2011-01-17

Otis Redding / The Great Otis Redding Sings Soul Ballads


「オーティス・レディング、ソウル・バラードを歌う」。1965年リリース、図体もでかいが音楽もでっかい男のセカンド・アルバムである。

デビュー盤「Pain In My Heart」も荒削りな魅力がたまらないが、まだ、スタックスのバンドとオーティスが互いに歩み寄るようにして音楽を作り上げている印象があった。それが、この2枚目になると演奏と歌が一丸となって飛び込んでくるのだ。
見よ、"That's How Strong My Love Is" の重量感。そしてバックを信頼して歌い切るときのオーティスの凄さよ。

「Sings Soul Ballads」はタイトルどおり、バラードを多く収めたアルバムである。それも全て判で押したように8分の12拍子のリズム・バラード。けれど聴いていて、ちっともだれたり単調になることがない。曲によって無骨であったり、柔らかで優しかったり実にさまざまな表情を見せてくれるからだ。オーティスは当時23歳くらいであったはずなのだが、シンガーとして、ソング・スタイリストとして何と完成されていることか。
そして、未だこの時点では伸びのびと歌う喜びが何より優先されていて、進歩や変化、白人聴衆の存在などをあまり意識していなかったのではないか。何を言いたいかというと、サザン・ソウルとしての純度が極めて高い、ってことだ。

アルバムには少しペースを変えるように、いくつか乗りのいいミディアムも収録されている。"Your One and Only Man" などイントロのホーンも格好良く、味わいもある。
そして、ラストの "Mr. Pitiful" よ。
「ソウル・バラードを歌う」アルバムの最後が軽快なジャンプでいいのか、という気がするかも知れんが、たぶん良いのだ。なぜならこの曲に込められた泣き笑いのような感情は、バラードでのそれに通底するものだから。

みんな俺のことをミスター哀れ、って呼ぶのさ
ベイビー、それが俺の名前らしい
俺は人呼んでミスター哀れ
そんな評判になっちまった

だけど 誰もわかっちゃいない
なんで俺がこんなに悲しい気持ちなのか
みんな俺のことをミスター哀れ、って呼ぶ
それは俺がお前を失ってしまったからなのさ

これを鉄壁の演奏を従え、あくまで明るく、力強くぶちかますのだが、自然に悲哀がこぼれおちるのは止められない。
なんという松竹新喜劇。まさに「藤山寛美、ソウルバラードを歌う」だ。

2011-01-16

Peter Anders / Peter Anders (eponymous title)


'60年代にヴィニー・ポンシアとのコンビで活動していたピーター・アンダースのソロ・アルバム。またしても韓国BIG PINKからのリイシューです。
このCDの元になっているのは1976年にタイガー・リリーというところから出たLPなのだけれど、その中身はというと、'72年にファミリー・プロダクションからリリースされたアンダースのファーストソロ「Peter Anders」の丸ごとに2曲加えたもの。つまり元々が復刻盤なわけですね(ジャケットは変えられているけれど)。
ファミリー・プロダクションというのはカーマ・スートラの社長であった、アーティ・リップがやっていたレーベルのようで、イノセンスからの付き合いでこのソロも作ったのでありましょうか。
クレジットがないので良く分からないのですが、LA録音のようであります。

サウンドは'70年代初期らしくSSW的なものに、ややスワンプ入って骨太。それに呼応してアンダースのボーカルも力がこもってます。ソフトサウンディングなものを期待すると違いますが、メロディはこの人らしくメロウでせつない系なものが揃っていて、ヴィニ・ポンシアと分かれた後でもそのソングライティングには些かの陰りもないことがわかります。
中では "Yesterday's Too Many Dreams Away" がポップでコーラスの技も冴える、ドリーミーな仕上がりで、トレイドウィンズやイノセンスの延長線上にある曲、と言えるんじゃないかな。

この人の芯がブルー・アイド・ソウルであることを再確認しました。歌の力を感じさせる良いアルバムですわ。

倉阪鬼一郎「新世界崩壊」


なんてことだ、まったく。既にミステリというよりは、これは小説化されたなぞなぞではないのか。
同じ作者による『四神金赤館銀青館不可能殺人』や『三崎黒鳥館白鳥館連続密室殺人』に連なる作品であります。これまでも地理的に隔絶された二つの館を瞬間移動する殺人者、というトリックで読者を呆れさせてきたが、今回の『新世界崩壊』ではニューヨークからサンフランシスコ、あるいはロンドンへと瞬時に移動して殺人が行われる。それも密室というおまけつきで。

常識に照らしてあからさまにおかしく、怪しい状況が何度も描写されており、はっきりとしたヒントも出されているため、『四神~』や『三崎~』を読んでいればそのパターンに思い当たり、舞台設定の仕掛けにある程度は察しも付く。
しかし、その思い至らなかったところが今回も凄い。世界が細部にいたるまでしっかりと構築された馬鹿馬鹿しさ。サブトリックに何気に大ネタが放り込まれているのも見逃せない。そして、これらをちゃんと成立させていのはまぎれもない筆力だ。
『新世界』が崩壊するシーンのカタルシスの無さが素晴らしい。

バラバラに切断された死体と極上のステーキを出すレストラン、という見えみえな組み合わせも楽しいし、お約束なドタバタもむしろ不可欠なものに思える。
衝撃力では前2作に譲るものの、完成度や造り込みは職人的な一冊、でありました。

2011-01-14

Lisa Miller / Within Myself


イエロー・バルーンのアルバムをリリースしていた、カンタベリー。ごく短命なレーベルであって、アルバムは三枚しか出ていません。そのうちの一枚が、リサ・ミラーの「Within Myself」(1968年)です。
ジャケット写真からは分かりにくいかもしれませんが、彼女はこのときまだ11歳の子供でありました。
リサの母親のケイ・ルイスと伯母のヘレンはルイス・シスターズとして1950年代後半からレコードをリリースしていたのだが、'60年代にはモータウンと契約し、スタッフ・ライターとしても活動していたそうな(マーヴィン・ゲイの残した "This Love Starved Heart of Mine" も二人の書いた曲です)。そのつてもあって、リサも8歳の頃からモータウンで録音を始めていたらしい。

で、この「Within Myself」というアルバム、プロデュース及び作曲は母姉妹の手によるものですが、オーソドックスなつくりの佳曲揃い。ところどころサイケ時代を反映したようなカラフルさも散らしてあって、飽きさせません。
ミディアムの乗りのいいものは、いかにもモータウン風。ソウルっぽいガール・ポップという点で、むしろ同時代のイギリスに似たようなものを見ることができるかも(ほら、怠惰なライターが「モッド・ガール」とか書いてるようなやつね)。
スロウの方でも、一曲の中で強弱のコントラストをつけ、変化に富んだものになっており、しっかりとアレンジが考えられていますよ。
また、カバーが3曲入っているのですが、中ではルルの "To Sir With Love" が特に気に入りました。原曲よりテンポを上げ、よく動くベースも気持ち良く、格好良い仕上がり。サビでストップ・タイムになり、一瞬ハープシコードが入るところなど小技も効果的です。

さて、肝心の歌の方なんだけれど、なかなかどうして。力のある声で堂々とこなしていて、緩急もしっかり。これ、言われなければ子供の歌とは思わないんじゃないかな、とさえ思いました(もっとも、かなりコンプレッサーを強くかけている感じにも聞こえるが)。

キッズらしいものを期待するとちょっと違うかもしれないですが、しっかりと作られ、アレンジに技の感じられるガールポップでありました。ドラムもいいしね。
ところで、ボーナストラックにはアルバムよりちょっと前にでたシングル曲が入っているのだけど、これを聴くと声に子供らしさがだいぶ残っていて線も細く、かなり違った印象です。つまり、アルバムのほうでは声を相当太くなるように加工しているのだな、やっぱり。

2011-01-11

G・K・チェスタトン「四人の申し分なき重罪人」


四つの中編を連作風にまとめた一冊。

各編、プロットは探偵小説らしいのものなのですが、それは短編を支えるぐらいの内容で、その分キャラクターが饒舌であって、独特の道徳観や文明批判が強く出ています。といっても堅苦しくはならず、あくまでユーモラスな娯楽読み物として仕上がっているのですが。
ブラウン神父譚でもお馴染みの善悪の入れ替わりや、物語の最初のほうで示されたあるモチーフが後半になってより大きな形で反復される、などのチェスタトンらしさはここでも健在。そして、価値の転倒を引き起こす独特の逆説ももちろん。

中編として紙幅の余裕があるせいか、じっくりとした筆致で思想や事物の極端化・抽象化が強烈に進められ、どの作品も現実感は希薄であります。
風景や出来事は詩的あるいは幻想的に描写され、事物の形は揺らぎ、曖昧になっていき、ついには登場人物の意識まで侵食するようで、そこでは何でも起こりうるような印象さえ覚えます。
そうした混沌の世界が入念に醸成されるからこそ、理性が際立ち、奇妙な論理が光り輝くのでしょう。

チェスタトンを読むことは独特の体験であります。他の何にも似ていないゆえ、一般的なミステリ読みで未だその作品に触れたことのないひとには、受け付けない一冊かも知れません。まずはブラウン神父シリーズから入るが吉ででしょう。

The Turtles / Happy Together


タートルズ、1967年リリースのサード・アルバム。
タイトル曲の大ヒットはこのグループの音楽性を、それまで元気のいいロックンロールからソフトサウンディングなものへと一気にシフトさせるきっかけとなった。いま、改めて聴くと "Happy Together" は良い曲なんだけど、ロックンロールコンボにとってはジョーク寸前なくらい、おセンチで大げさなものであるね。特にボーカルの二人の、後のフロー&エディーとしての活動を考えると。

全体に、フォークロックと出番をわきまえたオーケストレーションの組み合わせが絶妙で、温かみがあり丁寧に作られたポップアルバムであります。

タートルズというバンドは、メンバーのオリジナル曲はややキャッチーさに欠けるのだが、外部ライターからの選曲が優れている。
冒頭の "Makin' My Mind Up" はスパイラル・ステアケースの優れたバージョンがありますが、タートルズはハンドクラッピングを交えつつ、変化に富んだコーラスなどで更にメリハリをつけていて、こちらも良い出来。
また、タイトル曲を書いたゲイリー・ボナー&アラン・ゴードンは他にも二曲提供していて、中では "Me About You" がいい。この曲はラヴィン・スプーンフルやモージョー・メンも取り上げていますが、タートルズのものが一番良いと思う。

このアルバムで僕が一番好きなのは "Too Young To Be One" という曲。グリニッジ・ヴィレッジ界隈で活動していたらしいエリック・アイズナーというひとが書いた曲で、ジェントルなボーカルに穏やかな管弦が素晴らしい、青く美しいフォークロック。間奏でテンポダウンするところなど凄くお洒落。

演奏はスタジオ・ミュージシャンによるものだろうけれど、優しさと激しさを併せ持つボーカルが(少し意外なほど)表情豊か。あと、コーラスもそのアレンジの多彩さも含めて非常にうまいですね。

2011-01-02

アガサ・クリスティー「ポアロ登場」


クリスティにとって最初の短編集はエルキュール・ポアロもの。
原題も "Poirot Investigates" と非常にシンプル。

短編として考えても短めのものが多く、謎解きとして手がかりは十分とはいえず、ロジックは緩いし、ちょっと無理があるんじゃ、というものも。ミスリードもごく分かり易いものだ。アイディアとしては優れたものが多いので、もっとじっくり書き込めば結構なものができたのでは、と何度も思わされた。
とはいえ各作品に変化をつける工夫はなされているし、必ず意外性の演出が凝らされているのはさすが。また、ポアロのうぬぼれが強く、綺麗好きなキャラクターが戯画的なまでに誇張されて描かれているのも面白い。

いくつかの作品では明らかにシャーロック・ホームズ譚をお手本にしてあります。書き出し、もしくは締め方がそっくりであったり、舞台設定を借りたものもあり、盲点をつくパターンを踏襲した節も。果ては、ある有名作品の決め台詞をもじったようなものまであって、思わず笑ってしまった。

中では冒頭を飾る「〈西洋の星〉盗難事件」が一番長さがあり、読み応えがあった。
これもホームズ譚をなぞったような出だしなのだが、ポアロの事件との関わり方に非常に大胆な仕掛けがあって、これを短編集のいきなり最初に持ってきていることにちょっと驚いた。
ヘイスティングズのミスがプロットに捻りを与える役割を果たしており、それを見越した上でのポアロの独走、という長編でもお馴染みのスタイルが楽しめます。

正直、現代の目から見ればミステリ短編集としてはちと喰い足りないですが、どの作品も幕切れが洒落ているのがクリスティならでは、ということになりますか。