2014-12-28

アガサ・クリスティー「バグダッドの秘密」


1951年発表になるノンシリーズ長編。中東、イラクの首都を舞台にした冒険スリラーです。
クリスティのスリラー作品ではお馴染み、若くて元気のいいお嬢さん、この作品ではヴィクトリアが国際的な謀略に巻き込まれていく、というお話。

軽薄さが仇をなして失業中のヴィクトリアは一目ぼれした相手の青年、エドワードを追ってバクダッドへ行きたいのですが先立つものがない。なんとかお金を使わずに行く方法がないかと知恵を絞ります。それと平行して命を狙われている人物や、ロンドンで活動するスパイなどがカットバック風に描かれていき、全体図をなかなか見せない。このあたりの期待感はなかなか。
作品の原題が "They Came to Baghdad" とあるのだけれど、中心になる登場人物たちがバグダッドに集まっていくことで、ばらばらに語られてきた要素が次第に結びついていきます。
物語の中盤に至って、ヴィクトリアがエドワードとようやく再会してからはクリスティ自身のトミーとタペンスものを思わせるところもあるのだが。

プロットがご都合主義全開なのは女史のスリラーではいつものこと。ただ、謎解きの面からしてもやや難ありかな。誰が悪事の首謀者であるかは割合に早い段階に見当が付く。その上での驚きも用意されてはいますが、ちょっと枝葉感が。

構えずに気楽に読むのが吉。要所要所のヒキは強い、ドキドキハラハラ編でございました。

2014-12-25

The Velvet Underground & Nico / The Velvet Underground & Nico (eponymous title)


ヴェルヴェッツというとモノクロームなイメージがあるんだけど、1967年にリリースされたこのデビュー盤はカラフル。なんといっても "All Tomorrow's Parties" がサイケデリック満艦飾で、しかも熱をはらんだ演奏が絶品。これと "Venus In Furs" ではオストリッチ・ギターとやらのドローン効果もあるのでしょうが、こういう作りこんだ曲があるからこそ、ほかは割りと好き勝手やれているのだと思います。
もちろん "I'm Waiting for the Man" はめちゃくちゃ格好いい。古典的ともいえる構成でありながら、これ以前になかったタイプの新しいロックンロール。


インプロヴの要素が強い曲には退屈に思える面もある。けれど "Heroin" になるとそれが曲の中でエネルギーの高まりを感じさせて、すごく効果を上げている。まさにジョン・ケイルの才気が爆発、といった感じであります。
また、"Sunday Morning" におけるベースギターの嵌ってなさ加減はちょっとしたものだ。しかし、曲全体のサウンド処理がわけのわからないことになっているので、聞き流してしまうのね。

あと、"There She Goes Again" のリフは勿論 "Hitchhike" なんだけど、それ以上にボーカルがボブ・ディラン。"Run Run Run" や "The Black Angel's Death Song" にもそういう面はあるけれど、"There She Goes Again" は本当にディラン丸かじりなのが面白いな。

つたない部分もあるのだけれど、長年聴いていると、もう、そこはどうでもよくなってきた。とてつもない個性のきらめきを感じさせてくれる、やっぱり唯一無二のアルバムですな。

2014-12-07

Procol Harum / Shine On Brightly


マシュー・フィッシャー在籍時のプロコル・ハルムはどれもいいんだけれど。曲だと "Homburg" が一番好きで、アルバム単位でいくとセカンド「Shine On Brightly」(1968年)かな。

冒頭の "Quite Rightly So" からして太いメロディで、堂々とした風格を感じさせます。演奏の主役はオルガンとドラムなんだけれど、ちょっとしたピアノのフレーズも効いている。
そして、続くタイトルトラック "Shine On Brightly" がとてもいい。イントロのフレーズは単純極まりない、けれどある種のエネルギーを放射しているような鮮やかさ。米盤ジャケットデザインを思わせるイマジネイティヴなサウンドで、メロディもキャッチーだし、これが個人的にはベスト。
このアタマ二曲が抜きん出ていいのだけれど、他のものも渋めの佳曲が揃っている。サイケデリックの要素がサウンドにカラフルさを付け加えていて、それといかにも英国らしいメランコリックな味わいが組み合わさることで、独特の浮遊感が生まれているように思うな。

そして、アルバム後半には組曲 "In Held 'Twas In I" があって。単体ではいまひとつものにならない曲をまとめた、という面はありますし、個人的にも大げさなアレンジは苦手です。にもかかわらず、それが聴けるものとして構成されているのはグリン・ジョンズの貢献もありますが、メンバーそれぞれのプレイヤーとしての力量によるところが大きいかと。特にB・J・ウィルソンというドラマー、そのプレイはパワフルでありながら繊細。曲調に合わせさまざまな表情を見せてくれます。
小パートとしても "'Twas Teatime at the Circus" からは、ちょっとスモール・フェイシズの「Ogden's Nut Gone Flake」に似たようなユーモアを感じます。また、マシュー・フィッシャーが唯一作曲し、ボーカルも取った "In the Autumn of My Madness" は組曲全体の重いサウンドの流れの中でうまく作用しているようだ。

R&Bとクラシック音楽、さらにはサイケデリックという要素が並列されるのではなく、有機的に絡み合っているというのは、ちょっとない個性ではないかしら。この時代にしか起き得なかった化学反応、なんてことを考えてしまいました。

2014-12-01

Bo Street Runners / Never Say Goodbye: The Complete Recordings 1964-1966


ロンドンのR&Bコンボ、ボー・ストリート・ランナーズのコンプリート盤が英RPMから出ました。ライナーノーツにはオフィシャルなものとしては初CD化だ、と書かれております。
コンプリート、といってもアルバムを残していないグループなので、そんなに分量はないのですが、今回は新たな発掘音源も2曲収録されていますよ。

最初に収められている4曲は1964年に自主制作されたEPから。演っているのはブルースのカバーなんだけど、唯一オリジナルの "Bo Street Runner" はボー・ディドリー調でこれが格好いい。スタイルとしては実にオーソドックスな英国R&Bなんですが、ライヴの勢いをそのまま持ち込んだであろう気合の入った演奏です。この時代にしてはカラフルな鍵盤も印象的。ボーカルは今聴くとちょっとロカビリーっぽいか。
彼らはTVショウ「Ready, Steady, Go!」のアマチュア・コンテストで勝ちあがり、デッカとのレコード契約を獲得すると、グリン・ジョンズの元でシングルを制作。"Bo Street Runner" をリズムを強調したアレンジで再録しています。流石にまとまりのいい仕上がりですが、個人的にはEPヴァージョンのほうが活きがいいように思うな。残念ながらこれが大して売れなかったため、デッカは契約をEMI傘下のコロンビアに売り渡してしまいます。


翌'65年になると、ミッキー・モストがプロデューサーに就いて次のシングルが制作されます。両面ともジェイムズ・ブラウンのカバーで、これ以前に比べて演奏が格段にシャープになっていますが、それ以上にボーカルがワイルドなものに変化。力強くてダンサブルな仕上がりです。実際のレコーディングではセッション・ミュージシャンが参加していて、バンドのメンバーたちは不満であったそうなのだが、何度聴いてみてもこの2曲が一番良いんだから仕方がない。
彼らはこの後に2枚のシングルを出していて、そこではキャッチーなメロディの曲を取り上げたり、ビートルズの "Drive My Car" を演ってみたりしています。悪くはないのですが、逆に個性が弱くなっているかなという気も。
また本盤には、バンド末期のシンガーであったマイク・パトゥが解散後に出したソロ・シングル曲もあって、(少なくともその片面で)バックを務めているのもボー・ストリート・ランナーズだそう。明るくポップなこれらはもう別物という感じなんだけれど、出来はいい。ちょっとジョージィ・フェイムっぽいところもあるかな。
そして、最後には「radio version」としてスタジオライヴらしき2曲が入っています。音質は良好、迫力も充分でこれには満足。

どう考えてもニッチな層に向けてのリイシューですが、デビュー当時のストーンズや、あるいはアートウッズのようなモッドR&Bなんて呼ばれているものが好きなひとにはいいんではないすかね。

2014-11-30

ジョエル・タウンズリー・ロジャーズ「赤い右手」


際物だと思っていたので今まで読まずにきた作品ですが、文庫化ということで手を出してみました。1945年の作品ということですね。エラリー・クイーンだと『フォックス家の殺人』の時代だ。

中心となるのは異様な外見を持つヒッチハイカーによる強盗殺人である。
事件についてはある登場人物の一人称により、何度も時系列を行ったり来たりしながら断片的に語られていくのだが、その語りが何かしらおかしい。信頼できない語り手であるというだけではなく、明らかに神の視点が混じっている。また、思わせぶりな描写が凄く多くて、そのどれもが伏線に見えてしまい、いちいち引っかかる。
一体どういう風に決着はつくのか、見当がつかないまま、熱を感じさせる文章によってぐいぐい読まされていきます。

ミステリとしては相当無茶なつくりだ。充分に手掛かりが用意されているとはいえ、それを作品全体を覆う混沌とした雰囲気が隠してしまっている。
あと、誤導がえげつないな。いくらなんでもそれはないだろう、というような。

うん、なんていうか、すれっからしの読者向けでしょうね。
懐かしの新本格みたいで面白かった、それも抜群に。

2014-11-24

アガサ・クリスティー「愛の探偵たち」


しかし、凄いタイトルだな。いい歳のおっさんとしては、こっ恥ずかしい。
オムニバス短編集で、1948年のノンシリーズ中編「三匹の盲目のねずみ」と七つの短編を収録。


「三匹の盲目のねずみ」 元々はラジオドラマとして書かれたものを小説化した作品だそう。そのせいか内面描写は控えめで、テンポ良く進んでいく。雪に閉ざされた山荘が舞台で、かつマザー・グースものですが、舞台設定やキャラクターには時代に合わせたアレンジが感じられます。ミステリとしては雰囲気の醸成がうまいのだけれど、伏線は少なめ。わかりやすいツイストを伴ったスリラー、というところでしょうか。

続いて、'40年代前半に発表されたジェーン・マープルもの。
「奇妙な冗談」 ストランド誌に発表したものとしては最後の短編だそう。財産の変わった隠し方、いってみればそれだけなんですが。お話のもって行き方はいかにも手馴れている。
「昔ながらの殺人事件」 オーソドックスなフーダニットなのだけれど、どうもこの作品ではそこに主眼はないような気もする。というのも、原題がそのまま真相を示しているのだ。解決編で浮かび上がってくる犯行シーンは印象的なものであって、そこを書きたかったのでは。
「申し分のないメイド」 ちょっとシャーロック・ホームズ譚を思わせる(タイトルもそうかな)、手の込んだ犯罪。気の利いた誤導があるのだけれど、それほど効果が上がっていないようでもある。それにしてもマープルは勘が良すぎ。
「管理人事件」 作中作による犯人当て、という趣向。でも、それだけかも。手掛かりも弱い。
四作とも凄く読みやすいし、そこそこは面白いんですが、謎解きの興趣はやや薄め。

次は'20年代後半に発表されたエルキュール・ポアロものがふたつ。
「四階のフラット」 導入が魅力的。細かい伏線もあって、読み終えてみればしっかり計算された作品だということがわかります。
「ジョニー・ウェイバリーの冒険」 予告状を何度も出した上での誘拐。意外な犯罪計画が楽しいし、ヘイスティングズも出てきます。
どちらの作品も第一短編集『ポアロ登場』に収められたものと比べると出来が良いですね。

最後は'26年に発表されたハーリ・クィンものです。
「愛の探偵たち」 この作品の設定は後のある長編でも使われていますね。クィンものとしてはファンタスティックな味はあまりない、手堅いミステリになっています。
並べて読むと、短編として一番まとまりがいいのがこれかな。


全体にひどいものはないけれど、突出したものもない、という感じの一冊でした。
ただ、短編集『火曜クラブ』を除くとマープルが登場する短編というのは七つしかないので、そのうち四作が読めるのは貴重かと。
いずれにしてもファン向けでしょうか。

2014-11-17

麻耶雄嵩「化石少女」


私立ペルム学園の二年生、神舞まりあは二人しかいない古生物部の部長だ。普段は山奥から掘り出してきた化石を弄り回している彼女は、学園内では変人として知られている。そんなまりあが何故か探偵役となって推理を開陳していく連作短編集。


良家の子女が多く集うというペルム学園には独特というか妙な気風があって、まりあのキャラクターも強烈。そういったちょっと浮世離れしたような設定に、全体に明るく軽いタッチでお話は進んでいきますが、ミステリとしてはこの作者らしいガチガチの本格であります。

その、まりあの推理というのは、一見すると普通の事件に手の込んだトリックが使われた可能性を見出していくというもの。仮に犯人は捕まっていても、それとは別の真相があると主張するわけ。
ただし、普通のミステリならまりあの超絶推理で事件は解決、というところなのですが、古生物部唯一の後輩である桑島彰がそれを否定、まりあをこてんぱんにして終了、という展開が繰り返されます。なんと、それぞれの短編が終わった時点では、まだ事件は解決していないのです。
また、彰がまりあの推理を批判する際、その穴や齟齬を指摘するより、むしろ現実性や蓋然性の低さを突いてくるわけであって。この辺り、やたらにトリッキーなミステリを描いた上で、それを小馬鹿にしているようでもあるかな。

そして六つの事件が終わり、エピローグに入ると、隠されていた事実が明かされます。これまでにも使われたことがあるような趣向なのでさほどの衝撃ではないのですが、その分、今回はとてもスマートな仕上がり。

麻耶雄嵩にしてはそれほど捻じれてもいないし底意地が悪くもありませんが、それでも推理の妙は堪能できるし、充分に変な作品でありました。
あと、読み進めていくうちに気付いたのは、すべてのトリックがあるひとつの原理のバリエーションからなっている、ということ。これは何気に凄いことでは。