2013-12-02

ジョン・ディクスン・カー「夜歩く」


1927年4月、パリ。予審判事アンリ・バンコランと友人のジェフ・マールは深夜のナイトクラブの片隅に身を隠していた。整形手術で顔を変えて逃亡中の殺人犯、ローランの身柄を押さえるためだ。ローランによってその命が狙われているというサリニー公爵、彼がひとり入っていったカード室のドアは確かに監視されていたのだが・・・。

カーのデビュー作、その新訳です。お話そのものは再読のはずなのですが、どんな内容だったかは綺麗さっぱりに忘れていました。
残虐な犯罪にまつわるけれんや不可能趣味、皮肉なユーモアなど、いかにもカーと思わされる要素は既に見られますが、文章は新人作家らしい熱意が感じられるもの。非常に扇情的であり、サスペンスフルな雰囲気が作品を支配しています。ポオへのオマージュも微笑ましいな。

ミステリとして見ると、プロットはしっかり練り込まれていますが、トリックの方はやや時代がかっていることは否めませんし、解決編でも強引なところが目に付く。けれど、そのことは逆にカーという作家の本質がこの時点で確立されていたことを示しているようで興味深い。
一方で、一つの謎が解かれることで、さらに大きな謎が立ち上がってくる展開は堂に入っており、明らかにされる犯行シーンの画も実に魅力的なものであります。

若さゆえの非常に濃ゆい後味を残す一作でした。
次は一月末に『殺人者と恐喝者』の新訳が出るということで、いやいや、堪えられませんなあ。

2013-11-24

Rab Noakes / Red Pump Special


スコットランド出身のシンガー・ソングライターによる1973年作、ワーナーからのリリース。弾き語りの一曲を除いてナッシュヴィルでの録音です。ドラムはケニー・バトリー、ベースにはトミー・コグビル、幾つかの曲ではメンフィス・ホーンズが参加しています。プロデューサーのエリオット・メイザーは、エリア・コード615やニール・ヤングなんかも手がけているひとであります。
演奏の方は、R&Bやカントリーの感覚も漂わせる腰の据わったもので、ラブ・ノークスというひとの軽くひなびたキャラクターのボーカルとの組み合わせが独特の味わいに繋がっているよう。

収録曲には、馴染み易いのだけれど、ちょっとしたフックがあるメロディのものが多いですね。中では、アコースティックギターによるリズムが効いたカントリーロック "Pass The Time"、ドノヴァンの "Season Of A Witch" をスワンプに仕立てたような "Diamond Ring" などが目を引きます。また、ジェリー・ラファティらとの共作でバックコーラスも入った "Clear Day" など、ちょっとブリンズレイ・シュワーツを思わせるようだし、"Tomorrow Is Another Day" や "Sittin' In A Corner Blues" あたりには英国人が想像する古き良き米国、という雰囲気があって、アルバム全体でのバラエティも上々。
個人的には "As Big As His Size" がディランの「Blonde On Blonde」の嫡子といった感じがして、一番気に入りました。

乾いた感触のサウンドに英国的な陰影が映える作品だと思います。
ロニー・レインのスリム・チャンスあたりが好きな人なら是非。

2013-11-21

Donny Hathaway / Never My Love: The Anthology


ライノ編纂によるドニー・ハザウェイの4枚組アンソロジー。パッケージのデザインやディスクの収納は、以前にフランスのライノから出たこれも4枚組の「Someday We'll All Be Free」に合わせたようでもありますが、今回はブックレットの記載が英語で書かれているので、まあ読めないことはない。

取り出しにくいのよな・・・

ディスク1は「Favourites」と題され、スタジオ録音から選ばれたものが収録。シングルで出された曲に関してはモノラルミックスが多く採用されています。
収穫はソロデビュー以前にカートム・レーベルより出された、ジューン・コンクェストという女性とのデュエットによるシングル曲ですね。いかにもシカゴらしい華を感じさせるミディアム "I Thank You Baby" と力強いスロウ "Just Another Reason"、いずれもドニーとカーティス・メイフィールドの共作であり、レアなだけではなく非常に出来も良いです。

ディスク2は全て未発表の13曲からなる「Unreleased Studio Recordings」。多くがアルバム「Extension Of A Man」以降の録音であるのが興味深いところ。
このアンソロジー全体のタイトルにもなっている "Never My Love" はアソシエイションがヒットさせた曲をピアノ中心のスロウに仕立てたもの。メロディを強引に崩した唄いまわしで、原曲の良さがまるっきり残っていないため、ちっとも面白いとは思わないのですが、人によっては心洗われる、とか感じるのでしょう、きっと。
その他、カントリー調の曲や、軽やかにスイングするポップソング、カラフルなフュージョン・インストとして聴けるものなどバラエティに富んでいますが、所謂ソウルミュージックらしさに縛られていないのは、いかにもこのひとらしい。ただ、"Zyxygy Concerto" という曲はオーケストラを従えた、なんと20分ほどあるクラシカルなインストゥルメンタルで、流石にこれはきついな。そんな中で、ドニー流ニューソウルど真ん中といった感じのミディアム "Memory Of Our Love" と 独特の展開をはらんだスロウ "Sunshine And Showers" が抜群の出来栄えです。
また、もっと初期の録音もありまして。1968年のものだという "Don't Turn Away" と'70年代初期ではないかと推測されている "Always The Same" の2曲がそれで、どちらもパワフルなノーザンで気に入りました。

1972年にリリースされた「Live」はLAのトルバドールと、NYのビター・エンドでの演奏から構成されていましたが、うち後者での公演は二日で5セット行なわれたそう。ディスク3「Live at The Bitter End, 1971」はその「Live」用に録られたビター・エンドでの素材のうち、未発表であったパフォーマンスが収められています。
「Live」では観客の反応がやけに大きくミックスされていましたが、今回のものではそういった演出はありません(実際、ビター・エンドの観客はトルバドールと比べて大人しかった、という話です)。リラックスした雰囲気も強く感じられ、演奏をじっくり聴きたいむきには、これもいいのではないでしょうか。個人的にはここで歌われている "What's Going On" のほうが余計な力みが少なくて、「Live」でのものより好みかなあ。
一枚のライヴ盤としてもちゃんとした流れがあって、良いですよ、これは。

最後のディスク4「Roberta Flack & Donny Hathaway Duet」には珍しいものはありませんが、ロバータ・フラックとのデュエットがこの一枚にまとまっているのは便利ですな。正直、色気に欠けるというか、真面目×2という感じがして、あまり好みの音楽ではないのですが。


4枚組のうち2枚が未発表のものだけで占められていますが、決して墓場荒しに終わっておらず、ライノらしい丁寧な企画だと思います。輸入盤なら値段もかなり安いしね。

2013-11-15

Van Morrison / Moondance


待望の「Moondance」(1970年)リマスター。ヴァン・モリソン本人は、自分に無断のプロジェクトだと大層お怒りのご様子ですが。
このアルバムには目立つ曲が前半に集まっているような印象があって。ひとつの音楽スタイルの結晶のようなタイトル曲、スモーキー・ロビンソンを思わせる "Crazy Love"、そして血沸き肉踊る "Caravan"。後半はそれに対するとやや地味で、アナログ時代もB面を聴いているうちによく眠ってしまっていたなあ。

今回のデラックス・エディションには本編のリマスターCDとブルーレイオーディオ盤に加えて、未発表アウトテイク等50トラックが収録されたCDが三枚。まあ、大体においてリリースされたヴァージョンが一番いいに決まっているのであって、こういった別テイクが延々と続くものを面白いと思って何回も繰り返し聴くひとは限られているだろうな。
音質の方は素晴らしく、トラックによってはさながらスタジオライヴの迫力でありますよ。


個人的にいいな、と思ったものをいくつか。
まずは "Caravan" ですが、アレンジは既に出来ているものの、初期テイクではやたらに力が入っていて、まだ唄がこなれていないという印象。テイクを重ねながら感じを掴もうとしているような感じでありますね。さらに後日になって、もっと落ち着いた調子で演ってみたりと、試行錯誤が興味深い。
ファンキーな "I've Been Working" は非常にテンション高く、演奏が盛り上がったせいか10分以上セッションが続いています。
アート・ガーファンクルに提供されたという "I Shall Sing" はラテン調の陽気な曲で、このアルバムの雰囲気とは異色かも。
"Come Running" はリリースされたものとは結構違うアレンジが試されていて、これは新鮮。
また "Moondance" は、ややテンポ遅めで、よりジャジーというかムーディーですらあって、面白いな。


「Moondance」がヴァン・モリソンのキャリアの中で突出している、ということもないとは思うのだが。この作品に特別な魅力があるとしたら、それはミュージシャンとしての作風が確立されていく瞬間に生まれる熱、によるものではないか。
今回のアウトテイクの数々は、その過程を捉えたドキュメントとして意義深く聴けるのでは、とかなんとか。

2013-11-11

天藤真「殺しへの招待」


「わたしは、あなたがよくご存知の、ある男の妻です。ただし、わたし自身は、あなたにお目にかかったことはありません。
きょうからひと月以内に、その男の死亡通知が、あなたの手もとに届きます。ありきたりの文面で、彼は急病で死んだことになるはずです。
でも彼は病死ではなく、実は殺されたのです。どうしてそう予言できるかというと、殺すのが、このわたしだからです」

5人の夫たちのもとに彼らのうちの誰かが妻の手で殺される、という同じ内容の手紙が届く。狙われているのは自分ではないかという不安を抱えつつ、彼らは手紙で指定された場所に集合。だが、顔を出した男たちは、お互いに見ず知らずであることがわかった。疑心暗鬼になりながらも、対策に知恵を寄せ合う夫たち。
さらに第二、第三と手紙が続けて届き、そうした夫たちの動きも監視されていることが告げられる。次第に追い詰められた男の中には自分自身を見直し、改心するようなものも。
それでも最後の手紙が届き、遂に殺人は起こった。

序盤は脅迫サスペンスっぽく、事件が起こった中盤以降はスリルを持続しつつ、フーダニットとしての様相を見せ始めるのだが。
とにかく手が込んだプロットであって、読み進めていくと、最初に思い込んでいたのとはまるで違う物語なのではないか、という思いがどんどん強まっていく。また同時に、どうしようもない野郎たちと思えていた旦那衆が、なんとも頼もしくも良い奴らに見えてくるのがいい。

40年ほど前の作品であるがミステリとして非常にはモダンなアイディアが盛り込まれており、そしてそれが人間の善悪の部分の両方を鮮やかに映し出す。性善説あるいは性悪説、どちらが本当ということもないのだ。
結末の好みは分かれるかもしれないが、徹頭徹尾ミステリであるとはこういうことなのだろう、きっと。

2013-11-09

Otis Redding / The Immortal


1968年リリース、オーティス・レディングの死後に出されたものとしては二枚目のアルバムです。
喉の手術を経た後のオーティスの声は以前のような張りや艶がなくなり、時にかすれるところがありますが、それでも抜群の唄のうまさは充分伝わってきます。少し枯れたような味もまた、ひとつの魅力になっていると思うのはひいきの引き倒しかしら。

いや、実際にスロウの曲はどれも好ましいのです。かつての極端に抑揚をつけた歌唱から、もっと丁寧かつ、染み入るようなもの変化しているよう。特にオープナーの "I've Got Dreams To Remember" が穏やかながら表情豊かで、何度聴いてもたまらない。

また、ミディアムではファンキーなものが多くなっているのだけれど、ド迫力だけではない、軽味をも獲得したことによる表現の幅が出てきているように思うし、"Hard To Handle" なんかではルーファス・トーマスにも通じるようなコミカルなニュアンスさえ感じられます。

改めてこのアルバムを聴き直してみると、キャリアの初期においては圧倒的なスケールを持つボーカルが音楽の質そのものを決定付けていたのに対して、より楽曲やアレンジを尊重したものになってきていたのかな、という気がしました。
味わい深く、いいアルバムですよ。

2013-11-04

アガサ・クリスティー「NかMか」


時は第二次大戦中、英国にもぐりこんだナチス・ドイツからのスパイを突き止めるべく、海辺の保養地にあるゲストハウス〈無憂荘〉へと乗り込んだトミーとタペンス。だが、そこに住むのは特に変わったところのない、戦争から避難してきた人々ばかりであった。本当にここがスパイ活動の拠点なんだろうか、という疑いを抱きはじめたふたりであったが・・・。

トミー&タペンスものの第二長編で、1941年刊行のスリラー編。
ふたりが活躍するものとしては『秘密機関』(1922年)、短編集『おしどり探偵』(1929年)から結構経ってからの作品であり、作品内でもそれだけの時間が反映されています。若いカップルだったトミーとタペンスも、ここでは40代の中年夫婦になっているのですが、相変わらず冒険を求める心は失っていないのが嬉しいところ。

最初のうちは関係者の裏の顔を探るという展開であって、あまりスリラーっぽくない。この時期の謎解きものと同じく、じっくりと物語は進んでいく。退役軍人や老嬢などの、いかにもなキャラクターを描くクリスティの筆は冴えまくっていて、だからこそ、その典型からはみ出るところがちらり、と見えるとすごく疑念が掻き立てられる。
後半に入ったあたりで、お馴染みの展開なんだけど(ほんとにワンパターンだよね)トミーとタペンスは危機に陥るのだが、それ以降は俄然スリラーらしくなってくる。スパイの正体を部分的に明かしつつ、それでもまだ底を見せずに読者をぐいぐいと引っ張っていく。
そして、終盤に至ってこの作品が単なるお気楽冒険ものではなく、細部に至るまでしっかりと構築されたミステリであることが判明するのだ。

時代によってスリラーものでもかなり、作風に違いがありますね。明るさや躍動感を残しつつ、ミステリとしての結構も整った充実作ではないでしょうか。