2017-12-03

クリストファー・プリースト「隣接界」


近未来の英国、グレート・ブリテン・イスラム共和国は戦争下にあった。中年のカメラマン、ティボー・タラントは長期滞在先のトルコで、爆撃によって妻メラニーを亡くし、政府の手で帰国させられていた。妻の両親のもとで数日過ごした後、政府への報告をするため移動させられるのだが、その道中で見聞きすることから、英国内の様子がまるで様変わりしていることを思い知らされることとなる。また、彼が愛用する量子テクノロジーを利用したカメラは、人体に影響があるため現在は使用が禁止されていることを伝えられる。
章が変わると、時代は第二次大戦中に移る。語り手は奇術師のトム・トレント。彼は自身の持つ特殊な知識や技能を見込まれ、少佐扱いで海軍に呼び寄せられていた。


クリストファー・プリーストの2013年に発表された長編です。二段組で580ページほどありますが、読んでいてそれほど量は感じません。しかし、内容は相変わらず歯応えがありますね。
今作で特徴的なのは虚構性というかメタ趣向が希薄なところでしょう。これ以前の長編では、それが誰かの手に拠って書かれた文章であることが明示されていて、その信憑性には疑いを挟む余地があったのですが。この作品の少なくとも近未来のパートは三人称、神の視点から書かれており、従ってどれほど辻褄が合わなくとも、それを事実として受け入れて読み進めることになります。このおかげで、プリーストの作品として『隣接界』はかなり判りやすいものになっていると思います。

とはいっても、あくまで能動的な読書態度が求められる辺りはいつも通り。作中で謎が立ち昇り、その回答はさまざまな描写を通してある程度推察できるけれど、言葉で説明されるわけではありません。この読み取る楽しさがプリーストならでは。
そして、圧巻なのは舞台を夢幻諸島に移した第七部。さながらラテンアメリカ小説のように現実の同一性がずれを起こしていき、自分自身の出自すら変容していく。その酩酊感が素晴らしい。

最終章で描かれるのはあるひとつの美しい可能性だ。およそ信じ難いこの結末をしかし、しっかりと成立させるために(読者と、そして登場人物も)長い旅をしてきたのだなあ。

2017-11-24

Popeye - Deluxe Edition: Music From Motion Picture


1980年に制作された映画「Popeye」のニルソンによるサウンドトラック、その拡大盤2CD。Varese Sarabandeからのリイシューです。

まずディスク1はサントラ。ニルソンが書いた曲を出演俳優たちが歌ったもので、レコーディングは撮影と並行して、映画のロケ地であるマルタ島で行われました。ベーシックトラックの演奏はニルソンのほかレイ・クーパー、ダグ・ディラード、ヴァン・ダイク・パークス、クラウス・ファアマンらによるもので、あとから管弦がヴァン・ダイクのアレンジの元、L.A.で録音されました。
歌っているのがニルソンではないため、楽器の使い方からどうしたってヴァン・ダイクの作品という印象を受けます。独特のマジカルでドリーミーなオーケストレイション。特に、"Blow Me Down" という曲では'60年代後半のバーバンク・サウンドと共通する雰囲気がたまらない。ここでのロビン・ウィリアムズの歌声がちょっとボー・ブラメルズのサル・ヴァレンティノを思わせるんだな。また、"He's Large" のオケもまんまヴァン・ダイクのソロアルバムと変わらないような優美なもので、いいですね。
なお、今回のリリースでは元のサントラ盤には無かったスコアも収録されているのですが、それらにはニルソンやヴァン・ダイクは関わっていません。フルオーケストラによる重厚かつクラシカルなもので、録音はロンドン。映画のサウンドトラックという点では意義ある収録なのでしょうが、音の感触がまるっきり違うので個人的には混ぜないで分けて入れて欲しかった。

ディスク2はニルソンによるデモ集で、前半がL.A.のゴールド・スター・スタジオ、後半がマルタ島に移ってからの録音。シンプルながらファンからするとサントラよりこっちの方が馴染みやすいな、やっぱり。音質もばっちり。映画には使われなかった "Everybody's Got To Eat" もこれぞニルソンと思わされる麗しい出来であります。
また、女優のシェリー・デュヴァルに "He Needs Me" の歌い方を指導している様子も収録されており、これが実にインティミットでいい雰囲気。ところどころデュエットになっているのがまたいいですね。これはアルバム「Flash Harry」セッション中に行われていた模様。
そして、ボーナストラック扱いで "Everybody's Got To Eat" の映画用ヴァージョンと、あとはホームデモが3曲収録されております。ホームデモはピアノ弾き語りをポータブルのテレコで録ったような音ですが、諧謔味の薄い、素のニルソンが垣間見えるようではあります。

ブックレットのライナーノーツは関係者にインタビューした上で書かれた非常に詳細なもの。監督のロバート・アルトマンはニルソンについて、あいつはやめとけ、と皆から忠告されていたこと。そして案の定、ニルソンがプレッシャーからアルコールを手放せなくなり、なんとかヴァン・ダイク・パークスが仕事を進行させていたこと。劇伴のスコアもヴァン・ダイクが手掛ける予定であったが、ミュージシャンのストライキによって果たせなくなったことなどなど、読み応えは充分。

実のところ、このサントラ用のデモというのは昔からアンダーグラウンドでは出回っていて、その中には今回のリリースとはヴァージョンの違うものもあるのですが、さすがに切りがないか。
ともあれ、ニルソン、ヴァン・ダイク・パークスどちらのファンにとっても楽しめるリイシューだと思います。

2017-11-18

G・K・チェスタトン「ポンド氏の逆説」


チェスタトン晩年の短編集、その新訳版。英国で出版されたのは1936年、作者の死後だそう。

主人公のポンド氏は政府の役人であり、お馴染みのローマン・カトリックの神父画家兼詩人などと比べるとそれほど変わったところがない、というか、あまり行動的ではないのだな。キャラクターとしては地味なほう。
各編の始めのほうで、会話中にポンドが逆説めいたこと――二人の男の意見が完全に一致したために、ひとりがもうひとりを殺すことになった、等――を口にすると、他の人物から意味がわからない、それはどういうことなのだ? と説明を求められる。それで、実はこういう話があってね、と過去に見聞きした事件について語り始める、といった具合。逆説が謎掛けになっているのですね。
そのポンドにつっこむ役割を果たすのが、友人のガヘガン大尉と政府の重要人物であるサー・ヒューバート・ウォットン。特にガヘガンにはブラウン神父譚におけるフランボウを思わせるところがある。犯罪者でも悪人でもないけれど、何度か事件に巻き込まれるうちにある種の改心をするに至る。

冒頭に置かれた「黙示録の三人の騎者」は暗い土手道を走る馬と、その周りに広がる原野のイメージが後を引き、本書の中でもっとも濃厚な印象を残す。そのトリックは時空を伸び縮みさせる文章と分かちがたく結びついていて、ミステリであることを忘れてしまいそうなぐらいだ。
他では、逆説そのものをミステリにした「博士の意見が一致する時」や、極めて抽象度の高い謎を平易な読み物として書き切った「名前を出せぬ男」はチェスタトンならではの作品で嬉しくなってくる。
また、殺人事件が起こるが真犯人探しがまるでなされない「ガヘガン大尉の犯罪」、まるっきり探偵小説のような事件の裏で進行していた意外な物語「恋人たちの指輪」、そして、ある古典中の古典をチェスタトン流に料理した「恐ろしき色男」などでは、ジャンルに対する自在なスタンスが楽しい。

情景描写は控えめで、ユーモアもわかり易く表現されているので、比較的軽めの読み物になっています。それでも、チェスタトンでしか書けなさそうな作品集でありますよ。

2017-11-12

The Replacements / For Sale: Live At Maxwell's 1986


リプレイスメンツ1986年のライヴ盤、二枚組でライノからのリリース。

近年、色んなミュージシャンの昔のライヴがあまり聞いたことのない会社から出ているのを見かけます。多くは放送用音源がソースであったりするのですが、このリプレイスメンツのライヴはそれらとは違い、元々が公式リリースを目的にレコーディングされたものであります。しばらくしてリードギターのボブ・スティントンがクビになったことで、当時はお蔵入りにされたのですね(ブートレグでは出回っていましたが)。
肝心の内容のほう、これが最高。

彼らのライヴには酔っ払ってやっているようなぐだぐだのものもあるのですが、ここでの演奏は気合いが入ったもの。この時期にはまだパンクバンドらしさを残していて、荒々しさも充分。曲によっては調子が外れているようなところも聴かれるものの、焦点が合った瞬間は実に格好いい。
また、分離のはっきりしたミックスがされていることで、二本のギターのアレンジがスタジオ録音より良くわかる。意外にパターンが豊富なのですね。ポール・ウェスターバーグも結構、印象に残るフレーズを弾いている。

しかし、若いですな。緩急も構成もなく、ひたすらタフでメロディのあるロックンロールが繰り出される。ライヴではお馴染みのレパートリーであったキッスやT・レックスのカバーも解釈や小細工なし。
ここでの "Can't Hardly Wait" を聴いてしまうと、翌年の「Pleased To Meet Me」収録ヴァージョンが物足りなくなってしまうかな。

2017-11-05

ジョン・ディクスン・カー「絞首台の謎」


1931年のアンリ・バンコランものであり、カーにとって長編二作目、その新訳です。

ロンドンのクラブに滞在するエジプト人は何者かに命を狙われていた。彼の元に犯行を予告するかのように絞首台のミニチュアが送られ、密室状態の机上には縊られた人形が出現。そして、ついに行方不明になってしまうのだが、その際には死体を運転席に乗せたリムジンがロンドン市街を暴走するのだから、いかにも扇情的。また、首切り役人を名乗る犯人が警察を挑発と、怪奇性がどぎついかたちで表現されています。
さらには古代エジプトの呪いまで盛り込もうとしているのだが、これはさすがに効果をあげていないか。

ロンドン中に立ち込める霧が印象的であり、これが時間や場所の感覚を曖昧にすることで謎の余地が生まれています。
バンコランはどうやら物語中盤で既に真相に到達してしまうようなのですが、この段階では不可能状況や犯人についてはっきりと語らず(当然ですが)、周辺の謎を解明するにとどまっているのが読んでいても煮え切らない。
そのかわり、ある登場人物が結構、あなどれない推理を披露してくれます。バンコランにばっさりと否定されてしまいますが、これは真相を知ってから振り返るとなかなか面白い。

その真相なのですが。あまり誤導が効いていないために犯人にはさほどの意外性はないか。また、事件を不可解に見せていた要素(もっとも、作中ではあまり強調されていませんが)についても、やや肩透かし。しかし、大量の伏線が回収される解決編は充分に読み応えがありました。
そして、絞首台が再度クロースアップしてくる結末は強烈です。

作家としてまだこなれていないせいか、ごたついてはいますが、まずまず面白く読めました。

2017-10-29

フィリップ・K・ディック「銀河の壺なおし〔新訳版〕」


西暦2046年、陶器の修復職人であるジョーは仕事にあぶれていた。既に陶器はプラスティックに取って変わられ、殆ど使われなくなっていたのだ。政府からの補助金で食いつなぎ、無為に過ごすことによる閉塞感に押しつぶされそうな毎日。しかし、そんなある日、ジョーの元にその技術を見込んだ巨額の仕事が舞い込んだ。


1969年の長編。
他の星系を舞台にした物語で、うだつのあがらない男の前に大きなチャンスが訪れる序盤はさながら冒険ファンタジー風。展開はスピーディで、なにやら過去がありそうなヒロイン、全てが書かれている預言書、光と闇の相克など、面白そうなアイディアが次々と登場して退屈するところはありません。
ユーモア要素も盛り込まれているし、異星生物の描写や、やたらに人間臭いロボットなども魅力的であります。

さくさくと読んでしまえるのですが、何しろ物語の様相が急激に変容していくので、さまざまなものが掘り下げられること無しに放置、という感は否めないです。半ばディストピア化した地球が全く省みられなくなっているのはなんとも。
にしても、この先読みの出来なさは凄いな。

読んでいる間は面白いのだけれど、何だかわかったようなわからないようなお話でした。まあ、気楽な娯楽作品として受け取ればいいのだろうな。
来月は『シミュラクラ』か。

2017-10-28

The Jam / 1977


ジャムの最初の2枚のアルバムを中心にしたボックスセット、4枚のCDにDVDという構成です。
これで彼らのアルバムは全てデラックス仕様でリイシューされたことになります。

判型はばらばらだが

今回のリリースで不満を挙げるとすると、セカンドアルバムのデモが無いことか。いや、ディスク2に収められている「In The City」のためのデモの数々(うち半数はオフィシャル初登場)が実に聴き応えがあるのでね。バランスはいまいちだし奥行きには欠けるものの、生々しさや粗さが大いなる魅力となって迫ってくる。

またディスク4、始めのジョン・ピール・セッション8曲は「At The BBC」に入っていたのと同じ演奏ですが、ここでのギターの金属的な鳴りはまさにドクター・フィールグッド直系、という感じで嬉しくなってくる。個人的にはアルバム収録バージョンより好み。
その後に収められているのナッシュヴィルでのライヴは初登場のものだ。音質も悪くない。テンションの高さが空回りしているような曲もあるけれど、そこがこういった音源の楽しさでもある。


DVDのほうには珍しいものは無いようだ。1977年に絞ったことで分量も控えめ。だからこそ、一気に通して見てしまえる。何の演出もない、ただ演奏している姿を捉えているものだが、ただごとではない疾走感。当て振りのものでも全力だ。




結局のところ、ジャムのアルバムでは「In The City」が一番好みですね、個人的には。あっという間に過ぎていって、後には何も残さないような音楽。一方で、こういう表現は長く続けていくことができない、というのもまたわかる。
ポール・ウェラーは「In The City」について、収録曲の多くはザ・フーのファースト「My Generation」を下敷きにして書いたと語っているそうですが、"Non-Stop Dancing" なんかは同時期のエルヴィス・コステロと似たテイストがありますね。微妙にパブ・ロックっぽい。というか、スペンサー・デイヴィス・グループから来ているのかな。