2025-03-29

R・オースティン・フリーマン「ソーンダイク博士短編全集Ⅰ 歌う骨」


<クイーンの定員>にも選ばれたふたつの短編集を収録。この本は4年ほど前に読みかけていたのだけれど、半分くらいのところで放置していました。で、もう一度、頭から読み直した次第。


まずは1909年に出た第一短編集『ジョン・ソーンダイクの事件記録』から。八作品が収録されています。

ソーンダイクものの特徴として挙げられるのが作中で描かれる科学捜査のディテイルであります。今となっては古びているのだけれどハンドメイド感が楽しく、証拠写真の入っているところは読んでいてちょっとファーブル昆虫記を思い出しました。
また、その推理は専門知識に頼ったもので、読者には参加の余地があまりなく、説明される分析過程の追体験の面白さで読ませる。短編とあって仕方のないことかも知れないが、証拠が後から示されることも多いです。

ミステリとしてフーダニットやホワイダニットの興味は乏しい(ハウはあります)。また、プロットに省略を利かせることや、キャラクターをディフォルメすることで面白くする、という行き方は捨てている。警察が軽視した物証から筋の通った解決を導く流れは丁寧につくられ気持ちが良いのだが、誤導は通り一遍で、展開も実直とあって、意外性の演出への意識が薄い。自然、作風のレンジは狭いです。
面白い創意があるトリックを仕込んだ作品がいくつかあるのだが、めりはりに欠ける展開のせいで、読み物としていささか勿体ないことになっているかなあ。
そんな中で、「青いスパンコール」は謎そのものに不可解さがあり、それが解かれることによって事件の様態ががらり、と変化するもので他の作品からは際立っているかと。

この『ジョン・ソーンダイクの事件記録』に関しては「シャーロック・ホームズのライヴァルたち」の範疇かな、という感想です。



続いては1912年に出された『歌う骨』。収録作五編のうち四作品が倒叙形式で書かれたもので、残るひとつは普通のスタイルの探偵小説です。

これら倒叙ものは二部構成になっていて、前半が犯人の行動、後半にソーンダイクの捜査が描かれています。
その前半部分ではフリーマンの細部にこだわった作風が良く出ていて、犯人像が説得力を持って迫ってくる。犯行時の些細なミスも漏らさず書かれていて、ミステリとしてぐっと進歩したものになったように思う。
後半のソーンダイクの捜査は従来通りといえばそうなのだが、その進行の様子が逐一、読者にもわかるように書かれていて、いかにもフェアです。

なかでは倒叙ミステリの嚆矢とされる「オスカー・ブロドスキー事件」と、「練り上げた事前計画」が特に力がこもっているように思う。「オスカー~」での犯人の心理描写は迫力を感じさせるものだし、「練り上げた~」は題名が示すように謀殺を扱ったものだが、準備段階ではいかにも冷静で切れ者風だった犯人が、実行になると予想していなかった事態に慌て、必死にその場からは逃げ去る様が読ませる。
また「ろくでなしのロマンス」は同じ形式を採用しながら物語性にも注力した一編であります。

作者フリーマンはこちらの短編集の前書きで、これら作品の形式は捜査の過程を一層、緻密で興味深く描くことを可能にするものだ、というようなことを言っているのだが、現在からするとクライム・ストーリイとしての面白さが勝っているように思います。

2025-03-20

ジェローム・ルブリ「魔王の島」


このフランスの作家さんの長編はふたつ翻訳されているのですが、その評判はどちらも毀誉褒貶相半ばというところ。下げているほうも本気っぽいようなのをお見受けして、逆に興味をひかれた次第。まあ、読んでみなければ始まらない。

この『魔王の島』は──2019年に発表された第三長編で、母国では賞も獲得しているそうだ──「何を言ってもネタバレになる」らしく、おまけに「アンフェア」だと。面白そうではないか。
と読み始めたのだが、いきなりはじめの方にえぐい描写があって、気持ちを挫かれてしまう。

舞台はノルマンディーの孤島。第二次大戦後にそこでは大変な事件があったらしい。37年が経ち、当時より島に住み続けていた女性、シュザンヌが亡くなった。それを受けて孫娘にあたるサンドリーヌが事後処理のために島に渡る。以降、カットバックで時代を行き来しながら、祖母と孫の体験が語られる。
最初は読み進めるのに難儀しました。物語がどういう種類の展開をするのかが見当が付かない上、物語の雰囲気が暗いのだ。サンドリーヌは表立っては口に出さないが、ずっと嫌な感じがしていて早く帰りたいと思っている。
140ページを過ぎたところでようやくミステリらしい事件が起こる。ああ、なるほど、こういう話だったのかとここで合点がいきました。もっと早く気付いても良かったくらいだ、と。
ところが、そういう話にはならなかった。あれあれ、と思っているうちにファンタスティックな要素をはらみつつ、島に隠されていたおぞましい秘密が明らかになっていきます。

と、思ったのだが。章が変わり、話もがらりと変わる。確かに予想しようもない展開です。ミステリの作法から言えば大いに問題があるのだが、違うジャンルの小説なら珍しい趣向ではない。何より、作品の結末近くでこれをやられれば腹を立てるかもしれないが、まだ全体の半分にもきていないのだ。
そして、ここからは謎解きの物語が始まります。ちゃんと探偵役もいて、かなり流れが分かりやすく、テンポも良くって読みやすい。ただし、明らかになっていく事実はかなり胸糞が悪い。なおかつ、まだまだ奥がありそうであって、嫌な予感を覚えながらもぐいぐいと引っ張られ、読み続けざるを得ない。

結末は、こう来るのね、という感じ。推理できるように作られてはいませんが、構成からするとそれほど無理のある着地ではない、と思いました。額縁小説としての内側は綺麗にまとまっているのだから、これで充分ではないか。

なかなか面白かったです。陰惨なのは苦手ですけれど。同じ作者の『魔女の檻』も既に買ってあるので、そのうち読みます。 しかし『魔王~』、『魔女~』ともKindleにはなかったのだが、他社からは電子書籍が出ているのね。
(追記:後にKindle版も出ました。)

2025-03-09

Badfinger / Head First


昨年の暮れにバッドフィンガーの「Head First」の50周年盤というのがリリースされました。実際に「Head First」が世に出たのは2000年ですが、制作されたのは1974年の12月なのです。

過去に出された「Head First」は、録音エンジニアによってリファレンス用に作成されたラフ・ミックスがもとになっていました。マルチトラックは無くなったとされていたのです。
で、ややこしくも長い事情を短くすると、オリジナルのマルチが最近になって発見されたと。この50周年盤はそこから新たにミックスがなされたもので、曲順も変わっています。ラフ・ミックス版は演奏がラウドでボーカルがやや引っ込み気味だったのに対して、新しいものはすっきりとバランス良くまとめられていますし、音質も当然、良くなっています。
また、"Saville Row" という30秒ほどのインストは、新たにレコーディングが加えられて2分弱くらいの曲になっています。

アルバム自体は期間の限られた状態の中、急ぎで作られたものです。あまりに余裕がなかったため、アップルでの最後からワーナーに移ってからの2作目までを手掛けていたクリス・トーマスは仕事を辞退しています。実際、それまでの作品と比べれば充分なプロダクションがされたものとは言いかねるし、オルガンを入れたことで厚みは増したもののアレンジの幅は限られている。
そういったように最上の部類のバッドフィンガーではないのですが、彼らの魅力ははっきり感じられるし、今回のリリースでようやく「Head First」をひとつの完成された作品として受け入れられたような気もします。