2012-11-26
Roger Nichols And The Small Circle Of Friends / My Heart Is Home
ロジャー・ニコルズ&ザ・スモール・サークル・オブ・フレンズ、5年ぶりとなる3枚目のアルバムがリリースされました。
前作「Full Circle」のジャケットは彼らの若い頃の写真があしらわれ、春を思わせるようなデザインでしたが、今回のものに写っているのは現在の姿であり、秋あたりを感じさせる色合いになっています。
そして、内容からもそれに呼応するような変化を感じます。「Full Circle」からは昔のイメージを手堅く守るような意図が見えたのに対し、今作はそういったものにとらわれず、レゲエっぽいアレンジやジャズコーラス風の曲まであって、コンテンポラリーな自由度が高くなっています。シンセの使い方も前作ではいかにも低予算ゆえ管弦の代用品という感じだったのが、今作ではもっと思い切って鳴らしていて、うまく嵌った場合にはコーギスにも通じるようなテイストが生まれているのが面白い。
ただ、そういったいろいろな試みをやってはいても奇を衒ったような感じがしない節度はいいですね。むしろ、アルバム全体としては前よりもぐっと落ち着いたものになったという印象を受けました。
勿論、芯となるうたは彼らならではの魅力を湛えたものなのです。これがあるからこそ変化することが可能だったのでしょう。
有名曲としては "We've Only Just Begun" が何と言っても目を引きます。親密な感じも好ましい仕上がりで。うんうん、改めて聴いても良い曲だわ。あと、ロジャー最初期の作品だという "Something From Paradise" は'60年代的なフックが効いていて楽しいですな。
書き下ろしの新曲も押し付けがましいところやわざとらしさのない、クラシックで美しいポップソングばかりで。いつものロジャニコ節が堪能できますよ。
若いリスナーにアピールするような要素は減退しました。もはや「ソフトロック」という呼称も似つかわしくないですが、これが現在の彼らを表わした音楽ということなのかも。
アーティストとともに歳を取ることを受け入れていこうか、そんな気にさせられる一枚です。
2012-11-25
R・A・ラファティ「昔には帰れない」
「”わたしがちょっと家をあけると、いつもこうなんだから”――どこかの母親が、食われたばかりの子供の下顎骨と頭頂骨を手にとって、そういったそうな」
当初の予定より少し遅れましたが、ちゃんと出ましたラファティの日本オリジナル短編集。
2部構成になっており、第1部には比較的シンプルな作品が集められています。書き出しにおいてアイディアがはっきりと提示されているし、ねじれた物語もまるでアメリカの田舎に昔から伝わる大らかなホラ話のように砕いて語られていて。エンターテイメントとしてよく出来ているものばかり。
なかでも気に入ったものをば。
「素顔のユリーマ」 頭からケツまで逆説に貫かれたような物語。子供のまま歳を取ってしまったような主人公は作者の自画像でもあるのだろうか。
「月の裏側」 何ということの無い日常の事件、それをSFとして語ってしまうセンス・オブ・ワンダー。
「ぴかぴかコインの湧きでる泉」 繰り返しの展開の末にくる宙ぶらりんの結末が巧みすぎ。
「昔には帰れない」 地上に浮かぶ小さな月、のイメージだけで既にとても魅力的なのだが、そこに子供時代へのノスタルジーも絡まって、いや楽しい。
そして第2部。こちらは変な作品が多い。陽気でペシミスティック、そしてわけわからんがぐいぐい読まされる。これぞ比類なきラファティ。
こっちで印象的だったのは。
「忘れた偽足」 異星人の生態に異星人のユーモア。理解を越えるエピソードが次々と繰り出されるけど、どこか論理的な筋道も感じられる。そして終末のみに許されるハッピーエンドが良い。
「大河の千の岸辺」 分割され、圧縮・梱包された古代の岸辺そのもの、というイメージが素晴らしい。
「行間からはみだすものを読め」 すさまじい饒舌とあまりに不自然な設定に、もはや何が起こってもおかしくはないという気にさせられる。現実の崩れ方もまた、いとをかし。
「一八七三年のテレビドラマ」 偽の歴史を背景にした額縁小説。表の物語を裏側が侵食してしまう趣向はSFとしても胡散臭すぎるのだが、その出鱈目さがかえって楽しい。
退屈なものがひとつとしてない、純粋にSFを読む愉しみが詰まった短編集でありましたよ。
2012-11-24
Daughters of Albion / Daughters of Albion (eponymous title)
リオン・ラッセルがプロデュースを手がけた、西海岸の男女デュオによる唯一のアルバムで、リリースは1968年。英Now Soundsからのリイシューなんだけれど、正規のCD化としては初、と書かれていまして。以前、Falloutというところからも出ていましたが、そちらはブートということなんでしょうか。
ウィリアム・ブレイクの作品から取ったというグループ名やアングラ臭漂うジャケットに反して、内容はサイケデリックな味付けも華やかな、しっかりしたプロダクションのポップスです。
デュオのうち、女性ボーカルのキャシー・イエッセは癖がなくて伸びやかな美声で、ジェントル・ソウル期のパメラ・ポランドを思わせるところがあります。
一方で作曲をしている男性、グレッグ・デンプシーの方は唄はそんなに良くないのだけど、そもそもはスクリーン・ジェムズの契約ソングライターであったそうで、書く曲ははっきりしたメロディを持つものばかり。
演奏にはリオン・ラッセルの他、カール・レイドルやジェシ・エド・デイヴィスらが参加。アーシーなリズムセクションの上に美麗な管弦が絡む、ちょっと不思議な手触りのサウンドになっていて、リオン・ラッセルがハリウッドの腕利きセッションマン/アレンジャーとしての立場から、独立したアーティストへと踏み出そうとしていた微妙な時期であったことを反映しているよう。
アレンジにおいてはサージェントペパーに影響を受けたような凝りまくった展開が楽しいと言えばそうなのだけれど、やり過ぎて一聴しただけでは全体像が掴めない曲もあり。むしろ野心控えめの、比較的ストレートな曲調のものの方が良く出来たサンシャインポップとして聴けて好みですね。中でも "Good To Have You" という曲が抜群の出来で、ブライアン・ウィルソンが手がけたスプリングを思わせますよ。
なお、Now Soundsでは、これの前身グループであるガス・カンパニーの音源をまとめたものをリリースする予定もあるそうです。
2012-11-18
Gary Lewis & The Playboys / New Directions
ゲイリー・ルイス&ザ・プレイボーイズがキャリア後期に出した3枚のアルバムが、英BGOから3in2でCD化されました。
Disc1には1967年にリリースされた「(You Don't Have To) Paint Me A Picture」と「New Directions」の2枚のアルバムが収録。
まず「~Paint Me A Picture」はプロデュースにスナッフ・ギャレット、アレンジがリオン・ラッセルとお馴染みのチーム。
3曲のシングルヒットが収録されているのだけれど、個人的にはそのうち "Where Will The Word Come From" というのが大好きな一曲で。柔らかな管弦にコーラスも決まった、甘くジェントルなフラワーポップであります。ただ、それまでのシングルが全てトップテン入りしていたのに対して、ここでの3曲はそこまではいかず、そろそろ人気に陰りが見え始めた頃といえましょう。
その他の曲ではシングルB面であった "Tina" も良いのだけれど、この時期くらいまでの彼らのアルバムはシングル+埋め草、という感じのものが多くて。この「~Paint Me A Picture」でも有名曲・ヒット曲のイージーなカバーが多くを占めていて、それらはまあつまらないですね。"Barefootin'" や "Wild Thing" の出来ときたら腰抜け、という言葉が相応しい。
続いて出た「New Directions」、このアルバムが今回のリイシューにおける目玉でしょう。
ここではスナッフ・ギャレット=リオン・ラッセル組が外れ、ジャック・ニーチェ、ニック・デカロ、ハンク・レヴィンらによる制作となります。
収録曲のうち半分はアラン・ゴードン&ゲイリー・ボナーが書いたものなんだけれど、それがそのままアルバムの聴き所といえるのでは。いずれも洒落たセンスを感じさせる出来で、とりわけアルバム頭の "Girls In Love" "Double Good Feeling" とくる連打、及び最後を締める "Moonshine"、これらがダイナミズムと繊細さを兼ね備えたアレンジもあって素晴らしい仕上がり。
その他の曲でもラヴィン・スプーンフルを思わせる曲や、バーバンクサウンドと共通するような機知に富んだアレンジなど、聴いていて思わず頬が緩んできます。
全体として、それまでのゲイリー・ルイス&プレイボーイズの明るいイメージを残しつつも、ぐっと芳醇さを増したような印象で。穴埋め的な曲の無い、力の入った作品です。
Disc2はゲイリー・ルイスのソロ名義になる「Listen!」を挟んで1968年に出された「Now!」が収録。プロデュースにはスナッフ・ギャレットが呼び戻され、アレンジはアル・キャプス。
収録曲ではパレードがデモ録音を残している "How Can I Thank You" が目を引きますが、それよりもマイケル・Z・ゴードンの書いた "What Am I Gonna Do" がメランコリックで好みです。あと、ポール・レカの "Pretty Thing" も哀愁メロディと疾走感の対比が格好いい。
その他は殆どカバー曲ばかりなんだけれど、ここではそこそこ力の入った出来のものになっていて、中ではボブ・リンドの "Exclusive Butterfly" をメロウに仕上げたヴァージョンが気に入りました。
2012-11-11
アガサ・クリスティー「ひらいたトランプ」
紳士然としていながら、どこか悪魔めいた風貌のシャイタナ氏はエルキュール・ポアロに、自分は本物の殺人犯――罪を犯しながら逮捕されていない――を蒐集しているのだ、とうそぶきます。シャイタナ氏の招きを受けてパーティに参加したポアロであるが、その席上でブリッジが行なわれている間に事件が。容疑者はたった四人、そのうち誰がやったのか、そして本当に彼らは過去に殺人を犯してきたのだろうか?
1936年発表のポアロもので原題は "Cards on the Table"、作中では「手の札は開けて置く」と訳されており、手掛かりが公正明大であることを示しているのでしょうか。遊戯性が強く意識させられるタイトルです。
容疑者以外の登場人物には非ポアロものの作品『チムニーズ館の秘密』『七つの時計』で活躍したバトル警視、『茶色の服の男』からレイス大佐、パーカー・パインものにちょこっと顔を出していたオリヴァ夫人なども。ファンサーヴィスなんでしょうか、なんだか豪華な雰囲気でありますし、意外な犯人の可能性をあえて排除する狙いもあるのかな。
ミステリとしては物証が何もなく、機会は容疑者すべてにあるというかなり難しい設定であり、その分、人間心理に大きく頼った推理となっています。それでいてある程度納得させられてしまうのは大したものなのだが、ここは好みが分かれるところかも。
それより、強力なミスリードもあいまった、一転・二転する展開が見所で。非常に制約の多い条件下ですら、意外性を演出するその手際はお見事。
その他、序文からしてちょっとしたアイディアが隠されているし、コンセプトがはっきりと見えるのも面白い。アントニィ・バークリイを意識したような異色作ですね。
2012-11-10
The Who / Live At Hull 1970
二年前に出された「Live At Leeds」の40周年盤、そこに含まれていたハル・シティ・ホールでのライヴが単体でリリースされましたよ、と。
簡単におさらいすると元々は1970年に、ザ・フーはライヴ盤を制作しようという意図のもとリーズ大学とハルでライヴを行なったのだけど、ピート・タウンゼントがその録音テープを聴いて、ハルの方はレコードには出来ないな、と判断してお蔵入りにしていたそうな。
このハルでのライヴ、最初の5曲はベースが全く録れていなかったため、その部分はリーズのライヴから引っこ抜いてペーストしたらしい。そう聞かされても違和感がなくて。はっきりと気付くのは "Young Man Blues" においてリーズでのボーカルがうっすらリークしていることくらい。あと、もしかしたら該当曲でのギターの音がわずかに細くなっているかもしれない。
また、Disc 2の "Tommy" のパートではまるまる20秒の欠落があって、そちらもリーズから補填されたらしいのだが、いやはや、恐ろしいものだ。自分が聴いているものがどれくらい弄られたものなのかがさっぱり判らないぞ。
肝心の演奏自体は、前日に行なわれたリーズでのものと比べても結構ラフでミスもありますな。けれど「Live At Leeds」はデラックスエディション化された際、ノイズリダクションやイコライジングの影響でなんだか綺麗になりすぎてしまった、という気がするのだな。その点、このハルでのライヴはより生々しい感触に仕上げられていて、現代的に優れた音と言えるかも。特にドラムに凄く迫力があって、個人的にはそれだけでもこちらに軍配を上げたい。
しかし、フーのライヴというのは独特ですな。これだけラウドで荒々しいにも拘わらず、ポップソングとしての骨格は断固として堅持されているというのは、他のバンドにはちょっと無いのことなのでは。
2012-11-04
長沢樹「夏服パースペクティヴ」
昨年の横溝正史賞受賞作者による二作目。副題には「樋口真由”消失”シリーズ 少女洋弓銃殺人事件」とありますが、探偵役が共通する前作『消失グラデーション』を読んでいなくても、内容は独立しているため問題はありません。
廃校を改造したスタジオ、そこで学生たちの手によってプロモーションビデオが制作され、さらにその経過を追ったドキュメンタリー風(?)映画が撮影される。そんな、リアルと芝居の境界線を意図的にぼやけさせた場所で起こる事件。
前作が終盤に近づくまでがなんだかありがちなお話であったのに対して、今回ははじめからかなり変な状況設定。監督はカメラを止めたように見せて、気を抜いたスタッフたちを実はこっそり撮影しているとか。さらに廃校にまつわる幽霊なんかも絡んできて、いかにも何か仕掛けていそう。
そんな中でいくつか起こる不可能/不可解な事件。そしてその背後には、もっと大きな謎の存在が暗示されていく。
さらに後半に至り、麻耶雄嵩を思わせるような怒涛の展開が。
トリック一発の驚きでは前作に譲りますが、大技・小技を複数絡め、ミステリらしい雰囲気が濃厚になっていて、読んでいる間の楽しさではこちらが勝っているかと。謎が解かれた先に、背後に隠れていた物語が浮かび上がる、という趣向も三津田信三ばりに決まっています。
ただ気になったのは、確かに辻褄は綺麗に合うのだけれど、これは読者にとっては推理の余地が少ないものでもあって。伏線の判りにくさ、といってもよいか。ふ~ん、そんな細かいことをよく拾い集めたね、的な感想を持ってしまったのだな。
というわけで、前作に引き続き留保は付けてしまいますが、面白かったことは確か。とりあえず次も読むと思います。
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