2024-02-24

横溝正史「女王蜂」


伊豆の沖にある月琴島育ちの美貌の娘、智子は18歳を迎えると義理の父親のいる東京の屋敷に引き取られることになっていた。だが、その日がくる直前に警告文が舞い込む。彼女が島を離れたなら、その前には次々と死人が出るだろう、というのだ。


1952年、金田一耕助もの長編。
設定や展開には、過去作品の再利用のようにみえるものがあって。とりわけ、地位ある人物の娘を射止めようとする野心家の若者たちの争いとくれば前年の『犬神家の一族』と一緒じゃん、と思ってしまう。
もっとも物語の雰囲気におどろおどろしい所はなく、むしろ都会的な印象。話の流れも実に滑らか。良いことかどうかはわかりませんが。色々な事件が起こっている割に、既視感もあってか読み物としてあっさりとした印象も受ける。

フーダニットとしては登場人物がそれほど多くない中で誤導を利かせ、なかなか尻尾を掴ませないし、大きなトリックはないものの、実にうまいこと拵えられている。作中の表現を借りれば「段取りがうまくついて」いるのだ。特に写真を巡る伏線や、「蝙蝠」に例えられる欺瞞(チェスタトンのいただきではあるけれど、用例はそんなに多くないのでは)がいい。
そして何より、関係者を集めた中、耕助が犯人を指し示した科白、そのダブルミーニングよ

一方で、連続殺人の見かけに対して、内実があまりにモダンすぎるのではないか。そのおかげで犯人の見当がつき難くなっているのだけれど、動機の説得力を弱く感じるかも。
特に納得しがたいのは、自分自身が遠い過去に犯した犯罪をわざわざ掘り返して「あれは事故ではなく、殺人だっただろう」と警告に使ったこと。結局、その秘密がばれそうだと思って更なる殺人を重ねたのだから、さすがに心理的に無理があるのでは。

派手なキャラクターや、いきなり拳銃が出てきたり、あるいは耕助が謎を解くことで更に死人が増えたりと、いわゆる通俗性も強いですが、脂の乗った時期とあってミステリとして細かい芸が楽しめる作品でありました。

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