2017-02-18
アガサ・クリスティー「復讐の女神」
1971年発表、ジェーン・マープルものの長編。
『カリブ海の秘密』で事件の解決に力を貸してくれた富豪、ラフィール氏が死亡。それから一週間ほど経って、マープルのもとにラフィールの弁護士から連絡が来る。ラフィールにはマープルにやってもらいたいことがあり、それには相応の謝礼も支払うという指示を残していたのだ。どうやら何らかの犯罪捜査を望まれてはいるようなのだが、具体的なことが全くわからない。マープルは故人の関係者をそれとなく当たってみるのだが、成果は得られなかった。
数日後、マープルはラフィールが生前に書いた手紙を受け取り、それに従って〈大英国の著名邸宅と庭園〉めぐりのバスツアーに参加する身となった。道中において、ラフィールによって手配された協力者が何人か現れる。彼らもしかし、はっきりとしたことは話さないし、わかってはいないようだ。それでも少しずつヒントが出されることで、マープルに期待されるのがどういった事件の解決なのかが見えてくる。
物語前半は曖昧模糊とした状況が徐々に形を明らかにしていくのが面白いのですが、何かロールプレイングゲームのような感じです。
巻き込まれ方のミステリとして仕立てなかったためか、他の作品と比してマープルが能動的によく動くこと。マープルに設定を押し付けるラフィール氏は作中に降りてきた作者の代弁者という趣があります。
ミステリとしての出来はキャリア末期のクリスティにしてはそこそこ。意外性の配慮はされているものの、読者にとっては少しずつ先読みが出来るかな。
一方、プロット面では新たに起こる事件の扱いに雑さを感じました。マープルより早く真相に肉薄している人物がいるのだが、果たしてそれがどのようにして可能だったのかは不明なまま。また、犯人はなぜそのことに気付けたのか。さらに、マープルの身を守るために配された人物は、いかにして危険を察知しえたのであろうか。
マープルものとしては最後に書かれた作品であるためか、マープルは全編出ずっぱり。初期作品の登場人物であるサー・ヘンリーの名前が出てくるところなどもファン・サーヴィスでありましょうか。
ただ、訳文はあまりよくない。文のつながりに妙なところがあるし、キャラクターが途中で別人のような話し方に変わってしまう箇所も見られますね。
まあ、ファン向けの一作ではないかと。
2017-02-12
Bobby Hebb / Sunny
ボビー・ヘブのこのデビュー作は1966年、米国内ではマーキュリー・レコード傘下であったフィリップスからリリースされました。
プロデュースはジェリー・ロス、アレンジはジョー・レンゼッティ。ロスにとってマーキュリーでの初めての仕事がボビー・ヘブだったそう。
大ヒットした "Sunny" はボビー・ヘブの自作曲。溜めを効かせたボーカルが印象的で、はじめのうちは抑制を感じさせながら、それが後半になるにつれてどんどん感情が高まるように力強いものになっていく。控えめな管や鉄琴も雰囲気がいい。バック・ボーカルはアシュフォード&シンプソンやメルバ・ムーアが務めているようだ。
この曲はカバーもおそろしく多いけれど、オリジナルでの隙間の多いプロダクションは、聴き手にとってイメージを膨らませる余白があるのだな。
その "Sunny" は置いておいて、アルバム全体としてみるとソウル色が強いですね。そこにジャジーなものやスタンダードな曲が加わるという具合。ボビー・ヘブのボーカルも軽いものから男臭いシャウトまで難なくこなしていますが、スマートな "Sunny" のイメージで聴くと面食らうかもしれない。
ポップソングとしてならロスとレンゼッティが書いたアップ、"Love Love Love" が抜群の出来です。モータウンあたりを下敷きにしながらぐっと都会的なテイストを漂わせた仕上がりが格好良く、鍵盤のリフもとても印象的。ジェイ&ザ・テクニクスの曲だといわれても違和感がない(実際、ジェリー・ロスによればテクニクスのデビュー・ヒット "Apples, Peach, Pumpkin Pie" は当初、ボビー・ヘブにあてがおうとしたが拒否された曲なのだそう)。
2017-02-05
カーター・ディクスン「かくして殺人へ」
ときは戦時中、初めてものしたロマンス小説『欲望』が評判になったモニカ・スタントンは、映画化の話を受けてロンドンのスタジオに向かう。しかし、彼女に任されたのは自作ではなく、探偵小説『かくして殺人へ』を脚本にする仕事であった。そして、『欲望』のほうは『かくして~』の作者、ビル・カートライトが脚本化することとなった。
撮影スタジオを見学中、モニカは何者かによる硫酸を使ったトリックの犠牲になるところを、ビルのおかげで間一髪、防ぐことができた。だが、そのトリックはそもそもビルが考案したものだったのだ。そして、さらなる脅威が迫り・・・・・・。
1940年発表になる、ヘンリ・メリヴェール卿もの。
ヒロイン、モニカをビルが守ろうとするというお話で、不可能興味や怪奇的な味付け、おどろおどろしい演出はありませんが、その分テンポがよく、ロマンティック・コメディとサスペンスのバランスも取れていて、非常に読みやすい。
そもそも何故モニカが狙われるのか、その理由が一向にわからない。ビルは探偵作家として、自らの推理を組み立てるのですが、物語の中盤になってようやく登場するH・Mによって、それは否定されてしまいます。
真相のほうは意外な動機というか、隠された構図が見所です。クリスティ的な面白さ、といったらよいか。ただし、かなり無理のある犯行手段、あこぎな誤導などが気になってしまうかな。
戦時下であることがプロットと有機的に結びついているし、ユーモラスな落ちも決まった。
メインの趣向はやや小粒なのですが、色々と副次的なアイディアが盛られ、楽しいミステリになっています。
2017-01-29
有栖川有栖「狩人の悪夢」
「まだ駆け出しに近いミステリ作家」有栖川有栖(34)は、対談をした売れっ子ホラー作家の自宅に招かれる。聞けば、そこで寝ると必ず悪夢を見るという部屋があるというのだが・・・・・・。
作家アリスものの新作はきびきびとしたフーダニットであります。
犯人はこともあろうに弓矢の矢を使って殺人を犯し、その上で被害者の体の一部を切断して持ち去った。有力な容疑者が浮かび上がるものの、その足取りには不可解な点が。そして更なる意外な展開も、という風にいかにもミステリ的な趣向が盛られていて、目がくらまされる。そのせいか、容疑者たちのアリバイが検討されるのはなんと物語の3分の2ほどを過ぎてからである。
「凶器の弓矢。切られた右手首と左手首。血染めの手形。落雷で倒れて道をふさいだ大木。空き家の地下収納庫で見つかった死体。大音量のベートーヴェン。渡瀬信也の過去。沖田依子が捜していた何か」
材料は多いがそれらがどう組みあげられるのか。
終盤に至ってようやく重要な証拠品の数々が発見されるが、それらにも奇妙なところがあって、一向に全体像が見えてこない。
解決は実に予想外なタイミングでやってくる。このあたりの呼吸はいつもながら巧い。弛緩と緊張というか。
全てのピースが収まるべきところに収まる、その筋道も実にねちっこく、かつ意外な手掛かりが楽しい。中でも切断された手首を巡るくだりはまさにクイーン流で、『エジプト十字架の謎』中盤の推理を髣髴させます。
弛みなく構成され、力のこもったパズル・ストーリーでした。満足です。
2017-01-28
アルフレッド・ベスター「破壊された男」
1953年発表になる、ベスターの長編第一作。
時は24世紀、テレパシー能力のあるエスパーが社会のなかで重用されるようになっていた。そして、意識を監視することが可能になったことから、多くの犯罪が未然に阻止され、謀殺にいたってはもう79年間も成功していなかった。
そんな世界で、巨大企業の社長、ベン・ライクはライバル会社の社長の殺害を決意する。
このベン・ライクというのは非エスパーであるが野心家で気が荒く、なおかつ策士とあって、凄く魅力的なアンチ・ヒーローです。彼は自分の権力を存分に利用しながらエスパーたちの目を掻い潜り、完全犯罪を目指します。
一方で警察側の中心人物となるのが、リンカーン・パウエルという一級エスパー。エスパーにも階級があって、三級では単に口に言葉を出さずに会話をできるレベルですが、一級ともなると他人の意識の奥底、本人の気づいていないところまで読み取ることができる。パウエルはそういった能力を持つごく一部のエリートの一人。もちろん有能な警官でありますが、テンションの高いベン・ライクとは対照的にどこか飄々としてユーモアを解すところがいい。
いきいきと描かれたキャラクターの魅力、スピード感のある展開に、互いに相手の裏を掻こうとする戦略などでぐいぐいと引っ張られ、一切のだれ場がなく進んでいきます。いわば文明の発達した未来(あるいは異世界)を舞台にしたミステリ、アクションの面白さなのですが、これが終盤になるとひとつ次元の違うところに入っていきます。SFとしての本領を見せつつ、それまで放り出されていた謎も解かれていく。
そして結末で明らかになる破壊という言葉の意味。
古典らしい力強さを持ちながら、現代でも十二分に通用するセンスが感じられるエンターテイメント作品でございました。
2017-01-15
アガサ・クリスティー「フランクフルトへの乗客」
1970年発表のノンシリーズ長編。
クリスティ自身による長めの前書きがついていて、大雑把に要約するとキャラクターは純然たる架空のものだが物語の背景は現実の反映だ、ということなのだけれど。これは作品を楽しむ上で逆効果になっているのでは。何といわれようが登場人物の主張イコール作者の思想、と取ってしまう読者は少なからずいる(評論家にも安易に結びつける人は多い)。実のところ、あまりに荒唐無稽な作品であることを自覚したクリスティがあらかじめ予防線を張っているに過ぎないと思うのだ。
作品のほうは、結論からいうとB級パルプスリラーといったところ。
はじめのうちは謀略小説のように展開します。クリスティのそれまでのスリラーと比べても乱暴というか、どんどん広げた風呂敷が大きくなっていく。これ、校正したのかな? と感じるような辻褄の合わない描写もあります。また、キャラクターが薄っぺらなのは戯画的な面を強調するためだとは思うのだけれど、ユーモア味があまりないのが痛い。かろうじて葉巻好きの大佐の描写に見られるくらいか。
後半になると、物語はまったく予想もつかない方向へ豪快にシフトしていきます。
まあ、〈コミック・オペラ〉という副題が付いている作品なのです。シリアスに受け取って読むものではありません、これは。舞台化されたものをイメージすれば、相当に強引な展開にも納得がいくのでは(病弱な博士がぐんぐん元気になるところなど、本来は笑い所でしょう)。
ミステリとしては大したことはないですが、エラリー・クイーンのファンなら主人公のおばによる操り、という仕掛けは(いささかあからさま過ぎますが)見逃せないか。
2017-01-13
フランシス・M・ネヴィンズ「エラリー・クイーン 推理の芸術」
なんというか、労作ですね。クイーンの作品を全て読んできたひとにとっては、値段なりの価値はあります。
まず作品ひとつひとつの美点・欠点やアイディアのリサイクルに対する指摘がいちいち明確でうなずける。しかし、『三角形の第四辺』などくそみそだな。
ライツヴィルものに多く見られる欠点として挙げられているのが、実在感ある人々や社会の描写と、現実離れした動機及びロジックの喰い合わせの悪さ。我が国の現代ミステリはこれがさらに行き過ぎているようで、個人的にはあまり読む気がしなくなったのだ。
1930年代の終わりから1948年までの間、クイーンはラジオ・ドラマの脚本を手がけていて、それに関する文章には100ページ以上割かれている。それだけ、この時期がクイーンのキャリアの上で非常に重要であったということなのだが、予想以上に多かった。全エピソードの内容について触れていて、未知のものが多いとなると読むのがなかなかしんどい。
しかし、週一作のペースで謎解きの脚本をひねり出すというのは恐ろしく疲弊したに違いない。1940年代半ばにフレデリック・ダネイはプロット制作から降り、あとはアントニー・バウチャーらに引き継がれることとなった。
また、後に小説化された「クリスマスと人形」(ネヴィンズは『犯罪カレンダー』の作品中でも「文句なしに最高のもの」と絶賛している)はマンフレッド・リーがダネイのプロット無しに単独で書いたものらしい。
そのほか、気になったところをいくつか拾ってみると。
・『十日間の不思議』が発表された頃、アントニー・バウチャーがダネイ宅を訪ねたところ、そこにはジョン・ディクスン・カーもいたという。カーは『十日間~』にどのような感想を持ったのか気になる。なお、本書でダネイの親友として挙げられているのはカーとダシール・ハメットです。
・『クイーンのフルハウス』や『犯罪実験室』収録作のうちいくつかはリーがスランプの時期に発表されたものであるゆえ、ダネイのプロットを小説化したのは誰かほかの人物らしい。短編の代作については考えてなかったなあ。
・1960年代に出版されたペーパーバック・オリジナルはリーの財政的な問題を救うためのもので、一応はリーの手は加わっているが、ダネイはまったく読もうとはしなかった。また、英国ではハードカバーで、真正のクイーン作品と同じ黄色いカバーを付けて出されていた。
・リーが執筆に復帰したのは長編『顔』(1967)からであり、ダネイの梗概をもとにアヴラム・デイヴィッドスンが小説化した『真鍮の家』(1968)はそれ以前に書かれたものだと推測されている。
・ホルヘ・ルイス・ボルヘスの作品が初めて英語圏に紹介されたのは《エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン》。
本書の最後の章「付録2 フレッド・ダネイと働いて遊んで」では著者、ネヴィンズとダネイの個人的なかかわりについて書かれているけれど、《EQMM》に寄稿された作品に対してダネイが具体的にどのようなアドヴァイスや改良を施していたかを知ることもできる。
また、この章ではダネイからネヴィンズへの私信の抜粋がたくさん載せられていて、その文面からひととなりが伝わってきます。
「マニーと私はいつも、Qのヒゲを二本描いてきた。特に、サインをするときにはね。二本のヒゲは、二人の人間が合作していることを示しているのだよ」
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