2026-10-17

アントニイ・バークリー「毒入りチョコレート事件」


「彼女がこの犯罪を行なうのは心理的に不可能だと。しかし、現実問題として、心理的不可能性は証明できません」


昨年の暮れに出た、1929年の長編の新訳版です。この作品は以前にも取り上げていて、あれも新訳じゃなかったっけ、と思ったのですが、調べたところ昔からのものをパッケージし直しただけのものでした。なんだ。今回読んだものは半世紀以上ぶりの翻訳ということになります。
内容は結構なところまで覚えていたわけだけど、訳が新しくなったことでユーモアが伝わりやすくなったかと。より楽しく読めた気がします。

作品前半に<犯罪研究会>のメンバーたちによって展開される推理は、動機と機会を示すだけのものであって、容疑者と犯罪との結びつきは弱いのですが、それでも十分に面白いのはバークリイの語り手としての腕なんでしょうね。
そして、ロジャー・シェリンガムによる推理の場面、前のときも書きましたが、惚れ惚れします。もったいぶった前置きといい、すこしクイーンっぽさすら感じます。

でもって、自負心の強い面々のなかで、アンブロース・チタウィック氏は実に感じがいい。もっとチタウィック氏が登場する作品を読みたいものだが。シェリンガムものの文庫化が終わったら『ピカデリーの殺人』や『トライアル&エラー』も新訳で欲しいね。

歴史的な作品でありながら、結末の力の抜け方がいいじゃないですか。場の空気だけが示されるという。いきなりメタ視点になったような印象すら受けます。
元になったという「偶然の審判」中編版の邦訳も読んでみたいものですが。