2014-03-09

アガサ・クリスティー「ゼロ時間へ」


「わたしはよくできた推理小説を読むのが好きでね」彼は言った。「ただ、どれもこれも出発点がまちがっている! 必ず殺人が起きたところから始まる。しかし、殺人は結果なのだ。物語はそのはるか以前から始まっている」

1944年発表の長編。探偵役はバトル警視で、彼が出てくるものとしてはこれが最後の作品のようです。これまでは有能だけれど掴みどころのないキャラクターであったバトルですが、ここではその私生活にも触れられ、作品の真ん中でしっかりと存在感を示しています。

財産家の老婦人の屋敷に、彼女からの加護を受けてきた男とその妻、さらには男の前妻や妻の元恋人などが集まります。複数の絡み合う三角関係は当然のように緊張を高めていく。その一方で、はじめから殺人を行なうつもりで計画を練っている人物の存在が描かれます。
殺人が起こるのは物語のちょうど中間くらいのところ。事件発生までをじっくり書き込んだ作品としては『白昼の悪魔』などが既にあったわけですが、今作は犯罪の瞬間「ゼロ時間」に至る過程こそが重要なのだ、ということが冒頭部分、ある人物の口を借りてはっきりと宣言されています。
とは言っても、読み進めていて、結局、いつものクリスティとそう変わらないんじゃない、という気がしていたのですが。

いや、甘かった。解決編では思ってもみない展開が待ち受けています。はっきりと書けませんが、構成の妙というか、とんでもない誤導を使うものだ。
そして、この決定的な瞬間にバトル警視は、登場人物たちではなく、読者に向かって直接語りかけているように思えてならない。

骨格だけ取り出せば間違いなく「いつものクリスティ」なのだが、参ったね。違う物語を隠しておく、という趣向を過激なまでに推し進めたひとつの形かもしれません。

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