2018-07-24

Chris Rainbow / White Trails


1979年にリリースされた3枚目のアルバム。最近、英Cherry Red傘下のLemonというところからボーナストラック入りでリイシューされました。
アレンジ、プロデュースはクリス・レインボウ本人。演奏はモー・フォスターやサイモン・フィリップスらセッション・ミュージシャンによるもので、涼やかなエレピはマックス・ミドルトン。また、ギターには元パイロットでアラン・パーソンズ・プロジェクトに参加していたイアン・ベアーンソンの名前がある(クリス・レインボウもこの後、アラン・パーソンズ・プロジェクトのレギュラーになります)。

このアルバム、大昔に聴いて、そんなにいいとは思わなかったのよな。日本のレコード会社の売り文句から、こちらが勝手にビーチ・ボーイズ的なものを期待していたせいなんだけれど。確かにメロディとコーラスにはそういった要素があります。しかし、オケは時代相応のアダルト・コンテンポラリーというかシティ・ポップじゃないか、と。AOR的なものはどうも苦手なのよ。若い頃には特にそうだった。
しかし今、先入観を排して接してみると英国モダンポップ的なセンスがそこここに感じられ、おお、思ってたのよりずっと良いじゃないか、となったわけ。コーラスのエフェクト処理、ギターの音色、ぐねぐねしたフレットレスベースのフレーズ等、当時の典型的なサウンドからは一線を画したものであります。
歌声の方は甘さとシャープさの両面を併せ持ち、カール・ウィルソン的な瞬間もある。また、クロースハーモニーになると、ひとり多重録音で作っているせいかタイミングがジャストで、そのことから密室的な印象を受けます。

"Song Of The Earth" がアコースティックな響きを生かした開放感ある曲で、'70年前後のビーチ・ボーイズを思わせ、個人的に一番好みであります。凝りまくったコーラスアレンジもたまらないわあ。
メロウ化した末期パイロット好きなひとなんかにも合うアルバムじゃないかと。

2018-07-17

The Who / Live At The Fillmore East 1968


50年前の4月6日、ニューヨーク公演の演奏。
当初、ライヴ盤を作るべくこの日とその前日の公演が録音され、それらからピックアップしたアセテート盤も作成されたがお蔵入りに。そのアセテートをソースにしたブートレッグも古くから出回っていました。
今回のリリースは4トラックをレストア、新たにミックスされたものであります(なお、ライナノーツによれば5日のマスターテープは行方知れずだそう)。

音の方は'60年代のライヴということを考えれば、かなりいい。演奏のほうも当時のザ・フーだからいいに決まってら。他にはモンタレー・ポップ・フェスティヴァルくらいしかないわけだし。
とはいっても30分を超える "My Generation" は実は10回あまりしか聴いていない。どうもとりとめが無いようで疲れる。一番いいのが、ロジャー・ダルトリーが "f-f-f-fade away" と歌っている途中でジョン・エントウィッスルが勝手に "fade away!" と叫ぶところだったりする。

このライヴが行われたのはサード・アルバム「Sell Out」の本国でのリリースから4ヵ月も経っていないころ(アメリカだと3ヶ月)で、その「Sell Out」からの曲も演奏しているけれど、ここでは完全にサイケデリックを脱している。バンドとしては既に'70年代以降のモードに移行しているようである。ハアアアド・ロック!

それにしてもフーのサウンドというのは独特だ。そして、ライヴだとさらに硬質でドライな印象を受ける。ベースはトレブル強め。タウンゼントのギターは暴力的でありながら繊細、歪んでいるけれど一音一音はクリアに聞かせる。キース・ムーンについていうと、ドラムキットが大きくなってからは精彩を欠いていった印象を持っているのだが、この時代はまだ手数の多さがグルーヴを邪魔していなくて、いいですなあ。

2018-07-16

三津田信三「碆霊の如き祀るもの」


江戸時代から現代(作中では戦後)にかけて起こったとされる四つの怪異。それを取材すべく刀城言耶は断崖に囲まれた海辺の村へと向かった。しかし、というか、やはり事件が起こる。それは伝え聞く怪談の内容と呼応するようなものだった。


刀城言耶シリーズとしては六年ぶりの新作。
見立てによる連続殺人が起こり、それらがそれぞれに一種の密室であり、なおかつ有力な容疑者も挙げられないという、探偵小説としては王道のような設定であります。

語りのほうはすごくテンポがいい。ひとつひとつのエピソードが短めで、場面展開も早い。県警の警部が捜査の指揮を執るのだが、この人物が言耶の意見を聞きつつ現実的な見地からそれを検討していくというかたちをとっているので、読んでいてストレスがないし、物語途中での推理興味も十分。
一方でじっくりとした描写があまりないので、恐怖という点ではやや物足りないか。

事件のスケールが大きいためにあちらを立てればこちらが、となって中々、真犯人の目処が立てられず。そのまま終盤に至ると、70点にも及ぶ疑問が列挙されていく。

謎解きはスクラップ&ビルドを繰り返し、最終的に視点を変えることで全貌を見通すというもの。モダーン・ディテクティヴ・ストーリー的なロジックの意外性には堪えられないものがあるけれど、細部は先にいったん提示された仮説の中から再構成されていく分、読者の方が一足先に真相に辿り着いてしまうのは仕方がないか。
怪談の謎と現在の事件の絡ませ方といい、ミステリとしての洗練は相当なものになっているのだが、トリック一発の衝撃には欠ける。この辺りは好き嫌いはあるだろうな。

……と思っていたら結末で見事な着地が決まった。そして、あらためて作品の最初に置かれた「はじめに」の部分を見返すとなかなか読後感が深まってくるじゃないですか。
う~ん、わたしは満足です。
ところで、このカバー絵、帯を外してみてどきっとしたな。

2018-07-09

ヘレン・マクロイ「牧神の影」


1944年のノンシリーズ長編。
はじめのうちに暗号が提示されるものの展開としてはスリラー、最後になって謎解きがまとめて押し寄せてくる、といった感じの作品です。

主人公の女性が感じる不安には二つのベクトルがあって。森に棲むように思われる超自然の存在と、素性の胡散臭い人物に代表される現実的な脅威。人が欲望に囚われた末に得体の知れないものになってしまう、というのが作品のテーマのひとつではあるけれど、次元が違うものが混ぜこぜになっているようで、どうにも説得力が薄く感じられてしまった。
サスペンスが中途半端に思えるうえ、具体的な事件が起こるのも終盤、そのうえ暗号も難解とあって、なかなか読み進める気が起きなかったのが正直なところ。マクロイでこんなに苦戦したのは初めてだ。

で、解決編なんですが。
フーダニットとしてはやや緩いし、伏線にも乏しいのではないかな。一方で遠い過去に属する事柄が読み替えられる趣向はさすがマクロイ、といったところであります。
また、暗号そのものはともかく、鍵となるものとそこへ辿り着くロジックも好みですね。

丁寧に作られた作品ですが、どうも個々の要素が有機的に絡んでいないようで、すっきりとしないな(暗号小説であることそのものがフーダニットにおける誤導として生きていればよかったのだけれど)。個人的に今回はあまり合わなかったですね。
八月に出る『悪意の夜』に期待しましょう。

2018-06-10

ジョン・ディクスン・カー「盲目の理髪師」


1934年長編、その新訳版。
これ読んだことあったっけ? と思っていたのだが、なんとなく既視感を覚えるシーンや設定がある(しかし自信はない)。

ユーモアの要素が大きい作品ですが、船上ミステリであり安楽椅子探偵ものでもある。旅客船で起こった事件の関係者がフェル博士の自宅を訪ね、自分の見聞きしたあらましを博士に伝える。そして、そこからフェル博士が真相を推理する、という構成。フェル博士は物語のはじめと真ん中、それに解決編のみに顔を出す。
ミステリとしての主題は盗難の犯人と消えた死体の行方、なのだが、それらがどう関連するのかという全体像はなかなか見通し難い。

もっとも、お話は必ずしも謎を中心に進行しているわけではなく、繰り広げられるドタバタの描写に多くの頁が割かれております。登場人物たちがそれぞれ勝手な思いつきで動くので、良くも悪くも話の先行きが見えない。そのせいで、問題の焦点がぼやけている感はありますね。もはや真相などどうだっていいや、というような。
で、そのドタバタなのですが、現代の日本人からするとどうかな、といったものですね。個人的には笑えるところはいくつかあったものの、全体としては夾雑物過多というか、間延びしているような印象を持ちました。

謎解きとしてはゆるめです。伏線は大量に回収されていくけれど、決定的な証拠は無いように思える。また、捜査が不十分で穴があった、というのもなんとも。
一方で、アクシデントを誤導につなげ、さらにそれが大きな手掛かりにもなる、という趣向は実にうまいし、非常に大胆な描写がなされていたことがわかるところなど、たまらないのだけれど。

あくまで喜劇がメインかな。
次は『九人と死で十人だ』ですね。

2018-05-26

福永武彦「完全犯罪 加田伶太郎全集」


福永武彦が加田伶太郎名義で発表した探偵小説集、その創元推理文庫版。
大学助教授である伊丹秀典が探偵役を務めるもので、1956~62年に発表された8短編が年代順に収録されています。なお、加田名義では他にノンシリーズでふたつほど短いものがあるのですが、それらはこの創元版では除かれています。


「完全犯罪」 未解決に終わった事件の話を聞いた複数の人物たちが、それぞれの見解を披露するというもので、フーダニットと密室の謎を絡めたガチガチの謎解き小説。相当に古典的なスタイルであって、相当無理目のトリックはあそこから来ているのかな、と見当も付くもの。それでもアイディアの密度が高い、力のこもった作品ではあります。
「幽霊事件」 屋敷の一室で死体が目撃された直後、その被害者当人が頭から血を流しながら玄関から入ってくるという不可解極まりない謎。密室の要素もある。
書かれた時代からしても古めかしいし、あまりに犯人の思い通りに行き過ぎているのがなんですが、相当にトリッキーだ。
「温室事件」 またしても密室殺人である。しかし、現場の特性を生かしたトリックや細かい伏線等、ミステリとしての練度は上がっているし、物語性への配慮もしっかりしたもの。それでいてアマチュアリズムも感じられるというのが、また嬉しいところ。

「失踪事件」 わずかな手掛かりから隠れた犯罪をあぶりだすという趣向で、展開されるのは推理というよりは想像に近いですが、ちょっとハリイ・ケメルマンの有名短編を思わせます。
「電話事件」 PTA会長のもとに脅迫電話がかかってくる。しかし、要求は何もしてこない。不可解な謎を解くべく、伊丹助教授は自ら学校関係者たちへの聞き込みにあたるのだが、容疑者たちには皆、犯人とするにはしっくりこないところがある。
私立探偵小説を思わせるプロットで、推理の妙にはやや乏しいか。
「眠りの誘惑」 ある屋敷に雇われた女性の手記からなる一編で、伊丹英典本人は顔を出さず、最後に手紙でその推理を述べるというもの。安楽椅子探偵の形式を極端にしたといえるか。
犯行手段は相当に無理があるものと思われるのだが、ロジックの切れはこれがベストではないかな。全体の雰囲気や余韻も決まって、とてもまとまりのいい作品です。

「湖畔事件」 子供たちが活躍する殺人喜劇で、必ずしも謎解きに主眼は無いように思える。入り組んだプロットだがうまくまとまっていて、楽しい読み物になっています。
「赤い靴」 自殺したと思われる女優が残した日記には、彼女が日常的な怪異に悩まされていたことが記され、さらにそこから殺人の可能性も浮かび上がってくる、というもの。
怪奇的で不可解な現象と謎解きの興味を結びつけ、シリーズ最終作にふさわしく読み応えある作品です。


いずれも力を抜いたものがなく、趣味性を感じさせる仕上がりです。謎解きの興味を中心に据えながら、6年のスパンの間に作風がドラスティックに変化していくのも興味深い。
しかし、巻末に掲載された鼎談における都筑道夫の論はやや牽強付会のきらいがありますね。

2018-05-19

Revelation / Revelation (eponymous title)


リヴェレイションという名の詳細がわからない混声ボーカルグループによる、1969年か'70年にマーキュリーから出されたアルバム。ジャケット裏には「THE MUSIC OF JIM WEBB IN A NEW SETTING BY REVELATION」とあり、収録曲は全てジミー・ウェッブの作品で固められています。
プロデュースはブラッド・ミラーという、オーディオファィル御用達であるモービル・フィデリティ・レコーズの創立者が、アレンジにはリチャード・クレメンツがクレジットされています。ブラッド・ミラーはイージー・リスニングにSEを混ぜたレコードをヒットさせていたひとですが、どうも自身にはさほどの音楽的な素養はなかったよう。クレメンツのほうはバッキンガムズのアレンジに参加したりしていて、'70年前後にはミラーとともに数枚のレコードを制作しているようであります。
録音はロンドンとサンフランシコのスタジオが記されていて、おそらくオケを英国で作り、歌入れや少々のSEを入れるのを米国で行ったのではないか、と推測されます。想像ばっかりですが。

収録されている12曲は最初に触れたように全てジミー・ウェッブの作品ですが、ここが初出かと思われるものが3曲ほどあります(リリース時期が確定できないのですが、もしかしたら5曲かも)。他にはテルマ・ヒューストンのアルバム「Sunshower」(1969年)にも入っていたものが4曲ありますが、仕上がりからはかなり異なった印象を受けます。
このアルバムと違い、ジミー・ウェッブが作曲だけでなく全面的に制作に関わったアルバムには割合によく知られたものがあります。先に触れたテルマ・ヒューストンの他にジョニー・リヴァース、リチャード・ハリス、フィフィス・ディメンション等々。それらと比較すると、このリヴェレイションの歌やコーラスは美麗ではありますが、個性や存在感はそれほど感じないのです。というか、主役はシンガーではなくて曲のほうだ、というつくりではないかな。じっくりと聞かせるよりも、軽快さのほうが勝っている、とも言えそう。

当然のように良い曲ばかり、それらをソフトサウンディングに仕上げたアルバムなわけなので、単純に聴いていて気持ち良いですね。
似た趣向であるレヴェルズの「The Jimmy Webb Songbook」もどこかでリイシューしてくれないかしら。