2014-05-05

日下三蔵・編「ミステリマガジン700【国内篇】」


日本編でありますが、こちらも縁起ものということで。
僕にはミステリマガジンというのはポケミスとともに(少なくとも今世紀に入るまでは)欧米、というかアメリカ文化を活字を通して紹介してきたイメージがあって。そんな雑誌で国内の作品はどのように扱われてきたのだろう。


最初の3作はEQMM時代のもの。巻頭に選ばれたのは結城昌治「寒中水泳」。そうだよな、と思う。海外ものの影響をみごとに消化したスマートなデビュー作であります。あざとさがないし、小道具の使い方もうまい。
続く眉村卓「ピーや」は泣かせる怪奇譚。
田中小実昌「幻の女」は名調子の語りでもって、ウィリアム・アイリッシュの向こうを張った一品。ああだこうだ言うのも野暮、ニヤニヤするのが吉ですなあ。

雑誌の名が「ミステリマガジン」に変わったのが1966年だそう。
SF編集者として知られる福島正実「離れて遠き」はクライムストーリーのパロディなのかも。
片岡義男「ドノヴァン、早く帰ってきて」小泉喜美子「暗いクラブで逢おう」は方法は違えど日本的な泥臭さを徹底的に排除する試みで、まるで翻訳小説を創作しているようである。
都筑道夫「温泉宿」は怪談のようでいて本当のところはどうなんだろう。しかし、こんな落し所があるのか。
田村隆一「死体にだって見おぼえがあるぞ」は詩なんだけれど、いろんなところに取り上げられているから知ってるひとも多いだろうな。僕が最初に読んだのは作者のミステリ論集『殺人は面白い』で、あの本の最後に置かれた「凹孔(クレーター)」も良かった。

'80年代に入ると作品のミステリらしさに安定感が出ています。
鮎川哲也であえて「クイーンの色紙」を選んだ、というところにこのアンソロジーの妙が感じられるか。作者本人が謎を語る、虚実入り混ぜたユーモラスな一編です。
竹本健治「閉じ箱」はブラウン神父譚をある方向に特化させた、この作者にしか書けなさそうなパスティーシュ。
仁木悦子「聖い夜の中で」は悲しくも優しいお伽話。こういう話には弱い(みんなそうか)。
実は今回、いちばんミステリらしいミステリなのが原尞「少年の見た男」ではないか。この作品の古び無さも凄い、と思う。

'90年代になるとミステリの骨法を身に付けた上で、あえてそこにはこだわらない作品も出てきます。
その代表みたいなのが山口雅也なんだけれど。「私が犯人だ」ではメタにも形而上にも逃げず、わかりやすいかたちで収めたところに実は凄さがある、と思う。
文体だけで幻想小説を成り立たせたのが皆川博子「城館」。また、それとは逆なのが日影丈吉「鳩」で、まるで身辺雑記のように語られる奇想が美しい。
若竹七海「船上にて」は海外を舞台に古き良き時代の探偵小説を再現しつつ、この雑誌らしい捻りが。

21世紀に入り、雑誌名が「ハヤカワ・ミステリマガジン」になってからは、もう昔のミステリマガジンとは別物ではないだろうか。以下の作品も海外作品に対する意識は(良い意味で)希薄であるように思う。
米澤穂信「川越にやってください」は結末に至って作品全体の秘密が明かされるのだけれど、それも分からない人にはなんのことだか。だいいち、あれは今ちょっと手に入りにくくなっているようだし(追記:7月に入ってから増刷されていました)
三津田信三「怪奇写真作家」は題名通り怪奇小説だが、全てが割り切れてしまった瞬間が一番怖い。
結城充孝「交差」は運命が交錯し、そしてすぐに離れてしまう瞬間を見事に描いた一編。間然とすることがない、とはこういうことをいうのだろうな。
月村了衛「機龍警察 輪廻」はSFミステリで、架空の、しかし現実の延長線上にある問題を扱って説得力充分。

最後にEQMMに掲載された5人によるリレーコラム「証人席」があります。当時の我が国におけるミステリをとりまく状況を垣間見た気分になるかも。今と比べて語り口がおおらかですな。


しかし、癖が強い作品が多いなあ。若い人がこのアンソロジーを読んでミステリマガジンにも興味を持つ、ということはあるのでしょうか。

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