2025-08-30

Cal Tjader / Amazonas


カル・チェイダーはリーダー作の数が少なくないので、キャリア全体をわかろうという気は起りません。けれど、ハズレが少ないという印象はあるので、見かけたらとりあえず聴くようにしています。

「Amazonas」は1976年の作品。カバー表に「Produced by AIRTO」と書かれているようにアイアート・モレイラ制作で、参加ミュージシャンもその人脈のようです。アレンジャーはジョージ・デュークで、彼も演奏に入っています。
音楽の方はこの時代らしいブラジリアン・フュージョンで、シンセが活躍するもの。主役のチェイダーさんはマリンバ、ヴァイブを使い分けています。が、マリンバのまろやかな質感は、派手目の音作りにおいてはやや厳しい。決してサウンドの中に埋もれてはいないし、テーマにソロにと見せ場は十分に与えられているのだけれど、曲を聴き終えたときに耳に残るのはシンセの響きなんですね。なんだか、アイアートとジョージ・デュークが仕切るバンドにひとり、ゲストとして入っているような感じ。
一方で、ヴァイブになるとサウンドにしっかり混じり合っている感じがして、違和感がない。特にやや落ち着いたメロウな曲になると主役感がちゃんと感じられます。

音楽そのものは耳当たりがよく恰好いい、涼やかな一枚で、この夏はずっと聴いていました。売れてる若いやつらに任せてみたよ、みたいなものだったのかもしれませんが、チェイダーのリーダー作である、ということにさほど重きを置かなければ、とてもいい。

ところでCDサイズだとわかりにくいのだけれど、このカバーアート、イラストなのね。一見、船体のようなのは巨大な楽器群という変なセンスであります。

2025-07-23

宝樹「三体X 観想之宙」


劉慈欣の「三体」シリーズ三部作、その二次創作であります。

物語はシリーズ完結編である『三体III 死神永生』の裏面、という感じで始まり、主人公は『死神~』の登場人物であった雲天明(ユン・ティエンミン)。『死神~』の終盤では、意図的に人間ドラマの部分を断ち切っていて、そうしてより大きなスケールのヴィジョンを提示しえた、と思うのです。それがこの作品では一旦、個の問題に戻ります。大きな役割を与えられながら、語られることはなかった雲天明の辿った運命が明らかにされるのですが、その過程に本家『三体』では説明がされなかった部分の謎解きがふんだんに盛り込まれていて、これがとても楽しいのです。
そして、三部構成の二部にはいったところで、物語はがらりと変わります。そこからが「三体」シリーズからさらに次へと踏み出した、この作品のオリジナルな部分であり、宇宙規模のホラ話が繰り広げられます。

非常に密度高くアイディアが盛り込まれ、面白く読んだのだけれど、さすがに本家のような圧倒的な迫力はないです。
作品の多くの部分が対話によって展開されているので、動きに乏しい。また、説明で手一杯になって、描写が物足りないので、あまりイメージが広がっていかないのですよ。ゆえに説得力も弱くなっていると。
あと、これは言っても詮無いかもしれませんが、馴染みあるキャラクターたちへの違和感は否めません。

「三体」シリーズを読んでいないと、何のことやら、という箇所も多いですし(特に終盤)、あえてふざけてみたところもあって。凄くよくできてはいますが、あくまで二次創作、ファン向けでありますね。

2025-07-05

カーター・ディクスン「爬虫類館の殺人」


1944年のヘンリ・メルヴェール卿もの長編、その新訳です。
この作品は旧訳でも読んでいるのだけれど、有名な密室トリックはシンプルかつ独特なこともあって、もはや忘れようがない。
そういう状態で読み始めましたが、冒頭からカーの典型的なロマンスが始まって、ややうんざり。

扉や窓の隙間が内側から目張りされた密室でのガス中毒死、だがこれは殺人だという。謎が強力な故に仮説も立てられず、推理の面白さがなかなか盛り上がってこないのは痛し痒しであるか。
もっとも、トリックがわかっている状態で読むと、前代未聞のミスディレクションはもちろん、伏線がしっかりしていることに感心します。結構、きわどい書きっぷりをしているのが愉しい。
また、密室の謎だけでなく、続いて起こる事件などもあって、読ませる展開になっています。フーダニットとしての疑惑を掻き立てる加減もよく、これがあるからこそ最後が生きてくる。

クライマックスではそこに至るまでのドタバタからは一転、ヘンリ卿と犯人の直接対決がシリアス仕様でしびれるところ。決定的な証拠はないように見えるが、他殺であることを証明したうえで、手堅いロジックも交えながら追い込んでいきます。こちらも相当に大胆に手掛かりを転がしていたのだな。

トリックを知った状態で読んでもミステリとしての作りが行き届いていて、まずまず楽しめました。

2025-06-26

ダシール・ハメット「マルタの鷹【新訳版】」


田口俊樹による新訳。もう何度も訳され、そのたびに読んできた作品なので、虚心に筋を追って読むことが出来なくなっている。

今回、気になったのはエフィ・ペリン、探偵事務所の秘書だ。このペリンがサム・スペードと会話している部分は小説の他のところと温度が違う。というかスペードの態度が違うのだ。大雑把にいうと普通のアメリカの探偵小説っぽい。
苛烈な犯罪小説に、軽快なペリンとのパートが差しはさまれることで緩急が付いているのだけれど、それはハメット以前のミステリとの落差を意識させるものでもある。そう考えると、物語の結末においてペリンがスペードを拒絶するのは象徴的ではあるか。

作品自体については今更、言うことがない。早川から小鷹信光訳が出たときにも書いてしまっているしね。あえて付け加えるなら、サム・スペードはできうる限り、己の職業に忠実でいながら、自分自身であろうともしている。その困難がプロットのねじれ、もっといえば、わかりにくさを生んでいるのだと思う。
今回の翻訳は小鷹版と比べると、荒々しさがやや抑制されて表現されているような印象を受けました。

2025-05-18

ベンジャミン・スティーヴンソン「ぼくの家族はみんな誰かを殺してる」


2022年の豪州産ミステリ、500ページと少しある。作品の舞台もオーストラリアなのかは、 読み始めてもすぐにはわからない。
乾いたユーモアを存分に交えた一人称は、ミステリ創作指南の本を書く作家、アーネストによるものだ。プロローグにおいてアーネストは、これから語る自分の体験談がフーダニットのミステリであり、死人が複数出ることや、自分自身が信頼の置ける語り手であることをあらかじめ宣言する。強いジャンル意識の表明のようであるし、あるいは単にひねったユーモアの発露か(本書の扉にノックスの十戒が引かれていることから『陸橋殺人事件』的なスピリットと受け取るのが素直か)。

雪山の中にあるロッジにアーネストの係累が集合する。アーネストは家族から微妙にハブられていて、その理由は今回の一族の集まりとも関係しているようだ。その辺り、家族の間のさまざまな事情や、それぞれが抱えた問題は物語が進むにつれて明らかになっていく。
で、それと並行して殺人事件があるわけですけど。これが、ちょっと意外な感じで起こる。というか、ミステリとしての展開はオフビートなものであって、いかにも現代的だ。

アーネストは物語の視点人物でありながら、所々で読者に直接語りかけてくる。ミステリとしての興趣を盛り上げる面もあるが、ひとによって達者さが鼻につくかもね。
雪山の天候が悪化し続ける中、当然のようにさらなる事件が起こっていきます。家族の秘密と殺人事件の謎が混じり合って、話の行方がなかなか見えてこないのだが。

関係者を一堂に集めた中で行われるアーネストによる解決編は大・伏線回収祭りであって、異様に盛り上がる。謎解きと同時に家族の物語としての面が立ち上がってくるのも大変に素晴らしい。
もっとも、読者が推理できるようになっているのかというと、必ずしもそうではない部分はあるか。犯人確定の手続きも(実は)弱く、余詰めについての考慮がないのだが、驚きに満ちたプレゼンテーションでうまくもっていっている。

古典的な骨格のパズラーかと思ったらちょっと違いましたが、めちゃめちゃ楽しみました。
ところで第一の犯行時刻はどうやってわかったのだろう、後から説明されるのかと思ったのだけれど。わたしは何か読み飛ばしたのかしら。

2025-04-19

ポール・アルテ「あやかしの裏通り」


フランスでは2005年に発表された〈名探偵「オーウェン・バーンズ」シリーズ〉もの。わたしはポール・アルテについては早川のポケミスで出たものしか読んでいなくて、こちらのシリーズは初めてです。このオーウェン・バーンズものは、本国ではすでに長編8作(といくつかの短編)で完結していて、これはその4作目にあたるらしい。

20世紀初頭のロンドンを舞台に鬼面人を驚かす、という言葉がふさわしい怪現象が語られる。街の通りがひとつ、(そこにいた人々もろとも)まるまる消失するというのだ。屋敷が消える、というのは前例があるが。しかも一晩経ったら消えていた、というのではない。その通りから出た数分後には無くなっているのだ。

具体的な事件としては現象の目撃者の失踪、行方不明くらいしか起こっていないため、はじめはオーウェンによる捜査もいまひとつ焦点がはっきりしないのですが、話が進むにつれて次第に解決のハードルになるものが浮き彫りになっていきます。
また、通りの消失には別の不可解な現象もセットになっており、その現象が意味するところも次第に明らかになるのだが、むしろ謎としてはこちらの方がずっと凄く、逆に全てが合理的に説明されるかどうかがわからなくなってくる。

明らかにされるトリックは大がかりで、わざわざここまでやる必然性があったのか(いや、ない!)というくらいのもの。しかし、何しろ謎のほうも大きいので多少の無理は気にならないし、基本になっているアイディアそのものはとてもシンプルで理解しやすいものであります。
そして、不可能トリックだけでない、事件の真相はとても奥行きのあるものです。細部の処理が相当に大雑把なので読者が推理するのは無理と思いますが、その分、予想だにしない展開が楽しめます。

読み終えてみれば舞台設定が作品世界にぴったりで。現代的に練られたプロットと古典風の趣向が混然一体となった、愉しい作品でありました。

2025-04-05

劉慈欣「三体0 球状閃電」


〈三体〉シリーズの番外編のようなタイトルですが、中国では2004年と『三体』よりもこちらの方が発表されたのは先であって、「三体0」というのは我が国で出版される際、独自につけられたもののよう。

今作の中心にあるのは「球電」という物理現象。これは架空のものではなく、雷雨時にまれに観測されることがある、実際に存在する現象なのだが、その発生原理等、詳しい実体は分かっていないようだ。この球電現象を取りつかれたように研究を進めている青年、陳(チェン)が本作の主人公となります。彼は球電によって両親を失ったのだが、それに関連するような神秘的な体験もしていた。
この陳の研究をサポートするのがヒロイン、林雲(リン・ユン)。技術者であり軍人でもある彼女は、球電に観察される特質に兵器としての大きな可能性を見出しているのだ。

陳のひらめきに、軍のバックアップもあって球電の性質に関する研究はある程度のところまで進むのだが、やがて壁に突き当たる。そこで招へいされるのが他の研究者とは隔絶した存在──作中では超人と形容されている──丁儀(ディン・イー)です。これが作品全体の半分くらいのところ。丁儀は〈三体〉シリーズでも登場しますが、そこでの陰影のある人物とは違い、ここでは少し奇矯なところがある、いかにも天才らしいキャラクターとして描かれています。
丁儀によって球電の研究は加速がついたように一気に進められ、俄然面白くなってくる。そして、球電の本質についてとんでもない仮説が提唱されます。ここが本作の肝ですな。センス・オブ・ワンダーとは法螺話と紙一重なり。この作品の世界が〈三体〉のそれと地続きであると思い知らされるスケールの大きさ、楽しさであります。
作品の後半に入ると戦争の影響が大きくなり、雰囲気が重苦しいものに。そんな中でもアイディアはさまざまな方向へと発展していくので、読む手は止まりません。

まあ何というか、大したものだ。登場人物たちの意図を越えて展開し、なおかつエンターテイメントとして着地を決めてくる。はっきりとは書けませんが、終盤の解決からは『三体II 黒暗森林』と似たテイストを感じました。
結末はファンタジーの領域まで踏み込んだようで、好みは分かれるかもしれませんな。