2011-03-13

アガサ・クリスティー「アクロイド殺し」


再読なのだが。若い時分に一度読んだきりであって、結末は勿論はっきりと覚えてはいたけれども、そこに至る細部については全然でした。

この作品はポアロものとしては三番目の長編に当たるのだけれど、それまでの二長編といくつかの短編でもって、そろそろ読者にも馴染みが出来つつあったろうポアロとヘイスティングズの掛け合い、というスタイルがここでは見られない。そういう意味でも意欲作ではあるよね。

さて、根幹になるネタを知った状態で読んでみると、えっ!? と思うような、現代の作家なら絶対やらないだろう恐ろしく大胆な伏線が引いてあって、驚き。丸見えではないか。
また物語後半、ポアロが「ある男のことを考えてみましょう――ごくありふれた男です」と犯人でありうる人物の心理を分析するシーンは、真相を知って読むからこそどきどきさせられるな。

作品全体、ほのかにユーモアを漂わせてもいて、むしろ明るい雰囲気なのだけれど、それが犯人告発のシーンで一転。キリキリと息詰るサスペンスが素晴らしく、消去法によるポアロの推理はいつにも増して迫力があります。それまで小説内の誰かに向かって話していたのが、いきなり読者であるこちらを向いて指差された、そんな感覚すら覚えましたよ。

ところで『アクロイド殺し』、原題は "The Murder of Roger Ackroyd"。散文的というかセンスの感じられないネーミングだよね、これ。後のミステリ史には大きな影響を与えた作品であるけれど、発表された当時、何の予備知識もなくこの題名を見た人はどんな印象を持っただろう。
そして読み終わったあとには、この犯罪実話風のタイトルが実は必然だったことが分かるのだな。凄いね。

2011-03-09

The Mohawks / The "Champ"


英国を代表するオルガン使いのひとり、アラン・ホークショウが1968年にPamaというレーベルからリリースした、モホークス名義での唯一のアルバム。
誰それがサンプリングした、とか、ヨーロッパあたりのレア盤を多く再発してる会社から出た、なんて理由でそれほど大したことないブツが「幻のナントカ」なんて呼ばれる、そんな冗談にはもう食傷気味でありますが。
いや、こいつは格好いい。

イージー・リスニング系の仕事でも知られるホークショウ、ラウンジファンの間では "Girl In A Sportscar" が人気ですか。このアルバム「The "Champ"」は有名なタイトル曲の他にも、ソウルのヒット曲のカバーなど、ちょっとルーズながらファンキーで実に気持ちが良い演奏です。走り廻るオルガンと野太いベース、タイトなドラムの組み合わせは繰り返し聴いていたくなる。Pamaがスカやブルー・ビートのレーベルであったことを反映してか、それっぽい乗りの曲もあり。

ホークショウ自身の手になるオリジナルも4曲入っているのだけれど、そちらはジャジーなフレーズや滑らかなメロディにセンスを感じさせるもの。これらの曲は実は、ホークショウがライブラリー・レコード用に録音してあったストックを流用したものであるとか。そういえば、演奏もそれらのほうがシャープな感触であります。

アラン・ホークショウ本人はこのアルバムについて、さっさと仕上げたルーティン・ワークのひとつだ、という風にコメントしていまして。つまりは特に思い入れも無い、ただの雇われ仕事。
いや、大量生産されるが故の高品質、ということか(逆説だか正論だか分からないが)。

イージー・リスニングとソウルインストの狭間を行き、MG’sの英国流解釈ともいえる音は流石の一言。往時のセッション・ミュージシャンの実力、とくと聴きやがれ、てんだ。

2011-03-06

アントニイ・バークリー「第二の銃声」


再読、の筈なのだが全然内容を覚えてなかった。

扱われているのは犯罪劇のさなかに本物の殺人事件が起こるという趣向で、前提からして虚実が混ざっているわけですな。さらに小説としては、最大の被疑者による手記という体裁であって、眉に唾して読むのが当然の態度でしょう。いや、仮にかの人物が潔白であっても、その視点には真相を見えにくくするバイアスがかかっているのは疑いのないところ。
などと思いながら読み進めていくと、物語の半分にさしかかったところで早くも、
「もし私の試みが成功しているとすれば、この段階で読者は誰の指が引き金を引いたか、完全に知ったことと思う」
「(私は)死の執行者が誰であったかについては、完全な知識をすでに得ている」
読者への挑戦めいた記述が。さすがはバークリイ、こちらの予断の軽く上を行くね。果たしてその「死の執行者」は誰なのか。いや、その推理はそもそも正しいのか。

小説前半はじりじりとしたサスペンスに支配されていますが、中ほどになって我らが名探偵、ロジャー・シェリンガムが召喚されると雰囲気が目に見えて軽くなる、軽くなる。
大詰めの犯人告発の場面にすら喜劇的要素を盛り込むのは、この作者ならではでしょうか。

さて、謎解きとして、ですが。
物証に頼らない、とする推理作法と抜群のテクニックにより、いくらでも話はひっくり返すことが可能なように思えるのだけれど、バークリイの作品をいくつも読んでくると、そのパターンに慣れてしまうことは否めない(皮肉な結末すら想定の範囲内だ)。そうすると、今度は推理の説得力が弱いような気がしてくる。
それでも充分に面白い作品として成立しているのは結局、小説としてのうまさや構成力によるのだろうな。

『第二の銃声』では作品のコンセプトに、この作者らしさが上手く嵌っているように思いましたよ。綺麗に決まったときのバークリイは、そりゃもう、大したものです。

2011-03-05

Dave Stewart & Barbara Gaskin / Broken Records - The Singles


スチュワート&ガスキンが1980年代前半にリリースしたシングル6枚分を収めた、日本編集盤。
前半にシングルA面であったカバー曲、後半にB面のオリジナル曲が収められているが、単純にリリース順ではなく一枚のアルバムとしての流れを考えて並べられているのが嬉しい。
実はシンセが多く使われているポップスはあんまり得意じゃない。だから僕の聴く音楽は'70年代前半で止まっているのだが。

やっぱりシングルA面曲がいいです。楽曲を各要素にまでいったん還元して、それらを自分たちのスタイルでもって磨き上げ、一から再構築していくという印象。もはやカバーというより、翻訳のような行為だ。
冒頭の "I'm In A Different World" が一番、凄いな。コーラスの絡み方にソウル的な甘さは残しているものの恐ろしくアク抜きされており、フォー・トップスのヴァージョンとはまったく別物。そう言われなければ同じ曲とは思わないだろう。メロディ、コードともに改変されている上、オリジナルでは数回繰り返される大サビを一度だけにし、ブリッジ化したことで曲が分かり易くなっている。
"It's My Party" はさすがにレスリー・ゴアのほうがいいと思うけれど、芝居がかった歌・演奏ともになんだかやりすぎ寸前。語りまで入ってます。
ロックンロールを可憐なガールポップに仕立てた "Johnny Rocco" にほのかに感じられるレトロ風味や、バーバラ・ガスキンのレンディションが素晴らしいディズニーの挿入歌 "Siamese Cat Song" のエキゾチシズムも良いな。一曲のなかでも次々に様相が変化していくさまはファンタジックであり。
そして、ミュージカルの "Busy Doing Nothing" に至ってはコーラスごとにアレンジが変わり、繰り返しが無いという手の込みよう。

さて、後半のオリジナル曲となると、ユーモア成分が減少して、アレ?という感じです。ま、まあB面だものね。楽曲自体は悪くないんだけれどインストゥルメンタルの比重が高く、そうなってくるとどうしても音に違和感があって。それはシンセだけでなく、その時代の音として(シモンズのドラムとかねー)聴いていて落ち着かない気持ちになってしまう。
そんな中では牧歌的な "Henry And James" が風通しが良くコンパクトで、ほっとさせられます。

遊び心溢れる仕掛け満載の、家内製人工ポップな一枚。サウンドのほうはともかくとして、注ぎ込まれたアイディアの数々は古びていない、かな?

2011-02-27

ジャック・リッチー「カーデュラ探偵社」


「超人的な力と鋭い頭脳で難事件を解決する、黒服の私立探偵。ただし営業事件は夜間のみ。その正体は―」
特異な名探偵、カーデュラものの短編は全部で8作しか発表されていないようで、それを「全作収録した世界初の完全版〈カーデュラの事件簿〉」ということです。個々の作品は全て既訳があるものだけれど、それがまとまったことに価値があるのでしょう。実際、これはひとつひとつ単独で読むより面白いと思います。

クールな一人称で語りながらもユーモラス。そして、ちょっとした気付きから意外な解決へとたどり着くという、ミステリとしての出来も上々で、ひとつとして落ちるものがないのは大したもの。
もっと読みたい、となるのは当然でありますが。そもそも、思っても見ないような意外なオチが身上であるのがこの作者で、それがシリーズ探偵ものとなると縛りがかかり書きにくいと想像され。さらに、どの作品もミステリとしての捻りの中にカーデュラの特異な設定をうまく生かしたものになっているので、マンネリを避けようとすれば量産は利かないものだったのでしょう。

カーデュラものだけだと200ページにも満たないためか、後半にはノンシリーズの短編5作が収録されています。どれも奇妙な設定のクライムストーリーで、ジャック・リッチーという作家のショーケースになっているのでは。

ワン・アンド・オンリーの個性をたたえながら、肩の凝らない軽い読み物に仕上がっているのが素晴らしい。洒落ていて上質のエンターテイメントとはこのことなり。

2011-02-26

coming soon...?


フィレス関連の新盤4種が届きました。
"newly remastered from the original master tapes" と謳われており、実際、音のレンジが拡がっていて、今風に聴き易いといえるか。先にリリースされた「A Christmas Gift for You」と同様、'90年代初めにアブコから出たCDと比べると結構印象が違います。すっきりしたウォール・オブ・サウンド、というのはなんだか変かも。

「The Sounds Of Love: The Very Best of Darlene Love」は昨年の春に出るはずだったのがずっと延期されていたタイトルでしょうか。"first multi label" コンピレーションということで、ブロッサムズとしてのの録音も。
「Be My Baby: The Very Best of The Ronettes」には初CD化の "I Can Hear The Music" が。レニー・ケイによるライナーノーツがついています。
「Da Doo Ron Ron: The Very Best of The Crystals」には未発表であった "Woman In Love" という曲が収録。
そして、レーベルコンピレーションにあたる「Wall Of Sound: The Very Best of Phil Spector 1961-1966」。

待ちに待ったリイシューでありますが、ラインナップはなんだか代わり映えしないものであって、正直喰い足りないぞ、と思いきや。
なんと六月にはオリジナルアルバム6枚入りのボックスセットが


これまで待たされたことを思えば、六月なんてすぐだね。

2011-02-23

Manfred Mann / Mighty Garvey!


マンフレッド・マンが1968年に発表した「Mighty Garvey!」はなるほど良く出来たサイケポップのアルバムではある。マンフレッズ版サージェントペパーであるとか、ゾンビーズの「Odessey and Oracle」に比肩するなどという、いささか大袈裟な文章を見たこともある。けれども、僕にはこのアルバムが彼らの代表作とは思えないのだな。
'60年代イギリスにおいて群雄割拠するさまざまなバンドの中でも、抜きん出てヒップな存在と目されていたのが彼らだ。そのマンフレッズならではの個性といったものが、この「Mighty Garvey!」からはあまり感じられない。そもそも、他のバンドの作品と比較されること自体、違うだろうと。

フォンタナ移籍後のマンフレッド・マンは新加入のシンガー、マイク・ダボのソングライティングが開花していくことで、逆にそれまでの魅力であったジャンルミックス的なセンス、唯一無二といえる音楽性が見えにくくなった。この辺、痛し痒し、ではあります(彼らのもうひとつの面はサウンドトラック盤「Up The Junction」でうかがえる。純粋に劇伴であるインスト曲を構成・演奏できるロックバンドが当時、他にどのくらいいただろうか)。

「Mighty Garvey!」というアルバム、収録曲の制作には二年近い幅があって、ちゃんと聴けば音像に統一感がまるでないことはすぐわかる。そこにエディ・ガーヴェイというキャラクターを立て、あたかもトータルアルバムであるように擬態して、寄せ集めであることを隠蔽しようとしたのが本当のところだろう(また、コミックリリーフのように極端に違う曲調のものを放り込むことで、他の曲どうしでの違和感を緩和しているのだとも思う)。

もっとも、そんな時流に乗って制作したような作品ではあるが、個々の曲自体は素晴らしい。前述したダボとドラマーのマイク・ハグの書くメロディは、この時点で職業作曲家レベルに達していたのでは、という気さえする。
個人的に一番好きなのは "No Better, No Worse" という曲。魅惑のコード進行、絶妙なバックコーラスにメロトロン。確かにピーク時のゾンビーズと比較しても引けをとらない哀愁と麗しさである。典型的な時代の音ではあるけれど、ここまでくればオリジナリティなどどうでもいいかもしれない。