2012-06-03

ジョン・ディクスン・カー「皇帝のかぎ煙草入れ」


フランスの避暑地に住む女性、イヴ。彼女は、婚約者の父を殺害した容疑をかけられてしまう。犯行時には自宅の寝室にいたイヴだが、そこには前夫が侵入してきていたために自分の行動を正直に説明できない。更には身に覚えのない証拠までが現れ、イヴは逃れようの無い窮地へと追い込まれていく。

創元推理文庫から進められているカー新訳、今回は有名作ですね。この作品については、大昔に一度読んだときには、あまりカーらしくないので、やや物足りない感を受けたのだけれど。
怪奇趣味や不可能犯罪が無い、というだけでなく、いつもなら本筋に絡むようにして他にも不可解な謎をいくつも転がしたり、探偵役が思わせぶりな台詞を言ったりなど、ミステリファンの気持ちをくすぐるいかにもなあれこれが用意されていますが、今作は不幸なヒロインをめぐるメロドラマとして進行していきます。

さて、メイントリックがクリスティ的であることにはしばしば言及されますが、今回、ネタを知った状態で読んでいてさえ、これで成立するんだろうか? と不安になるとても微妙なバランス。執拗なまでのダブルミーニングの多用もスリリング。

そして、トリックだけでなく、真相解明のロジックも負けず劣らず素晴らしい。そのシンプルさ、最短距離を結ぶような美しさには再読しても感嘆であります。手掛かりは恐ろしく大胆であって、容疑を決定的にすると同時に・・・という。

カーらしい娯楽満漢全席とは違いますが、余計な装飾が無いゆえに意外な真相による衝撃は抜群。一般的なミステリファンにはもっともアピールし易い作品かも知れないですね。
解説を読んで、映画版ではペトゥラ・クラークが出演していた、というのも初めて知ったな。

2012-05-27

The Critters / Younger Girl


クリッターズといえば、昨年Now Soundsからプロジェクト3在籍時の音源がリイシューされていましたが、今回はそれより前の時期のもので、副題は「THE COMPLETE KAPP & MUSICOR RECORDINGS」とされています。彼らのKappレーベル時代のものとしては以前にもコンプリートと銘打たれたものがありましたが、今回はそれ以前のMusicorレーベルに残された三曲と、Kappから離れるどさくさに素性のあやしいところから出たシングル曲が追加されています。

果たして古いCDと比べて少しは音が良くなっているのかな、と実際に手にしてみるとパッケージ裏には「FROM THE MONO MASTERS」と書かれていて。なるほど、今回のは単なる出し直しではなくて、最近Now Soundsが進めているアソシエイションやハーパーズ・ビザールのモノラル再発と同じ流れのものだったのだな。
で、軽く聴きくらべてみたのだが。う~ん。ステレオミックスの方がきらきらして軽やかな感じかな。モノラルの方が穏やかだけれど、各楽器の分離は悪くないし、奥行きはちゃんとあって。甲乙付け難いというか、それほど印象が違わないというのが本当のところ。個人的にはモノの方が落ち着いて聴けるけれど、これは趣味の問題ですね。
なお、今回新たに追加された五曲ですが、悪くもないが、取り立てて特徴も無い出来かな。

ステレオミックス収録CD。あまり変わらないね。

「Younger Girl」は1966年にリリースされた、クリッターズのファースト・アルバム。基本的なスタイルは、マージービート風のコーラスを生かした、陰影豊かなフォークロックといった感じ。
タイトル曲であるラヴィン・スプーンフルのカバー "Younger Girl"、ジャッキー・デシャノンの "Children And Flowers" も良いですが、個人的に気に入っているのはメンバーのオリジナル曲のうちで少しメランコリックな味わいのあるもの。スマッシュヒットした "Mr. Dieingly Sad" は勿論、メロウな "Gone For Awhile" の間奏前後の流れとか、"Forever Or No More" の繊細さを感じさせるコーラスアレンジなど何とも言えない雰囲気でたまらないですな。

さらに、アルバムより後に出たシングル曲にも優れたものがあって。
アンダース&ポンシア制作の "Bad Misunderstanding" と "Marryin' Kind Of Love" 、これらはもろトレイドウィンズの世界。
そして、哀感を湛えたメロディで始まり、一気に疾走していくようなハーモニーによる盛り上がりが素晴らしい "Don't Let The Rain Fall On Me"。オリジナル曲ではベストとしたい出来であります。

2012-05-22

Small Faces / Small Faces (Immediate)


あまり話題になっていないような気がするのだが、スモール・フェイシズのデラックス・エディションであります。英米で発売日が違うようで、とりあえずイミディエイト期の2セットが到着しました。

パッケージは同じユニヴァーサルからのキンクスのリイシューと良く似た感じです。
ケニー・ジョーンズとイアン・マクレガンが監修、ということになっており、ブックレットにも二人のコメントが多く盛り込まれていますな。ただ、各トラックの詳細なデータが記載されていないのは残念。
リマスターの方は、まあ、良いんではないでしょうか。一応、2009年に出たものと聞き比べてみたのだけれど、劇的に改善されたわけではないにしろ、こっちのが音圧は控えめながら自然な鳴りという印象を受けました。

マスターテープの箱の写真も載っていますが

個人的に、彼らのアルバムの中で一番良く聴いたのはイミディエイトでの一枚目の方の「Small Faces」(1967年)です。デッカ時代の、俺らのR&Bをぶちかますぜオラオラ、的な曲も好きなのだけれどね、こちらの「Small Faces」での膨らみの感じられる曲が自分には合っているかな。
フォークロック的な曲調にサイケがかったアレンジがいい具合に起伏を生み出しているようで、どの曲も一筋縄ではいかない展開であります。 "Get Yourself Together" のようなアップでも余裕が感じられる仕上がりが楽しい。
ロニー・レーンが唄う曲が多いのも、メロウでいいんだなあ。何故か米盤の「There Are But Four Small Faces」からは外れているものが多いんだけど。
あと、インストの "Happy Boys Happy" も凄く格好良いね、うん。一見、ただのMG's気取りのようだけれど、モッズから一歩進み出た感じがするよ。

スモール・フェイシズのものでは一番、楽しそうなアルバムだと思います。これが、次作の「Ogdens' Nut Gone Flake」になると楽曲の出来不出来が大きすぎて、通して聴いてると飽きてしまうのだけれど。


しかし、"Something I Want To Tell You" のテープ転写みたいなボーカルは直らないのね。

2012-05-13

George Harrison / Early Takes Volume 1


ジョージ・ハリスンのレアトラック集でありますが。昨年発表されたドキュメンタリー映画からのスピンオフのような扱いのせいか、収録曲の制作時期や演奏パーソネルなどのデータが一切記されていないのが残念。時間もトータル30分と今時のものとしては短く、ちょっと物足りないかな。

1.My Sweet Lord
ドラム、ベース、アコースティックギターによるシンプルな演奏。リリースされたものよりテンポ早めで、完成にはまだ足りないという印象。アレンジが重要な曲なのだな。
2.Run Of The Mill
一方のこちらはギター一本によるデモであるけれど、ほぼイメージが固まっているという感じ。
3.I'd Have You Anytime
穏やかなバンドサウンド。完成形に近いのだけれど、生々しさが良い。ここまで三曲は「All Things Must Pass」収録曲。
4.Mama You've Been On My Mind
トゥイッケナム・セッションでも演っていたボブ・ディランのカバーで、唄い方もそっくり。小さく入ったリズムボックスにアコースティックギターと、スライド。ひとりでやってるハモりが密やかな感じで、気に入りました。
5.Let It Be Me
エヴァリー・ブラザーズのカバー。これも(たぶん)ひとりでハモっているのだけれど、やけに泣きの入った仕上がり。
この曲は1988年にラジオショウに出演したときに、ジェフ・リンとのデュエットで演奏しています。声の枯れた感じからして、これと一つ前の "Mama~" はそれくらいの頃の録音かな?
6. Woman Don't You Cry for Me
アルバム「Thirty Three & 1/3」に、ファンクアレンジで収録されることになる曲でありますが、ここではフォークブルース風の仕上がり。これも「All Things Must Pass」期の演奏でしょうか。
7.Awaiting On You All
骨太でシンプルなバンドサウンドは、正規ヴァージョンでの厚塗りのものとは違った魅力があって、これはこれで良いです。ここからの三曲も「All Things~」収録曲。
8.Behind That Locked Door
アコースティックギターとペダルスティールのみのデモだけれど、ほぼ完成形がイメージできる。
9.All Things Must Pass
一曲目の "My Sweet Lord" 同様、ドラム、ベース、アコースティックギターでのシンプルな演奏ですが、ジョージの頼りないボーカルが凄くしみるなあ。
10.The Light That Has Lighted The World
切々とした弾き語り。「Living In The Material World」収録ヴァージョンでは随分センチメンタルな仕上がりでしたが、こちらのあっさりした方が好きだな。

ジョージのアルバムにはときに、バックのサウンドにボーカルが負けていたり、あるいはサウンドそのものが古びて感じられるようなものがあるのだけれど、これは全編控えめな演奏のためかそんなことがなく、パーソナリティがしっかり伝わってくる。バンドでの演奏と一人で作ったようなものが混在していますが、違和感無く収まっていて。

単にレアトラック集というだけでない、現代に聴けるジョージ・ハリスンの音楽として構成されていると思います。しみじみと楽しめる、これこそが「ジョージの魂」。

2012-05-06

Pugwash / The Olympus Sound


パグウォッシュの新作「The Olympus Sound」は、アイルランドでは昨年夏にリリースされていましたが、今年になって英国での配給契約もなされたことで、日本でも手に入り易くなりましたよ。

シングル曲である "Answers On A Postcard" は、間奏後におけるビーチ・ボーイズ風の遊びが楽しい、メロウでレイドバックした超絶ポップでありますが、他の曲からも'60年代後期のビートルズを思わせる音像や、ELOそのものといったコーラスが聴かれるのがたまらないな。
そして、なんといっても全体に後期XTCの影響は大で。特にアルバム後半に並んでいるソフト目の曲には「Skylarking」あたりのイメージを強く感じます。
また、'60年代サイケを再現している "15 Kilocycle Tone" という曲などは、どうしたってデュークス・オブ・ストラトスフィアの世界ですな。

それでも、あくまで主役は歌で。凝った音作りに負けない珠玉のメロディ揃いであります。どの曲でも、アコギをかき鳴らしながら気持ち良さそうに唄っている姿が目に浮かぶようだ。
ネオアコ王道一直線の"Fall Down" やストレートなギターポップ "Be My Friend Awhile" といった曲では、比較的シンプルなアレンジがメロディの良さを一層際立たせていますよ。

ボーナストラックも含めて捨て曲無し。痒い所にまで手が届いた、英国ポップ好きなら堪えられない一枚。

2012-05-05

アガサ・クリスティー「なぜ、エヴァンズに頼まなかったのか?」


除隊して以来、定職につかずぶらぶらしていたボビイは、ゴルフコースを回っている最中に、断崖から落ちて瀕死の男を発見する。一瞬意識を取り戻したその人物は「なぜ、エヴァンズに頼まなかったのか?」と言い残して絶命した。貴族の娘、フランキーとともに事件の謎に挑むボビイであったが・・・。

1934年のノンシリーズ長編。若くて向こう見ずなカップルが主人公のロマンス活劇で、かなりコミカルというか、まあ大味ですかね。ただ、これ以前に発表された同趣向の作品と比べると、ぐっとミステリらしくなっています。

クリスティが脂の乗っていた時期であることを反映するように、中心となる謎が変化して行く展開や、叙述上のちょっとしたフックなど、ミステリファンの気持ちをくすぐる工夫が心憎い。その一方で、キャラクターがどいつもこいつも怪しげな上、少し思わせぶりが過ぎる感もあるかな。これでは誰が犯人であっても意外に思えないぞ。

タイトルになっている『なぜ、エヴァンズに~』はいわゆるダイイングメッセージなのだけど、犯人を直接指し示すものではないという、ちょっと珍しいパターンですね。終盤にその意味は明らかにされるが、これはスマートで、優れて現代的な落とし方ではないかな。また、それ以降の展開も意表を突くと同時にユーモラスであって、これには参ったね。大胆な伏線もなかなか綺麗に決まった。
ただ、ミステリとして綿密に計算された部分とプロットのご都合主義がうまくかみ合っていないようでもあって。そのせいか細部の辻褄に関しては説得力が弱く感じられるな。

細かいことを言わなければ、アイディアがあれこれ盛り込まれていて、充分に楽しめる娯楽長編ではあります。クリスティのミステリ作家としての持ち味が、こういった作品に合わなくなってきていたのかも。

2012-05-04

パトリック・クェンティン「迷走パズル」


アル中からの回復のため精神病院で療養中の演劇プロデューサー、ピータ・ダルースはある夜、殺人を警告する自分自身の声を聴いてしまい、恐慌をきたす。しかし、所長のレンツによればそれは幻聴でなく、患者たちの様態を悪化させようとしている何者かによるものだという。レンツの依頼ににより患者間の様子を探ることとなったダルースであったが、ついに実際の殺人が。

クェンティンの「パズルシリーズ」第一作であり、これまで我が国では「愚者パズル」や「癲狂院殺人事件」の名で呼ばれてきた長編ですが、新訳を得て初の書籍化です。

発表されたのは1936年、ポスト黄金期であって、作家たちはオーソドックスな謎解きをこれまでとは違った器に盛りつける、その工夫にそれぞれの個性を打ち出していた頃。
この作品では、サイコサスペンス風の導入からミステリとしての本題への繋ぎがスムーズで、うまいなと。文体はユーモアを交えながらもきびきびしていて、軽ハードボイルド風。展開も推理や尋問によるものではなく、更なる事件の予兆や、死者からの電話など、次々と起こる変事によって作られており、どんどんと読んでいけます。

終盤には関係者を一同に集めての謎解きがなされ、俄然本格ミステリらしくなってくるのだけれど、推理そのものは非常に堅実なもの(正直、読み慣れたひとならとっくに犯人の見当はついているでしょう)。むしろ、アイロニーに満ちた展開が見所であります。

長らく読めなかった作品でありますが、現在から見ればそこそこの出来かと。まあ、こうして出されたことだけで喜ばしいのかな。
次作『俳優パズル』も新訳が予定されているようなので、この機会にシリーズの全貌が明らかにされることを期待したいですね。