2011-08-27

Rockpile / Live At Montreux 1980


ロックパイルが1980年7月12日に出演した、モントルー・ジャズ・フェスティバルでのライヴ盤がリリースされましたよ。
このCD、音質そのものには文句無いのだけれど、楽器の数の割には分離はそれほど良くなくて、ニック・ロウのボーカルがやや聞こえにくいところも。推測するに、保管されていた放送用音源とかが元になっているのでは。マルチトラックがあって新たにそこからミックスしたものではないだろう。
とはいえ、ライヴらしく音が一丸となって出てくる迫力や臨場感なら充分であります。

ここでの彼らは前乗りのビートに乗って、ドライで骨太、パワフルな演奏で押し捲っています。スタジオ録音での緩急が効いて軽快なイメージとはちょっと違うな。本当、小細工が無い。

選曲はデイヴ・エドマンズとニック・ロウ、それぞれのソロでのレパートリーが多くを占めていて、ロックパイル名義での唯一のアルバム「Seconds Of Pleasure」からは二曲のみ。実質的にそういうバンドであったんだろうけど。
でも、当時のアメリカツアーでは大会場でドッカンドッカン受けていたらしいので、これで問題無かったのでしょう。パブロック的なものがまかり間違って、とんでもなくでかいスケール感を持ちそうになった瞬間が捉えられています。

カバーもオリジナルも区別なく、ひたすらご機嫌なロックンロールで盛り上がれ。クールダウンの必要はないし、スローな曲なんて退屈だろ?
繰り返して聴いて思ったのは、ライヴにおけるロックパイルはデイヴ・エドマンズのバンドだったか、ということでした。

2011-08-24

Bradford / Shouting Quietly


英国のインディーギターバンド、ブラッドフォードが実質的に唯一残したアルバム。1990年リリース。

ザ・スミスも手がけていたスティーヴン・ストリートがプロデュースを担当していて、サウンドは非常に端整なネオアコといえましょうか。ただ、あまり特徴がないのも事実で、ちょっと型にはまりすぎた感。オカズを殆ど入れないドラムを聴いていると、ドンカマに合わせてリズムキープに専念させられているような画が浮かんでしまうな。効果的に入れられているキーボードからは、もしかしたらこのバンドの良さはネオアコ的なものとは別なところにあったのかも、ということも考えられます。
ある海外のフォーラムでは彼らを評して「nothing bad, nothing special」と書かれていて。まあ、確かにそうなんだよね。だからアルバム一枚で消えちゃったわけだし。

けれど、しみじみ良いメロディが多いんだな。ちょっと泣きが入っていて。'90年前後の新人のアルバムでこれだけ曲の粒の揃ったものはそう無かったのでは、とは思う。
ボーカルはエルヴィス・コステロ系というか、スミザリーンズのパット・ディニジオなんかとも共通するような節回しなんだけれど、それほど思い入れはしつこくなくて。軽快なバックに対して、ちょうどいいさじ加減、という気はします。

歴史に名を残す、そんな大層なものではないですが。逆にそれほど大上段に構えていない親しみやすさが美点で、とてもまっすぐなギターポップ。
全編にうたごごろが響く、個人的に忘れがたい一枚であります。
「To have and hurt you, the mood is black, my mind is blue」とか、なんてことはないフレーズがいいな。

2011-08-19

P・G・ウッドハウス「ジーヴズの事件簿 才智縦横の巻」


事件簿、というタイトルだとミステリのようでありますが、ユーモア短編集ですな。
1910~20年代の英国が舞台で、有閑階級の暢気な若者バーティと、それを陰からうまく操縦する従僕ジーヴズの物語。

英国ユーモアといっても基本的にドタバタですし、凄くわかりやすいものばかりであります。
収録作品には似たようなパターンがあって。バーティにはやたら女性に惚れ易い友人や、バーティを結婚させようとする叔母がいて、彼らのせいで厄介ごとが降りかかってきます。ところが、バーディは悪い人間ではないけれど思慮が浅く、実際的な問題にはまるで役に立たない。そこで、ジーヴズが自分はあまり目立たないように立ち回りながら、うまく手を打ってそれを解決する、というもの。紳士階級のドラえもんとのび太みたいな。
出てくるやつがみなバカというか好き勝手、自分の思い通りにやろうとしてトラブルを起こすのだけれど、時にはバーディが従僕ごときにまかせずに自分で解決しようとして、さらに問題をややこしくする場合も。

完璧な従僕、ジーヴズは常に最小の手間で最大の効率を上げますが、それが作品の意外性やスマートな読後感にも繋がっていますね。時折、腹黒さがちらりと見えることもあって、マキャベリズムという言葉を思い出させたり。

作品内の空気はさすがに100年近く前のものなので、長閑です。背景描写はあっさりでとんとんと筋が進むので、舞台劇のような感覚を覚えました。サブキャラクターはみな典型といっていいものではあるし、さながらウェルメイドプレイの趣。

気楽にするすると読んでしまえるので消夏には良い一冊では。

2011-08-17

アガサ・クリスティー「牧師館の殺人」


「誰かがプロザロー大佐を殺してくれたら、社会にあまねく貢献することになるのに」
平和そのもののようなセント・メアリ・ミード村、その牧師館で殺人事件が起こる。被害者は誰からも疎まれているような人物であったが、現場には偽装の跡も。

クリスティの十作目にして、ジェーン・マープルが登場する最初の長編です。
非常に判り易い偽の手がかり、多すぎる動機。現場やその周辺の見取り図が添えられ、探偵小説の原型に立ち返ったようでもあります。アマチュアリズムの楽しさ、というものも感じられて。そこのところにエルキュール・ポアロという馴染みの探偵役がいながら、新たなキャラクターを創出した理由があるのかも。別のスタイルで試してみたいという。

はじめのうち、ミス・マープルは有用な目撃者あるいは助言役というところで、出番も限られていてあまり目立たない。扱われているのがシンプルなフーダニットということもあって、ちょっと読んでいても締まりがないかな。良くも悪くもオーソドックスなカントリーハウスものだなあ。

それが、解決編に入るとマープルは、ひとが変わったように堂々として名探偵役を演じるようになります。
その謎解きですが、膨大なパズルのピースが全てあるべきところに収まる様が圧巻ですし、被害者の残した手紙をめぐる分析は意外性があり、かつ明晰そのもので唸っちまいました。
ただ、全体にやや煩雑なのは否めないし、細部の説得力に欠けるきらいも。

うーんと、設定がこなれていないかな、という印象です。犯罪計画の複雑さが作品世界にいまいち合っていないのでは。
これをシリーズものの第一作として読むか、(長い後になって続きが書かれるものの)単発作品と見るかでまた違ってくるかも。

2011-08-15

The Cyrkle / Neon


サークルのセカンドアルバム、1967年リリース。
ファースト「Red Rubber Ball」よりもリズムが強調されていて。前作では余り目立たない演奏に終始していたのが、この「Neon」では全面、ベースがよく歌い、ビート系の曲でのドラムはなかなか派手。
エレクトリックシタールも引き続き使われているのだけど、相変わらずサイケデリアとは無縁のフレーズ、鳴り方であって、変わった音のリードギターというところ。あくまでマージービートとフォークを掛け合わせたようなのが彼らの持ち味ではあります。

ただ、サウンド全体から受ける印象はぐっと洗練されたものに。浮遊感の演出がとてもうまいなあ。深いエコーが効いている。タブラが入っているような曲がありますが、柔らかいパーカッションとして機能させています。
そして、エレピやフルート、ヴァイブなどでカラフルな味付けはされているのだけれど、落ち着いていて。ここら辺はプロデューサーのジョン・サイモンのセンスでしょうか。

楽曲面ではバカラック=デヴィッド作の "It Doesn't Matter Anymore" がハイライトなのだけれど、メンバーのオリジナルが意外と良くて、ファーストに収められていたものと比べると格段に向上しているとは思います。まあ、どれもビートルズ臭いのですが。

清涼感あるサウンドに甘いメロディ。シンプルだけれど効果的なコーラス。律儀に刻み続けられるリズムギターや、思い出したように弾かれるカントリー風のリック。どこまでもまっとうではあるけれど、当時のアメリカとしては既にナイーヴ過ぎる表現だったか。今、聴くとやけに眩しい。

2011-08-14

柳広司「ジョーカー・ゲーム」


大戦前、陸軍内に極秘裏に設立されたスパイ養成学校「D機関」。「死ぬな、殺すな、とらわれるな」という戒律を掲げ、軍人精神を真っ向から否定する個人主義者たちの、クールでスマートな活動を描く短編集。
「スパイは疑われた時点で終わりだ」と語られるように、個々の事件はとても地味なものであって、国際的な諜報合戦というイメージからは程遠いのですが、その分リアリスティックな迫力があります。

表題作「ジョーカー・ゲーム」はD機関の紹介であり、また非常に有名なミステリ短編の変奏でもある。意外性の演出も決まった一編。

続く「幽霊(ゴースト)」。心証はシロだが、状況証拠はクロ。英国総領事は果たして陰謀に加担しているのか?
盲点を突くこれも、判ってしまえば古典的なミステリでありますが、事件の構図が複雑であり、一筋縄ではいかない。

「ロビンソン」は敵国に逮捕されたスパイが尋問に対していかに対応するか、がスリリングに活写される。
ミスリードは冴えているし、小道具としての「ロビンソン・クルーソー」の使い方も通り一遍ではない。何より全体に詰め込まれたアイディアの量が半端なく、個人的にはこれがベストかな。
上層部の駒としての面をもつスパイたちには本人に伝えられた任務とは別に、思わぬ目的の中で動かされていることがある。そこに本格ミステリにおける「探偵の操り」テーマを見て取る事もできました。それも非常に洗練された形での。

「魔都」では上海に派遣された憲兵軍曹が、当地に駐在する憲兵隊の中に敵のスパイがいるので、それを発見せよという命を受ける。
この作品ではD機関が中心にはないのだが、それまでの三作をうまく利用して効果を上げている、と思う。ただ、他の作品と比べると、ちょっと緩いか。

最終話「XX(ダブル・クロス)」。ドイツの情報をソ連に送っていた二重スパイが死亡。状況は密室での殺人を示唆するものであった。しかし「密室、あるいは不可能殺人。そんなものは所詮は“言葉遊び”だ。真面目な議論の前提になるわけがない」
真相を知ってみると凡庸ですらあります。それが、この小説世界内では逆に異様なものとして映るのだな。タイトルの意味が再び浮かび上がってくるところなど出来すぎ。
最後にふさわしいといえばそうだが、どっちに転んでもろくな事は無いという、なんともやりきれない読後感ではあります。

緻密な論理などはないけれど、一編ごとに趣向が凝らされ、描写が簡潔で読みやすい、と純粋にエンターテイメントとして優れた一冊でした。

2011-08-13

Susan Maughan / Hey Look Me Over


1967年リリース、おそらくは英国のヒップな若者向けにデザインされたジャズ。
編成はピアノ、ウッドベース、ドラム、ギターのカルテット。グルーヴが第一に優先されていて、殆どの曲がミディアム~アップテンポであります。
主役であるスーザン・モーンさん(モーガン、と読みたくなるがモーンでいいようだ)の歌はいなせ、という言い方がぴったりの元気がいいもの。緩急はわきまえているし、スキャットも無難にこなしているのだけれど、しっとりとした表現とかは少な目です。そういうものを聴かせるアルバムではない、ということだな。

多くを占めているのはミュージカルの曲やスタンダードなのですが、それらに混じって取り上げられている "I'm A Believer" "Call Me" "Kind Of Hush" などのヒットソングがいいフックになっています。完全に消化されていて、まるで違和感無く収まっていますね。
特に良いのは元は映画の主題歌であった "More"。高速4ビートのドライヴ感が実に格好いい仕上がり。

演奏では軽やかな鍵盤が耳を引きますが、ちょっと目立たないところではギターのコードの鳴らし方が丁寧で、これが気持ちが良い。
なお、楽器の数が少ないせいか分離のはっきりしたミックスがされていて、ドラムが右寄りに定位しているのだが、ベースがしっかり鳴っているせいか、さほど気にならないです。ロックやポップスではこういうミックスをすると頼りないのだけれど。

スウィングしなけりゃどうしようもないぜ、という体でありながら品性も感じられ、これもレイト・シクスティーズのロンドンならではの音楽、ではないか。ペドラーズあたりが好きな方にはお勧めしたいな、と。

2011-08-07

ジョン・フランクリン・バーディン「悪魔に食われろ青尾蠅」


ニューロティック・スリラーという懐かしい呼称が思い出される一作。昔、リチャード・ニーリイとか我が国でも結構話題になっていたよね。
これは1948年作と、この手のものとしてはなかなかにクラシック。

精神病院から二年ぶりに退院してきたヒロインが、周囲に対して微妙な違和感を覚えて疑心暗鬼になりますが、人から変だと思われたくなく(ついでに自分の認識にも自信が持ちきれず)いじいじ考え込む、という心理が描かれます。
更に文章自体にも巧妙な工夫があり。特に事件は起こっていないのに、読者にとっては作中の現実レベルを疑わせるような構成がされていて。ミステリとしての機知がちゃんと備わっている、という感じを受けましたよ。

それでも、はじめのうちはあくまで理性的な小説としての形を守っているのだけれど、やがて主人公は生きているはずのない人物と再会、そこから物語は一気に混沌としたものになっていく。
回想だか悪夢、あるいは妄想のようなものが時系列を無視して入り混じり、これらの要素がどういうレベルのものなのか読んでいて区別がつかない。しかし、同時にそれまでは伏せられていた過去の経緯を比較的少ない分量の文章でもって一気に知ることも出来るようになっているわけで、これはやはり充分に効果が計算されての構成ではないか。
また、読者にとっては理解できていると思っていたヒロインの存在がどんどん謎めいたものになっていく、という趣向も良いですな。

どう展開するのか予想もつかない筋を追ううち、終盤に登場する「悪魔」は唐突であり時代的な限界も感じさせるが、その分、迫力がある。
結末にはホラー的な手触りも残りますが、クライムノベルの要素も感じました。
セオリーに縛られないものを読みたいひとには、いいんではないかしら。短いしね。

2011-08-06

The Lewis Sisters / Way Out... Far


ルイス・シスターズのこのアルバムは1959年リリース。ピアニストのレス・マッキャンらとともに作り上げたもので、ジャズのスタイルをとっているけれど、その魅力は一般的なジャズコーラスのものとは全く違うものだろう。取り上げられている曲はスタンダードなものが殆どなのだが、どれも非常にユニークな仕上がりになっていて。

ここで聴けるのはレコーディング作業ということを強く意識し、最終的に全体のサウンドがどう再生されるかを考慮してアレンジされたものだ。
二人の声はステレオミックスの左右の位相にはっきりと分かれているのだけれど、良く似た声質でもって、あまりジャズらしい開放感が無くどちらかといえばクラシック的な素養を感じさせる端整なハーモニーは、さながらシンクロナイズド・スイミングのよう。スタジオ、という密室を強く感じさせる綻びの無さであります。
また、要所を押さえるダブルトラックが独特の印象に輪をかけていて。同じ構造の二声ハーモニーが左右のトラックそれぞれ別録りで入っているのだが、二人の声量バランスが左右で変えてあるため、奇妙な拡がりが感じられるものになっているのだ。更にはエコー処理も幻想的な印象を作り出すのに一役買っていると思う。

演奏は現実離れしたような世界感を補強するように柔らかなセンスで統一されているのだけれど、サックスソロなどに入ると普通のウエストコーストジャズになってしまうのが何だか不思議ではあるか。

テクニックを聞かせるのが主眼ではないし、若い二人のチャーミングさ(図らずもこぼれ落ちる瞬間はあるが)を売りにしているわけでもない。結果としてエンターテイメントとモンド/ラウンジの狭間にあるような、非常に意欲的というか、他に類を見ない音楽になっているのでは。
モダンなコンセプトが際立つ、特異な質感の一枚。