2010-06-05

麻耶雄嵩「貴族探偵」

麻耶雄嵩、五年ぶりの新刊は2001年から'09年までに雑誌に掲載された短編五つをまとめたもの。
相変わらずの寡作ぶりですが、三年くらい前から出版予告されていた長編もいよいよ今年の9月には出そうなので、凄く期待してはいます。

さて、『貴族探偵』であるけれども、この作家の例によってキャラ立ちが激しい。
今までも、推理せずとも最初から真相などお見通しなメルカトル鮎シリーズ、ワトソン役がいち早く解決にたどり着き、名探偵にさりげなくヒントを与える『名探偵 木更津悠也』があったわけだが。
『貴族探偵』は題名通り、やんごとなき身分のお方が探偵である。が、推理などという雑務を本物の貴族がすることはなく、そういった普通探偵役に期待される仕事は彼の使用人である、運転手・執事・メイドなどが行うこととなる。貴族探偵は使用人に事件を解決するように指示しておくと、自身はもっぱら優雅に紅茶などをたしなみながらソファにくつろぎ、女性を口説いたりしているのだ。

このように設定が派手目である分、ミステリとしてはオーソドックスな線を踏んだものとなっています。事件そのものはケレン味に欠けるように映るかもしれませんが、どの短編も滅茶苦茶にトリッキー。読者に、ああ、成程そういうパターンねと思わせて、さらにそれを逆手に取ったテクニックなど、本当に凄い。
また、解決のロジックもどんどん転がっていくうちに、とんでもないところに辿り着くようで、実にスリリング。
ガチガチの謎解きミステリとして、オリジナリティがある上にレベルが高いです。故・鮎哲先生の域に達しているんじゃないでしょうか。

ちょっと色物っぽいので敬遠するひともいるかも知れませんが、純粋にミステリとして素晴らしい一冊でありました。

2010-06-04

Tot Taylor and His Orchestra / Playtime

エライことにトット・テイラーの紙ジャケCDが二枚リリースされたのであるよ。
近年、彼のアルバムは軒並み廃盤状態が久しく続いていて、かつて我が国ではポップの天才と持て囃されたりしていたことが嘘のように、すっかり忘れ去られた存在となっていました。何でもかんでもリイシューされる今のご時勢ですら再評価番外地なのであろうか、それも彼らしいかな、何て思っていたわけではありますが。

だいたいがトットの音楽というのはエレポだったりオーケストラをバックにしたものだったりで、リズミックな感覚には乏しいのだ。曲の一部分を切り出しても乗れるグルーヴやフレーズ、みたいなものがないと、なかなか最近のリスナーには受けにくいのでは、という気がするのだが果たしてううん、需要あるのだろうかね。
僕にとっては昔、結構嵌まっていたミュージシャンであり、今回再発されるタイトルも持ってるんだけど。もうこの先トットにお金を落とすことも無いだろうと、そう思って購入した次第であります。

久しぶりに聴いてみると、やっぱりいいな。特に「Playtime」(1981年発表)はファースト・ソロとあって、力がこもっている。曲数も多く、他のアルバムと比べると予算も掛けられているようだ。
アルバムの名義は "and His Orchestra" となっていますが、実際にはセカンド以降全開となるシンセを使った曲も多いですね。どちらにしても演奏の芯になっているのはドラム、ベース、鍵盤、ヴォーカルであって、つまりはコンテンポラリーなポップスの線からは外れたものではないのだけれど。
個人的には、小編成で演奏されるジャジーなポップソングのキレが、才気走った感もあり素晴らしいと思います。

トット・テイラーの音楽は親しみやすいポップスでありながら、随所にプライドがビンビンに響いているようなところが感じられて、昔はこれがスノビッシュと形容されていたのだな。

2010-05-15

梓崎優「叫びと祈り」

既に本年のベストのひとつ、との呼び声も聞かれる新人のデビュー作です。
世界各国で起こる怪事件を描いた連作短編集。

冒頭の「砂漠を走る船の道」は砂漠の真ん中、わずか数人の間で起こる殺人をめぐるフーダニット。この作品がとにかく傑作だという評判であって、期待して読んだのですが。
一番の驚きどころは動機なんでしょうけど、これは確かに良く出来てるんだけれど、僕自身は、ああ、なるほどね、異世界を舞台に設定したミステリでは在るパターンじゃないか、という気がしたんですよね。けれど、そこに至る解決のロジックは形のいいもので、幻想的な背景に対してオーソドックスな手つきの謎解きは逆に良く映えて、美しい。
あと、もうひとつ仕掛けがあって、僕も引っかかりはしたんだけれど、これ、ミスリードに強引なところがあるような気がします。ひとによってはアンフェアと感じるでしょう。
ただ、それらをひっくるめた物語の収め方、閉じ方が抜群に巧い、とは思いました。最後の最後になって事件の動機が無化されてしまう、それが大きな背景とあいまって凄く詩情の感じさせられる仕上がりになっていて、とてもいい小説を読んだ、という感想であります。

「白い巨人」はスペインを舞台にした、風車の中での人間消失。ミステリ的な力点が読者の思っていた場所とは違うところにあった、という現代的な趣向。推理合戦とそれとは無関係に単純なオチ、という落差のつけ方が巧い。まとまりがいい佳品。

「凍れるルーシー」ロシアの修道院を舞台にした短編なのだけど、大胆すぎるトリックも凄いが、ごく些細な違和感から始まり、地味と感じられるほどの手堅いロジックからとんでもない真相まで繋がっていく飛躍が素晴らしい。そうして、どうしても解き切れない謎が残る結末では探偵役の推理までが無化してしまっている。この纏め方もいい。

「叫び」アマゾン奥地、未開部族がエボラ熱により絶滅の危機にある、そんな状況下で事件が。剥き出しの絶望が覆う世界で、恐怖に麻痺してしまった心が生み出す推論が空転していく。「凍れるルーシー」ではファンタスティックな領域に踏み込むことによって推理が否定されていたが、この短編では(作中の)現実レベルにおいて推理という行為の無意味さが描かれている。純粋なミステリとしての興趣ではちょっと落ちるか。

連作の最後を締める「祈り」は探偵役自身の事件、といったところか。そもそもの状況が説明されないまま物語が進んでいき、実は・・・という。
この短編は無くてもよかったのでは、という意見も見受けられまして、確かにテーマ性が前に出過ぎている感じはします。けれど、連作を追うごとに物語中での推理という行為が虚しいものになっていったのが、最後の作品で謎解きのもつ力が再生していく、という趣向は悪くないと思います。

ひとつとして同じようなパターンを踏む話がなかったので、新人さんとしてはこれからも期待できるのではないでしょうか。花マル。

2010-05-01

アガサ・クリスティー「スタイルズ荘の怪事件」


クリスティをね、ちょっとずつ読んでいこうかな、と。
だいたい有名どころは昔、読んでるんだけれど。『葬儀を終えて』『満潮に乗って』あたりのタイトルまで。でも、内容は覚えてない。
作品によっては読んだかそうでないかもはっきりしないものもある。
クリスティ作品はなんか細かいんだよね、仕掛けが。
手掛かりには心理的なものもあるし。探偵役が何かを発見したようでも、それを解決編まではっきり書かないでぼやかしたりして、そういうところは趣味じゃ無いかなあ。

ところが、クラシック本格の発掘を読んでいても「面白いけど、クリスティならアベレージのレベルだなあ」なんて感じることが多くなってきて。そのうち本腰入れてクリスティに取り組まなきゃなあ、とは思ってたのですが。
最近、ウェブサイト[翻訳ミステリー大賞シンジケート]の連載「アガサ・クリスティー攻略作戦」を見ていて、よし、僕もイチから読んでいこう、という気にさせられました。


まあ、いってみよう。

『スタイルズ荘の怪事件』はクリスティのデビュー作で、ポアロものです。僕は(たぶん)初読でした。
事件の舞台や人間関係、殺害方法等いかにもクリスティという様式がこの時点で出来上がってるというのは凄いね。大胆なミスリードの手筋も、そう。
後年の作品と比べると、謎解き小説のフォーマットを手堅く踏まえた感があり、その分ややリーダビリティで落ちるような。屋敷や事件現場の図面が入ってるのも、らしくないかも(考えてみるとエルキュール・ポアロの、ベルギーからの亡命者であり、まぎれもない紳士でありながら英国ではときに使用人からすら蔑むような視線を浴びることもある、という設定は古典的な探偵小説の伝統を踏まえた、異人としての探偵のものなのだな)。

ゆるやかなサスペンスを保ちながら、後半、容疑者がどんどんと入れ替わっていく趣向がいいですね。
1920年発表ということを考えると、明らかにアイディア過剰でしょう。微妙な伏線もたまらない。
いや、面白かった。

2010-04-29

The Goggles / Music From The Original Soundtrack And More

1971年リリース、米国のテレビ番組のサントラアルバムみたいです。で、その番組にフィーチャーされたバンドがゴーグルズということで、モンキーズの線を狙っていたそう。
韓国のBIG PINKというレーベルからの紙ジャケCDリイシューで、三面開きの円形ジャケットなのだが、これはどうもオリジナルの完全再現では無いような・・・。

メンバーにはサンシャインポップ界隈では良く知られるロッド・マクブライエンと、NYの腕利きギタリスト、デヴィッド・スピノザ。あと役者さんがふたりで、うち紅一点のジェシカ・ハーパーさんは後の映画「ファントム・オブ・パラダイス」や「サスペリア」のヒロイン。
ジャケ写ではみなさん首からゴーグルをぶら下げてますが、内容もまあ、そういう感じの肩の凝らない音楽です。
落ち着いた感じのバブルガムというか、全体に突出したところはないのですが、丁寧に作られた感じのソフトサウンディングなポップスで。曲の粒が揃っている上、アレンジも良く、派手さはないもののツボを押さえたつくりであります。 ワルツタイムの "Jennifer Rain" という曲などはロジャー・ニコルズのファンにも是非聴いていただきたい心ウキウキな出来。
音楽への愛情、ということを考えさせられる好盤ですわ。ちょっと大人になったソルト・ウォーター・タフィー、というと強引かな。

しかし、デヴィッド・スピノザがテレビショーでニコニコしながら演奏してたかと思うと、なんか面白いな。

(関係ないが、このリイシューレーベル独自のインナーバックには小さい字で "PLAYING SPEED 200-500r.p.m." なんて書かれていて、ちょっと可笑しい)

2010-04-25

Jan & Dean / Carnival Of Sound

ジャン&ディーン、’60年代後半の未発表(未完成)アルバム。
音源自体は、アセテート盤から起こしたものがファンの間で出回っていたが、正規な形でリリースされたことは喜ばしい。今回、ジャン・ベリーによるオリジナルの(おそらくは最終的な)モノミックスと、新たに作成されたステレオミックスが収録されている。
ブックレットにはレコーディングに関する詳細なデータも添えられており、1966年から'68年にかけて如何にしてセッションが進んでいったか(そして頓挫したのか)を知ることが出来る。

ジャン・ベリーは1966年に交通事故を起した。乗っていたコルヴェットは大破、彼自身も肉体と脳に大きなダメージを受け、喋ることも満足にできなくなってしまった。そんな状態であっても音楽への意欲は衰えておらず、フラワーパワーの時代に対応したジャン&ディーンのレコードを作ろうとしたのだ。
そうして出来た実際の音のほうは、ファズを掛けたギターやシタール、SEなどでサイケデリックな装飾を施したカリフォルニアポップといえようか。ハル・ブレインによるドラムはなんだか叩きまくりではある。ジャン自身によるオリジナル曲の出来も非常にいい。よくぞここまで、という感すらある。
しかし、「幻の名盤」なんてものは、そうそう無い。売れなかった、あるいはお蔵入りしたレコードにはそれなりの理由がある。

結局、あまりにまともすぎるのだ。従来のジャン&ディーンのものと同じく、陰影に乏しく予定調和的な曲想のものばかりで、あくまでオールディーズポップ。意欲的なアレンジとはミスマッチな場面も少なからずある。
もし、このアルバムが当時完成していたとしても、それほど売れたとは思えない。厳しく言うと、時代に乗り損なっている。
何より1968年にはもう、これほど楽天的なポップスは受け入れられなかったのでは。

しかし、時代的なことを考えなければ、ジャン&ディーンのファンでなくとも充分に楽しめる出来である。バラエティに富んだ曲、演奏ともに素晴らしい。
現在でこそ、価値が認められるリリースだと思う。


2010-04-16

Daniela und Ann / Samba-Soul-Beat in Black & White

1969年リリース、ドイツ製ジャズボッサ歌謡。
'60年代後半にはセルジオ・メンデスのブラジル'66がバカ売れしていたため、その音楽的フォーマットを踏襲したようなグループが世界中で生まれていました。このダニエラ&アンも女性二人のヴォーカルであり、ボサノヴァのリズムに乗せて、英詩で唄っています。
何だかヨーロピアンな哀愁メロディと、ヴォーカルに深く掛けられたエコーが昭和歌謡な感じで、レコード屋はこれを「ラウンジ感覚」とかなんとか呼ぶのだろうな、シタールなんかも鳴ってるし。また、タイトルには「Samba-Soul-Beat」とありますが、ソウル的な要素は殆ど無いです。
演奏にはドイツの一流どころが当たっているらしく、なんと、あのダスコ・ゴイコヴィッチが参加! とか言っても、さっぱり。かの国のミュージシャンは全くわからないな。
ポップスとしては、どこか重さというか、商売として吹っ切れてないところがあって、ミュージシャンとしての主張が残ってしまっているけど、今聞くとそれが逆に聴き応えがあって格好いい。
歌はそれほど上手くないような可愛い系ですが、スキャットなどは雰囲気良くはまっているかしら。悪くないです。
楽曲は良く出来てるし、変わったポップスが好きなひとには合うんじゃないでしょうか(凄く曖昧な表現だな)。

さて、CDのライナーノーツを読むと、このグループはライヴやプロモーションを全くせず、アルバム一枚を残して消滅した、とあります。これを見て僕は、ははあ、さては、と。
こういうワンショットの企画アルバムなんてのは、セッションマンたちがレコードを完成させた後になってから、グループ名やコンセプトらしきものをでっち上げることが多い。きっと、実際に唄ってる女性はそもそもダニエラでもアンでもないんじゃないかな。でもって、ジャケットに写ってるのも音楽とは全く関係ないモデルさんたちでは、と思ったわけです。だって若い黒人と白人の女の子が唄ってて「Black & White」なんてタイトル、いかにも作り物っぽいじゃない。

で、検索してみました。すると、Ann Helstone は確かにライナーにあるようにミュージカル「ヘアー」に参加しているし、Daniela Milatovic もいくつかのレコードを出しているようです。なるほど、唄ってるのは確かにダニエラとアンかもしれない。けれども、それがジャケ写の二人とは限らないよね。
続いて画像検索。するとダニエラさんのレコードを掲載したウェブサイトに突き当たりました。

似てるな...。これは同一人物かな。
どうやら僕が間違っていたようだ。何でも裏を読むのは良くないね、反省。

ところが、更にいろいろと検索していると、ダニエラとアンの本職はストリッパーだという噂がある、てな文章に出くわした。更には、裏付けになる写真まで揚げられている。

何だかよくわからなくなった。