2024-11-10

Chris & Peter Allen / Album #1


まさにサンシャイン・ポップのファン待望のリイシュー、と言いたいところなのだが。出してくれたのは隣接権切れ専門のオールデイズレコード。ということは板起こしか。
国内流通仕様の輸入盤という体になっていますが、例によって音源のライセンスに関するクレジットは何も記されていませんし、原盤を出しているはずの台湾の会社「ONCE MORE MUSIC」で検索をかけてもオールデイズレコードのカタログしかヒットしません。著作権の緩い台湾で出されたものを、こちらは輸入しているだけ、という建前で法律を搔い潜ろうとしているように思うのは穿ち過ぎか。
ついでにケチをつけるとライナーノーツの文章は日本語として結構ひどいです。また、クリス&ピーター・アレンのキャリアに触れた部分は主にウィキペディアからの情報を単なる想像で補ったものですが、その中で彼らはジュディ・ガーランドとともに来日して、その後3年近く日本に住んでいた、なんて書いてあります。1964~67年ということになりますが、その間もABCよりシングル・レコードを出したり、ガーランドのTVショウに供に出演していたわけで、流石に話に無理があるのでは。


さて、本題ですが。
「Album #1」は後にソロで身を立てるピーター・アレンが、男声デュオ時代に残した唯一のアルバム。1968年、Mercuryからのリリース。
プロデュースはアル・カーシャ、アレンジはジェリー・ロスとの仕事でお馴染みジミー・ウィズナー。ということはニューヨーク録音ですかね。
この頃、ピーター・アレンはまだ本格的に作曲を始めていなかったせいか、収録曲は外部の作家によるものか、有名なもののカバーとなります。

突出していいのはアル・カーシャが自分で書いた "Ten Below"。これなんていくつものコンピレイションに採られて、既にクラシックだと思うのだが。自然な転調を利かせたキャッチーなメロディに、シャッフル・ビートと細かく動くベースラインが気持ちを浮き立たせ、鉄琴や洒落たトランペットらが華やかな雰囲気を盛り上げる素ん晴らしい出来栄えであります。
他では、トニー・パワーズ&ジョージ・フィショフ作の "A Baby's Coming" もドリーミーでドラマティックなアレンジが良いです。
カバー曲ではスタンダードの "Just Friends" が気に入っております。ジャジーな感触を残したソフトサウンディングなポップスとして、同時期のA&Mレコードと通ずるようなテイストがたまらない。クリス・モンティズも取り上げている曲ですが、わたしはこちらの方が好みです。
残りの曲も手をかけたプロダクションで、メドレーになっている曲などはいわゆるバーバンク・サウンドを思わせます。歌声の弱さが気になる瞬間もあるのですが、全10曲で25分ほどしかないので、するっと終わってしまう。
これで音質がよければねえ。

なお、ボーナストラックとして、1966年にABCより出されたシングルの中より2曲が選ばれています。これらはどちらもピーター・アレンの自作で、うち "Two By Two" はP. F. スローン&スティーヴ・バリーが制作、マージー・ビート風からフォーク・ロックへと変化するアレンジが面白い。もう一曲の "Middle Of The Street" は相方のクリス・ベルとの共作で、こちらはなかなかの佳曲。力強く歌おうとして、却ってへなちょこになってしまっているのはご愛敬。

2024-11-09

孫沁文「厳冬之棺」


昨年邦訳された華文ミステリで、本国では2018年に発表されたもの。著者である孫沁文(スン・チンウェン)は2008年にデビューして以来、密室ものの短編を多数発表してきたそうですが、長編としてはこれが第一作ということ。

いわく因縁のある一族の中で連続して起こる密室殺人が扱われているのだけれど、人名以外は翻訳ものを読んでいるという感じがあまりしない。人工性が非常に強く、懐かしの新本格テイストもありますが、犯人の期待通りに物事が全て運ぶようなところなど、戦後すぐの探偵小説のよう。また名探偵のキャラクターなどは作り過ぎで、とても真面目には受け入れがたいのだが、これはわたしが年寄りだからかもしれない。
ひとつひとつの密室はそれぞれ捻った状況が興味を引くもので、創意が感じられます。この辺りは流石、密室物のエキスパートというところでしょうか。

謎解きは意外にちゃんとしている、と思いました。都合の良すぎるところは多いのだけれど、無視できないほどの穴に関しては後からフォローが入ります。これを後出しではなく、きちんと手順を踏むように構成できればもっと説得力あるものになると思うのだが。配慮があるにも関わらず、損をしている感を受けるのです。
しかし、探偵役が最終的な真相に気付くきっかけに関しては、面白い伏線こそあれども読者に推理できるようには作られていないよね。

なお、肝心の密室トリックはというと、これは実現性の疑わしいものばかりだけれど、リアリティのレベルを段階的に下げながら開陳されているので、受け入れやすくなっていると思います。何よりスケールの大きさ、独創性が素晴らしい。

粗は目立つのですが、それを補って余りある豪快なアイディアが愉しい作品でした。なんだか華もありますしね。

2024-10-26

ジョエル・タウンズリー・ロジャーズ「止まった時計」


昨年に短編集が出たのに続き、国書刊行会から全三巻の「ジョエル・タウンズリー・ロジャーズ・コレクション」が年一冊の予定で出されるそうで、これはその第一弾。
1958年に発表された、ロジャーズ最後の長編です。


物語の冒頭で既に事件は起こっている。元女優、ニーナは自宅で何者かに襲われて瀕死の状態にある。そして、そこに至るまでの出来事が多視点より語られる。
ニーナは何度も結婚を繰り返しており、その相手たちとの出会いと別れ、彼ら自身の現在の生活と妄執が明らかになっていく。元の夫たちはみな、かつて社会的に高い層に属していたのだが、凋落を経て今では日々の金繰りにも汲々としているようだ。

本作でも同作者の『赤い右手』と同じように、改行しただけで時系列が飛躍する語りが採用されている。事実なのか想像なのか判別しづらいエピソードが堆積していくうちに、話の流れはつかめてくる。
ただ、『赤い右手』は長編としてはコンパクトであったのに対し、本書はハードカバーで400ページ強の分量がある。その前半は登場人物たちの波乱に満ちた来歴が主であって、ミステリを読んでいるという感じが希薄なのだ。独特の叙述もあって正直、疲れてくる。

しかし中盤あたりから、物語は異様な展開を始める。細部にまで因果性を求めるミステリの作劇からは外れ、ちょっとなさそうな偶然の連鎖が、むしろ必然のように立ち現れる。登場人物たちはそれぞれの役割を果たすよう見えざる手によって導かれ、一気にドラマが動き出す。
そうした末、いきなりのタイミングで明らかになる真相。伏線の数々が一気に回収され、一見、無駄な描写と思われた細部にも意味があったことがわかるのだ。この辺り、ちゃんとしすぎていて逆に驚いた。
さらに終盤に近付くにつれ、作品内の時間の流れる早さまでが奇妙なものになっていく。あたかも求められる結末を実現するために。


なんだか凄い作品であります。プロット上、不必要に見える部分は残るし、とても自分勝手な理屈に基づいて書かれたように思える。ミステリには「狂人の論理」を扱ったものがあるけれど、ここでは作者のロジックが奇妙なのだ。
だからこそ、面白かった。

2024-10-06

エラリー・クイーン「Zの悲劇【新訳版】」


2年ぶりとなる創元推理文庫からのクイーン新訳はドルリー・レーンものの第三作であります。角川文庫版が出てからは13年ですな。
前年(1932年)に発表された『Xの悲劇』『Yの悲劇』が芝居がかった道具立てのなかで繰り広げられる絢爛としたパズルであったのに対して、今作では冤罪を晴らす、というのがお話の中心であるせいか、ドラマの構築に重心がかかっているような印象を受けます。
プロットの重苦しさを緩和するように若く活発な女性の一人称でこの作品は語られます。レーン自身が事件に関係し始めるのは物語の中盤あたりであって、その分、シリーズの前二作と比べると推理の密度が落ちる感は否めません。

レーンが捜査に参加してすぐ、冤罪であることは明らかにされます。ただし、証拠はない。他ならぬレーン自身のミスによって、それを証明する手立ても無効化してしまう。作品世界内では前作『Yの悲劇』から10年が経過していて、さすがのレーンも衰えたか、そう以前は思っていたのですが、今は考えが少し変わってきました。そう単純ではないかも、と。
第一作の『Xの悲劇』の時点で既にレーンの事件への関与・影響が始まっていたことを考えると、故意という可能性も捨てきれない。レーンと作者クイーンが共犯関係にあって、レーンが事態に働きかけることで作品が成立しているわけで。麻耶雄嵩みたいですけど。

クライマックスの消去法による推理には、厳密に言えば穴がないわけではない。けれど、それを指摘するのは小説に一度も出てこない人物を容疑者にするようなもので、個人的にはさほど気にならない。とんでもない迫力をもつ推理で押し切ってくれる。

しかし、この結末はどうだろう。本来は冤罪から老人を救うことが目的であって、フーダニットとしての解決はあくまでその手段であったはずなのに。見事に手段と目的が顛倒していて、それが素晴らしい。
誰も救わなかったようにみえる解決、だが満足した人物がひとりいるのではないか。


ところで、今回読んでいて初めて疑問をもった箇所があって。第一章の終わりから二番目の段落でペイシェンスが、一日早くリーズに出発してフォーセット医師に会っていたら「のちになってあれほど悩まされた謎も、あっさり解けていただろうに」と言っているのだが、これはどの謎を指しているのだろう?

2024-09-22

Odell Brown / Odell Brown (eponymous title)


1960年代から活動していたオルガン奏者、オーデル・ブラウンの’74年にリリースされたアルバム。オリジナル発売元はPaulaという、R&Bファンには知られたJewel傘下のレーベルです。
レコーディングに関するデータが殆どなく、プロデュースとアレンジはブラウン自身になっていますが、参加ミュージシャンについては何もわかっていませんし、産地も不明。
また、リイシューCDの音質はそれほど良くはないです。元々がどうだったのかはわかりませんが。


音楽の方はエレピが主役の、それはメロウなソウル・ジャズ。
オープナーがスティーヴィー・ワンダーのカバー “I Love Every Little Thing About You” で、耳当たりの良さではこの曲が一番になります。といっても11分あるのだけど。まろやかなオルガンがメロディを奏で、サックス、女声コーラスも入る中、エレピがリードを取るリラックスしたR&Bインスト。後半になるとワンフレーズを繰り返すベースギターを中心に据えて、ゴスペル風に盛り上がっていく。アルバム中でもこの曲だけが陽気な感じ。

あとの4曲はブラウン自身か、あるいはラリー・シムズというトランペッターによるオリジナルです。
”Tasha” はループ感を漂わせるベースがグルーヴを作り、いかにもフュージョンっぽいフレーズをサックスが提示する。進行していくうちにアブストラクトな展開も入るが、手触りはあくまでソフトなジャズ・ファンク。

アナログB面にあたる後半はアコースティック・ピアノの独奏から始まる。”South Of 63rd” はフルートが舞うラテンジャズ。ちょっとギル・スコット・ヘロンを思わせたりも。
続く “Song Theme” はスウィートでスロウなワルツ。途中からすこしテンポを上げてソロを回し始めるが、メランコリックなムードは維持されています。
ラストの “Simizzoke” は抒情的な導入から、ニューソウル~ブラックスプロイテーション的な雰囲気を持ち合わせた都会的でクールなファンクへと展開する。しっかりとしたアレンジが施されていて、ちょい恰好いい。


演奏そのものはジャズなんだけれど、サウンド構築で聴かせる面も大きいという印象で、裏方としてのキャリアが生きた好盤ではないかと。オルガンが最初と最後の曲にしか入っていないのが、個人的にはすこし残念。

2024-09-16

カーター・ディクスン「五つの箱の死」


テーブルを囲んで座っていた4人はみな、意識を失っていた。3人は毒物を飲まされ、あとのひとりは刺殺されていた。現場の建物には監視がついていたにもかかわらず、重要な関係者がひとり、姿をくらましてしまう。また調査の結果、毒物は4人の使ったタンブラーやグラスより発見された。しかし、誰にも毒を投入する機会はなかったようなのだ。
一方、被害者が弁護士事務所に預けていた五つの箱、その中身が盗難にあっていた。それらの箱には犯罪の証拠が入っていたというのだが。


1938年、ヘンリー・メルヴェール卿ものの長編。「ユダの窓」が出された年でもあり、脂の乗ったカーが堪能できます。派手な導入から展開が停滞することなく、ぐいぐい進んでいく。

不可解に見えた殺人現場の謎には実は穴があって、中盤あたりから底が割れてくるのだけれど、次々に新たな事件が起こって興味をつないでいきます。
とにかく読者を退屈させないのですが、謎がいくつも後から出てくるため、肝心の殺人事件についての調査がややおざなりに感じられるほど。

真相のほうはきわどい線を狙った意欲的なもの。難があるとすれば犯人と指摘された人物の存在感がまったく無かったため、真相判明に伴うはずの衝撃が肩透かしのようになっているということ。もっともHM卿によるロジックはしっかりしたもので、伏線の妙を堪能できます。
また、毒のトリックは今となっては古典的な手段ですが、この時代には新たな創意だったのかも。その可能性を気取らせないためにある描写が省略されていたこともわかります。この辺りの苦心が逆に楽しい。何より、そのトリックが犯人の絞り込みに直結しているところが素晴らしい。

山口雅也氏の煽り文句のせいで、きわものではないかと読む前は却って腰が引けていたのです。正直カタルシスには乏しいですが、細部までよく考えられた作品であって、楽しめました。

2024-09-05

平石貴樹「葛登志岬の雁よ、雁たちよ」


2021年発表、函館周辺を舞台にした、フランス人青年ジャン・ピエールが探偵役を務めるシリーズの三作目。

前二作と同様、死体が複数転がりますが、今作では個々の事件の関連を主張するように、それぞれの死体の額に同じかたちの傷が付けられているのです。さらに、犯行のひとつが行われたのは準・不可能状況といえそうな場所であります。
また、それらとは別に二十年ほど前のものと思われる白骨体が発見されていて、果たしてこれは本筋にどう繋がってくるのか。とりあえず謎には事欠かない。

取っ掛かりの事件については、ある程度ミステリを読んできたひとなら、大雑把な当たりは付けられるかも。ただ、それと他の事件との結びつきを見出すのはそう簡単ではない。個々の物証にこだわっていても、全体像はなかなか見えてこない。過去に根をもつ人間関係のややこしさが現在の事件のありように反映されているようなのだ。
ようやく周辺的な事実が判明し、さてこれがどう……そう思ったタイミングでジャン・ピエールが絵解きを始めてしまった。

冴えたロジックにより動機が導かれ、並行して事件の流れが再構築されていく。その過程で浮かび上がってくる、さりげなく配置されていた伏線の数々が凄く鮮やかであります。何度も唸っちゃった。
そして謎が解かれることで、ある人間像(といっていいのか)が立ち昇ってくる。これはずーんと来ますね。

みっちりとしたパズラーを堪能しました。抜群。