2014-01-20

Lou Courtney / I'm In Need Of Love


ルー・コートニーというシンガー/ソングライターの1974年、Epicからのアルバム。プロデュースはコートニーとジェリー・ラゴヴォイ。ラゴヴォイというと'60年代のニューヨーク・ディープ・ソウルにおける功労者、という存在なのだけれど、この作品は時代を反映した都会的でメロウなソウルです。

収録されている全曲がコートニー本人によるオリジナルで、これが良いメロディ揃い。転調を多用する作風のようで、それが曲に意外な奥行きをもたらしています。ちょっと展開が読めないものもあって、"Since I First Laid Eyes On You" なんて曲、僕はグレン・ティルブルックを連想しましたよ。
サウンドのほうはスウィートなものもファンキーなものもやり過ぎず、濃過ぎずの加減がちょうどいい塩梅で。その風通しの良さが展開をはらんだメロディを生かすように、うまく作用していますね。特に "I Don't Need Nobody Else" がクールで格好良いミディアムに仕上がっていて、ジョニー・ブリストルをも思わせます。
また、コートニーのボーカルはマーヴィン・ゲイ・フォロワーという趣のもの。本家ほどの強烈な色気こそありませんが、軽快なバックとの相性は申し分なし。

このひとは'60年代半ばから裏方としても活動していたようで、そのせいか、とても丁寧に作られているような印象です。
個性は控えめながら、その分、繰り返し聴くことで魅力が深まっていくような一枚かと。

2014-01-19

アガサ・クリスティー「五匹の子豚」


1942年のエルキュール・ポアロもの長編。16年前に起きた殺人事件を、遺族の要望によって再調査する、というもの。所謂「回想の殺人」のはしりですな。
今作の前にはトミー&タペンスとジェーン・マープルをそれぞれ10年以上のインターバルを経て復活させておりまして、この時期はクリスティの転換期のひとつであったのでしょうか。

タイトルになっている『五匹の子豚』とは、過去に起きた事件の関係者たち五人のことであり、再調査においては容疑者にもなる存在です。
ポアロは彼・彼女らから取材と偽って話を聞き出した上、更にそれぞれから見た事件の回想記を書いてもらう約束を取り付けます。同じ事件についての話が5回繰り返されるのだけれど、これがちっとも単調にならないのですね。関係者たちの意外な人間性が明るみになってくる、この過程が実に読ませるのです。ミステリとしても、それまで言及されていなかった手掛かりが少しずつ出てきて、油断ならない。
また、関係者のうちのひとりは真犯人であり、そうなると当然、彼もしくは彼女の回想記に本当のことは書かれていないわけで。

騙しの仕掛けは相当にシンプルなもので、これを土壇場まで底を見せずに引っ張ってこれるのは物語作りの巧さゆえ、でしょう。たったひとつの手掛かりによって全ての意味が変わってしまう、という趣向も断然好みです。
展開は非常に地味であって、クリスティをある程度読んできた人向きでしょうが、いやいや、おそろしく技巧的に書かれたミステリでありました。

2014-01-05

フラン・オブライエン「第三の警官」


フィリップ・メイザーズ老人を殺したのはぼくなのです――自らの著作を出版する資金欲しさに、腹に一物ありそうな雇人と共謀して金持ちの老人を殺した「ぼく」。事件のほとぼりがさめた時分に、隠してあった金庫を回収に向かったのだが・・・・・・。

出だしこそ倒叙ミステリめいていますが、かつてはポストモダン小説と呼ばれていたような、今ならファンタジーとして受け入れられるであろう作品。もともとは1940年に書かれたそうであって、現代の読者にかかればお話全体の秘密は最初の4、50ページほどで見当がついてしまうかも。
しかし、この作品において筋書きなど大した意味は無いようでもある。奇妙で現実感を欠いた展開はさっぱり脈絡が掴めないし、SFめいた仕掛けも多いのだが唯々ナンセンス。意味が通じてるんだかいないんだか良く分からない会話。語り手の「ぼく」は不条理な運命に翻弄されているにもかかわらず、決してすっとぼけた軽薄さを失わない。

また、「ぼく」が書いている本というのはド・セルビィという名の、ある物理学者の業績を分析したものらしく、物語には頻繁にそのド・セルビィ的な、万物のあり方や認識に関する馬鹿馬鹿しくも奇怪な理論が差し挟まれる。更にそういった箇所には、鹿爪らしい筆致ながら実にデタラメかつ脱線だらけの脚注が付されているのだけれど、それらも「ぼく」自身の手によって書かれているのではないか? と思えてくるのだ。

「あんたはいちごジャムがぎっしり詰まった家だって手に入れられる。どの部屋にも隙間なく詰めこんであるので扉が開かないほどだ」

結論やらテーマのはっきりしたものを好む人には合いそうにありませんが、奇想に溢れ、とても手の込んだ喜劇小説でありました。

2013-12-31

三津田信三「百蛇堂 怪談作家の語る話」


編集者・三津田信三を主人公にした三部作、その最後にあたる本作品は長編『蛇棺葬』の内容を受けたものであります。
2001年の11月、『蛇棺葬』の語り手であった龍巳を紹介された三津田は、龍巳の奇妙な体験談に興味を抱き、彼の書いたものを長編の怪談実話として書籍化することを検討し始める。だが、龍巳の原稿を読んだものたちの身に次々と不可解な現象が起こり始めて・・・。

作中内に存在する創作作品(それは作品世界の外に存在する『蛇棺葬』という本でもあるのだけど)が現実に影響を及ぼしていく、という構造は前二作と共通するところ。怪異に対して理性的に解釈を付けようとするほど、そこからはみ出す部分が逆に際立つのがいい。現象を認識する主体にも揺れがあって、はたして地の文のどのくらいが現実なのか。
最初のうちは鈴木光司の『リング』みたいね、なんて思っていたのですが、読み進めていくうちに『ドグラ・マグラ』を想起するようにもなりました。

面白かったのは『蛇棺葬』の舞台である土地に、三津田も少年の頃の一時期に住んでいたことのあることで、これを三津田自身は都合のいい偶然と捉えていたのだが、会社の部下にそれは因縁だ、と指摘される場面。言霊によって、あるいは気付かされてしまうことで囚われる、というところか。

ミステリ要素だけを見ると、異世界ルールの提示の仕方がやや控えめかなという気もするのですが、真相の意外性はそれを補って充分余りあるもの。また、それとともにさまざまな引っ掛かりが次々と取れていく快感はいかにもこの作者らしいところですね。

割り切れない部分を残した結末は好みが分かれるかもしれませんが、作品世界の奥行きといい怖ろしさといい、三部作の掉尾を飾るに相応しい力作ですな。

2013-12-29

Them / The "Angry" Young Them!


ゼムのファーストアルバム、1965年リリース。
翌年のセカンド「Again」ではビートグループのスタイルに収まらず、後のヴァン・モリソンのソロ作品に繋がるような曲も聴けるのだが、ここではR&Bやブルーズをベースにしたいかにもなレパートリーをアグレッシヴにぶちかます。

収録曲ではやはりガレージ・クラシックとなる "Gloria" がひとつ抜けていて、何度聴いても盛り上がる。スリーコードに語りと叫びが乗っかっているようなものですが、ちょっとラテンが入ったようなリズムが効いているように思うな。
これに匹敵するのがオープナーである "Mystic Eyes" で。バンド一丸となった迫力あるグルーヴと、ジャムセッションのような熱気は格別であります。

また、バート・バーンズの制作したものも三曲入っていますが、ポップなテイストがこのアルバムの質実剛健な雰囲気のなかではミスマッチというか今聴くと若干古びた感じがしますね。このアルバム以前にバーンズが手がけたシングル曲 "Here Comes The Night" はとても好きなのだけれど。

この頃ヴァン・モリソンはまだ20歳くらいであったはずだが、既に堂々とした唄いっぷり。同時期のエリック・バードンと比較すると、重さはあっても決してくどくならない切れ味の良さが好ましい。
シンプルで余剰の少ない、シャープな表現はこの時代ならでは、でしょうか。迷いの無いロックンロール。

2013-12-22

Nick Drake / Five Leaves Left


ニック・ドレイクの音楽を聴いて、いつも感じるのは精確さだ。1970年前後に出てきたシンガー・ソングライターと呼ばれるミュージシャンのうちには、曲は良いのを書くけれど、シンガーとしてはリズム感が悪かったり、音程が怪しいようなひとも多かったのだが。ニック・ドレイクの唄、そしてギターの演奏からは明晰さすら感じられる。
また、その手に拠る楽曲も、自己愛からくる冗漫さや曇りが一切ないようなのだ。あるのは澄み切った自己認識のみで。

「Five Leaves Left」(1969年)は生前に残された三枚のうち、最初のアルバム。
穏やかな表情をたたえながらも隙の無い曲の数々を聴いていると、この人はデビュー時には既に完成されていたのだろう、と思わせられる。それが二十歳そこそこの若いミュージシャンにとって、必ずしも良いことなのかどうかは判らないけれど。

その音楽が何ら奇矯なことをしていないのに他に類を見ないような魅力を放っているのは、己のスタイルに対する信念が恐ろしく強固であったからか。
個人的は "River Man" が一番、好きだ。美麗なアレンジは勿論、五拍子を奏でるギターが生み出す独特のグルーヴが素晴らしい。

2013-12-08

アガサ・クリスティー「書斎の死体」


「その女は殺されたのよ。首を絞められて。わたしが思うに、自分の家で現実に殺人がおきたとなれば、せめてそれを楽しんでもいいんじゃないかしら」

ジェーン・マープルを探偵役に据えた長編の二作目で、1942年発表。シリーズとしての前作にあたる『牧師館の殺人』や短編集『火曜クラブ』収録作品の発表からは10年以上経っており、作者クリスティ自身とマープルの年齢差が縮まったことで、マープルがよりチャーミングに描かれているような気がします。

タイトル通り、田舎の邸宅内にある書斎で女性の死体が発見されるのだけれど、導入が実に見事。こちらの意表を付き、殺人事件なのに軽味すら感じさせるもので、オックスフォード派にも通ずるテイストです。奇妙な現場の状況もあって、あれこれ考えを巡らす間もなく物語に引き込まれていきます。
その後の展開もミステリの定型を意識しつつ、いい塩梅にオフビートな筆捌きが絶妙。100ページ過ぎたあたりで『火曜クラブ』でもレギュラーであった、あるキャラクターの登場が促される、この呼吸もいいな。
捜査が進むに連れ、殺人の動機は浮かび上がってきたものの、いずれの人物も機会を有していないようであって、なかなかの難問に見えましたが。

最後にマープルによって開陳される真相は奥行きがある上、意外性も充分。本当にさらっと凄いことを言うもんだから「ええっ!?」っとなって、思わず読み返しましたよ。手掛かりは些細なところからはじまっていますが、これだけ鮮やかに決められれば納得でしょう。

『牧師館の殺人』にはちょいと堅い印象を持ちましたが、今作はユーモラスかつトリッキー、文句無く面白かった。