2017-07-12

アガサ・クリスティー「マン島の黄金」


そもそもは1997年に出版された拾遺集で、一作を除いてそれまで単行本に収録されることの無かった短編が収められています。
それぞれの初出は1920~30年代とクリスティのキャリア初期であり、その内容はミステリとそうでないもの、両者の境界線上にあるものなど雑多なとりあわせです。

エルキュール・ポアロものがふたつ。「クリスマスの冒険」は後年に中編「クリスマス・プディングの冒険」へと書き直され、出来はそちらのほうがいいです。もう一方の「バクダッド大櫃の謎」は改作である「スペイン櫃の秘密」よりすっきりとしていて好みなのですが、この作品は『黄色いアイリス』にも入っているんだよなあ。
ハーリ・クィンものの「クィン氏のティー・セット」は1971年に複数の作家の短編を集めたアンソロジーに発表された作品で、雑誌掲載されていないのであれば、これがクリスティの生前、最後に発表された短編となるのだがどうだろう。作中でサタースウェイトはクィンと会うのが随分久しぶりということになっているけれど。
出来のほうは決して悪くないのですが、クィンものは一作だけを単品で読むとやや味わいが薄くなってしまうな。
タイトルになっている「マン島の黄金」は観光客誘致の宝探しイベントのために書かれた作品で、作中の登場人物とともに暗号を読み解いていけば、実際に隠された宝箱を見つけ出すことができる、という趣向だったそう。手は込んでいるものの純粋な読み物としては大したことはないかも。

クライムフィクションといえそうなのが「名演技」。恐喝者をいかにして追っ払うかについてのアイディアストーリーで、なんとなく成り行きの予想はついてしまうのですが、くっきりと浮かび上がってくる情景とその転換が実にうまい。
「崖っぷち」は健康な心がじわじわとゆがんで行く過程が読ませるサスペンス編で、実に良く書けているだけに陳腐なまとめがやや残念。
収録作品のうちミステリ要素のあるのはこのくらいですね。

「夢の家」は怪奇ファンタジーで、『死の猟犬』あたりのテイスト。話の持っていき方にも無理が目立たず、結構、堂に入った書きっぷりです。
「孤独な神さま」「炎の消えぬかぎり」「白木蓮の花」はロマンス小説。特に「白木蓮の花」は、ささいな謎が解けていくことで人間性が立ち昇る場面が非常に印象的。本書ではこれが一番気に入りました。
「壁の中」はミステリではないのだが、ある人物の知られざる内面がテーマといえるかもしれない。クリスティは人間性を描くのが真に迫っているわけではないけれど、そのプレゼンテーションのうまさによってキャラクターを印象づけるのだな。
「愛犬の死」は普通小説というか、ディケンズの線なんでしょうか。悲しいことはあるけれど、それでもあなたの人生は続いていくのよ、みたいな。ミステリ小説のとっかかりのエピソードだけを取り出して、書き込んだような作品だ。

残り物には福があったのかは微妙。純粋なミステリ的見地からすると残り物は、やはり残り物かと。当然にファン向きの一冊。

さて、七年余りをかけてクリスティのミステリ作品を読んできましたが、それも今回でおしまいです。ミステリ長編、作品集にまとめられた短編、オリジナルのプロットをもつ戯曲で入手可能なものはとりあえず読めたかな。
長かった。

0 件のコメント:

コメントを投稿