2016-04-18

R・A・ラファティ「地球礁」


地球外からやってきた(ような)プーカ人であるデュランティ家二組の夫婦と、地球で生まれたその子供たち(そのうちのひとりは幽霊)。どうにも地球人とは馬が合わず、トラブルが絶えない。やがて、地球アレルギーで弱っていく親たちをよそに、六人の子供とひとりの幽霊は全地球人の抹殺に乗り出した。


1968年、ラファティのキャリア最初期に出された長編です。
物語の中心となるデュランティ家らプーカ人の出自については一切触れられておらず、彼らが他所の星から来たのか、そもそも何のために地球にいるのかにもはっきりとした説明はありません。ですが、そこら辺りは気にせず、残虐な悪鬼のようでありながら魅力的な子供たちの冒険ファンタジーとして楽しむのがよいかな。

プーカ人は地球人に似ていながら、少し異なる外見を持っています。なんとなく近しい関係はあるらしい。そして、彼らがバガーハッハ詩なるものを詠うと、詩の内容が現実化し、それで人を殺すことも出来るようだ。
また、子供たちの会話というのが実にいい加減で、ほら話なのか本当に起きたことを話しているのかが区別できない。
とぼけた語り口もあいまって、この辺りはちょっとポストモダン文学風な面白さであります。

彼らはほとんどの地球人たちを憎んでいるけれど、例外もいて。インディアンである肝っ玉母さん風のフィービーや、酔っ払いのフランス人でほら吹きのフィベールは胡散臭いが実に頼もしいキャラクターだ。一度顔を出すだけの、機械工学士であり自ら改造したスポーツカーを乗り回す若者も忘れ難い。

虚を突かれるようなエピソードを重ねながら、物語の後半にはデュランティ家と地元の権力者たちとの対決が待っています。これが手に汗握る西部劇風の展開で。沼地での決着シーンなんて紋切り型ゆえに、逆にこの異様な物語の中ではとても際立って見えますね。

読み終わってみれば妙に感動的でもあって。色んなジャンルの物語の要素を大鍋にぶち込み煮込んだような、荒削りな力強さを感じさせる一作でございました。

2016-04-17

Bettye Swann / The Money Recordings


ベティ・スワンが1965~67年、マネー・レコードに残した音源をまとめたコンピレーション。英Kentから2001年に出たもので、アルバム「Make Me Yours」全曲にシングル・オンリー、未発表テイク、さらにはリミックスまでも収録。

制作はハリウッドで、中でも初期のいくつかの曲はゴールド・スター・スタジオで録音したそう。アレンジには時代を反映してか、モータウンを意識したようなものが多いです。
このひとはシンガーとしてはそんなに声量が凄いとか、迫力を感じさせるタイプではありません。軽量級なのだけれど表情豊かな歌声で、実にチャーミング。ボーカルにかけられたリヴァーブが浅いこともあって、それがはっきりと伝わってきます。
さらに、彼女には自分の歌唱スタイルに合った曲を書くことが出来る、という強みがあったわけですね。ここでの収録曲もいくつかあるカバーを除けば、殆どが自作のものです。

アルバムタイトルにもなった1967年の "Make Me Yours" はR&Bチャートでトップまで上がりました。コーラスや管はまんまモータウンなのですが、ループし続けるようなベースラインがヒットソングとしての肝でありますね。
それより僕が気に入っているのはメロウさをたたえたアップで。切迫感を感じさせるメロディのノーザン "Don't Take My Mind" と、これもモータウンを下敷きにしながら実にせつない展開が待っている "You Gave Me Love" が特にぐっと来ますねえ。

2016-04-10

ヘレン・マクロイ「二人のウィリング」


みずからベイジル・ウィリングと名乗る男を追って、本物のベイジルはあるパーティに参加する。だが、その男はベイジルの目の前で奇妙な言葉を残して息を引き取ってしまう。さらに、男をパーティに招いた老嬢も同じ晩に亡くなっていた。


ちくま文庫からのものでは二冊目になるヘレン・マクロイ。これは1951年、『暗い鏡の中に』の翌年に発表された長編です。

強力な引きのある発端から、ダイイング・メッセージ、不可能興味まで盛り込まれているけれど、それらの解決はみな結構小粒なものであります。というか、いかにも探偵小説らしい要素を配置しながらも、狙いはそこにはないのだな。
また、この作品ではベイジルのほかにも精神科医が登場、精神治療についての議論などもあります。これは装飾にとどまらず、プロットに有機的に絡んでくるのですが、だからといって頭でっかちな作品にはなっておらず、むしろ全体としてのリーダビリティはかなりいい。

テンポが良くスリラー味の濃い展開に導かれて解決に至った瞬間、それまでの不可解な台詞やさりげない会話に潜まされていた裏の意味が浮かび上がってくる。全体が丁寧に構築されていたことに思い至り、ううん、やっぱりマクロイはいいねえ。

分量はそれほどないし、純粋な謎解き小説として読むと当てが外れるかもしれませんが、いかにもマクロイらしいミステリが堪能できました。
しかし、この作家はもう結構な数の作品が翻訳されているのに、まだいいのが残っているのね。

2016-04-04

アガサ・クリスティー「鏡は横にひび割れて」


アメリカから越してきた有名な映画女優、マリーナが自宅でパーティを催した。その席で、彼女のファンだという地元の女性が毒殺される。だが、被害者の飲んだカクテルは、そもそもはマリーナに渡されたものだったのだ。
一方でそれに先立つある瞬間、何故かマリーナは凍りついたような表情をしていたそうなのだが……。


1962年発表のジェーン・マープルもの。マープルの登場する長編というのは12作品しかないのね。もっと多いものだと思っていた。この『鏡は横にひび割れて』はその8番目にあたるのだけれど、セント・メアリ・ミード界隈にも近代化の波が押し寄せてきている。また、マープル自身も老い込んできたことを気にしている様子。

それはともかく。
この時代のクリスティにしてはとてもしっかりとしたミステリではあります。しかし、僕もこれまで女史の作品を数多く読んできて、その手筋というものに慣れてしまっているため、真相やその動機には結構早い段階で気付いてしまったのですね。ちょっとあこぎな誤導があって、途中「?」とはなったけれど。
じゃあ面白くなかったのかというと、そうではなくて。生き生きとしたキャラクターやドラマの醸成など、骨格を支える肉付けの部分がよく出来ているし、脇筋になるような謎も興味を持たせるものになっています。

作者も70歳を過ぎていて、さすがに仕掛けの斬新さとかはないのですが。丁寧に作られていれば、意外性を感じることはなくとも楽しんで読める、ということですね。
もっと言えば、クリスティの作風に馴染みが無ければ、驚けたのだろうとは思います。しかし、その場合読み物として別の部分の楽しみが薄くなるのであって、痛し痒しですな。

2016-03-26

Les Baxter / Confetti


1950年からキャピトル・レコードでオーケストラを率いていたレス・バクスター。我が国では所謂エキゾチカ、というジャンルの創始者として認知の方が大きいようですね。
バクスター自身は、後年にエキゾチカと呼ばれるようになるようなレコードを制作する際、南米の音楽を調べたりは全くしなかったそうであります。つまり純粋に想像上の産物だと。

バクスターはアフリカやブラジルといった異郷、はたまた宇宙をテーマにしたアルバムをも制作していますが、この「Confetti」(1958年リリース)には "a potpouri of European instrumentals" という副題がついています。まあ、実際の音のほうはヨーロッパというか、フランスですね。イタリアの曲も取り上げていますけれど、そんなのもひっくるめておフランスな仕上がりです。ハリウッド流にディフォルメ&ソフィスティケートされた、現実にはないフランスのイメージ。品が良く、全ての音がきらめいていて、軽やか。ヨーロッパをフランスだけで代表させてしまう大らかさ(といっていいのか)が実に、らしい。
とにかく流麗なオケが気持ち良くって、さすがは大キャピトルという感じなのだけれど、複数の楽器と口笛やスキャットで同じフレーズを重ねたりしていて、その新鮮な響きにはっとさせられます。

アルバム最後に置かれた曲は "The Poor People Of Paris"。元々はエディット・ピアフの歌うシャンソンであったが、バクスターのヴァージョンは1956年にビルボードのチャート・トッパーになった。ポップソングとイージーリスニングの境界がなかった時代なのね。で、その次のナンバー・ワンが、あの "Heartbreak Hotel" であった、という。いや、凄い昔話のようだわ。
この「Confetti」に収録されているものは再演だと思いますが、さらに優美な手触りのものになっています。

2016-03-21

D・M・ディヴァイン「悪魔はすぐそこに」


ディヴァインはいくつか手を出したことがあるのだけど、けれんに乏しいせいかあまりピンとこなかったのよな。で、評判が一番良さそうな作品を読んでみた次第。

大学で講師を務めるピーターは、亡父の友人であったハクストン教授から助けを求められた。横領の咎で学内から追放されようとしているのだ。やがて追い詰められたハクストンは、かつて大学に起こった醜聞を暴きだして復讐してやる、と宣言。その過去の問題にはピーターの父親も深く関係していたのだが……。


なるほど読ませますね。語り口は落ち着いているけれど、いいタイミングでイベントが発生して興味を引っ張っていきます。また、人物の書き込みが良く、それもリーダビリティに寄与しているように思います。
終盤に向かってさらに事件が起こりそうな、不穏な空気が徐々に盛り上がっていくのも定番ですが、そういう当たり前の要素をしっかり作った、オーソドックスな面白さがあるんですね。

ミステリとしては全体が非常に丁寧に構築されています。メインの仕掛けはいい時期のクリスティが得意としていた手法、それをさらに徹底・深化させたようでもある。おそろしく大胆なダブルミーニングなど、いや、これは結構な筆力が無いと成り立たないものでしょう。
純粋にパズラーとして捉えるのなら、手掛かりを拾っていけば容疑者はすぐに絞られてしまうはずなのだけど、そのシンプルさこそが却ってスマートな解決へと結びついています。

大トリックがなくとも驚きは演出できる、という好例ですね。
しかし、個人的な好みからすると淡白すぎるかな。もう少し、騙しがあこぎであってもいいんじゃ、とは思いますが。ここら辺りが黄金時代ではなくて、1966年の作品ということなんでしょう。

2016-03-17

コードウェイナー・スミス「スキャナーに生きがいはない」


コードウェイナー・スミスの残した〈人類補完機構〉シリーズの全中短編が、初訳・新訳を交えて三巻にまとめて出されることになった。これはその第一巻であります。海外では一冊の全集のかたちになっているものがあって、その最初の3分の1にあたるようだ。
まあ、殆どが以前に読んだことのあるものなのだけれど、今回は作品が(発表順ではなく)作中の年代順に並べられていて、そのおかげで全体をひとつの年代記として受け取れるようになっています。
いかにも全集らしく15ページの序文が置かれていて、その内容はこの本で初めてスミスに接する読者にはちんぷんかんぷんだろうが、言及されている破棄された作品や書かれずじまいであったアイディアには興味深いものがありますね。

異様なはずなのに妙に親しみを感じさせるキャラクターたち。
ドラマツルギーを知り尽くしているようでいて、けれど必ずしもそれにはとらわれない展開。
世界のあり方は常に断片的にしか提示されないが、グロテスクで残酷、けれど美しくてチャーミングな物語を味わうのに全てを理解する必要はないと思う。
しかし、久しぶりに読んだけれど、良いねえ。
中でも「星の海に魂の帆をかけた女」の「あのときぼくが行ったのなら、またきっと行く」のくだりはぐっとくるなあ。

第二巻『アルファ・ラルファ大通り』は夏までには出るという話だけれど、どうかな。そちらにはこれまで未訳だった作品は含まれないようですが、やはり楽しみではありますよ。