2016-09-25

アガサ・クリスティー「第三の女」


一仕事を終えて、目下のところは暇をもてあましてしているポアロのところに若い女性が訪ねてきた。自分が犯したらしい殺人について相談したいというのだ。だが、その女性は結局、ポアロには何も打ち明けずに去ってしまう。


1966年のエルキュール・ポアロもの長編。
持ち込まれたのは掴みどころのない依頼だ。彼女は誰で、誰をどうやって殺したのだろう? 殺したかどうか自分でもはっきりしないとは、どういうことなのか? 実際に何らかの事件が起こっているのかどうかさえわからない状況であるが、自分の直感に従ってポアロは調査を始めていく。
その過程では麻薬や詐欺、政治的な陰謀の可能性もほのめかされる。ポアロの目の前には中途半端な材料だけは十分すぎるほどにある。どれが本筋の手掛かりなのかは見当がつかないほどに。
そして、問題の女性。彼女は被害者なのか、それとも演技のうまい犯罪者か? ニューロティック・スリラー風のテイストも漂わせながら、物語は終盤まで突き進んでいきます。

何もかもがはっきりしない状態からの解決編は、そのコントラストもあって鮮やかな印象を受けます。
真相はいかにもクリスティらしい趣向ですが、謎解きには相当ずさんなところが目立つ。まあ、この時期の女史の作品はみんなそうだ。肖像画のもつ意味など実に面白い伏線ではあります。

プロットがちょっとロス・マクドナルドみたいで、個人的には楽しめました。
老境に至ってなお新たな試みをしているのが凄いんじゃないでしょうか。マザーグースばかりじゃないぜ、という。

2016-09-23

The Turtles / All The Singles


タートルズがWhite Whaleに残したカタログは過去にはSundazedやRepertoireといったところから再発されましたが、近年は結構長いことデッド・ストックの状態が続いていました。それが、最近になってマスターテープの権利をフロー&エディが獲得したそうで、とうとう「The Complete Original Album Collection」と「All The Singles」としてまとめてリリースされました。このふたつのセットがあれば、とりあえず曲単位では一通り揃うよう。
なお、マスタリングにはなつかしやビル・イングロットの名もクレジットされています。


「The Complete Album~」では6枚のアルバムのうち最初の3枚をモノラル&ステレオで収録。特にアルバム「Happy Together」のモノラル・ミックスは初デジタル化ではないでしょうか。そして、モノラルが無い残りの3枚はステレオ・ミックス+ボーナストラック、という構成で、未発表トラックも少しはあります。
ただ、この「The Complete Album~」、ブックレットはついているけれど、細かいレコーディング・データはおろか、作曲クレジットさえ載ってないのが残念。

ライナーノーツそのものはしっかりと書かれた文章ですが、やけに字がでかい


そして、「The Complete Album~」に入りきらないシングル・オンリーの曲は2枚組の「All The Singles」で、というわけ。'60年代のシングルなので多くはモノラル・ミックスです。そのうちにはアルバム収録されたのとはヴァージョンが違うものがあるほか、リリースが予定されながら中止になったものや、別名義で出された曲もありますし、各ディスクの最後にはシークレット・トラックなんかも。
さらに、こちらのブックレットは一曲ごとにデータや解説、メンバーのコメントが記載されていて、読み応えがあります。初期のB面曲について、これはキンクスを真似たものだ、とか、これはデイヴ・クラーク・ファイヴの線だね、なんてはっきり言っているのが面白い。あと、"Happy Together" のプロデューサーにはジョー・ウィザートがクレジットされているけれど、実際の制作に貢献したのはチップ・ダグラスだ、とか。また、キャリア末期になると会社が独断でシングルを切ってしまうなど、いかにも混乱した状況だったことが伺えます。

この「All The Singles」を聴いていると、その時代の流行を自分たちのスタイルとしてうまく消化していった彼らのサウンドの変遷がよくわかります。フォーク・ロックのグループとしてスタートしながら、やがてボナー&ゴードンと出会い、より洗練されたポップ・レコードを作るようになっていく。そして、ディスク2の冒頭を飾る "Sound Asleep" からはシングルA面も自作曲になり(ヒットは少なくなるのですが)、音楽的にはサイケデリックな要素を強めていくという。


ところで、マスタリング・エンジニアのスティーヴ・ホフマンは自身の主宰するフォーラムで以前から何度も、"Happy Together" のモノラル・シングル・ヴァージョンは世界最高のミックスだ、と主張しているのですね。しかし、それを聴こうにもなかなか手に入らなかったわけで。かつてRepertoire製「Happy Together」CDのボーナス・トラックには "Happy Together" のオリジナル・モノ・シングル・ミックスと書かれているものが入っていたのだけど、実はそれはステレオ・ミックスからのフォールド・ダウンだったのだ。
今回、リアルなモノラル・ミックスを聴いてみるとなるほど、世界最高かどうかはわからないけれど、ステレオ・ミックスよりもダイナミクスに優れていて、スケール感のある仕上がりかも。

2016-09-19

レオ・ブルース「ハイキャッスル屋敷の死」


過去に犯罪捜査に関わり、それを解決してきた実績のある歴史教師、キャロラス・ディーン。彼のところに校長であるゴリンジャーから事件が持ち込まれる。ゴリンジャーの旧友で成り上がりの貴族、ロード・ペンジに何者かが脅迫文を送りつけてきたというのだ。社会的な成功者が妙な手紙を受け取るのはよくあること、と一度はその依頼を断ったディーンであったが、やがて本当に殺人事件が起こってしまう。


1958年に発表された、キャロラス・ディーンものの第五長編。
お屋敷内での犯罪を扱っていて、『死の扉』『ミンコット荘に死す』と比べると物語の雰囲気はやや重ためです。
また、翻訳のせいか、特に前半の文章が読みにくい。ロード・ペンジの台詞は精確なのだろうけどまるで学校の授業での和訳文のように堅苦しいし、厩番のもってまわった言い回しはユーモラスな要素のはずなのに、いまひとつ伝わってこない。

犯人はかなり見当が付きやすい、というか、そもそも隠そうとしていないように思えます。ミスリードもとって付けたようにわざとらしいし。実際、ディーンも早々と真相に辿り着いたようなのですが、物証に欠ける上、関係者たちにとって胸糞悪い事実であるため、自分から明らかにするのには気が進まない様子。
そのうち物語が後半に入ると事件に新たな展開が生じます。そして、そこからがこの作品の肝でしょう。古典的な探偵小説に見えたものが後から付け足された要素によって妙なものになっていくという。

正直言ってコンセプトは面白いけれど、批評性が突出してしまっているようで十分な効果は上がっていないという感じです。謎解きにもちょっと雑なところが目に付くかな。

2016-09-12

The Beatles / Live At The Hollywood Bowl


ハリウッド・ボウルというと昔から "Things We Said Today" がお気に入りであります。サード・アルバムの中ではやや地味な存在であった曲が、ここではまた違った魅力を感じさせてくれます。ライヴでの演奏は全体にスタジオ録音よりもラフでルーズなのだけれど、この曲においてはそれが良い方向に作用しているよう。

今回のリリースは1977年のアルバムの改訂版というより、パッケージから明らかなようにドキュメンタリー映画のコンパニオン・ディスクとしての意味合いが強そうだ。要は独立した商品としてリリースするには(ビートルズのものにしては)弱い、ということか。けれど、ずっと放置されてきたこのタイトルを、ちゃんとしたひとつの作品としてブラッシュアップしてくれてよかったとは思います。
どうせなら全録音をリリースしろ、なんて意見も見かけますが。ボーカルや片方のギターがまるっきり欠落しているものや、演奏そのものがぐだぐだのものまで出したところで、やっぱり批判されるに決まっているのな。

サウンドのほうは非常に迫力があるものになっています。ただ、3トラックという元々の録音の限界でしょうが、ベースギターをくぐもった音のままで大きくミックスしているので、ブーミーな感じもあるかな。再生する音量の大きさでも結構印象が違ってきます。
実際、ブートレッグやファン制作によるリマスターには、もっとすっきりとして聴きやすいものも存在しますが、ロックンロールバンドとしての格好良さでは今回のリミックスが最上ではないでしょうか。"Dizzy Miss Lizzy" や "Boys"、あとボーナス追加された "You Can't Do That" なんて実にライヴ映えしていますね。

2016-09-11

ヘレン・マクロイ「ささやく真実」


美貌と財産を持ち合わせ、騒動を招いては新聞のゴシップ欄を賑わすような存在のクローディア。彼女は新開発された強力な自白剤を手に入れると、それを自宅でのパーティで出すカクテルの中にこっそりと混ぜ、来客たちに飲ませた。大暴露大会をながめては自分だけが楽しむつもりだったのだが、やがて雲行きが怪しくなり……。


1941年発表になる第三長編、ベイジル・ウィリングもの。
今作ではまだオカルト的な味付けはなく、心理分析の要素も控えめ。とても真っ当なフーダニットという印象です。
一見、悪女とその被害者たちという定型的な物語のようで、実はそれぞれのキャラクターたちが一筋縄ではいかない面を明らかにしていく、という展開が面白い。

ミステリとしての切れもいい。容疑者の範囲は限られているものの、誰が犯人であってもおかしくない。そんな状態で明白なひとつの事実から、犯人をダイレクトに指し示していきます。
また、真の手掛かりと背中合わせになったレッド・ヘリングがとてもスリリングで。見当違いの線を追っていたのか、といったん思わせておいてからの反転が格好いい。
伏線はいつもながら行き届いているし、なにより解決編全体がひとつのドラマとして良くできているのだなあ。

創元推理文庫からは次に、第二作「The Man in the Moonlight」の翻訳が予定されているそうで、楽しみであります。

2016-09-06

マージェリー・アリンガム「幻の屋敷」


アルバート・キャンピオンが登場する短編を日本独自に編纂した作品集、その第二弾。今回は1938~55年に発表された作品が収められています。
しかし、どういうことなんでしょうね、これは。時代が進んでいるにもかかわらず、前に出た『窓辺の老人』とあまり印象が変わらないんですね。のどかというか、シンプルというか。

すごく読みやすいんですよ。導入がスムーズで、語り口はおだやかなユーモアをたたえたもの。謎も魅力的で、かつわかりやすい。
その一方で、解決部分はうまくいっていないものが多い。証拠には後出しっぽいものが目立ち、シャーロック・ホームズの時代ならともかく、という感じです。
屋敷の消失という大ネタを扱った表題作「幻の屋敷」なんて、凄くいいアイディアで実際、面白いのだけど、推理というより種明かしをされているようなのが惜しい。

そんな中で、例外的にしっかりと構築されているのが「ある朝、絞首台に」。1950年に発表された作品ですが、まるで黄金期のようなオーソドックスさ。行方不明の凶器の謎を扱いながら、人間性の問題を絡めることでミステリとしての奥行きを感じさせるものになっています。
また、「見えないドア」「キャンピオン氏の幸運な休日」のような10ページ前後の小編になると、たとえ推理の余地が少なくとも、スムーズな流れに乗せられて意外な顛末を楽しむことが出来る。

個人的に一番面白かったのが、ひとを喰ったような犯罪計画の「機密書類」という短編。いってみればアリンガム版「赤毛組合」なのだが、犯人の奇妙なキャラクターが印象的だし、大詰め前の作戦会議におけるダブル・ミーニングもフックになっている。こういうちょっとしたプラスアルファによって、作品にいわく言いがたい魅力が生まれていると思う。

シリーズ探偵を据えてはいるけど、必ずしも推理の物語を志向しているわけではないのだな。その辺りを抑えておけば肩が凝らず、楽しい読み物ではあります。

2016-09-04

法月綸太郎「挑戦者たち」


基本的にこの作者の小説はとりあえず出たら買って読むことにしているので、内容の方は確認していなかったのだが。ページ数のわりに値段が高いね。
それはともかく、本作はミステリでおなじみの〈読者への挑戦〉を99種類の文体でもって提示する、というもの。そのスタイルは先行作品の文体模写から、一般的に日常生活の中で目にする文章のパロディまで。
帯裏には「さて、この面白さがどこまでわかるかね」という挑発的なフレーズが書かれていますが、決してわけのわからない作品ではありません。ただ、ミステリファンでないとわからないアイディアは満載されているけれど、その面白さは必ずしもミステリ的なものとは限らないので、読者を選ぶ作品ではあるかも。

実際、やっていることは懐かしさすら感じるようなものだと思う。しかし、何を器としてチョイスするか、そしてそこに何を盛り込むか、が実に楽しい。「次はこうきたか!」という驚きや、あるいは巻末の参考文献を見て「なるほど、これだったのか」というものも。
内容のほうも〈読者への挑戦〉をはじめとするミステリについての考察や、ミステリ風コントをして読めるものが散りばめられていて、一筋縄ではいかない。
中でも瀬戸川猛資のスタイルで語られる「42 挑戦状アレルギーの弁」はエドマンド・クリスピンを取り上げながら、まさに本家ばりのミステリエッセイとして面白く読めるものになっています。

きっと楽しんで書いたのではないか、そんな稚気を感じました。なんだか筒井康隆っぽくて、好きだな。