2018-09-01
Buffalo Springfield / Last Time Around
バッファロー・スプリングフィールドの3枚目にして最終作、1968年のリリース。
基本的にメンバーがばらばらに録音した曲や以前からの残り物をレコード会社との契約履行のためにひとつに纏め上げたアルバムです。プロデューサーにはジム・メッシーナがクレジット。
ニール・ヤング、スティーヴン・スティルス、リッチー・フューレイのうち関与の割合が一番少ないのがニール・ヤング。凄く良い曲をふたつ書いているのだけれど、リードを取って歌っているのが一曲なので、アルバムの流れの中ではその存在があまり印象に残らない。あとはスティルスとフューレイが半々という感じだがジム・メッシーナの曲もひとつと、ラジオ局主催のコンテストで一般から選ばれた曲、なんてのも入っている。
全体におだやか、まろやかな手触りで音楽的なスリルはあまり無いように思う。その分、ポップスとしてかっちりとプロダクションされたものが多く、ラストの "Kind Woman" を除くと、イメージほどはカントリー的な要素は感じないなあ。
様々なアイディアを扱いながらつぎはぎではなくひとつのイメージを結ぶように構築した "Questions" と、超ポップな "Merry-Go-Round" が出来としてはひとつ抜けているけれど、個人的には2~5曲目あたりに漂うメランコリックなテイストが物凄く好み。ときにジャジーで都会的、あるいは後期ラヴィン・スプーンフルからフィフス・アヴェニュー・バンドを結ぶ線上にあるようなグリニッジ・ヴィレッジ的なセンス。ボサノヴァの "Pretty Girl Why" なんて実に洒落ているし、"Four Days Gone" はティム・ハーディンのようでもある。
これ以前とは別のグル-プになってしまった感がないではないが、いいアルバムですな。
2018-08-25
エラリー・クイーン「犯罪コーポレーションの冒険 聴取者への挑戦Ⅲ」
エラリー・クイーンによるラジオドラマ脚本集第三弾。9年ぶりに続編が出たというのは、つまりクイーンは今、ちょっと良い感じが来てるのでしょうか。以前の二冊と比較してボリュームがかなり増している。その分、値段も張ります。
肝心の内容なのですが。前二冊にはミステリとして『エラリー・クイーンの冒険』『~新冒険』に通ずるような質があったと思います。正直、今回のはそこまでではないかな。振り返ってみて、おお、巧く作ってあるな、と感心するのであって。仕掛けにあるクイーンらしさを鑑賞する、という類のものだと思う。早く言えばファン向けです。
一方で、プロットには捻ったものが多い。ある程度ルーティンを外していくような展開や意外なタイミングが楽しく、この辺りの魅力は現代でも通用するのではないかと。
印象的だったものをば。
「一本足の男の冒険」 1943年に放送されたもので、戦意高揚のプロパガンダにはいささか辟易してしまう。ミステリとしては密室ものだが、主眼はそこにはない。犯人確定のロジックはシンプルにして、奇妙な状況をすっきりと落とし込んだクイーンならではのテイスト。
「カインの一族の冒険」 3人兄弟のうち遺産を引き継ぐのは一人だけ、その者が亡くなれば他の二人で分けろ――。旧約聖書から引いたであろう名前といい、申し分なくはったりの効いた導入は身内同士での殺し合いを示唆する。しかし、そこからの展開は徹底してオフビート、あれよあれよという間に〈聴取者への挑戦〉へ。
「犯罪コーポレーションの冒険」 強力な誤導を効かせたフーダニット。読み返しが利く書籍だからこそ、その大胆さに感心できるというものだ。当時、放送を聞いていたひとは唖然としたのではないだろうか。
「見えない手掛かりの冒険」 殺人予告を扱っているが、レギュラー・メンバーのほかには被害者しか出てこない、という大向こう受けを狙ったようなパズル・ストーリー。
「放火魔の冒険」 犯人がトリックを仕掛けるタイミングの大胆さ、ただひとつの物証から犯人に辿り着くロジック(ある知識から発するものだが)とも実にクイーンらしい切れを感じさせる。
「殺されることを望んだ男の冒険」 この作品のみシナリオ形式でなく、小説で収録されている(残念ながら小説化は他の作家の手によるものだそうだが)ので、いちばん落ち着いて読める。また、プロット自体がトリッキーで楽しい。
それぞれの出来自体には良し悪しがありますが、まぎれもないクイーン作品で未読のものがあれば、手が出てしまうのはファンの性というもの。巻末にはこれまで単行本にまとめられていないエピソードの紹介があって、これもかなりの労作だと思います。
2018-08-11
Buffalo Springfield / What's That Sound? Complete Albums Collections
バッファロー・スプリングフィールドの3枚のアルバムをミックス違いも独立させて収録した5枚組。セカンド「Buffalo Springfield Again」のモノラル・ミックスは初リイシューになります。一方、ファースト・アルバムの初回プレスにのみ収録され、その後は "For What It's Worth" と差し替えられた "Baby Don't Scold Me" のステレオ・ミックスは今回も入っていません。"Mr. Soul" のシングル・ヴァージョン(ギター・ソロが異なるのだ)といい、もうマスターテープが存在しないのかも。
彼らのボックスセットは2001年に4枚組のものが出ていて、そちらはレアトラック満載のHDCD仕様でした。今回のリリースはHDCDではありませんが、マスタリング自体は更に良くなっているように思います。
パッケージの方は簡素なつくりで、ブックレットも無く、ニール・ヤングのコメントが載った紙が一枚のみ。この辺りはニールのソロ・アルバムのボックス単位でのリイシューに近い形態。
なお、2001年のもの同様、ニール・ヤングはスーパーバイズやなんやらで関わっているのですが、スティーヴン・スティルスはこのリリースについてメディアの取材を受けるまで全く知らされていなかったそうです。
バッファロー・スプリングフィールドは活動期間が二年くらいしかないので、バンドというよりソロ・アーティストの寄り合い世帯みたいなイメージがあるのね。実際、全員揃ってスタジオ入りしたのはファースト・アルバムだけだし。あと、デューイ・マーティンのドラムはヘタクソでレコーディングでは使い物にならなかった、という話もあるが、そこを掘り始めると長くなるので割愛。
「Buffalo Springfield Again」のモノラル・ミックスに関しては好きずき、といったところか。1967年の米国産のアルバムだとたいがいはステレオのほうが出来はいいと思っているのですが、「Again」の場合は編集やオーバーダブの継ぎはぎ感がとても激しいので、まとまりとしてはモノラルのほうが良いかな。
それよりも改めて聴いていて思ったのは、寄せ集めのはずの「Last Time Around」ってこんなに良かったっけ、てことです。2001年ボックスでの扱いが良くなかったのを思うと、色々と考えてしまう。ニール・ヤング史観、とか。
2018-08-04
カーター・ディクスン「九人と死で十人だ」
本来は客船であるエドワーディック号は、戦時下ということでありニューヨークからイギリスへ軍需品を運ぶ任務も担っていた。その途上である女性客の喉が掻き切られる殺人事件が発生、被害者の衣服には犯人のものと思しい血染めの指紋が残されていた。早速、乗船している全員から指紋を採取、照合が行われる。しかし、その結果、一致するものが見つからなかったのだ。勿論、海の上であり外部から船への出入りは不可能だ。犯人はいるはずのない十人目の乗客なのか。
1940年、 ヘンリ・メリヴェール卿もの。
『盲目の理髪師』同様、船上ミステリです。もっとも、『盲目~』がまるっきり喜劇であったのに対して、全体に戦争の影が大きく落ちておりシリアスな雰囲気です。ところどころにふざけたやりとりがあって、いいスパイスにはなっていますが。
ミステリとしては指紋の謎が当初よりもずっと大きなものになっていくのが良いです。まず、化学分析により作り物ではなく実際の人間の指から付けられたものであることが事実として証明される。また、偽装だとしたら、そもそもクローズドサークルでそんなことをする目的が理解できない、となってしまう。しかし、船内に隠れている人間などいないのだ。
そうしているうちにさらなる殺人が起こる。
指紋の謎の解決には正直、拍子抜けの感を受けました。そんなことが出来るのかな、みたいな。しかし、フーダニットとしては非常に良く出来ています。ごくシンプルなトリックが絶妙な演出によって見え難いものになっている。戦時下であることが実にうまく機能しているのも素晴らしい。
分量からして軽量級ですが、すっきりとして切れのある出来栄えです。この時期におけるカーの美点が良くわかる作品ですね。
2018-07-31
エラリー・クイーン「エラリー・クイーンの冒険」
1934年に出版されたクイーンの第一短編集、その新訳。元本の初版にのみあったというJ・J・マックによる序文は今回初訳だそうです。各編の雑誌発表も1933、34年と短期間に集中していて、脂が乗っていたことが伺えます。
全作品、旧訳で何度か読んでいるのですが、簡単な感想をば。
「アフリカ旅商人の冒険」 謎解き短編の教科書的なパターンをなぞったような作品。多重解決が魅力であるが、いかんせん紙幅が少ないので偶然に頼っている面があり、半ば探偵小説のパロディのように感じてしまう。しかし、腕時計をめぐる推理にはちょっとした盲点を突くものがあります。
「首吊りアクロバットの冒険」 一転して読者を引っ掛けることに力を注いだ作品。ブラウン神父譚にヒントを得たようなホワイダニットの趣向もすっきりと決まった。
「一ペニー黒切手の冒険」 シャーロック・ホームズの有名作から来ているような発端からひとひねりしたプロット。さらに解決にも別のホームズ作品を思わせるアイディアがあって楽しい。
「ひげのある女の冒険」 クイーンとしては最初期のダイイング・メッセージもの(細かいことをいうと実際はダイイング、瀕死の状態ではないのだが)。現在から見ると流石にシンプル過ぎるけれど、その一方で犯人、トリック、動機を一度に貫いていく鮮やかさは捨てがたい。また、容疑者たちのキャラクターには後の『Yの悲劇』を思わせるところがある。
「三人の足の悪い男の冒険」 誘拐もの。まあ、これも今となっては、というトリックではあるが、犯人による不注意を装った工作と本当の不注意を並べた皮肉、エラリーが自らの推理に確信を得るタイミングなどからは独自性を感じます。
「見えない恋人の冒険」 後のライツヴィルものを連想させるような舞台設定が楽しい。またもブラウン神父を思わせる後半の展開。しかし、小さな違和からはじまった演繹が遂には唯一の犯人を指し示す推理の流れからは、これぞクイーンと思わせられる。
「チークのたばこ入れの冒険」 スピーディーでツイストのあるプロット、物証からの見事な犯人断定等は国名シリーズを濃縮したような味わい。ただし、咄嗟に行動した犯人の勘があまりに良過ぎる(言い換えればご都合主義)のは否定できない。
「双頭の犬の冒険」 これはホームズ譚から来ているようなプロット、手掛かり。いささか古臭い感は否めない。じっくりとした雰囲気の書き込みこそが見所か。
「ガラスの丸天井付き時計の冒険」 ダイイング・メッセージその2。しかし、既にこの趣向そのものが対象化されている、というのが凄い。また、一見複雑な状況を解き明かすロジックもとても明快だ。
「七匹の黒猫の冒険」 発端の謎はまたしてもチェスタトン的。フーダニットとしては非常にスマートな仕上がりで、誤導も申し分無いと思う(が、動機までは手が回らなかったか)。
「いかれたお茶会の冒険」 ルイス・キャロルをモチーフにした "mad" な状況作りが素晴らしい。これにより、ミステリとしての微妙な描写も可能になっている。ひとつの違和から唯一の容疑者へ導かれるロジックもシンプルで、気持ちの良いものだ。
各々40ページほどの中にひねりのある謎解きとしっかりとした肉付けもなされていて。やはりクイーンの短編集ではこれがベストですね。
次回は『シャム双子の謎』の刊行が予定されていますが、何時なのかは書いてないね。
2018-07-24
Chris Rainbow / White Trails
1979年にリリースされた3枚目のアルバム。最近、英Cherry Red傘下のLemonというところからボーナストラック入りでリイシューされました。
アレンジ、プロデュースはクリス・レインボウ本人。演奏はモー・フォスターやサイモン・フィリップスらセッション・ミュージシャンによるもので、涼やかなエレピはマックス・ミドルトン。また、ギターには元パイロットでアラン・パーソンズ・プロジェクトに参加していたイアン・ベアーンソンの名前がある(クリス・レインボウもこの後、アラン・パーソンズ・プロジェクトのレギュラーになります)。
このアルバム、大昔に聴いて、そんなにいいとは思わなかったのよな。日本のレコード会社の売り文句から、こちらが勝手にビーチ・ボーイズ的なものを期待していたせいなんだけれど。確かにメロディとコーラスにはそういった要素があります。しかし、オケは時代相応のアダルト・コンテンポラリーというかシティ・ポップじゃないか、と。AOR的なものはどうも苦手なのよ。若い頃には特にそうだった。
しかし今、先入観を排して接してみると英国モダンポップ的なセンスがそこここに感じられ、おお、思ってたのよりずっと良いじゃないか、となったわけ。コーラスのエフェクト処理、ギターの音色、ぐねぐねしたフレットレスベースのフレーズ等、当時の典型的なサウンドからは一線を画したものであります。
歌声の方は甘さとシャープさの両面を併せ持ち、カール・ウィルソン的な瞬間もある。また、クロースハーモニーになると、ひとり多重録音で作っているせいかタイミングがジャストで、そのことから密室的な印象を受けます。
"Song Of The Earth" がアコースティックな響きを生かした開放感ある曲で、'70年前後のビーチ・ボーイズを思わせ、個人的に一番好みであります。凝りまくったコーラスアレンジもたまらないわあ。
メロウ化した末期パイロット好きなひとなんかにも合うアルバムじゃないかと。
2018-07-17
The Who / Live At The Fillmore East 1968
50年前の4月6日、ニューヨーク公演の演奏。
当初、ライヴ盤を作るべくこの日とその前日の公演が録音され、それらからピックアップしたアセテート盤も作成されたがお蔵入りに。そのアセテートをソースにしたブートレッグも古くから出回っていました。
今回のリリースは4トラックをレストア、新たにミックスされたものであります(なお、ライナノーツによれば5日のマスターテープは行方知れずだそう)。
音の方は'60年代のライヴということを考えれば、かなりいい。演奏のほうも当時のザ・フーだからいいに決まってら。他にはモンタレー・ポップ・フェスティヴァルくらいしかないわけだし。
とはいっても30分を超える "My Generation" は実は10回あまりしか聴いていない。どうもとりとめが無いようで疲れる。一番いいのが、ロジャー・ダルトリーが "f-f-f-fade away" と歌っている途中でジョン・エントウィッスルが勝手に "fade away!" と叫ぶところだったりする。
このライヴが行われたのはサード・アルバム「Sell Out」の本国でのリリースから4ヵ月も経っていないころ(アメリカだと3ヶ月)で、その「Sell Out」からの曲も演奏しているけれど、ここでは完全にサイケデリックを脱している。バンドとしては既に'70年代以降のモードに移行しているようである。ハアアアド・ロック!
それにしてもフーのサウンドというのは独特だ。そして、ライヴだとさらに硬質でドライな印象を受ける。ベースはトレブル強め。タウンゼントのギターは暴力的でありながら繊細、歪んでいるけれど一音一音はクリアに聞かせる。キース・ムーンについていうと、ドラムキットが大きくなってからは精彩を欠いていった印象を持っているのだが、この時代はまだ手数の多さがグルーヴを邪魔していなくて、いいですなあ。
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