2013-12-31
三津田信三「百蛇堂 怪談作家の語る話」
編集者・三津田信三を主人公にした三部作、その最後にあたる本作品は長編『蛇棺葬』の内容を受けたものであります。
2001年の11月、『蛇棺葬』の語り手であった龍巳を紹介された三津田は、龍巳の奇妙な体験談に興味を抱き、彼の書いたものを長編の怪談実話として書籍化することを検討し始める。だが、龍巳の原稿を読んだものたちの身に次々と不可解な現象が起こり始めて・・・。
作中内に存在する創作作品(それは作品世界の外に存在する『蛇棺葬』という本でもあるのだけど)が現実に影響を及ぼしていく、という構造は前二作と共通するところ。怪異に対して理性的に解釈を付けようとするほど、そこからはみ出す部分が逆に際立つのがいい。現象を認識する主体にも揺れがあって、はたして地の文のどのくらいが現実なのか。
最初のうちは鈴木光司の『リング』みたいね、なんて思っていたのですが、読み進めていくうちに『ドグラ・マグラ』を想起するようにもなりました。
面白かったのは『蛇棺葬』の舞台である土地に、三津田も少年の頃の一時期に住んでいたことのあることで、これを三津田自身は都合のいい偶然と捉えていたのだが、会社の部下にそれは因縁だ、と指摘される場面。言霊によって、あるいは気付かされてしまうことで囚われる、というところか。
ミステリ要素だけを見ると、異世界ルールの提示の仕方がやや控えめかなという気もするのですが、真相の意外性はそれを補って充分余りあるもの。また、それとともにさまざまな引っ掛かりが次々と取れていく快感はいかにもこの作者らしいところですね。
割り切れない部分を残した結末は好みが分かれるかもしれませんが、作品世界の奥行きといい怖ろしさといい、三部作の掉尾を飾るに相応しい力作ですな。
2013-12-29
Them / The "Angry" Young Them!
ゼムのファーストアルバム、1965年リリース。
翌年のセカンド「Again」ではビートグループのスタイルに収まらず、後のヴァン・モリソンのソロ作品に繋がるような曲も聴けるのだが、ここではR&Bやブルーズをベースにしたいかにもなレパートリーをアグレッシヴにぶちかます。
収録曲ではやはりガレージ・クラシックとなる "Gloria" がひとつ抜けていて、何度聴いても盛り上がる。スリーコードに語りと叫びが乗っかっているようなものですが、ちょっとラテンが入ったようなリズムが効いているように思うな。
これに匹敵するのがオープナーである "Mystic Eyes" で。バンド一丸となった迫力あるグルーヴと、ジャムセッションのような熱気は格別であります。
また、バート・バーンズの制作したものも三曲入っていますが、ポップなテイストがこのアルバムの質実剛健な雰囲気のなかではミスマッチというか今聴くと若干古びた感じがしますね。このアルバム以前にバーンズが手がけたシングル曲 "Here Comes The Night" はとても好きなのだけれど。
この頃ヴァン・モリソンはまだ20歳くらいであったはずだが、既に堂々とした唄いっぷり。同時期のエリック・バードンと比較すると、重さはあっても決してくどくならない切れ味の良さが好ましい。
シンプルで余剰の少ない、シャープな表現はこの時代ならでは、でしょうか。迷いの無いロックンロール。
2013-12-22
Nick Drake / Five Leaves Left
ニック・ドレイクの音楽を聴いて、いつも感じるのは精確さだ。1970年前後に出てきたシンガー・ソングライターと呼ばれるミュージシャンのうちには、曲は良いのを書くけれど、シンガーとしてはリズム感が悪かったり、音程が怪しいようなひとも多かったのだが。ニック・ドレイクの唄、そしてギターの演奏からは明晰さすら感じられる。
また、その手に拠る楽曲も、自己愛からくる冗漫さや曇りが一切ないようなのだ。あるのは澄み切った自己認識のみで。
「Five Leaves Left」(1969年)は生前に残された三枚のうち、最初のアルバム。
穏やかな表情をたたえながらも隙の無い曲の数々を聴いていると、この人はデビュー時には既に完成されていたのだろう、と思わせられる。それが二十歳そこそこの若いミュージシャンにとって、必ずしも良いことなのかどうかは判らないけれど。
その音楽が何ら奇矯なことをしていないのに他に類を見ないような魅力を放っているのは、己のスタイルに対する信念が恐ろしく強固であったからか。
個人的は "River Man" が一番、好きだ。美麗なアレンジは勿論、五拍子を奏でるギターが生み出す独特のグルーヴが素晴らしい。
2013-12-08
アガサ・クリスティー「書斎の死体」
「その女は殺されたのよ。首を絞められて。わたしが思うに、自分の家で現実に殺人がおきたとなれば、せめてそれを楽しんでもいいんじゃないかしら」
ジェーン・マープルを探偵役に据えた長編の二作目で、1942年発表。シリーズとしての前作にあたる『牧師館の殺人』や短編集『火曜クラブ』収録作品の発表からは10年以上経っており、作者クリスティ自身とマープルの年齢差が縮まったことで、マープルがよりチャーミングに描かれているような気がします。
タイトル通り、田舎の邸宅内にある書斎で女性の死体が発見されるのだけれど、導入が実に見事。こちらの意表を付き、殺人事件なのに軽味すら感じさせるもので、オックスフォード派にも通ずるテイストです。奇妙な現場の状況もあって、あれこれ考えを巡らす間もなく物語に引き込まれていきます。
その後の展開もミステリの定型を意識しつつ、いい塩梅にオフビートな筆捌きが絶妙。100ページ過ぎたあたりで『火曜クラブ』でもレギュラーであった、あるキャラクターの登場が促される、この呼吸もいいな。
捜査が進むに連れ、殺人の動機は浮かび上がってきたものの、いずれの人物も機会を有していないようであって、なかなかの難問に見えましたが。
最後にマープルによって開陳される真相は奥行きがある上、意外性も充分。本当にさらっと凄いことを言うもんだから「ええっ!?」っとなって、思わず読み返しましたよ。手掛かりは些細なところからはじまっていますが、これだけ鮮やかに決められれば納得でしょう。
『牧師館の殺人』にはちょいと堅い印象を持ちましたが、今作はユーモラスかつトリッキー、文句無く面白かった。
2013-12-02
ジョン・ディクスン・カー「夜歩く」
1927年4月、パリ。予審判事アンリ・バンコランと友人のジェフ・マールは深夜のナイトクラブの片隅に身を隠していた。整形手術で顔を変えて逃亡中の殺人犯、ローランの身柄を押さえるためだ。ローランによってその命が狙われているというサリニー公爵、彼がひとり入っていったカード室のドアは確かに監視されていたのだが・・・。
カーのデビュー作、その新訳です。お話そのものは再読のはずなのですが、どんな内容だったかは綺麗さっぱりに忘れていました。
残虐な犯罪にまつわるけれんや不可能趣味、皮肉なユーモアなど、いかにもカーと思わされる要素は既に見られますが、文章は新人作家らしい熱意が感じられるもの。非常に扇情的であり、サスペンスフルな雰囲気が作品を支配しています。ポオへのオマージュも微笑ましいな。
ミステリとして見ると、プロットはしっかり練り込まれていますが、トリックの方はやや時代がかっていることは否めませんし、解決編でも強引なところが目に付く。けれど、そのことは逆にカーという作家の本質がこの時点で確立されていたことを示しているようで興味深い。
一方で、一つの謎が解かれることで、さらに大きな謎が立ち上がってくる展開は堂に入っており、明らかにされる犯行シーンの画も実に魅力的なものであります。
若さゆえの非常に濃ゆい後味を残す一作でした。
次は一月末に『殺人者と恐喝者』の新訳が出るということで、いやいや、堪えられませんなあ。
2013-11-24
Rab Noakes / Red Pump Special
スコットランド出身のシンガー・ソングライターによる1973年作、ワーナーからのリリース。弾き語りの一曲を除いてナッシュヴィルでの録音です。ドラムはケニー・バトリー、ベースにはトミー・コグビル、幾つかの曲ではメンフィス・ホーンズが参加しています。プロデューサーのエリオット・メイザーは、エリア・コード615やニール・ヤングなんかも手がけているひとであります。
演奏の方は、R&Bやカントリーの感覚も漂わせる腰の据わったもので、ラブ・ノークスというひとの軽くひなびたキャラクターのボーカルとの組み合わせが独特の味わいに繋がっているよう。
収録曲には、馴染み易いのだけれど、ちょっとしたフックがあるメロディのものが多いですね。中では、アコースティックギターによるリズムが効いたカントリーロック "Pass The Time"、ドノヴァンの "Season Of A Witch" をスワンプに仕立てたような "Diamond Ring" などが目を引きます。また、ジェリー・ラファティらとの共作でバックコーラスも入った "Clear Day" など、ちょっとブリンズレイ・シュワーツを思わせるようだし、"Tomorrow Is Another Day" や "Sittin' In A Corner Blues" あたりには英国人が想像する古き良き米国、という雰囲気があって、アルバム全体でのバラエティも上々。
個人的には "As Big As His Size" がディランの「Blonde On Blonde」の嫡子といった感じがして、一番気に入りました。
乾いた感触のサウンドに英国的な陰影が映える作品だと思います。
ロニー・レインのスリム・チャンスあたりが好きな人なら是非。
2013-11-21
Donny Hathaway / Never My Love: The Anthology
ライノ編纂によるドニー・ハザウェイの4枚組アンソロジー。パッケージのデザインやディスクの収納は、以前にフランスのライノから出たこれも4枚組の「Someday We'll All Be Free」に合わせたようでもありますが、今回はブックレットの記載が英語で書かれているので、まあ読めないことはない。
取り出しにくいのよな・・・ |
ディスク1は「Favourites」と題され、スタジオ録音から選ばれたものが収録。シングルで出された曲に関してはモノラルミックスが多く採用されています。
収穫はソロデビュー以前にカートム・レーベルより出された、ジューン・コンクェストという女性とのデュエットによるシングル曲ですね。いかにもシカゴらしい華を感じさせるミディアム "I Thank You Baby" と力強いスロウ "Just Another Reason"、いずれもドニーとカーティス・メイフィールドの共作であり、レアなだけではなく非常に出来も良いです。
ディスク2は全て未発表の13曲からなる「Unreleased Studio Recordings」。多くがアルバム「Extension Of A Man」以降の録音であるのが興味深いところ。
このアンソロジー全体のタイトルにもなっている "Never My Love" はアソシエイションがヒットさせた曲をピアノ中心のスロウに仕立てたもの。メロディを強引に崩した唄いまわしで、原曲の良さがまるっきり残っていないため、ちっとも面白いとは思わないのですが、人によっては心洗われる、とか感じるのでしょう、きっと。
その他、カントリー調の曲や、軽やかにスイングするポップソング、カラフルなフュージョン・インストとして聴けるものなどバラエティに富んでいますが、所謂ソウルミュージックらしさに縛られていないのは、いかにもこのひとらしい。ただ、"Zyxygy Concerto" という曲はオーケストラを従えた、なんと20分ほどあるクラシカルなインストゥルメンタルで、流石にこれはきついな。そんな中で、ドニー流ニューソウルど真ん中といった感じのミディアム "Memory Of Our Love" と 独特の展開をはらんだスロウ "Sunshine And Showers" が抜群の出来栄えです。
また、もっと初期の録音もありまして。1968年のものだという "Don't Turn Away" と'70年代初期ではないかと推測されている "Always The Same" の2曲がそれで、どちらもパワフルなノーザンで気に入りました。
1972年にリリースされた「Live」はLAのトルバドールと、NYのビター・エンドでの演奏から構成されていましたが、うち後者での公演は二日で5セット行なわれたそう。ディスク3「Live at The Bitter End, 1971」はその「Live」用に録られたビター・エンドでの素材のうち、未発表であったパフォーマンスが収められています。
「Live」では観客の反応がやけに大きくミックスされていましたが、今回のものではそういった演出はありません(実際、ビター・エンドの観客はトルバドールと比べて大人しかった、という話です)。リラックスした雰囲気も強く感じられ、演奏をじっくり聴きたいむきには、これもいいのではないでしょうか。個人的にはここで歌われている "What's Going On" のほうが余計な力みが少なくて、「Live」でのものより好みかなあ。
一枚のライヴ盤としてもちゃんとした流れがあって、良いですよ、これは。
最後のディスク4「Roberta Flack & Donny Hathaway Duet」には珍しいものはありませんが、ロバータ・フラックとのデュエットがこの一枚にまとまっているのは便利ですな。正直、色気に欠けるというか、真面目×2という感じがして、あまり好みの音楽ではないのですが。
4枚組のうち2枚が未発表のものだけで占められていますが、決して墓場荒しに終わっておらず、ライノらしい丁寧な企画だと思います。輸入盤なら値段もかなり安いしね。
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