2011-03-06

アントニイ・バークリー「第二の銃声」


再読、の筈なのだが全然内容を覚えてなかった。

扱われているのは犯罪劇のさなかに本物の殺人事件が起こるという趣向で、前提からして虚実が混ざっているわけですな。さらに小説としては、最大の被疑者による手記という体裁であって、眉に唾して読むのが当然の態度でしょう。いや、仮にかの人物が潔白であっても、その視点には真相を見えにくくするバイアスがかかっているのは疑いのないところ。
などと思いながら読み進めていくと、物語の半分にさしかかったところで早くも、
「もし私の試みが成功しているとすれば、この段階で読者は誰の指が引き金を引いたか、完全に知ったことと思う」
「(私は)死の執行者が誰であったかについては、完全な知識をすでに得ている」
読者への挑戦めいた記述が。さすがはバークリイ、こちらの予断の軽く上を行くね。果たしてその「死の執行者」は誰なのか。いや、その推理はそもそも正しいのか。

小説前半はじりじりとしたサスペンスに支配されていますが、中ほどになって我らが名探偵、ロジャー・シェリンガムが召喚されると雰囲気が目に見えて軽くなる、軽くなる。
大詰めの犯人告発の場面にすら喜劇的要素を盛り込むのは、この作者ならではでしょうか。

さて、謎解きとして、ですが。
物証に頼らない、とする推理作法と抜群のテクニックにより、いくらでも話はひっくり返すことが可能なように思えるのだけれど、バークリイの作品をいくつも読んでくると、そのパターンに慣れてしまうことは否めない(皮肉な結末すら想定の範囲内だ)。そうすると、今度は推理の説得力が弱いような気がしてくる。
それでも充分に面白い作品として成立しているのは結局、小説としてのうまさや構成力によるのだろうな。

『第二の銃声』では作品のコンセプトに、この作者らしさが上手く嵌っているように思いましたよ。綺麗に決まったときのバークリイは、そりゃもう、大したものです。

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