2011-12-05
アガサ・クリスティー「邪悪の家」
ポアロとヘイステイングズが保養地で出会った若い女性に、最近三度も命の危険にさらされた、という話を聞かされる。そしてまさにその最中、一発の銃弾が。殺人を未然に防ごうとするポアロであったが・・・。
エルキュール・ポアロものとしては六番目の長編。
事件はひとつしか起こらず、関係者は限られているが、みなアリバイは無い。現代から見ると、これで大丈夫なの? と思うほどあっさりした設定だけれど、こういったものでこそ推理作家としての技量がはっきりわかるのでは。
狙われる側の女性における、人間性の謎。そんなものでちゃんとミステリとしての盛り上がりを作ってしまうのだから、凄い。事件そのものに派手な要素がなくても、殊更に奇をてらうことなく興味をつなぐことは出来るのだな。
ある程度読みなれたひとなら直感的に犯人の見当は付くかもしれないし、大詰めの演出だってよくあるものだが、それゆえにクリスティならではの創意を味わうことができる。
解決部で次々に明らかにされる意味の反転は、本当にお見事。大胆な手掛かりが同時に、誤導としても機能していて、その無駄の無さときたら。
あと、容疑者リストのこの使い方はどうだろうか。
軽快な運びも好ましい。ウェルメイドの魅力、安定の一作。
2011-12-04
The Rolling Stones / Some Girls
二枚組のやつを買いました。
一枚目は「Some Girls」(1978年)本編だけど、これは二年前のリマスターと同じなのかな? ドンシャリで。コンプレッサーを強くかけたようなスネアの音はあんまり好きじゃないな。
二枚目のほうは当時のボツ曲に新たにオーバーダブをして完成させたもの。こちらは本編よりも自然な音の鳴りをしています。ミックスはボブ・クリアマウンテンの丁寧な仕事。ただ、昔の録音、という感じが無いのはいいのか悪いのか。猥雑さが足りないような。
ミックの今の声が混ざってるのが嫌だという意見もあるようで、まあ、確かにスロウではくどくてやらしい感じはします。
曲としてはラフでルーズなロックンロール、あとカントリーっぽいものが目立つ。「Some Girls」本編で見られたような攻撃性は薄くて、もっとリラックスした感じ。ワンアイディアで押し切ったようなものが多く、中にはつまんないのもあるよ、うん。
去年出た「Exile On Main St.」のときは本編も新規リマスターだったので、二枚目は豪華なオマケくらいに考えて納得していたんだけれど。今後、このレベルで色々出されたら、ちょっと考えてしまうな。
大昔に初めて「Some Girls」を聴いたときは、テンションの高いジャンプに圧倒された。 "Lies"、"Respectable" とか曲としては大したことないんだけれど、僕も若かったのでテンポの早い曲が大好きだった。今はじっくりとしたタイトル曲の方が良いと思う。
ギターをいっぱい重ねて厚みをつける、というのはここらからかな。それまではリズム×2、リード×1くらいだったのが、ちょっと聴きにはよくわからんくらい入れる、というやり方。ずっと聴いてるとちょっと飽きる。雑な感じがして。
それから "Miss You" なんて全然ディスコじゃないと思ったし、今でも思ってるよ、ゆるいファンクだよね、これは。
改めて聴き返してみるとパンク云々より、都会的なロックンロールとしての面が格好いい。
それでも "Before They Make Me Run" を聴くと、クラッシュのミック・ジョーンズを思い出すんだけれど。
2011-12-03
ジャック・カーリイ「毒蛇の園」
「いたるところにあるスピーカーからジェイムズ・ブラウンの声が流れ、火傷をした山猫のように激しい声で "ベイビー、ベイビー、ベイビー" とわなないていた」
"I Got The Feeling" だろうか。作中でラジオ局が重要な役割を果たしているせいか、これ以外にも音楽についての言及が目に付く。パーティ会場のバンド演奏、モンゴメリー室内管弦楽団、ロイ・オービソン、ブーツィ・コリンズ、オーディオセットやカーステレオで鳴らされるスウィングジャズ、そしてデューク・エリントンの "East St. Louis Toodle-Oo"。
カーソン・ライダー刑事を主人公とした三作めは、またしても猟奇的な殺人で始まる。ただ、今回は読者にとってははじめから犯人がはっきりしているように見える。施設から逃げ出してきたらしい全身毛むくじゃらの男、ルーカス。窃盗をしたかと思えば、ビジネスマンに扮してみたり、凶暴で知的、大胆不敵なこの男は一体何を目論んでいるのか?
いろんな要素がぶちこまれてごたついていた前二作と違い、すっきりとした警察小説といった印象で。強力な謎が引っ張るわけではないのだが、サスペンス的要素が濃く、場面転換もテンポが良いのでどんどんと読めてしまえる。
また、何もなさそうなところに埋め込まれている地雷のような仕掛けは今作でも健在であります。
伏線の置き方は、ここには手掛かりが隠れている、とはっきりと書かれているが読者にはそれが何を意味しているのかは判らない、というもの。そして、それが明らかにされたとき、これまで見せられていたものが違う意味を持ちはじめ、事件の様態そのものがねじれて行く。それが物証だけでなく人間性にまで及んでいるところが巧く、真相には前作『デス・コレクターズ』同様、ロス・マクドナルドあるいは後期クイーンが好んだ構図に近いものを感じました。
驚きを物語のヤマに据えていないせいか世評はそれほど高くないようなのですが、小説としてのこなれも良くなり、個人的にはこれまで読んだ三作のなかでは一番面白かった。ただ、謎解きが終わってから後の部分、お話の解決は相変わらず強引。
ハリーが格好いいな。
2011-11-27
北山猛邦「『アリス・ミラー城』殺人事件」
孤島の洋館「アリス・ミラー城」に探偵たち八人が招かれる。彼らはそれぞれが依頼によって、ルイス・キャロルの小説「鏡の国のアリス」中でアリスが通り抜けた鏡を手に入れるべく、島を訪れたのだ。
彼らに、島の持ち主とメイド一人ずつを加えると、全員で十人。一方「アリス・ミラー城」の一室にはチェス盤があり、その上には白の駒が十個置かれている。
さらには第一章のタイトルは「remain 10」となっていて、そこでひとつのルールが宣誓される。
『アリス・ミラー』を手に入れられるのは、
最後まで生き残った人間のみ。
『そして誰もいなくなった』式の話なので当然、誰が犯人なのか? が最大の謎なんですが、ハウダニット、ホワイダニット的興味も充分。
施錠された密室で発見された顔のない死体、姿を見られながらも一瞬後には消えうせる犯人、バラバラ死体、殺人が起こるに伴い変化するチェス盤、それまで無かったところに出現する扉、生きている人形、などなど。とても判り易くミステリ的趣向に満ちみちた作品であって、さまざまな推理や奇想天外なトリックも読み応え満点。
連続殺人が起こっているのに、どこかひんやりとした印象なのはこの作家の持ち味でしょうか。
あまりに意外な結末は注意深く読んでいなければ、すぐに意味が判らず、ただ呆気にとられるかも。このトリックをこの物語のなかに落とし込んだ、というのが肝かな。ただ、読み返してみると周到さに感心するより、不自然な部分が気になってしまったのだけれど。
まあ、読んでいる間は無類に面白かったのは確か。
2011-11-25
Collage / Collage (eponymous title)
コラージュという名のグループは前にも取り上げたことがあるけれど、こちらはそれとは無関係のもの。Creamレーベルから1971年に出たおそらく唯一のアルバム、なのだが。
何しろ情報がない。韓国Big Pink MusicからのCD化であるが、メンバー写真はないし、演奏パーソネルの記載もない。とりあえずマイク・ヌーチオというひとがメインのソングライターで、アレンジャーのようであります。
聴いてみると、収録されている曲には明らかに録音の感触が違うものが混在していて。いくつかについては'70年代に制作されたものではないだろう、と思ったのね。
んで、いろいろ調べてみたんだが。
'60年代にアメリカ中西部で活動していたChevronsというグループがあって、前述のヌーチオもメンバーであったのだけれど、このアルバム収録のうち四曲はそのChevronsが1968、9年にシングルでリリースしたもののようなのだな。
推測なんだけれど、このアルバムはマイク・ヌーチオが'関わった'68~'70年くらいの作品をコラージュという名義でまとめて出したものではないだろうか。
曲調はソフトサウンディングなものをはじめ、バブルガムにフォークロック、ホーンを配した都会的なものなどいろいろだけど、全体にポップスとしての線は外れていないですね。
中でもやはりヌーチオが書いた五曲がどれもメロウで出来が良く、アルバムのハイライトと言えるのでは。
特に "Mine Forever More" というミディアムのシャッフルは、ピアノが四分を刻むイントロを聴くだけで、これはいい曲に違いない、と期待が高まる。ノーブルで張りのあるボーカルに運ばれるメロディは甘く、コーラスはアソシエイションを思わせる美麗なもの。
アルバムとしてのトータリティとかはないですが、いい曲が多いのでサンシャインポップのファンなら是非。スパイラル・ステアケースあたりが好きなら、気に入るんじゃないかな。
しかし、こういったオブスキュアなものまで権利をクリアしてくるとは、恐るべしBig Pink。
2011-11-20
Donny Hathaway / Extension Of A Man
1973年リリース、サードアルバム。
溢れんばかりの才能に任せた、という形容がふさわしくクラシック、ゴスペル、ブルース、ポップスにジャズインストなど、幅広い音楽性のショウケース。
どれもオリジナルでかつ高いレベルで完成された仕上がりなのだが、もしここに不足しているものがあるとしたら、それは聴き手の想像力に委ねられるような余白なのでは。
ドニー・ハザウェイははっきりとした自分のスタイルというものを持ち得なかったように思える。裏方的な資質が強かったのだろう。個人的にはその作品には惹きつけられながら、ときに困惑を覚えることも。
中産階級の黒人による中産階級の黒人のための音楽、それのどこがいけない?
だが、音楽家本人はそのなかでアイデンティティを見出せたのだろうか。
ボーカルが非常にディープでありながらも不思議と肉体性が希薄に感じられるのは、本質的にはクルーナーということなのだろう。ソウルシンガーとして聴けばテクニックが鼻についてしまうが、むしろ軽やかなポップソングでこそ光り輝く声。
アルバム最後に置かれたリオン・ウェア作の "I Know It's You" で聴ける、殻を破ったような熱唱は他人の書いた曲だからこそ、という気がする。
ついぞ試されることのなかった可能性について想うことは残酷だろうか。
2011-11-16
The Mama's and The Papa's / If You Can Believe Your Eyes and Ears
ママズ&パパズ、1966年のデビューアルバムがSundazedからモノラル仕様でリイシュー。ただしダンヒルレコードはすべてのモノマスターを廃棄してしまっているらしく、今回はイギリスで発見されたサブマスターを使ったそうです。
実際の音の方は中域に厚みがあって暖かみがあるような印象なんですが、今まで聴き慣れたクリアで高域も出ているステレオミックスと比較すると、細かい音が埋もれてしまっている感じもします。ママズ&パパズの場合、ボーカルにかけられたエコーがやたらに深い、というせいもあるかも。これは好き嫌いが分かれるかもしれんね。まあ、'60年代ポップスなんてそもそもこんなもんだよ、と言えなくもない。
さて、ママズ&パパズといえばサンシャインポップのスタンダードみたいなもので。ソングライテイング、ハーモニーアレンジが卓越していた、ということは言うまでもない。キャス・エリオットとデニー・ドハーティの声の相性が良かったこともあるだろう(ただ、よく「四人全員がソロを取れる実力を」とか書いた文章を見かけるけど、フィリップス夫妻はシンガーとしては素人みたいなもんでしょう)。
重要なのは、商売の範囲とはいえジョン・フィリップスが自分なりのやり方で時代の空気に反応し、それを捉えようとしたということだ。勘違いしてしまいそうだが、彼らのデビュー時点ではまだフラワームーヴメントは顕在化していなかったのだな。
そして、"I Call Your Name"、"Do You Wanna Dance"、"Spanish Harlem" などの曲を軒並み、こんなもんだろとばかりに骨抜きにしたのは単に気の効いたアレンジということではない、既に30代に入っていた元フォーク野郎としてのジョン・フィリップスのアティテュード、その現われなのだと思う。
そうそう、今回のリイシューではジャケット右の便器が復活していますよ、どうでもいい事かも知れないけど。
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