2017-10-14

The Rolling Stones / Aftermath (US)


1966年、米国での6枚目のアルバム、ですが。
実をいうと米盤仕様「Aftermath」は昨年のモノ・ボックスが出るまで聴いたことがなかったのだ。英国盤の曲順を勝手に変えて出していたものなわけで、ここにしか入っていない曲もない。ジャケットも英盤のほうが断然、渋くて格好いい。ボックスがなかったら聴くことはなかっただろう。
しかし実際に聴いてみると、それほどは悪くない。というか、元々の英盤が冗長なんですな。

英盤からの変更点としては、オープニングの "Mother's Little Helper" を "Paint It, Black" と差し換える、地味目な曲を3つ外す、A面最後の "Goin' Home" をアルバムの最後に廻す、というところですね。
まず、一曲目が変わるとアルバムとしての印象は大分、異なったものに感じられるのは確か。そして、"Paint It, Black" は特大ヒット曲であるけれど、一曲目向けでは無いという気もする。
次に、"Out Of Time" と "Take It Or Leave It"、そして "What To Do" の3曲が外されているのだが、さて。昔から思っていたけど英盤はB面がやや弱い。で、どれかを削るとなったとき、"Out Of Time" と "Take It Or Leave It" はどちらも良い曲なんだけれど、ポップ過ぎてアルバムの流れではちょっと浮いているかもしれない(僕ならどちらかを残して "It's Not Easy" を省くけれど)。で、"What To Do" はそもそもそんな大したものではない、満場一致だ。そんな風に納得してしまえ。
そして大作、"Goin' Home" の扱い。この曲でお腹いっぱいになって、もうB面は聴かなくていいや、そうなってしまったことが何度もありました。だから、最後にするという判断もありだな。
こんな感じで、全体をコンパクトにまとめながらバラエティも残した編集ではないでしょうか。あと、このサイズだとやはり " Mother's Little Helper " より "Paint It, Black" の方が必要になってくるのだな。

などと書いてきてなんなのだけど、オリジナルの米盤モノラルというのはステレオ・ミックスからのフォールド・ダウンらしいのだ(モノ・ボックス収録のほうは真正のモノラル・ミックスに差し換えられています)。だから、米盤「Aftermath」はステレオ・ミックスでないと本当に聴いたことにはならないのかも。いやあ、そこまでしては、もういいかな。

2017-10-07

Todd Rundgren / Hermit Of Mink Hollow


トッド・ラングレンが1978年にリリースした、ソロとしては8枚目にあたるアルバム。
全ての楽器をひとりで演奏、いわゆるワンマンレコーディングで制作されています。「Something/Anything?」(1972年)の4分の3もワンマンであったけれど、この「Hermit~」はミンク・ホロウという土地にある自宅スタジオにて、卓とブースの間を行ったり来たりしながら録音されたらしく、そのせいか、より密室性を強く感じさせるものになっています。

実はこのアルバムに関してはずっと、あまりピンと来ていなかったのだな。キラキラしたサウンドやシンセが、ユートピアならいいけどソロだと合ってないような気がして。また、音の分離が余り良くなく、ごちゃごちゃしている印象もありました。それが、最近になってなぜか無性に聴きたくなってきたのですが、いやあ、曲はいいのが多いのですね。
シングルとしてスマッシュヒットしたのが "Can We Still Be Friends"、これがやっぱり飛びぬけて良いすね。メロディの麗しさもさることながら、間奏部分のコーラスアレンジが浮遊感を湛えたサウンドとマッチしていて素晴らしい。それだけに深いエコー処理がなあ、もっと素で聴かせてくれよ、と思ってしまう。

このアルバム、アナログA面が「The Easy Side」、B面が「The Difficult Side」となっていますが、これはトッド本人ではなくレコード会社が決定した曲順だそう。
「The Easy Side」では先に触れた "Can We Still Be Friends" の他だと、スロウの "Hurting For You" が好みです。トッドのソウル路線、その典型ではありますが。
それから、"Too Far Gone" と "Onomatopoeia" はそれぞれボサノヴァとミュージックホール調のスタイルをトッドならではのアレンジで仕上げていて、独特の音楽になっていますな。
あと、"Determination" のベースラインがとてもビートルズ的で楽しい。この曲なんかを聴くと、ワンマンレコーディングでもしっかりとしたグルーヴは生み出せる、ということがわかります。
アルバム後半、「The Difficult Side」はやや地味な印象ですが、"Out Of Control" などのハードポップな要素はこの後のユートピアにおける方向につながっていくような感じも受けます。

2017-10-01

フィリップ・K・ディック「去年を待ちながら〔新訳版〕」


2055年、地球は星系間戦争に巻き込まれすっかり疲弊していた。敵対する異性人で巨大な昆虫のような外見をしたリーグ、彼らには地球との和平の意思もあるようなのだが、その一方で地球が協定を結んでいる勢力であり、地球人の遠い祖先でもあるリリスターはどちらかが破滅するまで戦争をやめるつもりはない。そして地球を監視し、そこからエネルギーを搾り上げ、あげくは支配下に置こうとしているのはリリスターのほうなのだ。


1966年長編、新訳が出たので再読。
いやあ、こんなに面白い話だったっけ? とにかく展開がスピーディで、だれ場がない。その分、アイディアが出しっぱなしで処理されてなかったり、理屈が通っていないところ、説明不足な部分もちらほらあるのだが、とにかくぐいぐいと進んでいく。

登場人物たちの多くは常に強いストレスを感じており、気の休まるときがない。じわじわと、しかし確実に地球は破滅へ向かっているようである。そんな中、ある場所で逃避のために持ち込まれた新種の幻覚性ドラッグ、JJ- 180。それは実は極秘裏に開発された戦争兵器であり、体内に入ると致死性のダメージを与えるものであった。一方で、副作用として一時的な時間旅行がもたらされるようなのだが。

物語後半には多元宇宙の存在が浮かび上がってくるのだけれど、設定そのものはかなりいい加減。しかし、そこから引き出される謀略小説的な展開がとてもスリリング。意外極まりない仮説が矢継ぎ早に打ち出され、ページを繰る手が止まらない。
それなのに、状況を救うために命がけで奔走したあげく、どうだっていいや、俺にはもっと大切なことがある、という個人的な事情に収束する結末。まったくもってディックらしい。

ハラハラ、わくわくさせて、そして何故か泣かせる。かなりとっちらかった作品です。
なお、ハヤカワ文庫ではこの作品に続いて『銀河の壺なおし』『シミュラクラ』『戦争が終わり、世界の終わりが始まった』、それぞれの新訳を4ヶ月連続で刊行とのこと。まあ何と言うか、歳を取っても読むものは変わらないのだなあ。

2017-09-23

The Delfonics / Tell Me This Is A Dream


デルフォニクスの(ベスト盤を除けば)四枚目のアルバム、1972年のリリース。
このアルバムまではプロデューサーとしてトム・ベルとフィリー・グルーヴのレーベル・オーナーであったスタン・ワトソンの二人が連名でクレジットされています。もっとも、トム・ベルはワトソンの強欲とリード・シンガー、ウィリアム・ハートの天狗ぶりに嫌気がさし、この時点で既に彼らとは袂を分かっていました。更に、トム・ベルによればワトソンはプロデュースどころか、スタジオで姿を見たことさえなかったそうであって、そうするとレコーディングの実態はメンバーのセルフ・プロデュースだったのか、あるいはアレンジャーのコールドウェル・マクミランが仕切ったのか、はたまたMFSBの誰かが何とかしたのか。

しかし、その重厚なサウンドはトム・ベルのような繊細さや個性はさすがに感じられないものの(シタールこそ残してありますが)、より濃密なスウィートさへ振り切っているようで、決して悪いものではありません。メンバー自身の手によるオリジナル曲も意外なほどいいのが揃っています。また、ボーカル面ではリードだけが突出することなく、よりグループらしいバランスの取れたものになっているかと。

収録されたどの曲も捨てるものが無いのですが、個人的には、新加入のノーマン・ハリスがアレンジを手掛けた二曲が特に好みであります。"I'm A Man" におけるドラマティックな展開、"Walk Right Up To The Sun" のオーソドックスなポップソングとしての出来、いずれも素晴らしい。

普段ソウルをあまり聴かないひとなら胸焼けするかもしれません。セールスがぱっとしなかったのも仕方ないか。
しかし、ヒット曲頼りではない分、一枚通してしっかりと作られている良いアルバムです。

2017-09-16

The Stylistics / The Stylistics (eponymous title)


ダスティ・スプリングフィールドの「A Brand New Me」を聴いたら、トム・ベルのアレンジってやっぱいいな、と感じ入って。色々と引っ張りだしていました。
トム・ベルが作編曲からプロデュースまで手掛けていたグループとして思いつくのは、大体の年代順にデルフォニクス、スタイリスティックス、そしてスピナーズといったところ。前二者はファルセット・リードのスウィート・ソウルというのが大雑把なイメージですが、スタイリスティックスの方が快活な抜けの良さを感じます。ラッセル・トンプキンズ・Jr.のクセの無いボーカル、そのキャラクターゆえ、ですかね。特にセカンド・アルバム以降は曲調のバラエティが広がり、メロウなミディアム・ダンサーでのテイストは同時期のスピナーズにも共通するものです。

といっても、スタイリスティックスに関しては今までデビュー・アルバム(1971年リリース)を一番多く聴いてきました。ヒット・シングルや有名曲が多いですしね(セカンドの「Round 2」は一曲目の "I'm Stone In Love With You" でつまずいてしまうのだな、ポピュラー味が強すぎるようで)。

全体に曲の質が高いアルバムだけれど、昔から "People Make the World Go Round" だけがどうにも、あまり好きではなかった。社会的メッセージのせいか、はたまたダークな雰囲気のせいか、どちらかといえばオージェイズ向きの曲じゃないかと。エンディングもやけに長いしね。
しかし、今回トム・ベルの仕事ということを意識して聴いていたせいか、バックトラックはいいじゃないか、と思いました。凄くバカラックっぽいのですね。この曲に限ったことではないけれど管楽器の柔らかな使い方がとても好みで、歌メロのラインをなぞるところなどたまらない。アール・ヤングのドラムもまた、格好いい。

しかし、手元にあるものでも聴き直せば発見があって、ますます新しいものに手を出す必要を感じなくなってきますな。

2017-09-12

レオ・ブルース「三人の名探偵のための事件」


「またしても密室殺人か」明らかにうんざりという様子だった「新機軸を期待したのだがねえ」

1936年に出版された、作者にとって探偵小説の分野におけるデビュー長編。
扱われているのはカントリーハウスにおける密室殺人です。はじめのうち物語はシリアスな雰囲気を保っているのだが、事件翌日になると呼ばれもしないのに名探偵と称される人物たち――勿体ぶった物腰の貴族、卵型の頭をした外国人、そして小柄な聖職者――が登場。更には、語り手も探偵小説内では当然であるような様式を意識するようになって、そこはかとないユーモアが醸され始めます。

物語の展開は尋問と捜査が続くむしろオーソドックスなもの。しかし、三人の名探偵たちのいかにも名探偵、という芝居がかったふるまいは、彼らのモデルとなっているであろう有名なキャラクターたちを想起させて実に楽しく、読み物として単調になることから救っています。

そして解決部分における推理合戦、ここが腰砕けだと単によくできたパロディ小説に収まってしまうところですが、それぞれの推理ががらりと違う上に密室トリックも複数、開陳されるのだから堪えられない。最後に明らかにされる真相はごくシンプルなもの、というのがまた洒落ている。

ジャンルの形式に意識的でありながら、あくまで娯楽性が優先されているのがいいじゃないですか。幕切れも気持ちよく、英国らしい楽しさが横溢した作品でありました。

2017-09-03

ヘレン・マクロイ「月明かりの男」


ドイツから亡命してきたユダヤ人である生化学者の死体、それをとりまく状況はあらゆる点から見て自殺を示していた。だが、故人は数時間前に、自分は決して自殺をするような人間ではない、と断言していた。さらに現場から走り去る怪しい人物がいたのだが、その目撃談はまさに三者三様で、およそ手掛かりにはなりそうになかった。


1940年発表、ベイジル・ウィリングものとしては二作目の長編。
事件の状況はディクスン・カーあたりが書きそうな種類のものだが、とりあえず捜査の焦点はそこには置かれない。こういった謎の扱い方はマクロイならではだな、と思う。しかし、夢遊病や嘘発見機など精神医学の要素と、戦争を有機的に埋め込んだプロットはなかなかに複雑なものであります。

ミステリとしてはとてもオーソドックスなつくりですが、物語が進行するにつれて被害者の生前の行動に非常に疑わしい点が浮かび上がってくるし、さらには新たな事件も起きて、と興味の途切れるところがありません。
書き振りの点でも、次はこいつが被害者になるのかな、と匂わせる呼吸など巧いものだ。また、後半に入って、読み慣れたひとなら疑うであろうが、全く検討されていなかった可能性が、ある人物によって指摘される。このタイミングも絶妙です。

謎解きには後年の作品ほど大量の伏線が盛り込まれているわけではありませんし、犯人が明らかになる瞬間もさらりとしたもの。しかし、心理学的な根拠ばかりで裁判で通用する物証はないだろう、と強がる犯人をベイジル・ウィリングが追い詰める過程は充分読み応えがありますし、ばら撒かれた偽の手掛かりこそが犯罪者を指し示す、というロジックは格好いい。

大きな驚きこそありませんが密度が濃く、フェアなフーダニットでありました。
創元推理文庫では来年「The Long Body」の刊行が予定されていて、これでベイジル・ウィリングものの長編はすべて訳出されることになる模様。あとは短編集のほうもお願いしたいところですが、ちょっと気が早いかな。