2025-11-03

フランシス・ビーディング「イーストレップス連続殺人」


1931年の英国作品。
タイトル通り連続殺人、その犯人探しのミステリであります。本書のはじめには物語の舞台、イーストレップス周辺の地図が置かれているのだが、そこには殺人現場の位置が示されており、あらかじめ何人以上が殺害されるのかがわかってしまう。

イーストレップスは観光地でもある田舎町であり、そこで特徴的な手段による殺人が週一回のペースで起こります。被害者たちの間には一見、つながりは無さそうに見えるのですが、読者には見当が付きやすい親切設計です。ただし、動機はさっぱり掴めませんが。

非常にテンポよくイベントが起こり、読みやすくはあるのですが、シリアルキラーものとすると現代の目からすると物足りないところがありまして。サスペンスの醸成が淡泊な上、展開も単調。ほら、例えばクリスティなんかだと「この人、いま危ないんじゃないか」と緊張を高めておいて、そこでは一回外して、こちらの気がゆるんだ隙に、別の人間が殺られる、とかさ。そういう読者の予断を上回っていくところがあるじゃないですか。しかし、この作品からは、溜めをつくることもなく淡々と殺人が繰り返されるような印象を受けるんですよね。一応は、観光客がみな引き上げてしまうとか、自警団が結成されて夜回りが行われるなどの描写はされているのですが、登場人物たちの不安な感情もあまり伝わってはこないのです。

物語後半になると容疑者が逮捕され、その裁判シーンが多くのページを占めるのですが、死刑がかかっているせいで緊張感が高まりますし、さまざまな疑問点が抽出されていくことで、ぐっと面白くなります。
そして、ここからの展開にちょっと驚きがありました。それはミステリ的な仕掛けではないのですが。現代だとこの行き方はどうか、と思われるものです。

正直、フーダニットとしては、ミステリを読み慣れていれば割合にわかりやすいと思われます。誤導も(作品の発表された時代を考えても)あっさり目でしょう。
しかし、探偵役の設定は意外であるし、犯人確定の手掛かりは読者には決してわからない種類のものではあるものの、シンプルかつ説得力があります。
また、終盤にはちゃんとサスペンスがあって、ちゃんと盛り上がってくるのです。

最後に明らかとなる犯人像は現代的という解釈も可能かもしれないですが、わたしむしろチェスタトン的な底の抜け方をしているなあ、と思いました。

ジャンルの物差しを当てると中途半端なスリラーということになっちゃいますが、ときおりミステリとしての常道を無視するような乱暴さがとても面白い。読みやすいですし、期待しすぎなければ悪い作品ではないと思います。

2025-10-12

アンディ・ウィアー「プロジェクト・ヘイル・メアリー」


2021年長編。
とりあえず前知識を入れずに読むのがいい、と聞いたので本当にそうしてみました。といっても、カバー絵を見れば宇宙を舞台にしたものなのだろうな、ということくらいは見当がつく。
また、本のはじめには口絵がついていて、ああ、これの話なのね、ということもわかってしまいます。
物語はひとりの男が目を覚ますところから始まる。

展開に肝がある上に、早川の公式でネタバレ禁止とあるようなので、具体的なことは書けませんが、かなりがっちりとSFですね。米国産らしいユーモアをたたえた語り口調で和らげられていますが、結構歯ごたえがある。
とある重大な使命を帯びた主人公が、当然のように何度も苦難に直面、それらを己の知見に照らし合わせて科学的に検証・解決していく過程がとても面白いです。けど、それら問題のハードルが高い分、じっくり読まないとついていけません。
また、現在進行形の物語と並行して、主人公の過去が徐々に明らかになっていくのですが、しっかり書き込まれた過去パートによって、彼の関係するプロジェクトのスケールの壮大さがどんどん補完されていきます。
さらには作品の様相が、がらりと変わる瞬間があって「えっ、こういう種類のSFだったの」との驚きも。

大風呂敷の上にアイディアてんこ盛りにして、手に汗握る要素も十分。最後のほうまで気を抜けない。加えてビルドゥングス・ロマンとしての面も(実は)あるなど、エンターテイメントとしても作り込まれています。
読み終えてみればSFの王道のような印象が残りました。面白かったです。


以下、作品内容とは直接関係ないことを。
わたしはミステリファンなので、この主人公の状況からすると、この男は本当に自分で思っている本人なのか、他の人物の記憶がインストールされつつあるんじゃないか、などと妄想してしまうのだ。あるいは、アンドロイドという可能性も。ふつうに考えると台無しなのだが、ミステリ世界におけるSF設定というのはガバガバであることが多いので、そういうことが平気で成立させてしまう。 この作品はちゃんとしたSFなので、そんなはずはないのだけれどね。

2025-09-13

エリザベス・フェラーズ「さまよえる未亡人たち」


1962年のノンシリーズ長編。
長い海外生活から英国に帰国した青年ロビン。彼が休暇旅行先で一緒になったグループの間で事故が起こるのだが、それが殺人ではないか、というお話。
240ページくらいしかないのですが、取っ掛かりにちょっと手こずった。

主人公のロビンは、思うところがあり他人とは距離を置いて接しようとしているようである。その為、他の登場人物たちも一通りキャラクターは作られているのだが、それぞれの内面まではわからなく、ときどき区別がつかなくなる。また、なかなか事件も起こらないため、最初のうちは読んでいて正直かったるい。
全体の三分の一まで進んだあたりでロビンとその他の人々との距離が少し縮まります。彼が他人からどんな風に見られていたのか、さらに同行者たちの抱えていた問題が明らかにされてからは、物語に一気に引き込まれていきます。

ミステリとしては毒殺が扱われているのだが、被害者が誤って殺された可能性もあれば、自殺の線も捨てられない。ロビンは何か引っかかるものを見聞きしているはずなのだが、それが何かが自分でもはっきりしない。
それでも話が進むにつれ、さまざまな推理がなされ、隠れていた事実などが浮かんできて、容疑も二転三転。

終盤に入って、ひとつの気付きが状況をがらり、と変化させる。複雑に見えたものが、とてもすっきりとした形に収束していくのだ。これぞパズラーの醍醐味であるよね。容疑者の範囲は限られたものであるが、その上での意外性の演出も決まった。
さらに物語としての終結も簡潔でスマート、粋だねえ。

あまりに洗練が過ぎて地味に感じられるくらいでありますが、実に良く練られたミステリでありました。

2025-08-30

Cal Tjader / Amazonas


カル・チェイダーはリーダー作の数が少なくないので、キャリア全体をわかろうという気は起りません。けれど、ハズレが少ないという印象はあるので、見かけたらとりあえず聴くようにしています。

「Amazonas」は1976年の作品。カバー表に「Produced by AIRTO」と書かれているようにアイアート・モレイラ制作で、参加ミュージシャンもその人脈のようです。アレンジャーはジョージ・デュークで、彼も演奏に入っています。
音楽の方はこの時代らしいブラジリアン・フュージョンで、シンセが活躍するもの。主役のチェイダーさんはマリンバ、ヴァイブを使い分けています。が、マリンバのまろやかな質感は、派手目の音作りにおいてはやや厳しい。決してサウンドの中に埋もれてはいないし、テーマにソロにと見せ場は十分に与えられているのだけれど、曲を聴き終えたときに耳に残るのはシンセの響きなんですね。なんだか、アイアートとジョージ・デュークが仕切るバンドにひとり、ゲストとして入っているような感じ。
一方で、ヴァイブになるとサウンドにしっかり混じり合っている感じがして、違和感がない。特にやや落ち着いたメロウな曲になると主役感がちゃんと感じられます。

音楽そのものは耳当たりがよく恰好いい、涼やかな一枚で、この夏はずっと聴いていました。売れてる若いやつらに任せてみたよ、みたいなものだったのかもしれませんが、チェイダーのリーダー作である、ということにさほど重きを置かなければ、とてもいい。

ところでCDサイズだとわかりにくいのだけれど、このカバーアート、イラストなのね。一見、船体のようなのは巨大な楽器群という変なセンスであります。

2025-07-23

宝樹「三体X 観想之宙」


劉慈欣の「三体」シリーズ三部作、その二次創作であります。

物語はシリーズ完結編である『三体III 死神永生』の裏面、という感じで始まり、主人公は『死神~』の登場人物であった雲天明(ユン・ティエンミン)。『死神~』の終盤では、意図的に人間ドラマの部分を断ち切っていて、そうしてより大きなスケールのヴィジョンを提示しえた、と思うのです。それがこの作品では一旦、個の問題に戻ります。大きな役割を与えられながら、語られることはなかった雲天明の辿った運命が明らかにされるのですが、その過程に本家『三体』では説明がされなかった部分の謎解きがふんだんに盛り込まれていて、これがとても楽しいのです。
そして、三部構成の二部にはいったところで、物語はがらりと変わります。そこからが「三体」シリーズからさらに次へと踏み出した、この作品のオリジナルな部分であり、宇宙規模のホラ話が繰り広げられます。

非常に密度高くアイディアが盛り込まれ、面白く読んだのだけれど、さすがに本家のような圧倒的な迫力はないです。
作品の多くの部分が対話によって展開されているので、動きに乏しい。また、説明で手一杯になって、描写が物足りないので、あまりイメージが広がっていかないのですよ。ゆえに説得力も弱くなっていると。
あと、これは言っても詮無いかもしれませんが、馴染みあるキャラクターたちへの違和感は否めません。

「三体」シリーズを読んでいないと、何のことやら、という箇所も多いですし(特に終盤)、あえてふざけてみたところもあって。凄くよくできてはいますが、あくまで二次創作、ファン向けでありますね。

2025-07-05

カーター・ディクスン「爬虫類館の殺人」


1944年のヘンリ・メルヴェール卿もの長編、その新訳です。
この作品は旧訳でも読んでいるのだけれど、有名な密室トリックはシンプルかつ独特なこともあって、もはや忘れようがない。
そういう状態で読み始めましたが、冒頭からカーの典型的なロマンスが始まって、ややうんざり。

扉や窓の隙間が内側から目張りされた密室でのガス中毒死、だがこれは殺人だという。謎が強力な故に仮説も立てられず、推理の面白さがなかなか盛り上がってこないのは痛し痒しであるか。
もっとも、トリックがわかっている状態で読むと、前代未聞のミスディレクションはもちろん、伏線がしっかりしていることに感心します。結構、きわどい書きっぷりをしているのが愉しい。
また、密室の謎だけでなく、続いて起こる事件などもあって、読ませる展開になっています。フーダニットとしての疑惑を掻き立てる加減もよく、これがあるからこそ最後が生きてくる。

クライマックスではそこに至るまでのドタバタからは一転、ヘンリ卿と犯人の直接対決がシリアス仕様でしびれるところ。決定的な証拠はないように見えるが、他殺であることを証明したうえで、手堅いロジックも交えながら追い込んでいきます。こちらも相当に大胆に手掛かりを転がしていたのだな。

トリックを知った状態で読んでもミステリとしての作りが行き届いていて、まずまず楽しめました。

2025-06-26

ダシール・ハメット「マルタの鷹【新訳版】」


田口俊樹による新訳。もう何度も訳され、そのたびに読んできた作品なので、虚心に筋を追って読むことが出来なくなっている。

今回、気になったのはエフィ・ペリン、探偵事務所の秘書だ。このペリンがサム・スペードと会話している部分は小説の他のところと温度が違う。というかスペードの態度が違うのだ。大雑把にいうと普通のアメリカの探偵小説っぽい。
苛烈な犯罪小説に、軽快なペリンとのパートが差しはさまれることで緩急が付いているのだけれど、それはハメット以前のミステリとの落差を意識させるものでもある。そう考えると、物語の結末においてペリンがスペードを拒絶するのは象徴的ではあるか。

作品自体については今更、言うことがない。早川から小鷹信光訳が出たときにも書いてしまっているしね。あえて付け加えるなら、サム・スペードはできうる限り、己の職業に忠実でいながら、自分自身であろうともしている。その困難がプロットのねじれ、もっといえば、わかりにくさを生んでいるのだと思う。
今回の翻訳は小鷹版と比べると、荒々しさがやや抑制されて表現されているような印象を受けました。