2011-06-08

The Beach Boys / Today!


アルバム「All Summer Long」でサーフ/ホッドロッドに一旦の区切りをつけたグループがその翌年にリリースしたのが「Today!」。ここからいよいよモノラルミックスが始まるのだな。また、アナログA・B面がそれぞれロックンロールサイドとバラードサイドにはっきり別れているのも特徴であります。

冒頭の "Do You Wanna Dance?" はカバー曲であるけれども、ビーチ・ボーイズならではのサウンドになっていて、特にサビでの怒涛の盛り上がりが凄い。まさにビッグバンドによるロックンロール。この曲ともうひとつ、B面に収められている "I'm So Young" がカバーなのだけれど、この2曲において聴けるのがビーチ・ボーイズ流ウォール・オブ・サウンド、そのひとまずの完成形ではないだろうか。

その他、前半に並ぶ曲では、疾走感の中で切なさを感じさせるセンスが光っている。コーラスがドライヴ感を煽る "Don't Hurt My Little Sister" もいいですが、"When I Grow Up (To Be A Man)" の
「大人になってからも愛しつづけているだろうか/子供の僕を目覚めさせてくれたものを」
という歌詞は、いい年になってから聴くとどうしようもなく胸が締め付けられる。

バラードサイドでは "Please Let Me Wonder" と "She Knows Me Too Well" という、決定的な2曲が入っていて。ハーモニーが、とかメロディが、なんていう説明が空しくなる。ただ、僕はなんというかもう、長年の間ずっとやられっぱなしなのだ。聴いているこちらの心が剥き出しにされていくような感覚。

そして、チャントのようなトラックを除けば最終曲になる、"In The Back Of My Mind" は映像を喚起するようなサウンドが素晴らしい。そういえば、アルバムの最初と最後にデニス・ウィルソンがリードを取る曲が置かれているのだな。

内省性の発露がそのままロマンティシズムの強化に繋がった、ビーチ・ボーイズ、1965年の現在。過渡期だったのかもしれないけれど、このままでもう充分、という気もする。才気の中に息づく、青い瑞々しさよ。

2011-06-05

Ronny & The Daytonas / Sandy


ロニー&ザ・デイトナズはナッシュビル出身のサーフ/ホッドロッドバンド、というと何だか変ですが、実際そうなんだから仕方ない。
1965年暮れ、そろそろサーフィンだけでは商売にならなくなってきた頃にロマンティックなバラード曲 "Sandy" をリリースしたところ、翌年初めにこれがスマッシュヒット。それを受けてアルバムが制作されました。
内容の方はバラードがヒットしたせいなのか、ゆったりとしたテンポの曲ばかりが入っていて、ビートが強調されたものは皆無。また、ボーカルもとてもジェントルというか非常に穏やかなものであって、どこがデイトナなんだ、という感じ。ずっと聴いていると、もうちょっと変化が欲しくなっていくるのも確か。

ただ、個々の曲はどれも良く出来ていて、いかにもアメリカン・ポップらしいメロディはドリーミー、という形容がぴったり。アレンジも派手さはないものの、きらきらした鉄琴の使い方や控えめなオーケストラ、そして勿論コーラスがどれも美麗な仕上がり。
また、パーカッションの効かせ方などはいかにもフィル・スペクターを通過、という感じであって。"Hold Me My Baby"という曲など、大瀧詠一そのものであります。

アルバム全体をほのかに覆うメランコリックな雰囲気が心地良い。
’60年代中期のビーチ・ボーイズで聴かれるような、内省的なバラードが好きな向きなら気に入るんじゃないかな。

2011-05-29

Gil Scott-Heron and Brian Jackson / Bridges


トレンドに乗っかり、テンプレートに上手く嵌めて作ったような音楽と、そうでない、ジャンルや自己イメージにも縛られずに出来上がった表現。いちリスナーとしては、どちらが上だということはないのだけれど。
ギル・スコット・ヘロンの音楽はまさしく後者であり、そしてそれが現在もなお範を示し続けるような存在であった。

「Bridges」は1977年のアルバム。スティーヴィー・ワンダーのスタッフであったマルコム・セシルを迎え、サウンドはそれまでとはかなり変化。シンセの占める割合が大きくなり、バンドによるスポンティニアスな雰囲気は後退、密室性が感じられるものとなった。
アレンジにおいても前作である「It's Your World」で目立ったラテン風味が一掃、ジャズファンク云々と断わる必要なく、普通にニューソウルとして聴けるものに。ブライアン・ジャクソンの鍵盤もとてもメロウに響く。

全体に重いメッセージ性は残しながら、それが突出することなくグルーヴに身を委ねていけるようである。時代的に、ややディスコ入っているかも知れないが、鼻に付かない加減もいい塩梅で、そのおかげでいまだに古びない表現に留まっているのだと思う。
そして、確かにスティーヴィー・ワンダー成分が一気に増量されてはいるが、本家には無いような、日常を駆動する力強さが第一に感じられるのが素晴らしい。

くそっ。泣きながら踊れ。

2011-05-22

Terry Callier / Occasional Rain


雨の休日、らしいやつを。

カデット、というレーベル名はなんかそそるんだよね。チェスレコード傘下のジャズ部門なんだけれど、デルズやアース・ウィンド&ファイアなんかもここから出ていた。ハウスプロデューサーとしてチャールズ・ステップニーを擁していたことも大きい。

テリー・キャリアーという黒人のシンガーソングライター。1972年、カデットからの一枚目のアルバム「Occasional Rain」もチャールズ・ステップニーが手がけています。
いわゆるソウルとは違う、セオリーに頼らない独創的な音作りが光っていて。音をひとつひとつ積み重ねたようなサウンドは色彩豊かで優美、ときに実験的な印象も受けますが、出しゃばり過ぎてもなく、あくまで中心になっているのは唄であります。ただ、グルーヴ感には乏しいかな。
人気曲 "Ordinary Joe" はシンプルなリズムに複数の鍵盤の絡みだけでポップな拡がりを出していて、これも大したものです。
また、弾き語りに控えめなバッキング、もしくはストリングスが付与された曲で僕が連想したのはニック・ドレイクやティム・ハーディンだったりする。
同じようにシンガーソングライター然としたひとであっても、ビル・ウィザーズの作品とも全く違う。ニューソウルですらない。ジャンルに縛られない芸術的自由を目指した時代の音楽。

テリー・キャリアー本人の書く曲はどれもいいメロディで、ちょっと変わったフックがあったり。
そのボーカルも力強く、情感溢れるもの。クールな印象の演奏に、湿度を感じさせる歌は良く映えているのだけれど、ビブラートがしつこく感じられるときがあり、好みが分かれるところかな。

落ちついてじっくりと聴きたい、メロウな気分の一枚。

2011-05-16

麻耶雄嵩「メルカトルかく語りき」


麻耶雄嵩の新作は短編集であります。
帯には大きく「祝! 日本推理作家協会賞 受賞後第一作」と書かれている。二十年前にこの作家が『翼ある闇』でデビューしたとき、保守的な層からボロクソに叩かれていたことを思うと、なかなかに感慨深い。お話が飲み込み易くはなってきているものの、ずっと麻耶雄嵩自身の作風にはブレがないだけに。
ミステリ的技法がエンターテイメント小説全般で見られるような昨今において、ジャンルのコアな部分を持つ作品が評価されるようになった、ということなのだろうか。

その『翼ある闇』で登場したのがメルカトル鮎、という銘探偵であった。大して推理などせずとも事件を解決してしまう、異様に高い能力を持つ、この極悪探偵が登場する作品は本格ミステリの尖端をいくものばかりである。
この短編集も新しい皮袋になんとやらではないが、展開されるロジックは極めて折り目正しいものだが、その末に辿り着く「真相」は普通の意味でのそれとは違う異様なかたちのものが並んでいる。しかし、尖鋭化したコンセプトが自然なほど作品世界に消化されているゆえ、頭でっかちなものにはなっていないのが素晴らしい。各編、構成も趣向に富んでおり、続けて読んでも飽きない。

まぎれもない本格ミステリながら読後感はむしろ、奇妙な味や皮肉さが強く残り、米国産の切れの良いクライムストーリーに近い。語り口も軽妙であり、とっつき易いものだ。
ミステリについて「こうであるべき」という先入感を持っていなければ、案外に誰でも気軽に楽しめる一冊ではないだろうか。

2011-05-14

アガサ・クリスティー「青列車の秘密」


エルキュール・ポアロものとしては5作目の長編。
導入はそれまでクリスティが手掛けてきた冒険スリラーを思わせるもので、曰くありげな裏世界での取引が、秘密めかして描かれる。そうして出てくるのが、因縁めいた来歴を持つ宝石というのだから、いささか古めかしい。

この作品では名探偵とワトソン役の記述者、の形式から脱し(それまでスリラー長編で試してきた)三人称複数視点を導入。いよいよクリスティ独特の、ひとつのエピソードを細切れにした上で、さまざまな面から語るスタイルが獲得されたのだな。
これにより、物語にふくらみが出て、事件が起こる以前について筆を費やすことが可能になった。人物紹介もスムースに運ぶ上、ミステリとしては尋問の繰り返しを回避できることとなり、結果、リーダビリティが格段に向上したように思う。展開に独特のリズムが感じられるのだ。

謎解きとしては非常にシンプルなフーダニットでありますが、何気ないミスリードが美しい。わずかな虚偽が物語全体を覆ってしまう、その手さばきは見事。
ただ、けれん味が薄いためなんだか盛り上がりきらずに終わってしまう感があって、ちょっと勿体無いか。また、洗練されたミステリの形式にスリラー要素がうまく溶けこんでいないのも確か。
それでも、クリスティ流ミステリの完成、その前夜までは来ているという印象を持ちました。

2011-05-08

コニー・ウィリス「犬は勘定に入れません」


タイムトラベルSFです。時空遡航が可能になった未来(猫が絶滅しているらしい)から、第二次大戦で焼失したかも知れない遺物を探索しつつ、それによって起こった歴史の改変を食い止めるべく過去に干渉していく、というお話。

主人公は物語の最初の章で大戦中のコヴェントリーにいて、次の二章が未来世界におけるオックスフォードに戻り、そのあとはずっと使命を帯びながらヴィクトリア朝で行動するわけなのだけれど、この大部を占める過去パートが英国ユーモア小説として面白い。
その語り振りはゆとりがあり、かつ少しもって回っていて、ひとによっては冗長と感じるかも知れないです。自然描写や文芸の引用、歴史的な出来事についての言及が頻繁に入るし。百数十ページに渡って描かれるボートでの川下りなど、いかにも有閑階級の楽しみといった感じですな。
ことさらに筋を追うのを急がなければオフビートな展開も楽しく、ぬけぬけとした転換の表出など人を食っていて良いです。しかし、上流階級では「召使いを盗み会うのはこの時代のいちばんの娯楽よ」って本当なのかな。

SFとしては、歴史改変について作中での法則がいまひとつはっきりしていない状態のため、結構あいまいな感じで進んでいきますが、あちらを直せば今度はこちらが、的に歴史がずれていく面白さはあります。
でも、ちょっと緩いかな、なんて思っていると、全体の4分の3を過ぎたくらいから本格的にタイムトラベルものっぽくなってくる。最後には霧が晴れたように全体像が見えて、それまではっきりしないなあ、と思っていた各要素がしっかりとあるべき場所に嵌っていきます。これは見事。

アガサ・クリスティやドロシー・L・セイヤーズの小説が謎解きの小道具として出てきて、ミステリファンとしてはにやにやするのだが、そういえば作品自体の雰囲気もなんだかセイヤーズっぽい(なお、作中にコリンズ「月長石」に関するネタバレがあるので注意)。

ロマンスの味付けも柔らかにいい塩梅で、登場する犬や猫もチャーミング。
時間のあるときにゆっくり読むべき本ですね。愉しかった。