2014-01-05
フラン・オブライエン「第三の警官」
フィリップ・メイザーズ老人を殺したのはぼくなのです――自らの著作を出版する資金欲しさに、腹に一物ありそうな雇人と共謀して金持ちの老人を殺した「ぼく」。事件のほとぼりがさめた時分に、隠してあった金庫を回収に向かったのだが・・・・・・。
出だしこそ倒叙ミステリめいていますが、かつてはポストモダン小説と呼ばれていたような、今ならファンタジーとして受け入れられるであろう作品。もともとは1940年に書かれたそうであって、現代の読者にかかればお話全体の秘密は最初の4、50ページほどで見当がついてしまうかも。
しかし、この作品において筋書きなど大した意味は無いようでもある。奇妙で現実感を欠いた展開はさっぱり脈絡が掴めないし、SFめいた仕掛けも多いのだが唯々ナンセンス。意味が通じてるんだかいないんだか良く分からない会話。語り手の「ぼく」は不条理な運命に翻弄されているにもかかわらず、決してすっとぼけた軽薄さを失わない。
また、「ぼく」が書いている本というのはド・セルビィという名の、ある物理学者の業績を分析したものらしく、物語には頻繁にそのド・セルビィ的な、万物のあり方や認識に関する馬鹿馬鹿しくも奇怪な理論が差し挟まれる。更にそういった箇所には、鹿爪らしい筆致ながら実にデタラメかつ脱線だらけの脚注が付されているのだけれど、それらも「ぼく」自身の手によって書かれているのではないか? と思えてくるのだ。
「あんたはいちごジャムがぎっしり詰まった家だって手に入れられる。どの部屋にも隙間なく詰めこんであるので扉が開かないほどだ」
結論やらテーマのはっきりしたものを好む人には合いそうにありませんが、奇想に溢れ、とても手の込んだ喜劇小説でありました。
2013-12-31
三津田信三「百蛇堂 怪談作家の語る話」
編集者・三津田信三を主人公にした三部作、その最後にあたる本作品は長編『蛇棺葬』の内容を受けたものであります。
2001年の11月、『蛇棺葬』の語り手であった龍巳を紹介された三津田は、龍巳の奇妙な体験談に興味を抱き、彼の書いたものを長編の怪談実話として書籍化することを検討し始める。だが、龍巳の原稿を読んだものたちの身に次々と不可解な現象が起こり始めて・・・。
作中内に存在する創作作品(それは作品世界の外に存在する『蛇棺葬』という本でもあるのだけど)が現実に影響を及ぼしていく、という構造は前二作と共通するところ。怪異に対して理性的に解釈を付けようとするほど、そこからはみ出す部分が逆に際立つのがいい。現象を認識する主体にも揺れがあって、はたして地の文のどのくらいが現実なのか。
最初のうちは鈴木光司の『リング』みたいね、なんて思っていたのですが、読み進めていくうちに『ドグラ・マグラ』を想起するようにもなりました。
面白かったのは『蛇棺葬』の舞台である土地に、三津田も少年の頃の一時期に住んでいたことのあることで、これを三津田自身は都合のいい偶然と捉えていたのだが、会社の部下にそれは因縁だ、と指摘される場面。言霊によって、あるいは気付かされてしまうことで囚われる、というところか。
ミステリ要素だけを見ると、異世界ルールの提示の仕方がやや控えめかなという気もするのですが、真相の意外性はそれを補って充分余りあるもの。また、それとともにさまざまな引っ掛かりが次々と取れていく快感はいかにもこの作者らしいところですね。
割り切れない部分を残した結末は好みが分かれるかもしれませんが、作品世界の奥行きといい怖ろしさといい、三部作の掉尾を飾るに相応しい力作ですな。
2013-12-29
Them / The "Angry" Young Them!
ゼムのファーストアルバム、1965年リリース。
翌年のセカンド「Again」ではビートグループのスタイルに収まらず、後のヴァン・モリソンのソロ作品に繋がるような曲も聴けるのだが、ここではR&Bやブルーズをベースにしたいかにもなレパートリーをアグレッシヴにぶちかます。
収録曲ではやはりガレージ・クラシックとなる "Gloria" がひとつ抜けていて、何度聴いても盛り上がる。スリーコードに語りと叫びが乗っかっているようなものですが、ちょっとラテンが入ったようなリズムが効いているように思うな。
これに匹敵するのがオープナーである "Mystic Eyes" で。バンド一丸となった迫力あるグルーヴと、ジャムセッションのような熱気は格別であります。
また、バート・バーンズの制作したものも三曲入っていますが、ポップなテイストがこのアルバムの質実剛健な雰囲気のなかではミスマッチというか今聴くと若干古びた感じがしますね。このアルバム以前にバーンズが手がけたシングル曲 "Here Comes The Night" はとても好きなのだけれど。
この頃ヴァン・モリソンはまだ20歳くらいであったはずだが、既に堂々とした唄いっぷり。同時期のエリック・バードンと比較すると、重さはあっても決してくどくならない切れ味の良さが好ましい。
シンプルで余剰の少ない、シャープな表現はこの時代ならでは、でしょうか。迷いの無いロックンロール。
2013-12-22
Nick Drake / Five Leaves Left
ニック・ドレイクの音楽を聴いて、いつも感じるのは精確さだ。1970年前後に出てきたシンガー・ソングライターと呼ばれるミュージシャンのうちには、曲は良いのを書くけれど、シンガーとしてはリズム感が悪かったり、音程が怪しいようなひとも多かったのだが。ニック・ドレイクの唄、そしてギターの演奏からは明晰さすら感じられる。
また、その手に拠る楽曲も、自己愛からくる冗漫さや曇りが一切ないようなのだ。あるのは澄み切った自己認識のみで。
「Five Leaves Left」(1969年)は生前に残された三枚のうち、最初のアルバム。
穏やかな表情をたたえながらも隙の無い曲の数々を聴いていると、この人はデビュー時には既に完成されていたのだろう、と思わせられる。それが二十歳そこそこの若いミュージシャンにとって、必ずしも良いことなのかどうかは判らないけれど。
その音楽が何ら奇矯なことをしていないのに他に類を見ないような魅力を放っているのは、己のスタイルに対する信念が恐ろしく強固であったからか。
個人的は "River Man" が一番、好きだ。美麗なアレンジは勿論、五拍子を奏でるギターが生み出す独特のグルーヴが素晴らしい。
2013-12-08
アガサ・クリスティー「書斎の死体」
「その女は殺されたのよ。首を絞められて。わたしが思うに、自分の家で現実に殺人がおきたとなれば、せめてそれを楽しんでもいいんじゃないかしら」
ジェーン・マープルを探偵役に据えた長編の二作目で、1942年発表。シリーズとしての前作にあたる『牧師館の殺人』や短編集『火曜クラブ』収録作品の発表からは10年以上経っており、作者クリスティ自身とマープルの年齢差が縮まったことで、マープルがよりチャーミングに描かれているような気がします。
タイトル通り、田舎の邸宅内にある書斎で女性の死体が発見されるのだけれど、導入が実に見事。こちらの意表を付き、殺人事件なのに軽味すら感じさせるもので、オックスフォード派にも通ずるテイストです。奇妙な現場の状況もあって、あれこれ考えを巡らす間もなく物語に引き込まれていきます。
その後の展開もミステリの定型を意識しつつ、いい塩梅にオフビートな筆捌きが絶妙。100ページ過ぎたあたりで『火曜クラブ』でもレギュラーであった、あるキャラクターの登場が促される、この呼吸もいいな。
捜査が進むに連れ、殺人の動機は浮かび上がってきたものの、いずれの人物も機会を有していないようであって、なかなかの難問に見えましたが。
最後にマープルによって開陳される真相は奥行きがある上、意外性も充分。本当にさらっと凄いことを言うもんだから「ええっ!?」っとなって、思わず読み返しましたよ。手掛かりは些細なところからはじまっていますが、これだけ鮮やかに決められれば納得でしょう。
『牧師館の殺人』にはちょいと堅い印象を持ちましたが、今作はユーモラスかつトリッキー、文句無く面白かった。
2013-12-02
ジョン・ディクスン・カー「夜歩く」
1927年4月、パリ。予審判事アンリ・バンコランと友人のジェフ・マールは深夜のナイトクラブの片隅に身を隠していた。整形手術で顔を変えて逃亡中の殺人犯、ローランの身柄を押さえるためだ。ローランによってその命が狙われているというサリニー公爵、彼がひとり入っていったカード室のドアは確かに監視されていたのだが・・・。
カーのデビュー作、その新訳です。お話そのものは再読のはずなのですが、どんな内容だったかは綺麗さっぱりに忘れていました。
残虐な犯罪にまつわるけれんや不可能趣味、皮肉なユーモアなど、いかにもカーと思わされる要素は既に見られますが、文章は新人作家らしい熱意が感じられるもの。非常に扇情的であり、サスペンスフルな雰囲気が作品を支配しています。ポオへのオマージュも微笑ましいな。
ミステリとして見ると、プロットはしっかり練り込まれていますが、トリックの方はやや時代がかっていることは否めませんし、解決編でも強引なところが目に付く。けれど、そのことは逆にカーという作家の本質がこの時点で確立されていたことを示しているようで興味深い。
一方で、一つの謎が解かれることで、さらに大きな謎が立ち上がってくる展開は堂に入っており、明らかにされる犯行シーンの画も実に魅力的なものであります。
若さゆえの非常に濃ゆい後味を残す一作でした。
次は一月末に『殺人者と恐喝者』の新訳が出るということで、いやいや、堪えられませんなあ。
2013-11-24
Rab Noakes / Red Pump Special
スコットランド出身のシンガー・ソングライターによる1973年作、ワーナーからのリリース。弾き語りの一曲を除いてナッシュヴィルでの録音です。ドラムはケニー・バトリー、ベースにはトミー・コグビル、幾つかの曲ではメンフィス・ホーンズが参加しています。プロデューサーのエリオット・メイザーは、エリア・コード615やニール・ヤングなんかも手がけているひとであります。
演奏の方は、R&Bやカントリーの感覚も漂わせる腰の据わったもので、ラブ・ノークスというひとの軽くひなびたキャラクターのボーカルとの組み合わせが独特の味わいに繋がっているよう。
収録曲には、馴染み易いのだけれど、ちょっとしたフックがあるメロディのものが多いですね。中では、アコースティックギターによるリズムが効いたカントリーロック "Pass The Time"、ドノヴァンの "Season Of A Witch" をスワンプに仕立てたような "Diamond Ring" などが目を引きます。また、ジェリー・ラファティらとの共作でバックコーラスも入った "Clear Day" など、ちょっとブリンズレイ・シュワーツを思わせるようだし、"Tomorrow Is Another Day" や "Sittin' In A Corner Blues" あたりには英国人が想像する古き良き米国、という雰囲気があって、アルバム全体でのバラエティも上々。
個人的には "As Big As His Size" がディランの「Blonde On Blonde」の嫡子といった感じがして、一番気に入りました。
乾いた感触のサウンドに英国的な陰影が映える作品だと思います。
ロニー・レインのスリム・チャンスあたりが好きな人なら是非。
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