2014-06-01
John Lennon / Walls and Bridges
1974年リリース作。一番よく聴いたジョンのアルバムがこれ。個人的にはシリアス過ぎる表現というのは好きではない。辛気臭い曲に鹿爪らしく聴き入るのではなく、素直に「あ~、つまんねえなあ」と言えるようなほうがいい。
「Walls and Bridges」では、制作時期にヨーコと離れていたせいか、社会的メッセージや抽象的なテーマが前面に出ることなく、ごく個人的な感情を唄った曲が多い。だから取っ付き易いというか、わりに気楽に聴ける。
収録曲の中でも出来のいいものは本当にいい。シングルヒットした "Whatever Gets You Thru The Night" は古いスタイルのロックンロールなんだけれど、単に狂騒的にはならず押し引きを心得た仕上がりになったのはエルトン・ジョンのおかげかもしれない。
同じくシングルになった "#9 Dream" はひとつ間違えれば化粧品のCMに使われてしまいそうな曲であるけれど、サイケデリアを単純化したようなストリングスの使い方が乱暴で、けれどこれがジョンらしい。
そして、"Nobody Loves You (When You're Down and Out)" はアルバムのなかでは一番シニカルで暗い内容の曲だが、大げさなアレンジを施すことで生々しさよりあっさりとした苦味が残るようになったと思う。ジェシ・エド・デイヴィスも実によく分かったギターを聴かせますな。
また、全体から感じられるのはソウル・ミュージックの影響で(ジョンがアン・ピーブルズのライヴを見に行ったりしていたのもこの頃のよう)。演奏しているのがお馴染みのメンツが中心なので、あくまでジョン流ソウルの範囲なんだけれど、特にそれが強くでているのが "Bless You" ではないか。アルバム中最もメロウであり、サウンド志向が押し進められた一曲であります。
ソウルインスト "Beef Jerky" はいい演奏だが、これだけ取り出せば、どってことない。しかしアルバムの流れの中では、すごく効いているのだな。
でもって、最近になって見直したのがオープナーの "Going Down On Love"。メロウと激しさの間を行き来する歌声は色気充分。ちょっとしたスキャットやファルセット混じりのハーモニーボーカルがたまらない。腐っても鯛。そう、確かにもう腐ってはいたのだけれど。
2014-05-25
Donald Byrd / Fancy Free
ドナルド・バード、1969年発表作。ジャケットのイメージそのまま、生々しさが希薄で浮遊感溢れるサウンドを聴かせてくれます。
エレピを弾いているデューク・ピアソンがプロデューサーも兼ねているのだけれど、アルバム全体の印象を決定付けているのも彼の演奏のようだ。
収録曲ではなんといっても冒頭のタイトル曲 "Fancy Free" が抜群。なんだろう、このエレピのコードの響きは。テーマ部分ではフルートによるメロディも良いのだけれど、このエレピに管が重なったハーモニーが豊かで、凄く気持ちがいい。曲の間じゅう、ずっと鳴り続ける早いパッセージのパーカッションも効いている。ここまでサウンド構築がなされていれば、ソロなんていらないのではないか。ひたすら浸っていたい12分だ。
続く "I Love the Girl" はリリカルなメロディが染み入る優美なスロウ。唄ごころを感じさせるソロも良いですが、しっかりとアレンジされたエンディングが実に端整。
アナログではB面にあたる後半2曲はソウルジャズといってよいものであるけれど、普通ならオルガンでやりそうな演奏をエレピで押し通しているせいか、どこかアク抜きされたようなレイドバックした空気に支配されています。
古い皮袋に新しい酒を入れたようなところはあるのでしょうが、個人的にはジャズらしい骨格を残したところに頼もしさを感じる一枚。
2014-05-24
フィリップ・K・ディック「ヴァリス〔新訳版〕」
『ヴァリス』なあ、う~ん。
この作品は大昔に読んで、ひとつも面白くなかったのだなあ。今回もパスしようかと思っていたのだが、旧いのは誤訳が多かったという話を聞いて、じゃあ、と。もう、死ぬまでに二度と読み返すこともないだろうし、くらいのつもりで。
物語は三人称で始まります。視点人物は神の啓示を受けたホースラヴァー・ファットという男なんだけれど、文章がやけに饒舌かつ説明的であり、ひとつのエピソードの間に、その何年か後に起こった事柄などが差し挟まれ、なかなか飲み込みにくい。そもそもこの地の文は誰によるものなのか、というと実はファット自身である。彼が、かつて自分に起きた出来事を振り返る形で客観的に書いている、という設定らしい。しかし、そう説明されて間もなく、作中では語り手とファットが独立した別々のキャラクターとして振舞い始めます。
こう書くと時系列やアイデンティティの混乱など、ラテンアメリカ文学っぽいな。物語としても、あまりSFという感じはしないのだ。いかにしてファットの脳内で妄想が育まれていったのか、がひたすら説明(描写ではない)されていく。ここら辺りは正直、退屈です。
全体の半ばを過ぎたあたりで「ヴァリス」という存在がようやく登場。そこからやっとSFというかディックらしい陰謀論的なテーマが展開され始めます。
あいつは自分の宗教的な生活や目的と、自分の感情的な生活や目的を完全にブレンドさせていた。あいつにとって「救済者」というのは「失われた友だち」の象徴だった。
作者の実体験を盛り込むことで、現実と妄想の混交が強烈な作品にはなっているのですが、エンターテイメント小説としては余りに頭でっかちでイメージに乏しいのは否めないところ。
ただ、感動的な場面もありましたし、結末には『パーマー・エルドリッチの三つの聖痕』に近い感触を覚えました。まあ、だから読んでよかったのかな? ディック入門には絶対に勧めませんが。
2014-05-11
アガサ・クリスティー「忘られぬ死」
美しき妻、ローズマリーが自らの誕生パーティの席で自殺してから一年。だが、あれは殺人だったのではないか? 夫・ジョージは苦悩した末に、パーティに参加した6人を再び集め、真犯人を見つけだすことを決意する。
1945年発表作。『忘られぬ死』は米題で、英国ではクリスティの原案である "Sparkling Cyanide(泡立つ青酸カリ)" という、直接的なタイトルで出されました。
設定の大枠はポアロもの短編「黄色いアイリス」と共通するものが使われています。また、いわゆる回想の殺人を扱ったものとして『五匹の子豚』を思わせる構成もあるのですが、更にそこからの展開が待っています。
今作はノンシリーズ長編ではありますが、『茶色の服の男』やポアロものにも顔を出していたことのあるレイス大佐が登場、大きな役割を果たしています。
「レイス大佐は世間話があまり得意ではなかったが、あるいは旧世代の小説家たちに愛されていた強くて口数の少ない男の典型を気取っていたのかもしれない」という描写からはクリスティの男性作家観みたいなものが伺えて面白い。
肝心のミステリとしての出来ですが、これはグレイト、もう文句無しにグレイト。
犯人はどのようにしてグラスに毒を入れたのか? カーなら飛び切りの不可能犯罪に仕立て上げるところを、クリスティはフーダニットと絡めることによって大きな驚きを生み出すことに成功しています。
意外でありながらすっきりとした解決は冴えているし、印象的な伏線の数々も抜群。クリスティのある得意技が、ここではあざとさがなく実にスマートに決まっているのだな。
大して有名じゃない作品だと思っていたので嬉しい驚きでした。
クラシック・ミステリのニッチな発掘ものより、こういうのを読んでいたいよ、僕は。
2014-05-05
日下三蔵・編「ミステリマガジン700【国内篇】」
日本編でありますが、こちらも縁起ものということで。
僕にはミステリマガジンというのはポケミスとともに(少なくとも今世紀に入るまでは)欧米、というかアメリカ文化を活字を通して紹介してきたイメージがあって。そんな雑誌で国内の作品はどのように扱われてきたのだろう。
最初の3作はEQMM時代のもの。巻頭に選ばれたのは結城昌治の「寒中水泳」。そうだよな、と思う。海外ものの影響をみごとに消化したスマートなデビュー作であります。あざとさがないし、小道具の使い方もうまい。
続く眉村卓「ピーや」は泣かせる怪奇譚。
田中小実昌「幻の女」は名調子の語りでもって、ウィリアム・アイリッシュの向こうを張った一品。ああだこうだ言うのも野暮、ニヤニヤするのが吉ですなあ。
雑誌の名が「ミステリマガジン」に変わったのが1966年だそう。
SF編集者として知られる福島正実の「離れて遠き」はクライムストーリーのパロディなのかも。
片岡義男「ドノヴァン、早く帰ってきて」と小泉喜美子「暗いクラブで逢おう」は方法は違えど日本的な泥臭さを徹底的に排除する試みで、まるで翻訳小説を創作しているようである。
都筑道夫「温泉宿」は怪談のようでいて本当のところはどうなんだろう。しかし、こんな落し所があるのか。
田村隆一「死体にだって見おぼえがあるぞ」は詩なんだけれど、いろんなところに取り上げられているから知ってるひとも多いだろうな。僕が最初に読んだのは作者のミステリ論集『殺人は面白い』で、あの本の最後に置かれた「凹孔(クレーター)」も良かった。
'80年代に入ると作品のミステリらしさに安定感が出ています。
鮎川哲也であえて「クイーンの色紙」を選んだ、というところにこのアンソロジーの妙が感じられるか。作者本人が謎を語る、虚実入り混ぜたユーモラスな一編です。
竹本健治「閉じ箱」はブラウン神父譚をある方向に特化させた、この作者にしか書けなさそうなパスティーシュ。
仁木悦子「聖い夜の中で」は悲しくも優しいお伽話。こういう話には弱い(みんなそうか)。
実は今回、いちばんミステリらしいミステリなのが原尞「少年の見た男」ではないか。この作品の古び無さも凄い、と思う。
'90年代になるとミステリの骨法を身に付けた上で、あえてそこにはこだわらない作品も出てきます。
その代表みたいなのが山口雅也なんだけれど。「私が犯人だ」ではメタにも形而上にも逃げず、わかりやすいかたちで収めたところに実は凄さがある、と思う。
文体だけで幻想小説を成り立たせたのが皆川博子「城館」。また、それとは逆なのが日影丈吉「鳩」で、まるで身辺雑記のように語られる奇想が美しい。
若竹七海「船上にて」は海外を舞台に古き良き時代の探偵小説を再現しつつ、この雑誌らしい捻りが。
21世紀に入り、雑誌名が「ハヤカワ・ミステリマガジン」になってからは、もう昔のミステリマガジンとは別物ではないだろうか。以下の作品も海外作品に対する意識は(良い意味で)希薄であるように思う。
米澤穂信「川越にやってください」は結末に至って作品全体の秘密が明かされるのだけれど、それも分からない人にはなんのことだか。だいいち、あれは今ちょっと手に入りにくくなっているようだし(追記:7月に入ってから増刷されていました)。
三津田信三「怪奇写真作家」は題名通り怪奇小説だが、全てが割り切れてしまった瞬間が一番怖い。
結城充孝「交差」は運命が交錯し、そしてすぐに離れてしまう瞬間を見事に描いた一編。間然とすることがない、とはこういうことをいうのだろうな。
月村了衛「機龍警察 輪廻」はSFミステリで、架空の、しかし現実の延長線上にある問題を扱って説得力充分。
最後にEQMMに掲載された5人によるリレーコラム「証人席」があります。当時の我が国におけるミステリをとりまく状況を垣間見た気分になるかも。今と比べて語り口がおおらかですな。
しかし、癖が強い作品が多いなあ。若い人がこのアンソロジーを読んでミステリマガジンにも興味を持つ、ということはあるのでしょうか。
2014-05-04
Ronnie Lane and Slim Chance / Ooh La La
ロニー・レイン&スリム・チャンスがアイランド・レコード在籍時に残した音源を収録した2CDコンピレーション、副題は「An Island Harvest」。
ロニー・レインのリイシューはこれまで、あまり大きな会社からはされていなかったせいか、今ではその多くが入手困難になっていました。これほどのミュージャンが、という気はしますが。
今回は大手ユニヴァーサルからのリリースであって、音も過去のCDよりも良くなっていますね。アートワークやライナーノーツ等、力の入った作りなんだけれど、レコーディングデータの類が記されていないのが残念かな。
三面開き紙ケース、ディスクはサイズきつきつです。 |
アイランドでロニー・レインは2枚のアルバムを出しています。このコンピレーションでもそれらの曲は一応全て入っているのだけれど、セカンドアルバム「Ronnie Lane & Slim Chance」(1975年)のうち3曲は別テイクで収録されています。こういうのは痛し痒しですなあ。
個人的には、2枚のディスクのそれぞれ一曲目に置かれた "Ooh La La" と "The Porcher" の別テイクが嬉しいです。特に "The Porcher" は元々大好きな曲なんだけど、このヴァージョンは生々しくも美しく、聴いていて思わず目が潤んできてしまった。
ディスク2の後半にはBBCライヴが8曲。全て未発表ということで、過去にリリースされたBBCものとは被っていないようであります。このライヴはソロに転向して間もない頃のもので、フェイシズ時代のレパートリーと、ソロシングルの曲が演奏されています。まだレイドバックした味は薄めかな。
しかし、良い曲を書くよなあ。
ところで、この頃のロニー・レインのボーカルにはボブ・ディランの影響が感じられるのだけれど、どうかしらね?
2014-05-02
Thelma Houston / Thelma Houston (eponymous title)
MoWestというのはモータウン傘下のレーベルなんだけれど、ソウルミュージックであることにこだわらないというか、必ずしも黒人大衆を相手にはしていないようなレコードを出していたところであって。それが仇になってか、結構微妙な扱いを受けてきた印象があります。
そのMoWestから1972年にリリースされたのが、テルマ・ヒューストンのセカンド・アルバム。
アコースティックな響きを生かしてあったり柔らか目の管弦など、MORポップスに近いような音作りがされている曲が多いのですね。全体の半分でアレンジを務めているのは、なんとアーティ・バトラー。'60年代前半から活動しているポップス職人みたいなひとであります。また、ファンキーな曲調のものではスワンプ・ロック的な感覚が漂う仕上がり。全体にゆったりとしたテンポのものが多く、対象年齢高めかな。
一方、主役であるテルマのボーカルは丁寧かつソウルフル、表情豊かなもので。どの曲をとっても文句がつけようがない出来の良さ。
しかし、当時はマーケティングに困ったかも。一曲目のイントロが流れ出した途端、ソウル・プロパーなリスナーの中には「ああ、これは、駄目だ」と思うひとがいてもおかしくない。それも人生でやんす。
さて、このアルバムの英盤は内容が違っており、米盤が10曲入りなのに対して、英盤は14曲入りだったよう。現在、英SoulMusic.comから出ているCDにはボーナストラック9曲が付いていて、うち5曲が英盤のみに収録されていたものであります(残りはシングル・オンリーだった曲です)。その英盤仕様の曲は、よりソウルらしいと言ったらいいか、乗りの良いミディアムが多く、モータウンのイメージには近いですね。現代ではこっちの方がアピールするのではないかな。中では、都会的なメロウさのなかで芯のあるボーカルが際立つ "Nothing Left To Give" が特に気に入りました。
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