2018-03-03
クリスチアナ・ブランド「切られた首」
「いやはや、そんなものを冠って、溝にはまって野垂れ死しているところなぞ見られたくないものだわ!」
数時間後、彼女はその趣味の悪さに毒づいていた帽子を被せられ、溝の中で死んでいるのが見つかった。また、その頭部は一度切り離された後に、首の上に転がされていたのだった。
ときどき読み返したくなるブランド。『切られた首』は1941年に発表された第二長編で、シリーズ・キャラクターであるコックリル警部の初登場作であります。
同じ年に発表された前作『ハイヒールの死』が都会で働く女性たちの間で起こった事件を扱っていたのに対し、こちら『切られた首』は田園地帯を舞台にした作品。コックリルはこの時点ではまだケントの鬼と呼ばれるような評判もなく、地域に定着したいち警察官といった存在です。
事件のほうはタイトル通り、首を切り落とされた惨殺体が発見される、という派手なもの。ミステリの中心はアリバイの問題なのだけれど、不可能興味もあって、それらを搦めて扱っているといます。さらには死体の状況を巡る「何故犯人はそうしたのか」という謎も考えると結構に密度は高い。
読み物としても『ハイヒールの死』は冗長さが感じられたのに対して、こちらはきびきびと展開します。会話の端々からの細かな手掛かりを出す手際は堂に入ったものだし、疑惑を掻き立てる思わせぶりな描写もまた巧いこと。
また、容疑者が一転二転する展開からは、後年の多重解決には及ばないものの推理の興趣は充分に感じ取れます。
クライマックスでは関係者一同を集めてコックリルが推理を開陳。ところが、いいところになって反論が出る。コックリルがないがしろにされるのもまた、このシリーズらしさであるか。
ただ、メインになっているアイディアは面白いけれど、意外性の効果はいまいちあがっていないように思う。誤導も伏線の出し方も控えめ過ぎる気がして、真相を知ってやられた! という感じは薄かったな。
また、動機の処理が随分あっさりしたものであるのにも気になりました。
読み物としては『ハイヒールの死』より格段にこなれているし、ブランドらしさは随所に感じられるけれど、切れの良さではまだまだといったところでしょうか。
2018-02-25
Sven Libaek / The Set
1970年のオーストラリア産映画、そのサウンドトラック。
オープナーでありアルバム中、唯一のボーカル曲 "Start Growing Up Now" が素晴らしい。ワルター・ライム・コンセプトを若々しくしたような、美麗さと疾走感のブレンドがとても心地良い。ドラムのサイドスティックも効いています。このアルバムの魅力のうち8割はこの曲じゃないかと。
あとはジャズを基調にした軽快なインストが中心。メロディの美しいものばかりなのだが、ヴァイブやフルートなどを生かした穏やかなサウンドのものが多いので、やや単調さを感じるかも。ボサノヴァ風のアレンジや、ド・ルーベを思わせるような密室的なものなど、ひとつひとつ取ってみるとどれも良く作られています。
リイシューのボーナストラックでは、シングル・オンリーであったタイトル曲のボーカル・ヴァージョンが収録されている。これもまた、いいのです。ジャズのイディオムを生かしたサンシャイン・ポップというのは、巧く決まったときにはキャッチーであってもあざとさを感じさせないものなのだなあ。
2018-02-17
Mott The Hoople / All The Young Dudes
1972年リリース、プロデュースド・バイ・デヴィッド・ボウイ。
モット・ザ・フープルで個人的なベストはというと、やはりこれになる。いかにも英国らしい陰影や重心の低さ、ストーンズを思わせるようなルーズな中での性急さがなんとも格好いい。中域が太いリードギターの音も好みだ。
この後のアルバム「Mott」や「The Hoople」にも好きな曲はたくさんある。むしろ曲そのものの出来の良さ、アイディアの多彩さは、それらの方が増していると思う。しかし、全体にサウンドが軽く、そこに下世話なアレンジが組み合わさった瞬間にはどうも居心地が悪く感じてしまう。また、セルフ・プロデュースになったことで、イアン・ハンターの大上段に振りかぶったような情緒臭さがフィルター無しに出てしまっているようなところもある。もっとも、"All The Way From Memphis" などは昇華された自意識と古臭いフレーズの綱引きこそが肝ではあるのだけれど。
アルバム「All The Young Dudes」で、というか彼らの曲で一番好きなのはというと、やはりタイトル曲になってしまう。冷静に聴けばこの曲のサウンドはジギー期のボウイそのまんまだ。しかし、それを全部、持っていってしまえているのもまた、イアン・ハンターの臭さではあるよね。
2018-02-11
C・デイリー・キング「タラント氏の事件簿〔完全版〕」
〈クイーンの定員〉にも選ばれた1935年の短編集に、後年に発表された4作品を増補した完全版だそう。
探偵役トレヴィス・タラントは裕福なディレッタントという趣の紳士。執事のカトーは、本業は医者だがスパイとして米国にもぐりこんでいるという設定。お気楽なスリラーのようでそそられるけれど、作品そのもののユーモア味はさほどでもない。
ミステリとしては強力な不可能・不可解な謎が興味を引かれるものとなっています。一方で、犯人の意外性には殆ど配慮がありません。
「古写本の呪い」 密室からの消失を扱ったもの。トリックそのものはどさくさ紛れのようなものだが、プレゼンテーションが良く出来ている。また、タラントの初登場場面は不遜な感じがして格好良かった(しかし、その後には普通の紳士になってしまうのがやや残念)。
「現れる幽霊」 怪現象が起こる呪われた家。これもトリックそのものは古めかしいが、背景への溶け込みがとてもいい。
「釘と鎮魂曲」 密室での殺人と、更なる犯罪。なかなか大掛かりなトリックと、奇妙な手掛かりの数々が面白い。
「〈第四の拷問〉」 とびきりの怪現象はシャーロック・ホームズ譚にもあったようなアイディアだが、メアリ・セレスト号の謎を絡めた導入がうまい具合にはまっています。
「首無しの恐怖」 監視状態のハイウェイ上にどこからともなく現れる首無し死体、なんて相当面白くなりそうなのだが。オカルト要素を事件に有機的に絡ませることで、読後感が印象的なものとなった一方で、物語の焦点がぼやけてしまったという気も。
「消えた竪琴」 密室内で繰り返される消失と再出現には後のエドワード・ホックを思わせるテイストがあります。手掛かりは盲点を突いたごくシンプルなもので、叙述にも工夫が見られる。それだけに真相が見え見えなのが残念。
「三つ目が通る」 ミステリとしては大したことがない。連作短編集のラストひとつ前としてはそれなりに意味があるのかしら。
「最後の取引」 人知を超えた力を扱ったもので、ミステリではない。シリーズの幕引きとしてはなるほど、といった感じで。この時代には進んだものであったのだろうな。
今回の文庫で追加された4編は1944年以降と、だいぶ後になってから発表されたもの。うち、「危険なタリスマン」は「最後の取引」の後日譚でもあり、超科学的なテーマを取り扱っていて、ミステリとしての興趣は薄い。それ以外の3作では、まだ不可能犯罪に取り組んでいるのが嬉しいところ。ただ、アクが抜けた分、粗が目立ってしまうな。
ともかく、個性的であり、不可能興味に軽めのケレン、判りやすい解決が楽しいミステリ短編集です。
2018-01-31
鮎川哲也「黒い白鳥」
1959年に雑誌連載され、翌年に単行本化された長編。
とても丁寧に書かれたミステリで。手掛かりひとつひとつの発見の経緯を省略せず、短いエピソードのなかで語ることで、それぞれが印象に残るものとなっています。また、登場人物たちの感情的なやりとりが、決してくどくならない範囲で描かれているのも節度が感じられて好ましい。
前半はフーダニットとしての興味も残しながら展開。捜査そのものは地道な聞き込みが中心なものの、証拠の発見や新たな事件の発生がテンポよく描かれ、滞りなく読み進めていけます。
物語の中盤に至り、有力な容疑者たちへの線が全て詰んでしまったところでようやく鬼貫警部が登場。疑問点をピックアップして、周辺を徹底的に洗い直す。前半に出てきた場面にもう一度立ち返るのですが、そのところどころで鬼貫はひっかかるものを感じるわけです。
そして、細い糸を手繰っていくような捜査行の果てに、新たな犯行動機が浮かび上がってくる。この部分のドラマ作りが、わかってはいても巧いなあ。で、いよいよそこに鉄壁のアリバイが立ちふさがる、というわけ。
鉄道を使ったトリックがふたつ使われていますが、それぞれ色合いの大きく異なるものであるのが良いですね。また、さらに補強として使われている錯誤を誘うトリック、これが凄く効果的で唸りました。全体を振り返って見るとかなり複雑な犯罪だったことがわかります。
リアリスティックな警察小説でありながら相当にトリッキーなミステリというのは、バランスが難しいと思うのですよ。下手をするとミスマッチになり、物語から浮いてしまう。そこに説得力を持たせているのが周到な伏線の数々でありますね。
結末で鬼貫によって明かされる手掛かりは、そこだけが物語の異なるレイヤーに属していて、なおかつイメージを喚起させられるもので、驚きを覚えました。
2018-01-28
The Move / Looking On
ジェフ・リンが参加したサード・アルバム、1970年リリース。
全体にとっ散らかったアルバムで、ロイ・ウッド独特のサイケなんだかプログレだか中近東かよくわからないセンスと、ヘビーなサウンドが炸裂しています。コンパクトなポップソングを作ることに飽き飽きしていたのか、アイディアを詰め込まれて曲が肥大しているという印象。一曲目からドラムソロまで入れてどうするよ、という。
どの曲にもいいところがあって、時々聴きたくはなるのだけれど、何しろ途中で曲想が変わるので、全体としてはいまいちな印象が残ってしまう。焦点がはっきりしないと聴いていて疲れます。
全7曲中、新加入のジェフ・リンが書いているのは2曲。"What" は叙情的なスロウだが、重たいサウンドが邪魔をしているように思う。また、"Open Up Said The World At The Door" は鍵盤を中心に裏声コーラスで歌われ、モダンポップっぽいのだけれど、演奏がくどすぎる。
ごてごて、どたばたした演奏ばかりの中で、唯一グルーヴが良いと感じるのが最終曲の "Feel Too Good"。これだけベヴ・ベヴァンではなくジェフ・リンがドラムを叩いているのだな。R&B要素とハードサイケな演奏が割とすっきりまとまっている。ドリス・トロイとP.P.アーノルドによるコーラスも格好良く決まった。
2年前にEsotericから出た「Looking On」2CD版には未発表であったBBCセッションが収録されていました。ジェフ・リン作の "Falling Forever" はスタジオ録音こそありませんが、美しいメロディの佳曲。また、シングルB面曲 "Lightnin' Never Strikes Again" がここではアレンジを少し変えて演奏されていて、より格好よくなっています。
2018-01-21
フィリップ・K・ディック「ジャック・イジドアの告白」
1959年に書かれ、'75年になってようやく発表された長編。
リアリズムに立脚したメインストリーム作品で、作者本人の愛着は別にして、娯楽として面白い読み物ではないです。
キャラクターはそろいも揃ってひとりよがりで、およそ共感は持てそうにない。また、ディックのSF作品ではあまり気にならない作品全体としてのまとまりの無さや、浅はかな悟りなどがここでははっきり欠点となっている。当たり前の出来事を魅力的に描くとか、そういった巧さもない。
人間性に筆を費やして、けどそれから? という感じを受けました。センス・オブ・ワンダーがいつの間にか実際の現実に対する認識を揺さぶってしまう、それがわたしにとってのディックだったので。
この本、訳者による脚注が凄く多いです。確かに労作なんですが、別に参照しなくとも読み進めるのに支障はありません。むしろ、いちいち当たっていると文章のリズムに乗れなくなってしまいます。ディックの実生活に興味があるひとや、深読みが好きな向きは目を通せば良いでしょうが。
また、この訳者の方、あとがきも非常に力を込めて書かれています、カルトの予言の書だ、みたいなね。けれど、そんなひとつの要素だけを取り出して語っているのは、作品自体には魅力が無いからではないかな、と思ってしまいました。
なんだか酷いことばかり書いていますね。わたしには合わなかったのです。『ヴァリス』あたり、キャリア末期の作品が好きな人なら楽しめるかも。
あと、ちょっともっともらしいことをいうと、ここで描かれているのはロス・マクドナルド作品と近しい世界だと思います。
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