方で、作品内での作家アリスはまだ三十四歳のままであることに、ちょっと驚く。今の感覚では、三十四歳にしてはずいぶん大人であるね、と。

事件は一見、地味でありふれた殺人事件。その実、複雑な時間割とそれによって成り立つ鉄壁のアリバイが立ちふさがる。さらに、死体はスーツケースに詰められていたときて(有栖川版『黒いトランク』か? と思いそうになった)、犯人の行動としても不可解なものがあり、捜査は難航。

関係者・容疑者からの聴取・尋問、捜査会議が繰り返される展開が続き、データは集まってくるものの決め手になるようなものがない。停滞により雰囲気も重くなってくる。
それが後半過ぎになって、物語が少し違うモードに入る。長年の読み手からすると、ああ、ここで何かが起こるんだな、という予感がする。そしてしばらく読み進めると案の定、しかし思いもよらない方向での事実が示されるのだ。見えない犯人ならぬ見えない関係者。火村が「泳がせる」という言葉を使ったのは、この意味で正しい。

最後にたどり着いた解決は複雑なものだ。先に真相に気付いた人間を観察することで、搦め手から細部に肉薄する。普通の謎解きミステリならそんな微妙なところまで判るものだろうか、と白けそうではある。しかし今作では、犯人の行動ひとつひとつに対して心理的な洞察がなされることで、説得力を持って読ませるものとなっていると思う。
個人的には犯人は何故そこまで危険な行動をとりえたか(446ページ)、という部分に唸りました。

物語としては臭くなりそうなところを、ギリギリのところで断ち切って綺麗な形に着地した印象。火村の「俺が名探偵の役目を果たせるかどうか、今回は怪しい」という科白の真意も、実にいい落としどころだよねえ。

2022-01-10

フィリップ・K・ディック「逆まわりの世界〔改訳版〕」


1967年長編。
作中の時代は1998年の近未来。1986年、ホバート効果によって、人間の成長は逆行し始めた。死んでしまったものが蘇り、日々若返っていき、やがて胎内へと戻る。食物を口から吐き出し、かわりにソウガム──はっきりとは書かれていないが、排泄物──を取り入れる。
主人公セバスチャンはヴァイタリウム商、葬儀屋のさかさま版のような仕事をしている。息を吹き返した死人を見つけ、墓から掘り出し、手当をしたのちに売る。彼自身も生き返った人間、老生者である。
ある夜、セバスチャンはカリスマ的な宗教指導者が復活しかけていることに気付く。しかし、その復活はある種の人々にとって歓迎できるものではなかった。かくして、その肉体の所有を巡って複数の勢力の抗争が勃発する。


キャリア後期作品を思わせるような神学、宗教的な要素も多く、それらの押し込み方にはやや強引な感じがあります。けれど、ディック独特のガジェットを交えたアクション劇で展開が動き続けるので、とりあえず読まされてしまう。
で、物語全体がファンタスティックな意匠をとりながら、最後にはひどく救いのない、生臭い所に着地する。真理などクソだ、パワーゲームや刹那の情動の前には意味をなさないという諦観が残るのだ。
ディックの内側で作家性を誠実さが上回ってしまった、と解釈することもできるけれど。

SFとしての設定は結構ガバガバだけれど、詰め込まれたアイディアとストーリーテリングの良さ、弛まないテンションで押し切ってしまえるのは、さすがは脂の乗った時期のディックではありますが。
『ユービック』への過渡期、というところでしょうか。