2023-12-09

横溝正史「犬神家の一族」


すべてが偶然であった。なにもかもが偶然の集積であった。しかし、その偶然をたくみに筬にかけて、ひとつの筋を織りあげていくには、なみなみならぬ知恵がいる。

1951年の金田一耕助もの長編。
莫大な遺産に異様な遺言状。お互いに憎しみあう一族。当然のように殺人事件が起こります。
犬神家の来歴に関する説明がそれほど長くならず、すぐに本題に入ってくれるのはいいですな。
耕助が事件に巻き込まれるまでの呼吸は偉大なるワンパターンといった感じ。おお、またこれか、というね。そしていきなり、もっとも怪しくなさそうな人物を疑うあたり、推理小説として力がこもっているように思います。

この作品の肝は戦争で顔に負傷をした、復員兵であるところの佐清の設定ですかね。短編「車井戸はなぜ軋る」を思わせもしますが、顔のない死体の趣向を生きた人物でやってしまう、というのは大いなる創意でしょう。
また、派手な見立て殺人があるのだけれど、おどろおどろしい作品世界においては一種の様式美ですな。見立てをすることに必然性があればいいし、無ければそれでもかまわない。その点、この作品は見立ての動機に独特のところがあって、これが横溝正史のセンスなのでしょうね。

使われているトリックのうち一番大きなものは現代の読者なら見当がつくでしょう。
一方、事件全体の構成は伏線こそたくさん張られているけれど、若干都合が良すぎるかと。時代がかった装飾とはうらはらに、内実は所謂モダーン・ディテクティヴ・ストーリイ。ただ、そのおかげで謎解きとしては意外なくらいにすっきりと収めることが可能になったのだと思います。

もっともこの作品の魅力は印象的な場面の数々にあり、なるほど何度も映像化されるわけよね。また、相当に複雑であったはずの人間関係をわかりやすく読ませてしまうのも大したものです。

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