2017-01-04

Roger Nichols Treasury


ロジャー・ニコルズのデモ、CM、TV音楽などが2CDに69曲とぱんぱんに入った日本企画盤。元になる音源は400トラックにも及んだそうですが、コーディネイターである濱田高志氏は「最初で最後のデモ&CM集」と書いています。
歌っているのはロジャー本人だったり、セッションシンガーであったりとさまざま。


ディスク1は商業的な楽曲のデモ集。
曲は年代順に並んでいて、最初の10曲が1967、68年のもの。スモール・サークル・オブ・フレンズによるものが3曲あって、これらにはやはり特別なマジックがあるように感じてしまう。また、ロジャーがマレイ・マクレオド、スモーキー・ロバーズというパレード組と一緒に歌っているものがひとつあって、これもよろしいですなあ。これら4曲だけでも元を取った気になった。
また、ハーブ・アルパートのために書かれたというインストが4曲あるのだけど、これらは本当にデモなのだろうか。まださほど売れていないソングライターのデモ程度に管楽器を3本も入れたりしていたら金がかかって仕方がないと思うんだが。曲によっては相当にうまいドラムが入っていて、これらはスタジオ・リハーサルか何かが本当のところでは。

続いてはポール・ウィリアムズが歌うものが8曲。内容は昔、オフィシャルでも出ていたデモンストレーション用アルバム「We've Only Just Begun: Composed By Roger Nichols & Paul Williams」に近い。
このひとのボーカルは、じめっとしているようで昔はあまり好きではなかったのだけれど、今ではそうでもない。むしろ、ニコルズ=ウィリアムズによる曲については誰よりも丁寧に歌っているようで、一番しっくりくる。

残りは1972~83年のものが12曲。いろんなシンガーのうちでもマレイ・マクレオドの声の相性が抜群ですね。また、ジェリー・ゴーフィンとの共作曲があったのにちょっと驚いてしまった。

ところで、これらのうち'70年代以降のいくつかの曲は最近になってからミックスやオーバーダブがなされているのではないかな。エコーや音の感触が違いすぎるもの。特に18~20曲目は安い感じがしてちょっと興醒めです。

出版社によるデモンストレーション・レコード
「We've Only Just Begun」

ディスク2の前半はCM曲集。30秒ほどの短いものもあれば2分くらいあって独立した曲として成立しているものも。インスト曲もありますが、どれも一瞬耳を捉えるメロディが光ります。また、大手の会社の仕事が多く、そういうところは流石にしっかりしたプロダクションのものになっていますな。
こちらの一曲目は "We've Only Just Begun" の元となった、銀行のCMソング。これや、あるいは前述のデモ・アルバムでの "We've Only Just Begun" はやや跳ね気味のミディアム・テンポで処理されていて、個人的にはカーペンターズや後にポール・ウィリアムズが自身のソロ・アルバムで取り上げたヴァージョンより好みです。

後半はTV番組のために書かれた曲と近年になって制作されたものでまとめられています。こちらにもジェリー・ゴーフィンとの曲がひとつありますね。
しかし、時代が現代になるにつれて落ち着いた曲ばかりになってしまうのは仕方がないのかな。やや単調に感じてしまうのだが。

このディスクの終わり近くに収録されている "Look Around" は、再結成スモール・サークル・オブ・フレンズのアルバムに入っていた曲。プロダクションが簡素であることで、かえってメロディの良さが伝わりやすくなっていると思います。いや、いい曲ですな。


統一感はありませんし、特にディスク2はポップソングもあればそうでないものもという風で、完全にファン向けの企画盤ですが、アタマからケツまでこのひとならではのメロディが詰まった2枚組ではあります。

2016-12-31

アガサ・クリスティー「ハロウィーン・パーティ」


女流探偵作家のアリアドニ・オリヴァが顔を出したのは、ティーンエイジャーが集められ、さまざまなゲームが行われるハロウィーン・パーティ。その最中にある女の子が、自分は殺人を目撃したことがある、と言い出す。注目を引くためのでたらめだ、と誰も本気には取らなかったようなのだったが、パーティが終わったときにその娘は死体で発見される。すっかり動転してしまったミセス・オリヴァは旧知のエルキュール・ポアロに助けを求めた。


1969年発表のポアロもの長編。
作中人物たちの多くは、年端もいかない子供などを殺すのは精神異常者の仕業だ、と口にするが、ポアロははっきりとした動機のある犯行である、と考えて捜査を行う。その過程で、過去に起こったいくつかの事件の姿が浮かび上がってくるが、それが今回のものと関係があるのかはわからない。
ひたすらポアロが聞き込みを続けていくという展開のため、やや単調さを感じますが、物語後半の急展開とそこからのスリルはなかなかのもの。

フーダニットとしてはシンプルな手掛かりが直接に犯人を指し示すもの、なのだが、あまりに状況が作り物めいている上、余詰めの配慮がまるで欠けている。また、複雑なものである犯罪の背景に関する伏線に乏しいのもいただけない。
一方で、被害者の心理を巡るツイストは実によくできていると思います。

ややファンタスティックな犯人像は決して悪くないと思うのですが、無駄に多く感じられるキャラクターたちや、未解決のままで終わる過去の事件などのせいで、小説としては冗長なものであることは否定しがたいですね。

2016-12-29

Get Down With James Brown: Live At The Apollo Vol. Ⅳ


またの名を「Get Down At The Apollo With The J.B.’s」――どちらが正しいのかはともかく、1972年に制作されながら、当時はリリースされなかったジェイムズ・ブラウン一座の、アナログでは二枚組のライヴ・アルバムであります。
収録曲のうちいくつかはこれまでに編集盤などで発表されています(ミックスは違うかも)。また、J.B.'sのアルバム「Doing It To Death」での、ダニー・レイによるイントロダクションがここから取られていたこともわかりました。

これは二部構成のショウのファースト・セットで、いわば前座が中心のものです。
流れとしてはアナログA面に当たるのがJ.B.'s。そしてB面に入るとそこにジェイムズ・ブラウンが参加。ジャクソン・ファイヴの "Never Can Say Goodbye" のインストカバーではオルガンとMCで活躍、スタジオ・ヴァージョンよりぐっと長い演奏になっています。以降、C面の途中までJ.B.'s+ジェイムズ・ブラウンでの演奏が続き、がんがんに盛り上げておいてから当時の最新ヒット "There It Is" を歌うと、ブラウンはステージから引っ込みます。
次に登場するのはリン・コリンズで、フィーメイル・プリーチャーの異名通り、観客(特に女性客)をあおる、あおる。さながらウーマン・リヴの闘士のよう。個人的にはJBファミリーの歴代でも特に好きなシンガーというわけではないのですが、こうやってライヴでの歌を聴くと、やはり実力があったのだな、と思います。
締めのD面はボビー・バード。気合の入った、グリッティという形容がぴったりのもので、僕は聴き慣れているけれど、決してうまい歌ではないな。時にイモ臭くもある。しかし、"I Know You Got Soul" は何度聴いても燃えてくるよ。

ジェイムズ・ブラウンの歌が一曲(しかも既発表)しかなくとも、演奏のほうは文句無しに格好良くって、雰囲気も最高、個人的には大満足ですたい。
特徴的なのはベースギターがくっきりとミックスされていることで、これによって現代的な印象のものになっているかな。

2016-12-25

レイモンド・チャンドラー「プレイバック」


二年に一度の村上春樹訳チャンドラーであります。
『プレイバック』はチャンドラー最後の長編だが、出来のほうは一番落ちると思っていました。しっかりとした芯が無いというか、いまひとつはっきりしない物語で。

今回読み直していて感じたのが切迫感のなさ。フィリップ・マーロウが仕事の領分を越えて積極的に事件と関わっていくだけの動機が、この作品ではあまり伝わってこない。そして、マーロウの行動にも妙にのんびりしたところがある。
また、ミステリとしての骨格はかなりシンプルで、実のところマーロウがいてもいなくても事件の様相はさほど変わらなかったのではないかな。
文体の方を取ってみると、若いときのようにはきびきびしていないけれど、前作にあたる『ロング・グッドバイ』ほど圧倒的なレトリックが駆使されているわけでもない。穏やかなテンションに覆われたものだ。

既にチャンドラー自身がマーロウの在り方を受け入れられなくなっていたのかもしれない。もしくは、時代が変わってしまったせいか。マーロウはいかにもマーロウが言いそうな科白を口にしていて、相当に格好よく、思わず引用したくなるようなくだりもいくつもある。しかし、それらはもはやかつてのような、ぎりぎりの立場から発せられたものではない。
そして、小切手をめぐるやりとりの説得力の無さや、あまりに理想化された女性キャラクター。厳しく見れば、抑制が利かなくなっているようだ。

なんだかひどいことしか書いていませんが、これもまぎれもない、チャンドラー独自の世界を味わえる作品には違いありません。
実をいうと、この『プレイバック』でチャンドラーは今一度、ハードボイルド小説のスタイルに立ち返ろうと試みたのではないか、という気もするのだが。

2016-12-11

Friedrich Sunlight / Friedrich Sunlight (eponymous title)


ドイツの5人組グループ、そのファースト・アルバム。あいにくドイツ語はさっぱりなので、彼らのことについてはあまりわかっていないのだが、オフィシャルのツイッターには「Soft Rock band」と書かれています。ボーカルは日系人で、今までにもいくつかのグループでレコードを出してきているようなのだけど。

そこそこ年季が入ってそうな風貌

ソフトロック、といってもレトロなアレンジの作り込みがあったり、豪奢な管弦が入ったりするわけでもない。実際の音のほうはバンドらしさが感じられるもので現代のギターポップ、あるいはネオアコといったところ。
ほぼ全編、さわやかで風通しのいい演奏に中性的なボーカルが乗っかる、といった具合であって、さほど凝ったこともしていないのだが、それが却って瑞々しさに結びついているようではある。ところどころで「パッパ~」というコーラスが入ると、俄然サンシャイン・ポップぽさが強くなるのが不思議。

とにかくメロディ勝負、といった曲が並んでいるのだけれど、中でも、鍵盤が4分音符を刻む "Sommer Samstag Abend" の歌い出しがロジャー・ニコルズ丸かじりで思わず嬉しくなってしまう。まったくいいカモだよな、俺は。また、"Gütersloh" という曲はペイル・ファウンテンズへのオマージュのように聴こえる。
他にもフリー・デザインやアソシエイション、パレードあるいはXTCの曲なんかを思わせる瞬間はあるけれど、そういった部分が決して浮いておらず、ごくごく自然な形で消化されているのがいい。要は、あざとくないのだ。

過去の音楽への愛情を感じさせつつ、単なる趣味や懐古ではない、コンテンポラリーな手触りで再現された魅惑のポップソング集であります。しかし、こういうスタイルのグループはどういうわけか長続きし難いのよなあ。気付いたらソロユニットになっていたりして。

2016-12-04

Kinked! Kinks Songs & Sessions 1964-1971


レイ・デイヴィスが書き、他のミュージシャンが取り上げた曲を集めた編集盤(一曲はデイヴ・デイヴィス作)、英Aceからのリリースです。収録曲にはキンクスとしての録音が発表されているものもあれば、そうでないものも。
キンクスは他のグループとの目立った交流がなく、課外活動も少ないのでこういう企画はありがたい。


なんといっても聴きものは、演奏にもキンクスが参加している曲であります。リーピィ・リーの "King Of The Whole Wide World" と、バリー・ファントーニの "Little Man In A Little Box" がそれで、両者ともまるっきり'60年代中期のキンクスのサウンド。出来は "King Of The Whole Wide World" がいいですね。プロデューサーとしてもレイ・デイヴィスがクレジットされているのですが、なんだか歌い方もレイっぽいのだな。

キンクスのプロデューサーであった、シェル・ターミーが手掛けたものもいくつかあり、中ではニッキー・ホプキンズによる "Mister Pleasant" のインスト仕様が洒落てますね。
また、シェル・ネイラーの "One Fine Day" はデイヴの書いた曲でいかにも彼らしい性急さを感じさせるもの。格好いいフリークビートに仕上がっています。


その他でちょっといいと思ったのはカスケーズの " I Bet You Won't Stay" で、これはペリー・ボトキンJr.のアレンジも華やかなポップソング。
また、ジャック・ニーチェが手掛けたオリンピックスの "So Mystifying" はヘビィなリフが付け加えられ、コーラスの深いリヴァーブも印象的で、流石といったところ。

あと、同じパイ・レコード所属のミュージシャンがキンクスの曲をほぼ似たようなアレンジで、オリジナルよりも先にリリースした、というものも。ライナーノーツによれば、パイ社内で出回っているサンプル盤を聴いたハウス・プロデューサーが良さそうなものをそのままいただいて速攻で出す、ということがなされていたそう。


まあ、すっごくイイ! という程のものはないですが、ファンなら楽しめる一枚です。
Aceの仕事はいつもながら丁寧で、未発表だったものもありますしね。

2016-12-03

マージェリー・アリンガム「クリスマスの朝に」


アルバート・キャンピオンものの作品集、その第三弾です。
前のふたつが短編集であったのに対して、今回は200ページそこそこある長めの中編と短編がひとつ、おまけにアガサ・クリスティによる追悼文という構成で、全体の分量としても今までで一番少ない。このシリーズは三冊とも本文のフォントが大きくて、ページ数もそんなにありません。いっそ内容の濃い二分冊にしたら良かったんじゃ、とも思います。
それはともかく。


「今は亡き豚野郎の事件」は1937年発表というから比較的初期の中編で、本邦初訳とのこと。
少年時代の同窓生ピーターズの死亡を新聞で知ったキャンピオンは、その葬儀に参列をした。半年後になって、ある殺人事件の捜査に協力を求められたキャンピオンだが、死体安置所で目にしたのはあのピーターズの遺体であった。しかも被害者はまだ殺されてから間もない状態で……というお話。
不可解な謎による導入はいかにもミステリらしい魅力があって、わくわくさせられるもの。さらには死体の消失や犯罪を匂わせる匿名の手紙などの趣向によって、俄然興味が増していきます。ツイストを効かせたプロット、親しみやすく余裕を感じさせる語り口に、キャラクターも良く、最後までだれることなく読み進められます。
一方、純粋に謎解きの面から見るとアリバイ・トリックがいくらなんでもだし、二通目の手紙が投函されるタイミングにはやはり疑問が残ります。もっとも、こちらもアリンガムの持ち味はかっちりしたパズルにはない、ということは既に学んでいるので、そんなに不満でもない。錯綜しているように見えた事件をすっきりとしたかたちに収束させた手際はお見事なり。

「クリスマスの朝に」は「今は亡き豚野郎の事件」から十数年後、同じ土地を舞台にした短編。この二作品をペアにしたのが本書のミソですかね。
展開が見え見えの物語をいかに魅力的に語るか。ディテイルを書き過ぎない、というのもこのひとの美点でしょう。


ポスト黄金期として考えても大らかさがあるミステリですな。こういうのはがつがつしていた若い頃に読んでも楽しめなかったかも。