2017-12-24

レイモンド・チャンドラー「水底の女」


1943年に発表された長編の、村上春樹による新訳。
旧訳『湖中の女』で何度か読んでいるはずだが、あまり内容を覚えていなかった。今回読み返して気付いたのだが、あまり魅力的なキャラクターがいないのだな。保安官のパットンくらいで。
まあ、そうはいってもチャンドラーなので、その文章を読んでいるだけでも気持ちが良い。死体を発見する場面での、周辺から徐々に核心へ近付いていくような描写はいかにもチャンドラーらしくて嬉しくなってしまう。

この作品で特徴的なのは、フィリップ・マーロウが異様なくらい冷静で、かつ誰にも肩入れせず、誰も恨まないということ。そのために、よりハードボイルド的な要素が強く感じられるものになっているのではないかな。
また、戦時中であることが物語の端々に影を落としている。訳者あとがきではいくつかのディテイルに触れられていて、中でもダムに歩哨が配されていることについての説明にはなるほど、と納得できました。

ミステリとして読むと、チャンドラーがよく使う仕掛けがここではいささか見え易いきらいがある。
その一方、大団円ではマーロウが関係者たちを前にして謎解きを開陳する、そのプレゼンテーションがドラマティックで読み応えがある。特に、殺人の動機が明かされることで、ある人物のアイデンティティが鮮やかに浮き上がってくるくだりは絶品。
さらに、それに続くまるで西部劇のような展開もまた愉しい。

ところで、古い小説を読む楽しみのひとつとしてその時代の空気が再現されることがあると思う。チャンドラーは風俗、ファッション、あるいは建築や内装、家具などを描写することで状況を現前せしめることができた。しかし、あまりに年数が経ち、読者の予備知識も無いとそれらを想像することはだんだんと難しくなってくるだろう。また、翻訳においても訳者が古いアメリカ文化を理解していないと正確なものは為し得ないわけであって。現在よりさらに後年になってチャンドラー作品を訳するひとが出てきたとしたら、そういった部分での苦労は大きくなるのではないかしら。

ともあれ、心地良い読書の時間を過ごすことが出来ました。チャンドラーと訳者に感謝。

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