なんというか、労作ですね。クイーンの作品を全て読んできたひとにとっては、値段なりの価値はあります。
まず作品ひとつひとつの美点・欠点やアイディアのリサイクルに対する指摘がいちいち明確でうなずける。しかし、『三角形の第四辺』などくそみそだな。
ライツヴィルものに多く見られる欠点として挙げられているのが、実在感ある人々や社会の描写と、現実離れした動機及びロジックの喰い合わせの悪さ。我が国の現代ミステリはこれがさらに行き過ぎているようで、個人的にはあまり読む気がしなくなったのだ。
1930年代の終わりから1948年までの間、クイーンはラジオ・ドラマの脚本を手がけていて、それに関する文章には100ページ以上割かれている。それだけ、この時期がクイーンのキャリアの上で非常に重要であったということなのだが、予想以上に多かった。全エピソードの内容について触れていて、未知のものが多いとなると読むのがなかなかしんどい。
しかし、週一作のペースで謎解きの脚本をひねり出すというのは恐ろしく疲弊したに違いない。1940年代半ばにフレデリック・ダネイはプロット制作から降り、あとはアントニー・バウチャーらに引き継がれることとなった。
また、後に小説化された「クリスマスと人形」(ネヴィンズは『犯罪カレンダー』の作品中でも「文句なしに最高のもの」と絶賛している)はマンフレッド・リーがダネイのプロット無しに単独で書いたものらしい。
そのほか、気になったところをいくつか拾ってみると。
・『十日間の不思議』が発表された頃、アントニー・バウチャーがダネイ宅を訪ねたところ、そこにはジョン・ディクスン・カーもいたという。カーは『十日間~』にどのような感想を持ったのか気になる。なお、本書でダネイの親友として挙げられているのはカーとダシール・ハメットです。
・『クイーンのフルハウス』や『犯罪実験室』収録作のうちいくつかはリーがスランプの時期に発表されたものであるゆえ、ダネイのプロットを小説化したのは誰かほかの人物らしい。短編の代作については考えてなかったなあ。
・1960年代に出版されたペーパーバック・オリジナルはリーの財政的な問題を救うためのもので、一応はリーの手は加わっているが、ダネイはまったく読もうとはしなかった。また、英国ではハードカバーで、真正のクイーン作品と同じ黄色いカバーを付けて出されていた。
・リーが執筆に復帰したのは長編『顔』(1967)からであり、ダネイの梗概をもとにアヴラム・デイヴィッドスンが小説化した『真鍮の家』(1968)はそれ以前に書かれたものだと推測されている。
・ホルヘ・ルイス・ボルヘスの作品が初めて英語圏に紹介されたのは《エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン》。
本書の最後の章「付録2 フレッド・ダネイと働いて遊んで」では著者、ネヴィンズとダネイの個人的なかかわりについて書かれているけれど、《EQMM》に寄稿された作品に対してダネイが具体的にどのようなアドヴァイスや改良を施していたかを知ることもできる。
また、この章ではダネイからネヴィンズへの私信の抜粋がたくさん載せられていて、その文面からひととなりが伝わってきます。
「マニーと私はいつも、Qのヒゲを二本描いてきた。特に、サインをするときにはね。二本のヒゲは、二人の人間が合作していることを示しているのだよ」