一仕事を終えて、目下のところは暇をもてあましてしているポアロのところに若い女性が訪ねてきた。自分が犯したらしい殺人について相談したいというのだ。だが、その女性は結局、ポアロには何も打ち明けずに去ってしまう。
1966年のエルキュール・ポアロもの長編。
持ち込まれたのは掴みどころのない依頼だ。彼女は誰で、誰をどうやって殺したのだろう? 殺したかどうか自分でもはっきりしないとは、どういうことなのか? 実際に何らかの事件が起こっているのかどうかさえわからない状況であるが、自分の直感に従ってポアロは調査を始めていく。
その過程では麻薬や詐欺、政治的な陰謀の可能性もほのめかされる。ポアロの目の前には中途半端な材料だけは十分すぎるほどにある。どれが本筋の手掛かりなのかは見当がつかないほどに。
そして、問題の女性。彼女は被害者なのか、それとも演技のうまい犯罪者か? ニューロティック・スリラー風のテイストも漂わせながら、物語は終盤まで突き進んでいきます。
何もかもがはっきりしない状態からの解決編は、そのコントラストもあって鮮やかな印象を受けます。
真相はいかにもクリスティらしい趣向ですが、謎解きには相当ずさんなところが目立つ。まあ、この時期の女史の作品はみんなそうだ。肖像画のもつ意味など実に面白い伏線ではあります。
プロットがちょっとロス・マクドナルドみたいで、個人的には楽しめました。
老境に至ってなお新たな試みをしているのが凄いんじゃないでしょうか。マザーグースばかりじゃないぜ、という。
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