2011-04-24

The Collage / The Collage (eponymous title)


LAで活動していた男女2人ずつのボーカルグループ、コラージュがマーキュリー傘下のスマッシュというレーベルから1968年に出した唯一のアルバム。
英Now Soundsからのリイシューで、ボーナストラックにはシングル曲/ヴァージョンや未発表のものなど。ライナーノーツはメンバーだったひとが書いています。また、インレイにはこのCDがオリジナルマスターから起こされたことを示すようにマスターテープの箱の写真が。本当、ここのレーベルはちゃんとした仕事をするよなあ。

このCDの背面に書かれた文章には「ママズ&パパズとフリー・デザインのハイブリッド」などとあります。確かにママズ&パパズを意識したような曲もあるのですが、全体にはフォークロック的な要素はあまりなく、ややMOR寄りの落ち着いた印象を受けました。
プロデュースはサックス奏者のスティーヴ・ダグラス、演奏も所謂レッキング・クルーによるものらしいです。ペリー・ボトキンJr.によるアレンジは、フラワーパワーの時代を反映したようなキラキラした華やかさの感じられるもの。

収録曲ではロジャー・ニコルズの "Can I Go" やカート・ベッチャー作の "Would You Like To Go" などのカバーが目を引き、これらも悪くないのですが、それより4曲入っているメンバーによるオリジナルが聴き所。特に気に入ったのは "Rainy Blue Memory Day" と "Ragged Clown" という曲で、線の細い男声ボーカルがマッチした、スマートさを感じさせる出来であります。

アルバム全体で見ると、おっとりしたサンシャイン・ポップというか。カバー曲にアダルト過ぎるものもあるのですが、まずまず手堅く作られたLAポップです。
また、ボーナストラックで聴けるシングルのみで出たものの中でもオリジナル曲の出来は悪くなく、もしオリジナルだけで作られていたらもっと良いアルバムができていたかも、なんて想像もさせられます。
ただ、飛び抜けた個性が無いというのも事実かな。

2011-04-23

Simon and Garfunkel / Bridge Over Troubled Water


「明日に架ける橋」40周年記念盤の日本盤が届いたよ、2CD+DVDのやつ(このアルバムが出たのは1970年なので、本当は41周年なんだけど)。
正直、抱き合わせ商法っぽいことは否めないリリースです。

CDは「Bridge Over Troubled Water」本編と「Live 1969」。一枚目の「Bridge~」は表記されていないのではっきりとは言えないけれど、ざっと聴いた感じではこれまで出ていたCDと同じマスタリングのような気がする。まあ、元のリマスターが丁寧にされたものであるので、これだけ聴くには問題はないのだけれど。ただ、以前のに入っていたボーナストラックは無し。
最初の発表では、二枚目「Live 1969」の方にに新たに発見された未発表曲も追加して収録される、とあったのだけれど、それも実現せず。
ところでこの「Live 1969」、レーベル面の写真は1972年のもののような気がするのだが。



ということで音源的には恐らく何も新しいもののない今回の記念盤、やはりメインはDVDだ。僕も日本語字幕が欲しくて、ずっと安い輸入盤を買わずにいたのだ。

1969年のTVスペシャル「Song Of America」はさすがに古いものであって粗い映像なのだけど、ブートレッグで見たことのあるものより色がちゃんと出ていて嬉しかった。
古き良きアメリカに対しての別れを意図して配置されたであろう "So Long, Frank Lloyd Wright" が、今見るとデュオの最後を暗示しているようにも感じた、と言ったらナイーヴすぎるだろうか。あと、断片であるが "Cuba Si, Nixon No" がオフィシャルな形で聴けるようになったのは初かな?
当たり前だけど、二人とも若い。でもって青い。学生っぽさというか。


また、今回新たに作られた「Harmony Game」の方はメイキング・オブ「Bridge~」という趣。エンジニアを交えたレコーディングの裏話が面白い。"Cecilia" のリズムはテープループで作ったとか、おなじみではあるけど "The Boxer" のドラム録りの話とかね。
あとアートの帽子が―。

2011-04-17

マンシェット「愚者が出てくる、城寨が見える」


「トンプソンが殺すべき男はおかまだった」という文からこの小説は始まる。余計な手続き抜きで行動が語られるのだ。
ジャン=パトリック・マンシェット、フランス本国では1972年出版のロマン・ノワール。

裏表紙の紹介文には 「精神を病み入院していたジュリーは、企業家アルトグに雇われ、彼の甥であるペテールの世話役となる。しかし凶悪な4人組のギャングにペテールともども誘拐されてしまう。ふたりはギャングのアジトから命からがら脱出。殺人と破壊の限りを尽くす、逃亡と追跡劇が始まる!」 とある。
物語の内容としては、それでほぼ委細が尽くされていると言っていい。ざっくりとした、しかし恐ろしく切れのある文体でもって暴力と悪罵、破壊行為が描かれるのみ。

内面描写を省略した、というより殆どのキャラクターがそもそも語るべき内面など無く、頭がいかれていて、即物的に言動をしているように思える。特にひどいのがヒロインのジュリー。ギャングたちが人を殺すのはそれが仕事なのだからだが、ジュリーは主人公なのに、いったい何を基準に行動しているのかさっぱり見えてこず、不条理劇めいた場面すらあって。
だが、およそリアリティの無いストーリーの中で、その判らなさ加減がキャラクターに実在感を与えている気もする。

苦痛を感じても苦悩はしない。やるべき事をやる、それだけが描かれ、読み終わった後には冷たく張り詰め、荒涼とした空気以外には何も残さない。
言い訳のないクライムノベルだ。自己言及ばかりのハードボイルドもどきに辟易している人は是非。

2011-04-10

Nick Lowe / Labour Of Lust


ニック・ロウのセカンド・ソロ・アルバム、1979年リリース。この人のキャリアの絶頂期ですな。
長いこと入手し難くなっていたのが、今年リイシューされました。曲順はちょい変わってますけど、まあ、そんなに気にならないかな。
ただ、パッケージはちょっとペラいですね。「Jesus Of Cool」のリイシューは豪華な6面開きジャケットだったので、期待していたのだけれど。
ブックレットにはニックがこのアルバムについて話したインタビューが載っていて、これはなかなか読み応えあり。

演奏は言わずと知れた、のロックパイル。
凄くタイトで弛み無い、なのに軽味があって風通しがいい。こういうサウンドはある程度キャリアがないと出せないのかな。

収録曲では勿論 "Cruel To Be Kind" は有名だけれども、その他も捨てるものが無い、というか全部良いですね。
ちょっと聴きにはシンプルな印象を受けるものの、実は非常に考えられたアレンジ。捻ったセンスも感じられるけれど、決して親しみ易さを損なっていない。
個人的には前作である「Jesus Of Cool」よりもこちらの方が好きです。
ニューウェーヴのフィルターを通したマージービートというか、ソリッドなネオアコという趣も。

しかし「Jesus Of Cool」のリイシューから三年も開いたのは何故なのだろう。「Nick The Knife」の方も早くお願いしたいものではある。

アガサ・クリスティー「ビッグ4」


1927年作。ミステリ史に残る野心作『アクロイド殺し』でベストセラー作家になったクリスティですが、その翌年に刊行されたのがこれ。当時の読者には、次はどんな手で来るのか、という期待があったのでは。
しかし・・・。

語り手は再びヘイステイングズ大尉に戻り、ポアロとのおなじみコンビが復活。全世界の支配をもくろむ犯罪組織「ビッグ4」を相手に、生死を賭けた闘いが繰り広げられる、という国際謀略、冒険路線であります。
とにかくビッグ4の設定がスケール大きすぎて、はなからリアリティは皆無。そのくせ殺人は常にナンバー4と呼ばれる変装の名人が手を下しているようで、なんだかちぐはぐ。話はやたらにでかいのに実際の行動の方はせこい感があり、構想にちゃんと肉付けができていないのは明らか。

物語の構成としては、独立した事件をいくつも数珠繋ぎにしたものであり、連作短編集としても読めましょうか。ただ、それぞれのエピソードにはちょっとしたアイディアが盛られているのだけど、長編として見ると軽すぎるし、流れが単調なのは否めない。次々に事件が起こり、人が殺され、後一歩のところで犯人を取り逃がす、それらの繰り返し。展開がスピーディで、読み易くはあるけども。
また、ポアロも慎重なんだか軽率なんだか。言ってる事はコロコロ変わるし、やけに行動的でちょっと、らしくない。

終盤になってようやく盛り上がってきますが、仕掛けが見え易いのはいかんとも。
あと、結末のつけ方は強引すぎ。ジェイムズ・ボンドなら良かったかも。

小説として、設計ミスだという気がするなあ。
まあ、こういう試行錯誤を経て、クリスティは作家としてのスタイルを固めていったのでしょうな。

2011-04-03

ジョン・ディクスン・カー「帽子収集狂事件」


これも古典中の古典ですが、新訳が出ました。この作品は若い頃に二度ほど読んでいるのだけど正直、ややこしくて何だかよくわからなかった、というのが今までの印象で。今回、読み直してようやく、ああ、こういう話だったのかと理解できたような。

ロンドン塔で起きる殺人に、連続帽子盗難事件とポオの未発表原稿が絡むという三題噺で、いかにもそそられる道具立て。殺人事件の謎単体を取るとそれほど面白いものではない、普通のフーダニットだという気がしますが、その他の事件が有機的に絡み合うことで、ミステリとして膨らみが出ていると思います。

展開は尋問と会議が延々と続くもので、舞台変換も少なく、やや単調か。カーらしいユーモアも見られるのですが、ドタバタはやや控えめであって、悲喜劇めいた可笑しみであります。
また、相当大きなトリックがあるのだけれど、それが終盤に明かされるまでのヒキがなく唐突に驚きが来るので、そこに至るまでのサスペンスに欠けるか。あと、ミスリードが弱いような。

最後まで読み終えればなるほど、大胆な伏線がふんだんに散りばめられ、アイディアも豊富に投入された意欲作であるということが判るのですが。間違ってもカー初心者向けではない作品でしょうね、これは。

なお「創元推理文庫では今後、『黒死荘の殺人』『蝋人形館の殺人』そして『皇帝のかぎ煙草入れ』(新訳版)と、いまだ色褪せない巨匠の傑作を続々と刊行していく予定です」ということであります。なんだか凄いね。まあ「近刊予定」の類はあんまり期待しすぎちゃ駄目なんだろうけどさ。

2011-04-01

エラリー・クイーン「Zの悲劇」


ドルリー・レーンものの新訳、三作目が遅れることなく出ましたよ。特に、この作品は若い女性の一人称で語られるので、日本語として新しくなり、すっきりと意味が通る方が合ってますね。

ミステリとしてはオーソドックスな形式を踏んでいるせいか、この時期のクイーンとしてはそれほど目立たない作品ではあります。
事件の展開に対してドルリー・レーンがずっと後手に廻ってしまうことでサスペンスが維持されているのだけれど、『Xの悲劇』『Y~』から作品内の時代を十年経過させたのは、そもそもレーンを衰えさせなければ成り立たない物語だから、という気はする。それにしたって、レーンの老け込みようは何度読んでいても悲しいな。

中盤、裁判のシーンがあるが、『Xの悲劇』において輝かしい逆転を演出していたそれに比べ、ここでのものはあまりぱっとしない。だが、その後からが本作の肝で。法的に最終判断を下された(様に見える)事件を、いかにして再びまな板の上に乗せるのか。この展開に探偵作家としてのクイーンの成長を見ることができるのでは。

土壇場での解法は盲点を突いた手掛かりの連鎖から始まる、恐ろしく鮮やかなもの。あまりに明快であるせいで、かえって軽視されているのではと心配になります。
ロジックの切れによって生み出される圧倒的なスリル、これこそがクイーンだ。

法月綸太郎による解説は力がこもり、読み応えあるもので、特にレーンとブルーノ知事の共犯関係に触れたところなど、ウンウンと頷きすぎて首が痛くなりそうであります。
最後は九月ですな。