2011-12-03

ジャック・カーリイ「毒蛇の園」


「いたるところにあるスピーカーからジェイムズ・ブラウンの声が流れ、火傷をした山猫のように激しい声で "ベイビー、ベイビー、ベイビー" とわなないていた」
"I Got The Feeling" だろうか。作中でラジオ局が重要な役割を果たしているせいか、これ以外にも音楽についての言及が目に付く。パーティ会場のバンド演奏、モンゴメリー室内管弦楽団、ロイ・オービソン、ブーツィ・コリンズ、オーディオセットやカーステレオで鳴らされるスウィングジャズ、そしてデューク・エリントンの "East St. Louis Toodle-Oo"。

カーソン・ライダー刑事を主人公とした三作めは、またしても猟奇的な殺人で始まる。ただ、今回は読者にとってははじめから犯人がはっきりしているように見える。施設から逃げ出してきたらしい全身毛むくじゃらの男、ルーカス。窃盗をしたかと思えば、ビジネスマンに扮してみたり、凶暴で知的、大胆不敵なこの男は一体何を目論んでいるのか?

いろんな要素がぶちこまれてごたついていた前二作と違い、すっきりとした警察小説といった印象で。強力な謎が引っ張るわけではないのだが、サスペンス的要素が濃く、場面転換もテンポが良いのでどんどんと読めてしまえる。
また、何もなさそうなところに埋め込まれている地雷のような仕掛けは今作でも健在であります。

伏線の置き方は、ここには手掛かりが隠れている、とはっきりと書かれているが読者にはそれが何を意味しているのかは判らない、というもの。そして、それが明らかにされたとき、これまで見せられていたものが違う意味を持ちはじめ、事件の様態そのものがねじれて行く。それが物証だけでなく人間性にまで及んでいるところが巧く、真相には前作『デス・コレクターズ』同様、ロス・マクドナルドあるいは後期クイーンが好んだ構図に近いものを感じました。

驚きを物語のヤマに据えていないせいか世評はそれほど高くないようなのですが、小説としてのこなれも良くなり、個人的にはこれまで読んだ三作のなかでは一番面白かった。ただ、謎解きが終わってから後の部分、お話の解決は相変わらず強引。
ハリーが格好いいな。

2011-11-27

北山猛邦「『アリス・ミラー城』殺人事件」


孤島の洋館「アリス・ミラー城」に探偵たち八人が招かれる。彼らはそれぞれが依頼によって、ルイス・キャロルの小説「鏡の国のアリス」中でアリスが通り抜けた鏡を手に入れるべく、島を訪れたのだ。
彼らに、島の持ち主とメイド一人ずつを加えると、全員で十人。一方「アリス・ミラー城」の一室にはチェス盤があり、その上には白の駒が十個置かれている。
さらには第一章のタイトルは「remain 10」となっていて、そこでひとつのルールが宣誓される。
『アリス・ミラー』を手に入れられるのは、
最後まで生き残った人間のみ。

『そして誰もいなくなった』式の話なので当然、誰が犯人なのか? が最大の謎なんですが、ハウダニット、ホワイダニット的興味も充分。
施錠された密室で発見された顔のない死体、姿を見られながらも一瞬後には消えうせる犯人、バラバラ死体、殺人が起こるに伴い変化するチェス盤、それまで無かったところに出現する扉、生きている人形、などなど。とても判り易くミステリ的趣向に満ちみちた作品であって、さまざまな推理や奇想天外なトリックも読み応え満点。
連続殺人が起こっているのに、どこかひんやりとした印象なのはこの作家の持ち味でしょうか。

あまりに意外な結末は注意深く読んでいなければ、すぐに意味が判らず、ただ呆気にとられるかも。このトリックをこの物語のなかに落とし込んだ、というのが肝かな。ただ、読み返してみると周到さに感心するより、不自然な部分が気になってしまったのだけれど。
まあ、読んでいる間は無類に面白かったのは確か。

2011-11-25

Collage / Collage (eponymous title)


コラージュという名のグループは前にも取り上げたことがあるけれど、こちらはそれとは無関係のもの。Creamレーベルから1971年に出たおそらく唯一のアルバム、なのだが。
何しろ情報がない。韓国Big Pink MusicからのCD化であるが、メンバー写真はないし、演奏パーソネルの記載もない。とりあえずマイク・ヌーチオというひとがメインのソングライターで、アレンジャーのようであります。
聴いてみると、収録されている曲には明らかに録音の感触が違うものが混在していて。いくつかについては'70年代に制作されたものではないだろう、と思ったのね。
んで、いろいろ調べてみたんだが。

'60年代にアメリカ中西部で活動していたChevronsというグループがあって、前述のヌーチオもメンバーであったのだけれど、このアルバム収録のうち四曲はそのChevronsが1968、9年にシングルでリリースしたもののようなのだな。
推測なんだけれど、このアルバムはマイク・ヌーチオが'関わった'68~'70年くらいの作品をコラージュという名義でまとめて出したものではないだろうか。

曲調はソフトサウンディングなものをはじめ、バブルガムにフォークロック、ホーンを配した都会的なものなどいろいろだけど、全体にポップスとしての線は外れていないですね。
中でもやはりヌーチオが書いた五曲がどれもメロウで出来が良く、アルバムのハイライトと言えるのでは。
特に "Mine Forever More" というミディアムのシャッフルは、ピアノが四分を刻むイントロを聴くだけで、これはいい曲に違いない、と期待が高まる。ノーブルで張りのあるボーカルに運ばれるメロディは甘く、コーラスはアソシエイションを思わせる美麗なもの。

アルバムとしてのトータリティとかはないですが、いい曲が多いのでサンシャインポップのファンなら是非。スパイラル・ステアケースあたりが好きなら、気に入るんじゃないかな。
しかし、こういったオブスキュアなものまで権利をクリアしてくるとは、恐るべしBig Pink。

2011-11-20

Donny Hathaway / Extension Of A Man


1973年リリース、サードアルバム。
溢れんばかりの才能に任せた、という形容がふさわしくクラシック、ゴスペル、ブルース、ポップスにジャズインストなど、幅広い音楽性のショウケース。
どれもオリジナルでかつ高いレベルで完成された仕上がりなのだが、もしここに不足しているものがあるとしたら、それは聴き手の想像力に委ねられるような余白なのでは。

ドニー・ハザウェイははっきりとした自分のスタイルというものを持ち得なかったように思える。裏方的な資質が強かったのだろう。個人的にはその作品には惹きつけられながら、ときに困惑を覚えることも。
中産階級の黒人による中産階級の黒人のための音楽、それのどこがいけない?
だが、音楽家本人はそのなかでアイデンティティを見出せたのだろうか。

ボーカルが非常にディープでありながらも不思議と肉体性が希薄に感じられるのは、本質的にはクルーナーということなのだろう。ソウルシンガーとして聴けばテクニックが鼻についてしまうが、むしろ軽やかなポップソングでこそ光り輝く声。
アルバム最後に置かれたリオン・ウェア作の "I Know It's You" で聴ける、殻を破ったような熱唱は他人の書いた曲だからこそ、という気がする。
ついぞ試されることのなかった可能性について想うことは残酷だろうか。

2011-11-16

The Mama's and The Papa's / If You Can Believe Your Eyes and Ears


ママズ&パパズ、1966年のデビューアルバムがSundazedからモノラル仕様でリイシュー。ただしダンヒルレコードはすべてのモノマスターを廃棄してしまっているらしく、今回はイギリスで発見されたサブマスターを使ったそうです。
実際の音の方は中域に厚みがあって暖かみがあるような印象なんですが、今まで聴き慣れたクリアで高域も出ているステレオミックスと比較すると、細かい音が埋もれてしまっている感じもします。ママズ&パパズの場合、ボーカルにかけられたエコーがやたらに深い、というせいもあるかも。これは好き嫌いが分かれるかもしれんね。まあ、'60年代ポップスなんてそもそもこんなもんだよ、と言えなくもない。

さて、ママズ&パパズといえばサンシャインポップのスタンダードみたいなもので。ソングライテイング、ハーモニーアレンジが卓越していた、ということは言うまでもない。キャス・エリオットとデニー・ドハーティの声の相性が良かったこともあるだろう(ただ、よく「四人全員がソロを取れる実力を」とか書いた文章を見かけるけど、フィリップス夫妻はシンガーとしては素人みたいなもんでしょう)。
重要なのは、商売の範囲とはいえジョン・フィリップスが自分なりのやり方で時代の空気に反応し、それを捉えようとしたということだ。勘違いしてしまいそうだが、彼らのデビュー時点ではまだフラワームーヴメントは顕在化していなかったのだな。
そして、"I Call Your Name"、"Do You Wanna Dance"、"Spanish Harlem" などの曲を軒並み、こんなもんだろとばかりに骨抜きにしたのは単に気の効いたアレンジということではない、既に30代に入っていた元フォーク野郎としてのジョン・フィリップスのアティテュード、その現われなのだと思う。

そうそう、今回のリイシューではジャケット右の便器が復活していますよ、どうでもいい事かも知れないけど。

2011-11-13

柄刀一「ペガサスと一角獣薬局」


フリーカメラマン南美希風が西欧各国で出会った事件、を四作+1収めた短編集。
幻想的な舞台に強烈な謎、それらに応える常識外れなほどの大トリックと、この作者ならではの個性は各編で充分に発揮されているとは思います。

「龍の淵」で語られるのは伝説の龍による殺人、という島田荘司ばりの幻想的な謎。長編を支える事もできそうな途轍もなく迫力のある犯行現場が提示され、これを作り上げた時点で凄い作品に決まっているだろう、と思うほど。
真相の方もなかなかの大技で、最後の一行でそのものが鮮やかにスパッと明示されるのが見事。なのだけどしかし、軌道をよく良く考えると理屈に合わないような。ついでに言うと、犯人確定のロジックは説得力が弱いか。

「光る棺の中の白骨」では五年前に密閉された(扉が溶接されている)小屋から三年前に失踪した人物と思われる白骨死体が、というこれも強力な不可能犯罪なわけで。ぞくぞくしますな。
難易度が高い分、こちらの解決はちょっとパズル的になっているか。犯行方法そのものは相当ファンタスティックだけれど、読んでいて、ふ~ん、そうなんだという感じ。そこに行き着くまでのさまざまな可能性をひとつひとつ潰していく過程は読み応えがあるのだが、それらと真相開示シーンではロジックの厳密性のバランスが取れていないような気がする。

表題作「ペガサスと一角獣薬局」は一番長く、中編に近い作品。伝説上の生き物、ユニコーンがその角で人間を刺し、空高く飛び立ったペガサスが墜落死させる、という流石に鵜呑みにはできない事件が扱われる。もはやここまでくれば乗せられて読むしかないよな。合理性の中に幻想味を残した解決はしかし、結構ややこしい。

「チェスター街の日」は暴行を受け気を失った男が再度その現場を訪れると、飛び散った血痕や破損したはずの建築にはその痕跡が無く、更には・・・というお話。悪夢のようなイメージがうまく演出されていて、この短編集のなかでは一番無理が感じられない。途中で有名なアイディアを捨てトリックとして使っているあたり、作者の意欲の高さが見えます。

最後に置かれた「読者だけに判るボーンレイク事件」は最初の「龍の淵」前日談なのだけれど、こういうのを書いちゃうのもアイディアが膨らんでしょうがないから、という感じですな。

以上、細かい粗を挙げたりもしましたが、短編でもホームランしか狙っていないような大振りはもう偉い、としか。当世ではバカミスと言われかねないネタが、作品世界から浮いていないというのも素晴らしいではないかな。

2011-11-12

アガサ・クリスティー「火曜クラブ」


ジェーン・マープルものの連作短編集。冒頭に置かれた表題作はミス・マープル初登場作だそうです。

前半六編の舞台はミス・マープル宅。客人として元警視総監のサー・ヘンリーの他、弁護士、医師、牧師、女流画家などが顔を並べる中、マープルの甥で作家のレイモンドの発案で、ひとりずつが自分の遭遇した犯罪について話し、他のメンバーが真相を推理するという会「火曜クラブ」を毎週開くことに。後のアシモフによる『黒後家蜘蛛の会』、あれの素朴な原型という感じですね。
長さが20~30ページ弱のものばかりのためか、どうも限られた紙幅に対して決まったフォーマットが足枷となり、肝心のアイディアの方は骨格を書くだけの余裕しか残っていない、という印象。それぞれの事件は趣向を変えてはあるものの、トリックが剥き出しのかたちで使われているので推理クイズめいてしまっているのね。
中では「舗道の血痕」がトリッキー、という意味ではよく考えられているし、伏線もうまい。細部の詰めが甘いところはありますが、不気味な雰囲気が効果的で読み物としても面白い。

短編集後半には、今度は一夜のうちに語られた物語がまた六編。舞台となる屋敷が移り、参加者もマープルとサー・ヘンリー以外の四人が変わりますが、基本的には同じような構成。ただ、前半の作品に比べ一編あたりが少し長めになっており、ミステリとしてしっかりとしたものに。
「青いゼラニウム」は複数のトリックの組み合わせが生む、意外性の妙が楽しい。盲点を付く手掛かりがスマート。
「二人の老嬢」では一見なんの手掛かりもなさそうな事件が語られます。微妙な伏線を拾いながら想像を駆使し、ありえた物語を紡ぎ出すミス・マープルの独壇場。
「四人の容疑者」でサー・ヘンリーが持ちこんだのは未解決の謎。暗号ものとしての要素もあるのだけれど、それよりも導き出される隠れた物語の意外性が良いな。
「クリスマスの悲劇」はミス・マープル自身が関係した事件。大胆なトリック、巧妙なミスリードが冴える佳作。
「毒草」は全員が同じものを食べた晩餐での、食中毒の末の死が扱われます。誰が・誰を狙い・いかにして、という謎をシンプルに解き明かす。
「バンガロー事件」では宝石泥棒の話が思わぬ展開に。連作であることを上手く使った構成が光ります。

最後に置かれた「溺死」だけはこの作品集のフォーマットから外れ、現在進行形の事件を取り扱っている。無実の人間が逮捕されることを危惧したミス・マープルが、サー・ヘンリーに力添えを頼むという一編。

前半には時代の水準作といった感じのものが並んでいますが、後半は凄くいい。読み物としてもしっかりと肉付けされていて、古びていないですね。